前のつづき
私のようにだいたい毎日ブログを書いていると、自分のことのみでそうそう主題があるものではありません。時事問題、天候、時として大事故、天災などを採りあげます。そのとき筆が滑るというか大げさに調子に乗って予測や悲観的な見方を書きます。
これは私だけに限るものではなく新聞のコラムなども、将来に対して楽観的な見通しを語るより、悲観的な展望をのべることが多いようです。面白いことにこのような傾向は、中世の運命論、終末論に憑りつかれた年代記の作者と変わりないように思われます。
このように将来に対し悲観的なことを書く回数も多く、また多くのブロガー、コラムニストがこのような傾向を持つとすると、いつか、そして誰かは必ず、前もって、今年はたいへんなことが起こりそうだ。もっと具体的に大地震・津波が来ると書いたりした人がいるに違いありません。
数多くの予言・予測に近いような文章があるとすると、誰かは言い当てることがあるのは当然という気がします。
私のブログをみても先に紹介した1月8日もそうでしたが、1月26日の「地獄の口が開く」、2月1日の「パニック映画」、の記事も言い張れば、予言ととれないこともありません。
このようにたまたま当たるのが中に出てきますが、正確にぴたりと当たるのはさすがに確率的に難しいようです。
しかし、大体においてこのような予言が当たり、それが自分の未来を予兆出来る能力に違いないと思っている人は、ピタリと当たらなくても、実はそれは
「神やあるいは天が、信じる人を選ぶため、はっきりとは言わない形で、仲立ちである自分に黙示として示したものである。」
「それを読み解き、信じられるのが自分であり、今回の災害ははっきり自分にはわかっていた。そして警告も発していた。」
などとうまく言います。こうなれば宗教カルトですね。
信じさせる人、信じる人が出てくると、
「なぜ、我々はこんな災厄を受けねばならないか?」
の答えが欲しくなります。この土壌の上に、中世は終末論が大流行りします。そして「救い」を中心に据えた宗教も大流行りします。
中世のようなことが流行るかどうかわかりませんが、歴史は繰り返すといいます。理性が支配するという現代ですが、さてどうなるでしょう。
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