2011年2月2日水曜日

テレビに触発されてまた沖の洲へ

 今朝の四国放送の、「おはよう徳島」は、江戸時代の徳島の古地図と今を対比させながら、その変わり様についてリポートするものであった。途中から見たが、ちょうど沖の洲についての話らしいので、興味をもって視聴する。
 この間のブログで沖の洲の由来となった地形も、今は埋め立て工事が進んで見る影もない。と書いたが、リポーターも同じようなことを言っていた。
 ただ、さすが放送局の企画力はすごい。昔の古地図にあった海岸線を調べ、今の地形と当てはめ、その一部分がいまでも残っていて、今も残る岸の地形や、防潮の土手・石垣、松並木の一部などが現存していることをリポートしていた。そして、カメラとともにその場所に繰り出し、録画したのを今朝放映したのである。
 もちろん郷土史家などの専門家は今に残る昔の地形や風景についてはよく御存じだろうが、我々は知るすべがない。まして、江戸時代の絵地図と対比して今はどうか、などというのは知ることが出来ようはずがない。
 このような企画の(途中から見たのでわからなかった部分はあったが)番組を作ってくれたことに感謝している。

 今朝、テレビを見た後、早速、昔の沖の洲の地形、松並木、土手、などが残る場所に向かった。

 この間は、福島通りをひたすら東へ走り、コンクリートばかりの人工の街にがっかりしたが、今日テレビに教えてもらったのは、南沖の洲地区に残る昔の跡。行く前にインターネットの地図やグーグルアースの立体地図で目的の場所を検索し、メモを取り、駅から自転車で向かう。
地図にピンを刺し、目的地を示したかったが、やり方がわからない。いま刺さっているピンは違う。沖の洲幼稚園の南側に当たる地域が目的地。


大きな地図で見る

上は沖の洲幼稚園あたりの地図である。地図の左の+マークをクリックして沖の洲幼稚園を表示してください。この辺りに昔の沖の洲の面影が残る。

沖の洲幼稚園の南に昔の松林の一部がのこる。
 右は土手。

土手の向こうは昔は海であった。下の写真が土手の向こうから撮ったもの。 



この左から海があった。
今は埋め立てられて海までかなりある。









左が沖の洲幼稚園、昔の海岸に沿った松並木








中には二抱えもある大きな松が

しかし、アスファルトで覆われた街中の環境のためか、弱っているのや、枯れかかっている松が目立つ。



















古地図にある南沖の洲の海岸は上記の写真に見るように今は街中にある。
 そこを突っ切ると、明治~現代までの埋め立て地。
 なにやら見覚えのある店。
 もう10~15年も昔、ここで海鮮料理を食べたのを思い出した。
 こんな高級和食はこれからはたべれないだろうな。とおもいつつ横を通る。

3 件のコメント:

yamasan さんのコメント...

 帰り道、ちょっと心が痛む状況が2つありました。
 南沖の洲のわずかに残る砂浜にホームレスの人がテント張りで住んでました。それでなくても風がきつい砂浜、今の時期の寒さ、嵐のときどうするのだろう。
 南海フェリーの乗り場の捨て犬、立ち上がる力もなく、横たわり目をしょぼしょぼ、これだけ弱っていれば夜の寒さにとても明日までは・・・・。
 2つとも同情するだけでなにもできない。無力どころか明日は我が身、いや、無常の風に吹かれれば誰とても

ワンピースファン ルフィと仲間たち さんのコメント...

沖洲来られてたのですね。
思い立ったが吉日!
即、行動良いですね。
また、市内来られる時は、
是非ご一報を!

てるゆき さんのコメント...

宍喰と言う店のところは、僕が、高校生ぐらいまで、徳島フェリーという小型のフェリーが、大阪の深日まで、フェリーを運行していた乗り場でした。yamasanの探究心と、行動力には、感嘆です。
犬や、ホームレスの状況は、明日のわが身です。