2021年11月1日月曜日

本日の雑感

 新聞を買いに走ったこと

 普段、新聞なんど銭がもったいないので購入しない。ニュスなんどはテレビのBSデタバージョンで文字を読めば済む。しかし今日は総選挙の結果も気になって、朝、駅のスタンドに全国紙を買いに走った。しかし買って損したわ。よく考えると当たり前の話やが、今日の朝刊は日曜日の選挙結果が最終確定する前に締め切って印刷される。だから最終結果をもとに分析され、論評を加えた記事は載っていない。締め切りの深夜となれば概ねの傾向は出ているものの、それに基づいた論評しかしていないので、今日買うべきではなかった。明日にすればよかった。そのためもあって今朝の朝刊の(某全国紙)見出し記事を見ると、今朝BS文字放送の最終結果を見た私のリアクションとは違和感がある。

 見出し、自民過半数を維持、これは事実としてまぁそうだろう、立・共の共闘一定の効果!やと!糞ごじゃぶらぁぬかすな。途中結果を見ても共闘してへっとるやないかぃ!「一定の」っつうところにこの新聞の見出しをかいた人の小ずるさが表れている。確かに、例えば10ある事例のうち1つでもあれば、そりゃぁ、10のうち1でも一定といやぁいえんこともないが、この特定野党(RM党)は自民党とおんなじくらい減っている。だから母数の比率からすれば減少率はもっと高い。ワイの客観的に見るところ

「自民党に国民はやいと(灸)をすえる。特定野党(RM党)にもやいと(灸)をすえる」

 がもっとも客観的な見出しとなるのじゃないだろうか。

信念の人

 供託金没収となった。本人も覚悟の上だろう。一世一代のプロパガンダ活動となったのだから本望かなぁ。銭がもったいない、というのはワイのような小物の俗人だろう。わざわざ彼に入れようと投票所へ足を運んだ人が2000人近くもいた。ごく小さく等級も低いが彼にとってはこれが立派な「勲章」であると思いたい。

とんぷく薬

 一昨日の深夜、辛抱できぬことはないがそれでも安眠できない持続的な腹痛に襲われた。臍の下あたりだから下腹部というのだろうか、激痛でないにしても深夜のこのような腹痛はホントに心身を言いようのない暗い状態に落ち込ませる。対処方法は漢方胃腸薬を飲み電気毛布で寝床を暖かくする以外ない。しばらくするとムカつき、それと便意を催してきた。それからは水様の便が出だし、トイレを何回も往復するようになる。

 食あたりのような症状だ。昼に食べた握り寿司がいけなかったのかしらん、上に乗ってる鮭、ホタテ、牡蠣フリャァ、のどれかがが怪しかったかのなぁ。

 次の日は日曜、どこも病院は開いとりゃせん、日曜診療の特定病院もわが町にあるにはあるが、症状もおさまったことでもあり、売薬で済ますことにした。といっても医師でも薬剤師でもない私である。適切な薬はわからなし、薬剤師に相談しても、医師の処方でなければ購入できなくすりもある。でも実はそんなことは言い訳で、すでにもう買う薬を決めていた。そして店が開くと同時に購入した。その薬は

 「征露丸」

 ワイの小ンまいとき、腹痛、下痢など必ず飲んだ薬である。もちろん常備薬で家に常備しているボール紙で作っている引き出しの四角い薬箱にそのほかの頓服薬と一緒に入っていた。最新の「征露丸」は昔のようなウサギの糞様ではなく糖衣錠に包まれているためあの独特のニオイもない。その服用が効いたのか腹痛もおさまり、ヨンベは再発することなく眠れた。

 昔の頓服薬は一年に一度回ってくる売薬行商が置いていったこんな段ボール紙の薬箱に入っていた(ワイの子どもの時の記憶と色は違うがこんな形、素材の箱だった


 あ!それで思い出した!先日、文化の森博物館の特別展で「お札コレクション」展示があったが、まじないのお札とともにこんなものもあった。これお札とともに配る、あるいは売られていた昔の薬である。

 (10月24日やまさん撮影、文化の森博物館)


 独居老人の深夜の急な腹痛、それも持続して去らないのはどれほど不安をかきたてることか。今だといざとなりゃぁ、救急車という最後の手だてもある。しかしこのお札が生きていた時代、そんなものはない。医者も緊急にはまず呼べるところは少ない。医学の未発達と相まって、急性の病気の死亡率はも今より段違いに高かった。高熱、腹部の激痛で夜中にそのままなくなる人も多かった。そんな中で薬売りの置いていった常備薬「薬箱」は頼りにできるものであった。中身はやはり、発熱の頓服薬、腹薬、肩こりの外用薬、痛み止め、それと赤チンなどである。

 昔にさかのぼるほど、これらの薬の効き目も怪しいものである。大昔は西洋医薬はなく漢方や民間療法の薬草やエキス分で作られたから劇的効果は期待できない。しかしそれを補うものとして、まじないの護符があった。一昨日の深夜の腹痛、痛みももちろん取り除いてほしいが、なにより心細さ、言い知れぬ不安など、が軽減されればと願ったものである。

 昔は信心深い人が多かった。上記の写真のようにお札とともに配られる「萬金丹」だの「だらにすけ」などは神社仏閣そのものが薬を調剤するか、その関係者が作ったものである。その神社仏閣の宣教者である御師や山伏のもたらすこれらは、薬効だけでなく病気平癒という信心の加護の御利益(心理的なものであっても)もたらしたのである。薬効以上に心の不安を平らかにするものであった。しかし不信心者が増えた今日、この薬のこのような効果は期待できない。

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