海岸の立て看板から撮影する
6月15日現在、③のムシトリナデシコの群生が広く見られ、海浜をピンクに染めているが、外来種で本来種を駆逐したのは残念である。
2011年6月15日水曜日
2011年6月14日火曜日
江戸の海外事情の本を見て驚く
今日は文化の森の県立文書館へ行って逸品展を見た。
テーマは『江戸時代阿波人の見た世界地図・日本地図』である。
その中で江戸時代に海外事情を知る手立てとして発行されたある本をご紹介します。
『万国新話』
写メールでガラスケースに入っている本を直接撮ったものですので、見にくいですがお許しください。
説明文も読めると思います。寛政12年(1800年ちょうど)、今から211年前である。
海外渡航も禁止されていた日本ではあるが、このような本を手にしてこの絵や説明文を読んだ人がいたのである。それも幕末まではまだまだ60年近くある18世紀最後の年に。
この広く出版された(木版刷りだがそれでも初版で500冊くらいは刷ったのではないか)本の、いわば、あまりにもの超モダンさにびっくりしました。
ちょっと説明しますね。この絵のタイトルの横書き文字、江戸時代は右から左へ読みます。
「地中海・・」これは今の地理表記と同じわかりますね。
次の「楽徳嶌・・」、さてなんでしょう?「嶌」という字は山と鳥が合わさった文字の旧字体で「島」です。「楽徳」は普通に読めば「らくとく」なんですが江戸期「らう」で「ロー」と発音したこともあって結論から言うと、これ「ロード」または「ロードス」に近い発音とみてください。
「え、それは無理じゃって?」
「しかし英吉利とかいてイギリスですからね。まあそう読んでください。」
で「ロードス島」の港口にある鉅銅人つまり、港の入口にある巨大な青銅像という意味です。
これ紀元前の地中海世界で言われていた「世界七不思議」一つなんです。エーゲ海に浮かぶ島、ロードス島に実際あったそうです。
下は想像図です。
この江戸時代の本のオリジナルはオランダから渡った洋書だと思います。次のようなものではなかったかと思われます。
もちろん江戸時代の人で見られるのは最初の和本の木版画ですが、ではこれを見てなんと思ったのでしょう。
この時代、絶対旅することのできぬエーゲ海、しかも紀元前の世界。
その気の遠くなるような「空間」と「時間」の隔たりは、江戸の人にとってわれわれが想像する何万光年離れた世界や異次元の世界と同じもの。
この本を手に取ってあれこれ想像した江戸人、われらよりもしかしてずっとロマンティストでモダンな感覚を持っていたのかもしれませんね。
テーマは『江戸時代阿波人の見た世界地図・日本地図』である。
その中で江戸時代に海外事情を知る手立てとして発行されたある本をご紹介します。
『万国新話』
写メールでガラスケースに入っている本を直接撮ったものですので、見にくいですがお許しください。
説明文も読めると思います。寛政12年(1800年ちょうど)、今から211年前である。
海外渡航も禁止されていた日本ではあるが、このような本を手にしてこの絵や説明文を読んだ人がいたのである。それも幕末まではまだまだ60年近くある18世紀最後の年に。
この広く出版された(木版刷りだがそれでも初版で500冊くらいは刷ったのではないか)本の、いわば、あまりにもの超モダンさにびっくりしました。
ちょっと説明しますね。この絵のタイトルの横書き文字、江戸時代は右から左へ読みます。
「地中海・・」これは今の地理表記と同じわかりますね。
次の「楽徳嶌・・」、さてなんでしょう?「嶌」という字は山と鳥が合わさった文字の旧字体で「島」です。「楽徳」は普通に読めば「らくとく」なんですが江戸期「らう」で「ロー」と発音したこともあって結論から言うと、これ「ロード」または「ロードス」に近い発音とみてください。
「え、それは無理じゃって?」
「しかし英吉利とかいてイギリスですからね。まあそう読んでください。」
で「ロードス島」の港口にある鉅銅人つまり、港の入口にある巨大な青銅像という意味です。
これ紀元前の地中海世界で言われていた「世界七不思議」一つなんです。エーゲ海に浮かぶ島、ロードス島に実際あったそうです。
下は想像図です。
この江戸時代の本のオリジナルはオランダから渡った洋書だと思います。次のようなものではなかったかと思われます。
