年の暮れの風俗もずいぶん変わった。昔はこうだった!といくぶん昔のほうがよかったようなニュァンをこめて年寄りが話すのは、5000年も前のエジプト時代から年寄りの繰り言として変わっていない。しかしつい100年前ほど前までは一世代か二世代の間に風俗(文化、風習、そして文明の利器も含め)はそう大きく変わるものではなかった。ところがこの百年の変化は、革命的といえるほどの大変革である。通信コミュニュケーションの一つだけ取り上げても、小学生のワイんくには黒電話さえなかった。それが今やスマホの時代である。じつのところワイはまだ一世代前のガラケーなのでスマホのすごさはわからないし、いまさらそれを学習しようという気もないが、ともかくこのスマホへの転換はわずか十年余りで起こったのである。
もう70を過ぎたジジイとしてこの恐るべき風俗(文化、風習、文明の利器)の変化には目を回さんばかりである。もうこの世からおさらばする時が迫る中で、未来を予測しても仕方ないが、歴史好きのワイとしては、未来はどうなるだろうかと、思考の中だけでも未来を思い描いてみたい気もする。しかしだ!歴史は繰り返すとはいうけれど、近年の変化は歴史上いまだかってなかったことが多い。
朝、十時前の汽車に乗ったら、半分くらいの乗客は東南アジアとみられる若者で占められている。中国語とは違う、抑揚(ある種の声調か)でにぎやかに話をしている。このまま東南アジアや南アジアの若者が増え続ければ早晩、日本は欧州諸国のように移民社会になっていく、このようなことは、日本列島に人が住み着き始めた原始の時代は除いて、歴史上なかったことだ。歴史上初めての多民族共生社会がやがて来ることは予感できるが、それがどのようなインパクトを日本社会にもたらすかもうジジイとしては予測もつかない。
そして先ほど東新町のアーケードを歩いた。閑散として人はまばら、半世紀前、年の暮れのこのアーケード街は人があふれ、活気に満ちた町であった。映画館が何軒もあり、映画好きだったワイはお正月封切り映画を何本かここで見たものだ。今は映画館どころか、繁盛している店、食堂さえない。これにひきかえ郊外の大型スーパー、ショッピングモールは大盛況である。人の賑わいの中心は大きく移動した。それじゃぁ、今後、近未来はどうなるか?これも近年の(21世紀に入った)変化の大きさを見れば、もう予想もつかない。
ワイはもう70年近く生きた。日本経済が10%を超える成長の時代、貧しい我が家もおこぼれに浴したし、就職してからもたいして働いてない仕事にもかかわらずそれなりの給料ももらえた。戦争も壊滅的な大災害もなく、なんとかいままで生きて来られたし、現在のところカツカツの年金ではあるけれどもなんとか生きていけている。でも今の若者の未来はどうだろう、バラ色の未来であってほしいとは願うが、先も言ったようにもうワイの頭では予測もつかない。だがここ数年の地球規模的な事件、「新型ウィルスによるパンデミック」「超大国米中の高まる対立」などは、風俗の変化と違い、歴史上何度か繰り返した。どちらも数千万規模の死者を出した。これを考えると若者の未来をバラ色に予測するのはむつかしくなる。
文明の利器については何度も繰り返すがもう歴史に例のないくらいの新しいものが次々現れた、これは予測もむつかしい。果たして、今、利器と見えるものがさらなる進化を遂げて、それがいつの間にやら利器が凶器となるのではないか、前例のない物質的進歩であるゆえに、そのような危惧も持っている。
列車の中では半数の東南アジア系の外国人は、仲間と一緒に座り、にぎやかに話をしている、一方、その他の日本人の若者はまるで申し合わせたように、一人うつむき加減にスマホをいじっている。いったい日本の若者はどうなるのだろうと、心配するのは私だけの杞憂だろうか。
東新町がこんなに閑散としている中、列車から降りた若者(東南アジアも含め)はいったいどこへ行くのだろうか。