登山といってもたかが標高212.3mの山である。ワイのような体力の落ちた高齢者の登山にはちょうどいいかもしれない。先日、史跡公園をぐるっと巡ったが奥に気延山登山口があったので、いつかは来ようと思ってたが今日がその日になった。ここニ三日30℃近い暑さが続いていたが今日は一段落したようで山道を歩いたら暑くはあるが夏日すれすれの最高気温で風がかなりありさわやかな初夏の登山日和である。
下は国鉄徳島線、石井~府中間から見た気延山である。源平合戦のおりに源義経がこの山を訪れ休息したことから気延山と名づけられたといわれている。
入口は史跡公園奥にある。
気延山付近の概略図
登山道に沿って多くの古墳がある。円墳が多いようだ。コフンばかりか信じられないようなデカい黒いフン(糞)もあった。なんの動物だろう。古墳は数えただけでも6つ、他にもたくさんありそうである。
途中に八倉比売神社があるので参拝する。
御祭神は八倉比売であろうが、なんとこのお方、アマテラスオオミカミの別名だそうだ。またの名を(いくつもある)大日孁女命(オオヒルメノミコト)、三文字目難しそうな漢字だ。大きく書くと「孁」、ほとんど見たことのない文字である。このアマテラス大神の別名(大)ヒルメのミコトの「ヒルメ」はあの古代史で有名な「ヒミコ」からきているという説がある。邪馬台国神山説によればこのあたりは神山の入り口付近であるから、その説に従うとなんかそれと関係づけられそうである。下は神社の由来書き。
気延山の山頂部は大木が生い茂り見晴らしはよくない。山頂の表示と熊野修験道のお社がある。
お社を中心に、役小角、修行大師の石像がある。
下りは別コースをとり、大泉神社に参拝する。
その社名の通り、横に湧水の井戸がある。そして石を積み上げて囲った四角の小さな石室が神社の本体である。このようなかたちは神社の原初の姿をとどめていて貴重な神社形態であるといわれている。
くたぶれた。
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