もちろん江戸時代の人で見られるのは最初の和本の木版画ですが、ではこれを見てなんと思ったのでしょう。
この時代、絶対旅することのできぬエーゲ海、しかも紀元前の世界。
その気の遠くなるような「空間」と「時間」の隔たりは、江戸の人にとってわれわれが想像する何万光年離れた世界や異次元の世界と同じもの。
この本を手に取ってあれこれ想像した江戸人、われらよりもしかしてずっとロマンティストでモダンな感覚を持っていたのかもしれませんね。
2011年6月13日月曜日
八八狸ブログへのオマージュ

狸のジョージ君~ お元気ですか。
先日の飲み会、おつかれさ~ん。
われわれ、みんなうまく化けたね。
うふふふ、お店の人に気づかれなかったね。
やまさん狸、もう少しでしっぽ出すとこだった。
でも、ちょっとジョージ君、元気なかったね。
そこで今日はやまさん、ムウビメエカで
ジョージ君の応援のプロモ作ったからね
みてね
また、みんなで、飲めや歌えの狸ばやししたいね
がんばってね。
ジョージ君の活躍する狸ブログもみてね。
下クリックしてカウントに協力してね。
http://komatsushima.ne.jp/tanuki88/
では、『聖ジョージの狸囃子』(しょうじょうじのたぬきばやし)をどうぞ見てください。
2011年6月12日日曜日
今日も一日雨、50円で言語学、文化人類学のお勉強
朝から今日は一日雨、午後になってさらに雨脚が強まる。まだ小雨の状態の午前中に買い物に街に出た。家の中で退屈するから今日もDVDを借りることにした。
私の街には大きなレンタルビデオ屋さんが3軒もある。値下げ競争が始まったのか、私がよくいく店はこのあいだから旧作全品50円で借りられる。
今日はあらかじめ見たい作品の心積もりがあったので迷わずその1本を借りる。実はこの作品、もう1年以上前に見ているのである。
「それなのになぜ?」
昨夜ある人にこの作品を推奨したのである。もちろん一度見たから勧めたのであるが、今から振り返って考えてみると肝心なところが頭に残っていないのである。
映画としての筋はもちろん残っている。しかしこの映画にはそれ以上の見どころがあるのである。その観点からみれば
「一度見ただけではダメだ。」
でもう一度借りてみることにしたのである。いやもしかすると数度見なければならないかもしれない。それならば一週間借りられるから、じっくり見られる。
前に見たときはアクションものの娯楽性の強い作品というように解釈していたため、日本語吹き替えバージョンで見た。
しかし、この作品、オリジナル言語はなんと「マヤ語」。マヤ帝国とその辺境が舞台だから確かにマヤ語というのは理解はできるが、映画としてその言語でつくれるか、というと話は別である。
普通、ありえない。世界が市場のハリウッド作品ならば迷わずオリジナル言語は「英語」になる。ところがこの映画の監督はこだわりが強く、本物のオリジナルにこだわったのである。前にもキリストの最後を描く作品に当時のキリストが喋っていた言語といわれる「古代アラム語」を使用したのである。
まずみるまえに「マヤ語」とはいかなるものかちょっと調べた。
中米ユカタン半島あたりで使われたいた言語でネイティブアメリカン(インディアン)言語の語族である。
母音構造は我が日本語とよく似ていて5母音。
RとLの区別もなさそうである。これも日本語と同じ。
子音も英語にくらべれば単純で日本人が発音しやすい。
文法構造、語彙の構成、は調べたが専門家でない私にとって難しすぎてわからない。
マヤ人たちは数万年前、氷河期の最中、アジアの北方から移動した「古モンゴロイド」の子孫であるといわれている。縄文語やアイヌ語とその「祖語」(先祖の言語)が同じかもしれないと前々から思っていた。
北海道を何か月も旅行した時に、あちこちの博物館でアイヌ語を聞いたことがある。こういった言語は理屈より、実際耳で聞いた方が
「あ、これは親戚関係にある言語じゃ」
と感覚で判断できるかもしれない。また私の古いDNAの中に残っている縄文の響きがよみがえるかもしれない。などと思いつつまず第一回目を見ることにした。
今、15分ほどマヤ語を聞いた。インスピレーションはないが、確かに英語よりずっと親密に我が耳に響く。私には朝鮮や中国語より近い気がする。
