2012年1月11日水曜日

寅さん紹介


 寅さんを主演した渥美清がなくなってもう16年がたとうとしています。若い方は「男はつらいよ」の映画も知らない方が増えました。

 前のブログで「テキヤの寅さん」といいましたが知らない方もいると思います。しかし幸いなことに「男はつらいよシリーズ全48作」すべてDVDとなってレンタル、販売されてますので容易に見ることができます。

 その中から私のお勧めの2作を紹介したブログがありますのでどうぞ。

http://koromonotate.blogspot.com/p/blog-page_2583.html

http://koromonotate.blogspot.com/2011/04/blog-post_03.html

寅さんもいなくなったなぁ


  3日続けての「えびすさま祭礼」をとりあげますが、今日は視点をかえてえびす神社へ行く道の両側に開いている「露天商」です。日曜とか朝市にほぼ常設されている露天商でなく、縁日・祭礼に出てる「露天商」は昔はテキヤ、とか香具師といったが、今はその言葉はあまり使わない。

  ちょっと怖いお兄さんお姉さんがやってるイメージがあるが、いまはそんなことはない。フーテンの寅さんの生業といえばイメージはぐんとよくなる。

  参道を食べながら歩きたくなるようなおいしそうな匂いを発する飲食物店、くじ引き、あるいはさまざまな工夫された競技で「いい賞品」を獲らせる射幸心をくすぐる店。子どもが欲しがるおもちゃの店、ふわふわ浮かんだミニ気球。どれも祭礼・縁日の露店の独特の雰囲気を醸し出しています。

  どれもこれも市価よりずんと高いですし、おもちゃなど品質もいかがわしいものだと思いますが、もちろん、みんな承知の上で、買うことを楽しんでいます。
  縁日祭礼の露店でなければ味わうことのできない食べ物、それを買い食いしたり、あちこち露天を除きながらそぞろ歩きを楽しんでいるんですね。合理的に考えればこんなところで買い物をするのは損で無駄とわかっているんですが、華やかな光に集まり、舞う蛾のように人も吸い寄せられ、何となく金を落とすんですね。

 まあ、それはわかっているのだが最近ちょっとした不満がある。以前はたくさんある露天商の中には面白い「口上」を言って人をひきつけ、商品を売る店があったが、もう何年もそういう露天商のおじさんを見なくなった。

 露天商の口上、いわゆるテキヤの口上は寅さんが有名で、映画でもよく知られていて、大ファンの私なんかはいつの間にか覚えてしまった。
 次のようなものであった。

『 結構毛だらけ猫灰だらけ。(お尻の周りは糞だらけ、が入ることもある)見上げたもんだよ屋根屋のフンドシ。見下げて掘らせる井戸屋の後家さん。上がっちゃいけないお米の相場、下がっちゃ怖いよ柳のお化け。馬には乗ってみろ人には添ってみろってね。
 モノのたとえにもいうだろう。モノの始まりが一なら国の始まりは大和の国。泥棒の先祖が石川五衛門なら人殺しの第一号が熊坂長範。巨根(でかいの)の手本が道鏡なら覗きの元祖は出っ歯で知られた池田の亀さん出歯亀さん。兎を呼んでも花札にならないが、兄さん寄ってらっしゃいよ、くに八つぁんお座敷だよと来りゃァ花街のカブ。
 憎まれっ子世に憚る、日光結構東照宮、産で死んだが三島のお千、お千ばかりが女じゃないよ、四谷・赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ち小便、驚き桃の木山椒の木、ブリキに狸に蓄音機、弱ったことには成田山、ほんに不動の金縛り、捨てる神ありゃ拾わぬ神、月にスッポン提灯じゃ釣がねえ、買った買ったさァ買った、カッタコト音がするのは若い夫婦のタンスの環だよ。』


 まあこんな見事な口上というか啖呵は期待していないが、客を喜ばせるポンポンいう口上の店が一つもないのはさびしい。

 どの店もせいぜい
 「見ていってよ。どうですか?」
 くらい。

 寅さんの退場とともに面白い口上を言う露天のおじさんもいなくなった。

わりことした人だけどちょっとうらやまし?


