2021年11月23日火曜日

二人の遭遇

  寂聴さんが亡くなった訃報を聞いて、追悼の念もあり、何かを読もうと思ったが小説はちょっと敬遠するものがあったので、徳島に関する「随筆集」を読んだ。その随筆集の中に意外な記事を発見した。よく私のブログで取り上げていたあのモラエスさんと寂聴さんは遭遇していたのである。モラエスさんは徳島に住んだ外国人(当時は異人さんと呼ばれていた)ではあったが、生まれはポルトガルで1854年、日本でいえば嘉永7年、まだ江戸時代である。寂聴さんは生まれは1922年、大正11年である。同じ徳島の文学者と言いながら、時代が70年近くも違うため、交流はおろか遭遇もなかったものと思っていた。しかし彼女の随想文、題は「青い目の西洋乞食」として、彼女が小学校一年の時の思い出としてモラエスさんとの遭遇の話を書いているのである。

 モラエスさんは享年75歳、昭和4年・1929年になくなる、寂聴さんは1922年生まれ、最晩年に逢ったと思われるから彼女は7歳になるかならずである。当時、モラエスさんは伊賀町の長屋に住んでいた。対する彼女はまだ小学校一年生、家は今とほぼ同じ位置西大工町の仏具店である。校区は新町小学校、モラエスさんは伊賀町の実家から追慕の女性だったおヨネ、コハルの墓のある潮音寺に詣でるのが毎日の日課だった。潮音寺は今のロープウエイのある阿波踊り会館のすぐ横である。伊賀町から眉山山麓の道を真っ直ぐとると新町小学校を抜け、墓のある潮音寺に着く、ということは新町小学校に通う寂聴さんとまさにクロスする。当時としては珍しい外人さんである。毎日通うモラエスさんを見ることは幼い子供の好奇心をそそったに違いない。男の子はからかい囃したてたようである。毎日のように墓参するモラエスさんには何回もであったであろうが、寂聴さんは初めて会った時の印象を次のように述べている。

蝙蝠の低く飛ぶ晩春の黄昏時、モラエスさんは墓参りの帰り潮音寺の土塀のどこかから出てきたのであろうが、幼い私はまるでその人が地の底から湧いて出たように感じた。その異様な姿に(ドテラを着てデンチュウを羽織り、鳥打帽をかぶり、アイヌの長老のような髭モジャだった)、たぶん噂は聞いていて「西洋乞食」という言葉を思い浮かべた。大きな体のその人は放心したように、ゆっくり歩いていた、息をつめて見つめている私には気づかず、青い目に物悲しい色をたたえ、歩き続けていた、年老いた異人さん貧しげな姿が物哀れであり、歩くのに思わず手を取ってあげたいようなはかなげなものを感じた、つけていった私に気づくふうでもなかった、そして小学校を通りすぎ瑞巌寺の門前までついていった、そこは伊賀町へ曲がる横丁がある、そこでふっと、異人さんは振り返った、ぎょっとして立ちすくんだ私に目をとめ、じっと青い目で見つめたが、私が泣きそうに力んでその顔を見つめていると、にっこりして、ふかくうなずいた、何か言いかけたが、私は急に怖ろしくなって、身をひるがえし、我が家の方へかけ戻った。とある。

 寂聴さんとモラエスさんの遭遇したときは昭和4年の晩春である、ということはモラエスさんはそれから二ヶ月もたたず自宅で孤独死を迎えている。(孤独死が発見されたのは7月1日である)徳島の文豪二人のはかないつかの間の遭遇であった。

 白塀に囲まれた墓地が潮音寺のおヨネ・コハルの墓のあるところ、塀の終わるところを右に曲がれば新町小学校、そして伊賀町へと続く。


 下の写真、山へ向かって進めば潮音寺、左へ行けば新町小学校の道、その角の小公園にモラエスさんの記念碑がある。小学校一年生の寂聴さんが潮音寺から出てきたモラエスさんに逢ったのはこのあたりかも知れない。この後方の大通りを少し左に(紺屋町の方へ)進むと今も(寂聴さんの里)瀬戸内仏具店がある。


 寂聴さんの作品はただ一つ、時代小説で鎌倉時代の宮廷の女性が書いた古典・日記文学「とわずがたり」を基にした「中世炎上」を読んでいただけであった。たった一つしか読んでない作品で彼女の文学全体を評価するのはどうかと思うが、その作品は私には強烈な印象を与えすぎて、そのほかの作品は読む気がうせてしまった。むしろそれに刺激を受けて原典ではどうなっているのだろうと、古典文学「とわずがたり」のほうに興味が出て、そちらのほうを読んだ。「小説・中世炎上」で強烈な印象を与えたのは性的な描写であった。小説の最後のほうにある、かっては愛し愛された人の末期の病床の場面の描写である。

 臨終の院(上皇)が二条の手を取り、「さ、別れをしてやっておくれ」と(院が二条の手を)夜具の中に引き入れていく、二条はされるままに手を寄せていくと、柔らかな小鼠のような手触りの懐かしいものに触れた時、院の頬にあるかないかの微笑がさした。そして翌日、院は崩御するのである。

 柔らかな小鼠、とは男性器(チンポ)のことである。チンポを鼠に例えるのは一つの例を除いて知らないが、三島由紀夫の小説の中にその一例がある。三島は、水死したネズミのような性器が股間にぶら下がっている、との比喩を用いているが、これはどちらかというとみじめな男性器の描写であろう。しかし寂聴さんの描写は同じネズミでもものすごくエロティックな表現となっている。女性から見た愛しい男性のチンポは「柔らかな」「小鼠のような」「手触りの懐かしい」ものである。私も大胆な性描写の小説を読んだりするが、それはほとんどが男性の作家である。小説中、女性の立場に立った性描写にしてもそれは現実には決して女性の肉体にはなれない男性作家が想像して書いたものである。だから女性作家によるこの描写は真実味がある。彼女の男性遍歴、性の経験がこのようなうまい表現になったのだろう。

 女性作家によるそのような性的な描写を別に嫌悪したわけではないが、どうも寂聴さんの小説は私には向いていないと思い、そのあとは読んでいない。

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