映画のキャストはほとんど無名の人である。それもそのはず、エキストラを含めネイティブが多い。
顔やお尻丸出しの体形を見ても、われらアジア人の親戚。
いやむしろアジアの中でもとりわけ日本人に近いと思う。日本人は古モンゴロイドの血を引く人が多く、大陸のアジア人に比べ、蒙古襞(目の上の脂肪の襞)が少なく、二重瞼が多い。マヤ人の肌や男ではあるけれどカラスの濡れ羽のような長いつやつやした黒髪をみてると異人種を見てる気に全然ならない。
これは文化人類学的観点からみた感想。
もちろん娯楽映画作品であるのでフィクションもある。しかし、見つつ調べ、かつ勉強しつつ、どこが本物でどこが間違っているかなどと批判的に見られる映画としては最高である。
まだ見はじめて15分であるが、一週間、マヤ語、文化人類学、文化、などをお勉強させてもらおうと思っている。これで50円は安い。
申し添えると、マヤは「文字」を持っていた。解読が難しいようである。珍しい20進法をとり、0も知っていたといわれ、数学もかなり発展していたようである。
天文暦、金星暦というのを聞いたような気がするが、この映画を手掛かりに今言ったような文明の中身も知られればいいが、それは今わからない。
2012年に世界の終末を予言する。とマヤの関連でいわれているが、どの文明圏でも終末論は語られる。その一つとして私は見ている。
この映画の一番最後で、その文明の終末を招く象徴的なことが待っているが、今は言わないでおこう。
題「アポカリプト」
私の街には大きなレンタルビデオ屋さんが3軒もある。値下げ競争が始まったのか、私がよくいく店はこのあいだから旧作全品50円で借りられる。
今日はあらかじめ見たい作品の心積もりがあったので迷わずその1本を借りる。実はこの作品、もう1年以上前に見ているのである。
「それなのになぜ?」
昨夜ある人にこの作品を推奨したのである。もちろん一度見たから勧めたのであるが、今から振り返って考えてみると肝心なところが頭に残っていないのである。
映画としての筋はもちろん残っている。しかしこの映画にはそれ以上の見どころがあるのである。その観点からみれば
「一度見ただけではダメだ。」
でもう一度借りてみることにしたのである。いやもしかすると数度見なければならないかもしれない。それならば一週間借りられるから、じっくり見られる。
前に見たときはアクションものの娯楽性の強い作品というように解釈していたため、日本語吹き替えバージョンで見た。
しかし、この作品、オリジナル言語はなんと「マヤ語」。マヤ帝国とその辺境が舞台だから確かにマヤ語というのは理解はできるが、映画としてその言語でつくれるか、というと話は別である。
普通、ありえない。世界が市場のハリウッド作品ならば迷わずオリジナル言語は「英語」になる。ところがこの映画の監督はこだわりが強く、本物のオリジナルにこだわったのである。前にもキリストの最後を描く作品に当時のキリストが喋っていた言語といわれる「古代アラム語」を使用したのである。
まずみるまえに「マヤ語」とはいかなるものかちょっと調べた。
中米ユカタン半島あたりで使われたいた言語でネイティブアメリカン(インディアン)言語の語族である。
母音構造は我が日本語とよく似ていて5母音。
RとLの区別もなさそうである。これも日本語と同じ。
子音も英語にくらべれば単純で日本人が発音しやすい。
文法構造、語彙の構成、は調べたが専門家でない私にとって難しすぎてわからない。
マヤ人たちは数万年前、氷河期の最中、アジアの北方から移動した「古モンゴロイド」の子孫であるといわれている。縄文語やアイヌ語とその「祖語」(先祖の言語)が同じかもしれないと前々から思っていた。
北海道を何か月も旅行した時に、あちこちの博物館でアイヌ語を聞いたことがある。こういった言語は理屈より、実際耳で聞いた方が
「あ、これは親戚関係にある言語じゃ」
と感覚で判断できるかもしれない。また私の古いDNAの中に残っている縄文の響きがよみがえるかもしれない。などと思いつつまず第一回目を見ることにした。
今、15分ほどマヤ語を聞いた。インスピレーションはないが、確かに英語よりずっと親密に我が耳に響く。私には朝鮮や中国語より近い気がする。
