東北での死者は驚くべき数に増えているのに、数万になろうという死者のことはどうなったのだろう。
「生きている人の脅威が最重要である。」
「去る者は日々疎くなっていく。」
それはわかる、それはわかるが、悲しすぎないか。
災害の多い日本列島に住みついた我らの祖先も幾多の災害に多くの命を持って行かれた。
われらの先祖は死者に対して社会や集団として多くの鎮魂の儀式、作法を持っていた。
いまさら古い鎮魂の儀式や作法をやれと言っているのではない。
せめてせめてトップニュースに死んだ人のことを鎮魂の為に持ってこれないものか。
万葉の歌集を開き、次の歌を読みながら、多くの子を亡くした親の為に号泣した。わたしの鎮魂はそれくらいしかできない。子を持たない私でさえこれだけ悲しいのだから、東北の人の悲しみはいかばかりか。
わかければ 道行き知らじ 幣はせむ 黄泉の使 負ひて通らせ
(まだ幼いのであの子はあの世への旅路を知らないであろう。あの世への案内のものよ、どうかあの子を負ぶっていってくださいよ。)
この世は確かに生者のものではありますが、数万にのぼる死者の鎮魂の作法を忘れたようなニュースのトップで多くの時間を割く原子力事故放射能報道には納得できません。ましてやこの事故で一人でも死んだんでしょうか。
高齢で病気がちな私だからでしょうか、死者の世界を思い、鎮魂のことを思うのです。
駅の横の公園にコブシが咲いていました。東北の春はコブシがとても美しいですが、今年はそれを思い悲しみがまた湧いてきました。
コブシの花と鐘楼(西麻植駅公園) |
無残なり春三月、花は咲けどもこぼれる笑顔はいづこ。
息吹く春を迎えても 君は帰らぬ。
泣いて君が戻るなら いくらでも泣きもしょう。
涙が枯れ果てても 呼び声がむなしく響くだけ。
1 件のコメント:
犠牲者は、いったい何人ですかね?
原発のことにも、東電のせいにするのではなく、政治家、官僚もっとしっかりしないと!
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