登り口から二時間余りの登坂はきつかったが、ツツジやアジサイの花がほとんど途切れることなく道の両側に咲いており、また中小の滝も登山道から見えるところに数々あり、せせらぎの音、野鳥のさえずりとともに目や耳を楽しませる。もう少しで寺に着くという道の脇にはおいしそうな野イチゴがたくさん実をつけていた。こういう野生のイチゴはあまり甘みがなく、おいしくないのではと思いつつ、実をもぎると果肉が柔らかくジューシィな感じである。ちょっと期待しつつ口に入れると、結構あまい、栽培種のイチゴのような甘さはないが野生らしい好ましい甘酸っぱさが口に広がった。これだけ野生の実があればたくさん採ってジャムにしたらさぞかしよかろう、などと考える間もなく慈眼寺に着いた。
山門はなく鐘楼の横が入り口となっている。
横広の境内には納経所・寺務所、住居とともに大きな堂が二つ並んである。当然本堂かと思ったがさにあらず。大きいお堂が「大師堂」で左横にあるのが「不動堂」であった。本堂の「十一面観音堂」はここよりさらに山道を500mばかし登ったところにあり、その横には行場である「穴禅定」の洞窟がある。
動画で見ると左に不動堂、右に大師堂、さらに納経所があるのがわかる。大師堂の上の山頂に石灰岩の露出した岩壁が見えるがこの下方に本堂と穴禅定の行場がある。
そこから500mばかり登ると「本堂」と「穴禅定の行場」がある。写真左が本堂・十一面観音堂、右には穴禅定の行場入り口がある。
穴禅定入り口(洞窟)
穴禅定の修行(白い浄衣を借りて着け、ロウソクをもち案内人と一緒に洞窟内の行場をめぐる)は予め申し込みがいる(一人3000円のお布施がいるそうだ)。閉所恐怖症の人や足・体の不自由な人は勧められないとある。私は行わなかった。
そのかわり本堂・十一面観音堂の前で「観音経」あげて私なりの祈願をした。その観音経の終わりの部分を読誦していて「具一切功徳、慈眼視衆生」のフレーズを読み上げたとき、はたと気づいた。ああこの寺の名は観音経の「慈眼」から由来しているのだと。
インドの人はほとんどそうであるが彫が深くまつ毛が長く目が大きくぱっちりとしている。微笑むと柔和で優しく見えるし、黙するとなんだか哲学者のような深遠な表情となる。私がインドはお釈迦さんの生まれた国で一度は行ってみたい大好きな国であるというと、喜んでぜひ来てくださいという。彼は「バラナシ」という地名を挙げ、そこの名前をまず第一に覚えてください。必ずそこへ行かれるのがいいですよという。お釈迦さんの活躍したのは中インドのガンジス川中流域だ。バラナシも確かお釈迦さんが最初に修行したところじゃなかったかなと思い出す。あなたもガンジス中流域出身ですかと聞くと、彼は南インドだという。あまり根掘り葉掘りも聞けないので最後に印度はヒンドゥー教がマジョリティーと思うんだけれど、と聞いたら彼の宗旨はキリスト教とのことだった。それ以上は立ち入って聞かなかった。お四国巡りのいいところはどんな宗教の人でも巡礼できるということだ。お互いに道中の無事を祈る別れの言葉をかけながら別れた。
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