映画のキャストはほとんど無名の人である。それもそのはず、エキストラを含めネイティブが多い。
顔やお尻丸出しの体形を見ても、われらアジア人の親戚。
いやむしろアジアの中でもとりわけ日本人に近いと思う。日本人は古モンゴロイドの血を引く人が多く、大陸のアジア人に比べ、蒙古襞(目の上の脂肪の襞)が少なく、二重瞼が多い。マヤ人の肌や男ではあるけれどカラスの濡れ羽のような長いつやつやした黒髪をみてると異人種を見てる気に全然ならない。
これは文化人類学的観点からみた感想。
もちろん娯楽映画作品であるのでフィクションもある。しかし、見つつ調べ、かつ勉強しつつ、どこが本物でどこが間違っているかなどと批判的に見られる映画としては最高である。
まだ見はじめて15分であるが、一週間、マヤ語、文化人類学、文化、などをお勉強させてもらおうと思っている。これで50円は安い。
申し添えると、マヤは「文字」を持っていた。解読が難しいようである。珍しい20進法をとり、0も知っていたといわれ、数学もかなり発展していたようである。
天文暦、金星暦というのを聞いたような気がするが、この映画を手掛かりに今言ったような文明の中身も知られればいいが、それは今わからない。
2012年に世界の終末を予言する。とマヤの関連でいわれているが、どの文明圏でも終末論は語られる。その一つとして私は見ている。
この映画の一番最後で、その文明の終末を招く象徴的なことが待っているが、今は言わないでおこう。
題「アポカリプト」
2011年6月11日土曜日
時代劇に見る風習・民俗
雨で家にいる時間が長くなる。退屈なのでDVDを借りた。たまたま最新作一泊105円の見たい作品が返っていたので見た。
時代劇、「武士の家計簿」
天保時代(1830~40年)から幕末にかけての実話をもとにしたある武士の一家の物語である。
私は面白かったが、こういう時代劇は好みもあるのでブログではあえて勧めません。
今日はあらすじや見どころを紹介するのではなく、今に残る、あるいは最近まで残っていた風習・民俗についてこの映画の場面をもとに取り上げます。
映画をもとに民俗や風習をとりあげるのには映画の時代考証がかなり正確でしっかりしたものでなければならないのは言うまでもありません。
かなり意地の悪い小姑のような目を持つやまさんは、映画の細かい小道具類、ちらっとしか見せないからわかりにくい什器類も見逃しません。
それでみても申し分ない映画でした。
ちょっと見てください
この煙草盆極めて史実に忠実です。四角い木の箱(盆)に白い陶器の器は火種を入れるところ、今吸い点けています。その手前の茶色の竹筒は、キセルをこの上でぽんと叩き灰を中に落とすものです。
ここまでなら普通の時代劇でも使うでしょうが、私が注目したのはその横の紙包みです。文字が書いてあるでしょう。これ「國分」と書いてあります。
知る人ぞ知る國分は江戸時代刻みタバコの名産地、当時、量り売りの紙包みを置くことでリアルさ100点!
時代劇、「武士の家計簿」
天保時代(1830~40年)から幕末にかけての実話をもとにしたある武士の一家の物語である。
私は面白かったが、こういう時代劇は好みもあるのでブログではあえて勧めません。
今日はあらすじや見どころを紹介するのではなく、今に残る、あるいは最近まで残っていた風習・民俗についてこの映画の場面をもとに取り上げます。
映画をもとに民俗や風習をとりあげるのには映画の時代考証がかなり正確でしっかりしたものでなければならないのは言うまでもありません。
かなり意地の悪い小姑のような目を持つやまさんは、映画の細かい小道具類、ちらっとしか見せないからわかりにくい什器類も見逃しません。
それでみても申し分ない映画でした。
ちょっと見てください
この煙草盆極めて史実に忠実です。四角い木の箱(盆)に白い陶器の器は火種を入れるところ、今吸い点けています。その手前の茶色の竹筒は、キセルをこの上でぽんと叩き灰を中に落とすものです。
ここまでなら普通の時代劇でも使うでしょうが、私が注目したのはその横の紙包みです。文字が書いてあるでしょう。これ「國分」と書いてあります。
知る人ぞ知る國分は江戸時代刻みタバコの名産地、当時、量り売りの紙包みを置くことでリアルさ100点!