 指名手配犯を17年もかくまい、自分も身分を偽り、稼ぎ、男を養ってきた。その女が出頭して逮捕された。
 事実上、絆の深い「夫婦」といってもいいだろう。愛する夫をかくまう行為、犯罪らしいが、もしその行為が純粋ならば私は裁けない。

 男はほとんど外出せず、女に庇護されていた。親鳥が巣で雛を養育するように。

 なさけないおとこだなぁ~ 。ともみられるが

 歌舞伎で「つっころばし」というキャラがある。弱々しい男であるがおんなが捨てておけない気にさせる、なんか魅力ある男。

 そんな男だったのだろうか。

 いま、あるコメントで「男の顔・・」というのを書いたが、ネットニュースで、その当人の「顔」をみた。

 正面の顔はちょっと???、だが、横顔は、3つ年上の50歳近い女のあるものをくすぐるといわれれば、そうか・・・・・・うん。

 「どうなってもいい。あなたのその横顔が好き!」

 とか言われてみたい。

追伸

 先ほど、この出頭した女性の直前の手記を読みました。罪を犯したこと、世間を偽り、周りに迷惑をかけたことをお詫びする文章でしたが、読んでいて、直截的ではありませんが、一緒に17年暮らした男への愛情がほの見えました。
 なんかちょっとホロリとしました。

 私に文才があれば、人形浄瑠璃、『大晦日連理の雪の別れ』(おおつごもりれんりのゆきのわかれ)と銘打ってお涙ちょうだいの義太夫狂言に仕立て上げるんだけどなぁ。

追伸の追伸

 日本に住んでてよかった。日本は世界で最も犯罪傾向の少ない国なんですね。警察がPRでトランペットやサックスを吹いていても、人情が絡んで、優しい人の多い日本人は、

 「ああ~、悪うございました。お捕まえ下さい。」

 と向こうから自首してくる。
 皮肉でなく、ホントにいい国に住んでると思います。

2012年1月10日火曜日

福ふく・考


 どんなものが身にそなわったら幸せといえるのか。昔から言われてきた大切なものが3つあります。

 『福禄寿』

 「福」は富・財産とも考えられますが、それもありますが中国の儒教ではそればかりではありません。子福者、艶福者という言葉を聞いたことありませんか。子をたくさん持つこと、そして妻、妾、つまり正式な嫁はんも入れた女性をたくさん持つことも意味します。何とも男ならうらやましいものですね。

 「禄」は俸禄と解釈すれば、社会における自分の地位身分に伴う給与・利益といえます。もちろん地位身分についていることも意味します。

 「寿」は、健康な長寿を保つこと。

 今日はその中で「福」に焦点を当てて話を進めていきます。

 「フク」という言葉について考えてみます。日本語にも語源学的考察があるんですけれど「福・ふくはどうじゃろか?」、学問的にはどうかはあえて調べません。ここはやまさんの常識を持って考えていきます。

 「フク」と聞いて豊かな・満ち足りた「言葉」を思い浮かべるとしたらなんだろう?

 「フクれる」さらにそのルーツとなったんじゃないかと思われる「吹く」、動詞の語幹が考えられる。「吹く・フク」と結果として「膨れる・フクれる」わなぁ・・・そしてそれは豊満をイメージし、そこから量が多い、満ち足りている、とイメージは発展するだろう。

 また擬態語あるいは擬声語から来たと思われる副詞的用法の

 「フックら」、「プックリ」、「ブクブク」(古代において濁音、半濁音は「フ」と未分化だった)

 これなども豊かで多いというイメージとなる。

 「フク・福」というのはどうもそういうところから来たんじゃないかなと思うのであります。(もちろんやまさんの独断と偏見です)

 さて、われら「福禄寿」が備わっていたらいいんだけど、そんな人は少ないですよね。わたしなんかもっともそれからは縁遠いと思います。
 でもなんとか「福禄寿」を招来したいですよね。どうすればいい?そういう時には神頼み。八百万の神々がいらっしゃる日本ですから「福禄寿」専門の神様がいらっしゃいます。

 「七福神」

 聞いたことあるでしょ。知らない方はここクリック!

 で、長々と前置きが長くなりましたが、今日、1月10日はその「福」に特にご利益があるという七福神の中の一つ「えびす様」神社の「本えびす祭」。
 福招来を求めてわんさか押しかけてました。やま爺さんもヨタヨタ、フラフラ出かけました。

 きれいな「福娘」がいたので写真に撮りました。神に仕える「尼さん」、「巫女さん」、なんでみんなみんな魅力的なんでしょうか。白の着物に赤の袴、ひっつめ後ろに流すような黒髪・・・
 やまさん、もう爺さんだけどその色っぽさに若返るような気がします。


