ただし外界の刺激が少なくなるから私以上の年齢の者には長期入院によってボケないまでもますます何かをしようとする気力が失せ、安逸に過ごそうという怠惰的な方向に向かう癖がつくかもしれない。いずれにしても早く退院して社会に復帰する方がいいに決まっている。
(コロナの為)鍵がかけられている閉鎖病棟なのではあるが、一階にある売店に自らの必要品を購入するため行きたいと申し出れば看護婦さんがカギを開けてくれて一階フロアの売店まではいける。私はコーヒが好きなので日に二三回下まで下りて行ってドリップ式のコーヒーを買ってきた(4Fには缶コーヒの自販機しかない)。それをディルームでゆっくり飲むのである。というのも、このディルームはまるでホテルの展望室のように眺めがよく、私のお気に入りの場所である。四国山脈がパノラマになって眼前に展開しているのである。コーヒーを飲みながらこの四国山脈のパノラマをボンヤリ見ているとなんとなく心の中にジワ~ッと、小さな幸福感が広がってくる。70を過ぎたジジイの行く末の予感される悲惨さも忘れさせてくれる。(右端には霊峰・高越山が見えている)
左から右へ移るパノラマの全景のもとに私は育った。小学校、中学校、そして高校もこのパノラマの中に納まっている。三つ子の魂百までというがこの一つの全景の中に私は育ったんだなぁと感慨を強くする。その三つくらいの時、この屏風のように南の方に立ちふさがる四国山脈をみて、まるでそれが世界の果ての境界であるように思っていたのは、今から思うと笑止なことではあるが、うんと小さい世界観しか認識できない三歳の幼児にとってそれは私の取り巻く世界の南の果ての境界であった。祖父に聞いた。
「ジイチャン、あの山の向こうにはなにがあるん?」
いったいなんと答えてくれたか記憶にはないが、納得できるものではなかったとおもう。しかし同じ幼児の時、あの南の、私の小さな世界の果てと思っていた山脈を越えて行き来している人を何人か知った。その一つは、あの世界の果ての境界の山に向かって行く人、白い浄衣を着たお遍路さんと山伏の格好をした人々である。私の家の前で経を唱えたりホラ貝をふいたりしてバァチャンが喜捨したのでその時、あの山を越えていく、と聞いたのだろう。
その二は我が家にあの山を越えてモノを売りに来る人である。多く接触があったのは「炭売り」である。当時昭和30年くらいは木炭は我が家の重要な燃料であったのである。大人になってその木炭は山の向うの神山で炭焼きさんが焼いて、木炭入りの俵に調整して、わが町まで下りて売りに来た人であるとわかったが、里に住み、農業や商人、勤め人しか目にしない当時の幼児にとっては、その格好も少し変わっていたせいもあり、ちょっとした「異形の人」であった。
そして山を越えてきた人で、一人しか記憶にないが、強烈だったので覚えているのは「シシ肉売り」であった。シシ肉なんどといえば都会の人は何のことやらわからないだろうが、古い阿波言葉で「シシ肉」といえば野猪(イノシシ)の肉である。それをあの山を越えてわが家に(というか近所あたりに声をかけて)売り歩いてきたのである。ジイチャンがその一片を買ったのまで覚えている。血の染みた大きなまな板の上でシシ肉売りが包丁でさばいて大きな肉片を切り取ったがその肉の赤さ脂肪の白さをなぜか今でも鮮明に覚えている。これも今になって思えば山向うの神山奥の、当時はまだいた猟師さんがシシ肉を売りに来たものと推定されるが、幼児の私にとっては世界の境界の外からやって来たちょっと畏怖するような異形の人であった。
四国山脈を見ながらそんなことを思い出していた。今から思うと幼児期の世界観はなんと狭かったことだろう。ホントに目の見える範囲しかわが世界は存在しないと思っていた。しかし人の持つ「本源的な世界観」って、それを基礎にしたものであるのではないか、大人になり視野も思考もが広がっても、大海を望む海岸に住む人にとっては、海の水平線が世界の果てであった。古代人はそのような世界の境界・水平線の向こうにあるのを「常世の国」といって別世界と思っていた。現代になって世界の果てがどんどん広がって世界の果てはなくなったか? 今人類が認識している世界の果ての、その広がりは信じられないくらい大きいが何百いや何千万光年の宇宙の向こうには、やはりわが世の果ては存在するのである。三歳の幼児が思った壁のような四国山脈が世界の果てでその向こうは幼児の理解の埒外であるのと何が変わろうか。
ここまで思いを巡らすと、ちょっとため息をつく、三歳から私もずいぶん大きくなり、そう明瞭ではないが頭もそれなりに働くようになった。書物やネットを通して、私の持つ世界観の広がりや質も向上したような気でいる。世界観が広がり、知ることは喜びであった。しかしそう遠からず、人生の行きつく終わりにある境界(果てといったほうがいいだろうか)がやってくる。その境界を突き抜けるときの言い知れぬ恐怖はある、誰しももつものだろう。しかし、日がな一日このような、かって世界の境界でもあった四国山脈を見ていると、そのように認識し考える私もごくごくちっぽけな取るに足らないような気がしてくる。しかしそれだからといって命を軽くは考えたりはしない。
この不動の四国山脈は古生代は海の底だったのを知っている。そしてその後、大隆起をおこし高い山脈となったが、ゆっくりと浸食が進み、数億年かけてこのようなパノラマになったのである。静的な山を静止した私が見ているように思っても、違う時間のスパンで見れば時々刻々とそれは変化しているのである。そしてその変化は極めて長いが、私と変わらぬ終末が待っているのである。ときは進み進んであらゆる森羅万象を含む宇宙も「消滅」の時が来るのである。わがちっぽけな命とそのサイクルはなんら変わらぬのである。そのように考えると、私にやがて訪れる「死」も受け入れられそうな気がする。ましてや今まで70年もわりと好き勝手に生きてきたんだもの、断末魔の苦しみは回避したいが「死」そのものも昔ほどは怖くはなくなっている。
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