さて、次は私が高校生頃まではまだ残っていた風習民俗についてです。次の2つの写真をご覧ください。
上の写真は臨月を迎える産婦に白砂糖を送るところ。下は出産後、産褥に臥す妊婦が白砂糖を舐めるところです。
こんな贈答の場面が出てくる時代劇って私は見たことなかったからびっくり。
もう、若い人たちの贈答に関する歴史の教科書にしてもよいような場面です。
江戸時代、白砂糖はオランダからもたらされるもので、超高価で、贈答品といっても将軍家、大名、大商人ぐらいが対象。しかし、中期以降になると、讃岐、阿波などでサトウキビから白砂糖が精製されるようになります、今に残る「三盆糖」ですね。それで、中小武士や町人にまで高価・貴重とは言いながら手が届くようになった。
だから、この時代、白砂糖をいただくことはたいへん貴重なすばらしい贈り物だったのです。
そして白砂糖は「薬」と同一視される滋養のあるものでした。ちなみに江戸時代、白砂糖はどこで売られていたか?なんと、薬問屋だったのです。
そのため、下の写真、妊婦(仲間由紀江)が薬・滋養として白砂糖を食しているところです。
どちらの風習も私が子供の頃まであったのです。贈答に白砂糖を送ることは高校生頃まで残っていました。
今だと、贈答に白砂糖など送ったら馬鹿にされかねませんが、いくら今の時代であっても、安いという理由でこんな伝統のある贈答品を馬鹿にする人がいたら、少なくともその人は歴史の見識のない人でしょうね。
お若い人、ぜひ知っておいてくださいね。
次の民俗・風習は形を変えて最近増々盛んになっています。次の写真をご覧ください。
えええ、何、これ?子供が飛んでる。遊び?にしては・・・子供も大人もえらいフォーマルな?
これを見て何をしてるか答えられれば、歴史検定で高得点間違いなし。
武士の子が5歳(数えだから満年齢は4歳)になったとき、今までの、そしてこれからの無事の成長を祝う、また通過儀礼としての「袴儀」(はかまぎ)なのです。
この子ども、後ろにある碁盤台から飛び降りてます。まず碁盤台に上がり、この日初めて袴を着するのです。後ろに控えている大人が烏帽子親となり、袴の紐を結びます。そして、正装が終わると飛び降りるのです。
ここまで説明すると現代に引き継がれた風習が思い浮かびますね。そうです。
「七五三」です。いまは格好だけこの写真のようにしてお宮参りで終わりますね。しかし、本来はこのようなものだったのです。
外にも歴史的遺物の見どころとしては「四文銭」、「碁」、「矢立」などなど、たくさんあります。動画で見る歴史博物館の趣のある映画です。興味のある方は鑑賞してみてください。
一般的な評価も悪い作品ではありません。
土曜の朝
働いていて週休2日の人は土曜の朝はゆったりできる雨の朝かもしれない。
ずっと失業中の私はいつもの朝。でも今朝は大雨、ときどきかなり強い雨が降ってくる。そして薄暗い。
どこへも出かけられないなと思いつつ、昨夜たくさんドリップしたコーヒーを飲み、ぼんやりTVのニュースを見ている。
MOTOさんのところはかわいい子猫が5匹いるといっていた。こんな時、子猫がまとわりついてきたらいいだろうなと昨夜の話題を思い出しつつ想像する。
TVから流れるニュースを聞き流しているが、昨夜の話題に関連したキーワードで、listen to、聞き耳を立てる。
「ドイツのO-104病原性大腸菌、もやしが原因」
へ~、たしか昔、日本でももやしが原因と騒がれたな、と思い出す。昨夜トシ君ともやしもん、それもO-157の話をしたな。
「AKB48、選挙投票で順位・序列を決める」
うわ~、シビアーな世界じゃ、これはしんさまとの話題だったな。一位になるため犯罪的な策を弄する少女漫画の世界をふと思い浮かべる。
年寄ると牛の反芻のように、過ぎ去った過去をはき戻し、口中でまた味わうものなのか。嫌だな。
前向きに、未来を作り出したいが、
今日は大雨、とじこめられ、何をしていいかわからない。冷めて香りも味も抜けたコーヒーを飲みつつおもう。
ずっと失業中の私はいつもの朝。でも今朝は大雨、ときどきかなり強い雨が降ってくる。そして薄暗い。
どこへも出かけられないなと思いつつ、昨夜たくさんドリップしたコーヒーを飲み、ぼんやりTVのニュースを見ている。