 ここの神社にお頼みするには賽銭あげてパンパンだけではなく(やまさんは賽銭も差し上げられませんが)、福を呼ぶという意味で笹飾りに米俵を模したものを取り付けた「福俵」を買わねばなりません。

 でも貧乏なやまさんは初めから買うという選択はなし、いつまでも肩に重たい貧乏神が憑りついたやまさんです。
 お安いものでも2000円。


 福を呼ぶ女性とは
 上記の巫女さんなんかは今風の美女です。さ~て、みなさん。これから福を呼ぶとびっきりの幸運女性をお目にかけます。
 これ、いっときますが、やまさんがかってにいっているのではありませんよ。昔からこういう御面相の女性は福が多く、嫁さんにすればいいそうですが、まあ、見て、ビビらないようにしてください。

 このイラスト、としちゃんの真似をしてやまさんがオリジナルで描きました。

 こういうしもぶくれの顔、まさにプク、ブク、フックら、プ~でふくふく!「福」多き女、文字どおり『お多福』です。多産、豊穣、家内安全(病気、台風、地震でも倒れない)、亭主第一、あげまん女です。おちょぼ口は性生活も満足させてくれる、と、だれか言ってました。

 帰りそごう前で警察官がパオーマンスしてました。トランペット奏者と女性のセックス、いやちごうた、サックス奏者がカッコよかったので動画にまとめました。

2012年1月9日月曜日

性人の日


 今日は1月9日、成人の日である。徳島の街を歩いていて着物姿の若い男女を見るかな、と思っていたが一人も会うことはなかった。
 考えると「成人式」は最近は大学が休みのうちのお正月にする地方自治体が増え、もうすでにすんでいるところも多い。なるほど祝日の成人式の日だからといってやまさんの目に留まるようにぞべらぞべらと歩いてくれているわけではない。ところでこの徳島市はどうなんだろもうすんだのかな?

 私が成人を迎えた時代もそういえばあえて成人の日にしないところもあった。その理由は県外からの帰省に便利なように休みにするという理由のほかにもう一つ理由があった。
 それは真夏の「盆」ごろにする成人式であった。この暑い時期にすれば女の子は「振袖」は当然着られない。みんな夏物のワンピースか何かで来るだろう。
 衣装が華美に流れ、経済的に窮屈な家庭に高価な振袖を無理して調達しなくてもいいようにとの意図であった。

 私の街は成人の日にした。昭和40年代の半ば高度経済成長の終わりころでみんなかなり生活に余裕ができていた。そのためかやはり「振袖」が大半であったが、中には洋服の女の子もいた。
 私も無理して誂えてくれた「背広」を着て出席した。出席した後何か記念品をもらったはずだが思い出せない。そもそもこの「成人式」自体印象の薄いもので記憶にあまり残っていない。

 言葉で「冠婚葬祭」というのがある。この4つは人生の中での大切な儀式となっている。その中の「冠」にあたるのが成人式であるが私の場合、大切な儀式という意識もなかったのであろう、積極的に出たくはない、といって欠席するのも気が引ける。家族、近隣の見る目もあり、義理的でどこか他人事のような気持ちで出席したと思う。だから強く印象に刻まれないのは当たり前といえば当たり前である。

 ところで強く、「成人になったんだ!」との自覚を持つのはどんな出来事だろう。
 酒、あるいは煙草をやったときか。パチンコ屋、ポルノ上映館へ(時代が古いですね。今だとDVDで家で見られますね)入ったときか。
 まあ、「自覚」ということで言えば人さまざま。それぞれの「成人になったんだ!」というのがある筈。

 さてそこで「客観的に」という言葉が入れば、それはどうなんだろ?法律的には満20歳だから自分の誕生日がそれにあたる。じゃあ、体ではどうだろ?

 男の場合、かなり明確でインパクトの強い「性徴日」が訪れます。それを過ぎれば生物学的には「成人」ではないでしょうか。
 ここでその「性の記念すべき日」はさらに2つが考えられます。一つは「精通した日」もう一つは異性と(中には同性という方もおられましょうが少数派ということで今回は除きます)「性交」した日です。
 第一の「精通の日」を迎えると、性交によって精液を女性の体内に送り込み受胎させる能力を獲得したことを意味するので、この日を性人(成人)の日といっていいと思うんだけど、第2の異性と初めて「性交した日」も一人前のオスとして生殖行動をとった日として性人の日として記念されてもいいように思います。こちらがインパクトが強く印象にも深々と残るためどちらかというとこちらの方を。性人の日としたいという人が多いのではないでしょうか。

 しかし、後者だけを考えると性人に達しない人も出てくる。ここは広義に第一でも第二でも性人の日としたいと思います。

 ところで「精通」は放っておいてもある日自然にやってきますが、「異性との性交」、これを経験するのはそうすんなりと自然にはゆきません。相手もいることですし、
 「性交」を「成功」させるためには結構長~い、サクセックスストーリーが展開するのです。

 その異性との性交について「安易な!」、とか「性を何と思っているのか!」と非難されるような性人の日を迎えた方であっても、その初めての体験に至るまでは様々な紆余曲折があったはずで、結果だけの安易性のみをみて判断してはいけません。

 文豪、森鴎外が書いた『ヰタ・セクスアリス』(性欲的生活)の小説にあるような性の人生経験は誰しも持っているのです。
 
 新町川の橋の手前がそごうの陸橋上通路から見るとずいぶん人だかりがしている。近づいてみると今日は「よいえびす」。古い笹飾りを納めに行く人、新しい笹飾りをもらってくる人、露天を歩く人でにぎわっている。

 日本の神さんは、性に対しておおらかです。大勢の参拝の雑踏を見ながら

 「性は聖、そして生でもあるんじゃぞ!媾いせよ(まぐわい・性交)、媾いせよ、産めよ、増やせよ、地に満てよ!」

 といっているようです。

 「成人の日を迎えたみなさん。大いに楽しんでください。」

 追伸
 
  ある情報によると最近の若者(男の子)の第一義の「性人の日」は11歳中に迎え、第二義の「性人の日」は18歳中に済ますのが統計的に最も多いといわれているようです。昔と比べるとずいぶん早くなった気がします。
 18歳といえば高校三年ではないか。

2012年1月8日日曜日

偏屈な爺さんですからちょっと言わせてもらいます


 邦画もそうであるが最近のTVのオリジナリティーもずいぶん低下したなあと思う。先ほど、唯一受信できるBSで6時から今年のNHK大河ドラマの第一回を見ての感想である。
 最近のCGの発達、金をかけた時代衣装で、平安末の風俗、建物、衣装などは、さすがNHKだけあって時代考証の観点からは及第点だが、話の筋に無理というか違和感がある。

 オープニングにどこの国の「剣」(刀でないことに注意、刀は片刃で日本刀はそりがありこの時代の刀は最も美しいそりの形であるが、ドラマは剣・両刃でまっすぐの西洋や中国・朝鮮の剣!)かわからぬ船端に突き刺してる剣をアーサー王よろしく若き清盛が引っこ抜くとこらから、違和感たっぷり、

 「早くも無国籍ドラマの雰囲気が漂い始める。」

 船のエクスカリバーならぬ「剣」を抜くところから、平家は海のパイオニアとしての方向性、ドラマのこれからの発展を象徴させているのだろうが、「平家物語」にいくらなんでもアーサー王はない!オリジナリティーも糞もなくアイデアを引っ張ってきたんだろう。
 確かに清盛は法皇(元天皇)の落としだねの設定だから、王者の資格は持っている。それが将来実際に最高権力者に上り詰めるのだからただの少年が王になるというアーサー王に重ねるのはわかる気がするが、やまさんごときに見破られるようではいけない!

 また清盛の父が海賊を退治するため船を縦横無尽に飛び回るシーンがある。ターザンのようにマストの上から垂れ下がった綱にブラ下がり、となりの船に乗り移るところは

 「パイレーツオブカリビアン」

 いや~~やってくれますね。だけど安易すぎないですか???

 ドラマが始まり、法皇の胤である清盛を産んだ女を探しだし、王家に災いをなす「子」だから、殺せ!と命じるあたりは

  「いったいそんな話、史実のどこにあるの?多少のウソは許されるとしても、そんな母子ともに殺すなんどというおおげさな設定ありか?」

 で、よ~く考えると前月やまさんが勉強していた「聖書」のキリスト誕生でユダヤ、ヘロデ王が同じことを言ってマリア母子を殺そうとするところがある。

 「なるほど、荒唐無稽と思っていたが、えへへへへ、NHKはん、ここからパクッたんでおますなぁ」

 ドラマの中で「王家が、王家が・・」というのが耳についた、確かに皇室を当時王家と呼ぶ言い方はあったが、ドラマで頻繁に使うのであるイメージが浮かんできた。考えてみると、荒唐無稽な筋の韓国時代劇を彷彿とさせるものがあり、なるほど、あり得ぬ筋を入れたり、言葉遣いなど、もしかして韓流時代劇好きのおば様におもねっているのか、という疑いが・・そうならば、なるほど王家とか王とかいう言葉が韓国時代劇では当たり前だから、納得できるが、ここでもやまさんごときにそんな風に見られるようではオリジナリティはありまへんなぁ~。