MOTOさんのところはかわいい子猫が5匹いるといっていた。こんな時、子猫がまとわりついてきたらいいだろうなと昨夜の話題を思い出しつつ想像する。
TVから流れるニュースを聞き流しているが、昨夜の話題に関連したキーワードで、listen to、聞き耳を立てる。
「ドイツのO-104病原性大腸菌、もやしが原因」
へ~、たしか昔、日本でももやしが原因と騒がれたな、と思い出す。昨夜トシ君ともやしもん、それもO-157の話をしたな。
「AKB48、選挙投票で順位・序列を決める」
うわ~、シビアーな世界じゃ、これはしんさまとの話題だったな。一位になるため犯罪的な策を弄する少女漫画の世界をふと思い浮かべる。
年寄ると牛の反芻のように、過ぎ去った過去をはき戻し、口中でまた味わうものなのか。嫌だな。
前向きに、未来を作り出したいが、
今日は大雨、とじこめられ、何をしていいかわからない。冷めて香りも味も抜けたコーヒーを飲みつつおもう。
2011年6月10日金曜日
飲み会終わって
こんなに喋ったの久しぶりだな。ハイボール1杯も空にできなかったけど、程よく快活に酔った。アルコールよりみんなとの話に酔ったのかな。
どんな話題かも思い出せないくらい、取りとめもない話が次々、おまけに酔って耳が遠くなっていてでかい声なのに。でもみんな嫌がりもせずやまさんの話を聞いてくれた。
ああ、馬鹿なことをしゃべりすぎたのかもしれない。許してくださいよ。
きっとね、孤独から束の間、みんなのおかげで解放され、喜びに舞い上がってわけがわからなくなったんですよ。
ほんとに考えると不思議だなあ。一年前まで見ず知らずの何のかかわりもなかったんですよ。それが、回を重ね、こんなに和気あいあいと集い、お話しできる。
うれしいな。うれしいな。
人生、もう少し長く生きてもいいな。と心から思います。
今夜は雨、行き帰りはちょっと大変だけど、雨もいいね。
しっとりと濡れた世界に囲まれ、雨に降りこめられた雨宿り人が集う。老若男女、職業もばらばら、いっときの驟雨にたまたま・・・・いえいえ、そうは考えません、前世の縁かも。
われらは降りこめられた雨宿り人ではありませんが、今回の縁は人生の雨宿りのような象徴と私はとらえています。
そうであるなら、雨夜の集い、歓談もいいじゃありませんか。
そういえば千年前の、「雨夜の品定め」で有名な源氏物語の歓談、これも梅雨の夜だった。
時間はあっという間にたち、列車の刻限なので、先に出させてもらった。
名残はつきませんが、また、会えますよね。
駅へ急ぐ道、うるんだイルミネーションが蛍光を放つ。
宴果てて、雨の中、道々みんなは何を思って帰るのだろうか。
写メールでささっと撮る。
どんな話題かも思い出せないくらい、取りとめもない話が次々、おまけに酔って耳が遠くなっていてでかい声なのに。でもみんな嫌がりもせずやまさんの話を聞いてくれた。
ああ、馬鹿なことをしゃべりすぎたのかもしれない。許してくださいよ。
きっとね、孤独から束の間、みんなのおかげで解放され、喜びに舞い上がってわけがわからなくなったんですよ。
ほんとに考えると不思議だなあ。一年前まで見ず知らずの何のかかわりもなかったんですよ。それが、回を重ね、こんなに和気あいあいと集い、お話しできる。
うれしいな。うれしいな。
人生、もう少し長く生きてもいいな。と心から思います。
今夜は雨、行き帰りはちょっと大変だけど、雨もいいね。
しっとりと濡れた世界に囲まれ、雨に降りこめられた雨宿り人が集う。老若男女、職業もばらばら、いっときの驟雨にたまたま・・・・いえいえ、そうは考えません、前世の縁かも。
われらは降りこめられた雨宿り人ではありませんが、今回の縁は人生の雨宿りのような象徴と私はとらえています。
そうであるなら、雨夜の集い、歓談もいいじゃありませんか。
そういえば千年前の、「雨夜の品定め」で有名な源氏物語の歓談、これも梅雨の夜だった。
時間はあっという間にたち、列車の刻限なので、先に出させてもらった。
名残はつきませんが、また、会えますよね。
駅へ急ぐ道、うるんだイルミネーションが蛍光を放つ。
宴果てて、雨の中、道々みんなは何を思って帰るのだろうか。
写メールでささっと撮る。
登録:
投稿 (Atom)