 歴史好きから見れば突っ込み所満載どころか、唖然茫然としかねないようなドラマになりそうな予感が一回目からしております。
 ある意味、目が離せぬ、何をしでかすかわからぬドキドキ、ということでおもしろい大河になりそうです。(去年のお江などはあほらしゅうて話題にもできませんでしたが)

 さて配役ですが、清盛の父、これは見事!皮肉なしで適役、このままずっとこの人が主役で大河を引っ張れたらいいんでしょうがそうもいきますまい。デスノートのL・エルたらいうのが主役だそうではたしてどうなるか?大根になるかハムになるか(英語では大根役者をハムというらしい)

 でこの二人
 法皇とその愛妾祇園の女御ですがシビヤーな役なんだけど、私が見ると「お笑い」にしか見えない。ま、これは私の偏見でしょうね。聖子もちょっとは役者としての芸が上達したのでしょうか?
 昔、悲恋物語の「野菊の墓」の民さんを主演しました。私見に行きましたが、泣かせるところで劇場内から笑いが起こったというある意味稀有な女優でした。

 そうそう、これでよくわかった別の女優がいました。このドラマのオープニングで頼朝が出てきます。この頼朝が一年間ドラマのナレーションもするんだけど、その横に嫁はんの政子がいました。けったいな化粧と衣装で(いったい時代劇のデザインをなんと思っているんでしょうずいぶんシュールでしたぞ)妙な女優でした。
 「昔、読んだ漫画に出てた化け物、デロリンマンに似てました。さしずめ女デロリンマン。」

 後でクレジットを見ると、これが前にある人がいってた杏・妖怪人間、な~~るほど、百聞は一見に如かず、心より納得しました。

 もうケチをつけるばかりですが、いいとこもあります。風俗、衣装、大道具は他の時代劇と比べても見ごたえがあります。

 私!この時代の風俗大好きなんです。皆さん知ってましたか。私のブログの記念すべき一回目で取り上げたテーマはこれだったんです。
 ちなみにこれが第一回目のブログです。
http://koromonotate.blogspot.com/2010/10/blog-post_22.html
私のブログのルーツですから、この大河、妙な時代考証をすると
 「許しませんぞ!」
 下はドラマの中での中井貴一の直垂姿、りりしいです。満足度100パーセント

 それともう一つ見ていて私のゆかりの深いものが、
 殺される白拍子が「遊びをせんとや生まれけむ・・・♫」と今様を歌います。
 この時代の今様は、やまさんが修士論文で取り上げたテーマだったのです。

以前の訓練生にお会いしたこと


 MOTOさんも現在市立図書館を利用すれば3ヵ月借りだしができることをご存じで 、借りだしに行く機会に久しぶりにお会いした。
 一緒に訓練を受けた仲間である。楽しかった訓練もあっという間に終わり、年が変わった今、振り返ると、もう一昨年になる。

 「年々時の流れが速くなるなぁ~」

 という感慨には彼もうなずいていた。彼より私が20歳も年長であるが、彼と対座していると同級生、それもしっかりした同級生と話している気になる。訓練校で一緒に机を並べた仲間だからというだけではあるまい。社会経験、社交、世間の常識、そして何より意志力、決断力などは私よりはるかに長けている。

 私が大学時代、しっかりした同級の友人がいた。いろいろ助けてもらったりした。卒業以来あっていないが、そのしっかりした友に重ねてみてしまう。

 まさにその馬鹿な学生時代にかえったようなとりとめもない話に長々と、MOTOさんをつき合わせてしまった。私は人と話ができるだけでうれしく時の経過など全然気にしないが、今になって考えると
 
 「MOTOさん、迷惑だったろうなぁ」

 でもそのあとも芸術写真展覧会をみて、MOTOさんと「あ~だ、こ~だ」、さらにうどんを食べつつまだやまさんのおしゃべり。MOTOさん、内心うんざりだったんじゃないかな。

 老成とか老熟とかからはおよそ遠いところにいるやまさん。落ち着きなくがさつなのはガキと同じです。外見は白髭の爺さんなのにね。「老大成」はどこか別の人。

 還暦を過ぎ、やがてまた一つ年を取ろうかというのに全然進歩のないやまさんでした。