じたばた大騒ぎするほどのことか?
わたしゃ、60歳の爺さんでインターネットやりはじめて半年にもならんけど、こうなることはお見通しじゃわ!
NHKの夜のニュースでトップ報道、
「今回の入試問題流失そしてインターネットに投稿・解答の一連の事件。入試制度の根幹を揺るがす。」
けっこうけだらけ、それで根幹が揺らいだなら、いっそ入試制度の廃止も含め抜本的に変えたがいいと、私は提案したい。
インターネットの発達、そしてインターネット端末の多種多様化、進化し続ける情報機器の時代、今までこれを入学試験に(もちろん不正だが)応用しなかった方がよっぽどおかしい。これだけ発達した情報社会にあっても、入試は聖域と思っていたんでしょうな。まさか!そんな!裏をかかれて、頭にきたんでしょうな。大学や文科省、良識独占企業のマスコミは怒りの様子。そんなの誰でも予想できることで、なんで今まで対策を取らなかったのか、わたしゃ不思議でならない。
それをあたふたして、偽計業務妨害で告訴するという。
恥っさらしなことはやめたがいい。
警察も威信にかけて捜査するでしょうが、もし、証拠も残らぬほど完璧に入試をかいくぐれば、誰か知らないが、この人、並みの京大入学生の何倍もの能力を持っていると思いますよ。
これだけで入る価値があります。
この際、入試など全廃した方がいいのか、紙と鉛筆の入試方法がいいのか、議論しましょうよ。
ペーパー試験などして選抜していい人が選べるなどという根拠、本当に確かなんですか?
え?経験上間違いないって?ほんまかいな。
2000年も前から合理的な試験選抜制度があったのは中国で、「科挙」というのがあり、それを通してすべての人に門戸を開き人材を供給してきました。今の国家公務員試験Ⅰ種と同じ制度です。
それに対して近代にいたるまで貴族や武士などが人材を独占し、世襲が当たり前だったのがヨーロッパや日本、でも歴史を通して中国に比べ人材が劣っていたとは決して思えないんだけれどね。
やった人詮索するより、おのれの(大学、文科省)ほうを変えた方がいいんでないかい。
2011年2月28日月曜日
2011年2月27日日曜日
食べた後すぐ寝ると・・・ たらちねの・・・ のあとには何がくる
このブログの横にガジェットというアニメが入っています。訓練校の授業でブログを始めて作ったときにデザインを選ぶんですけど、私は「うし」と「うさぎ」を選んだようです。
ようですというのは、なぜこれを選んだか、そのわけを思い出せないのです。去年の十月ですから忘れるはずないのにどうしてもわかりません。選択に他にどんなものがあったかも覚えていません。
たぶん、先生に言われるまま一番最初に目についたアニメを選んだのでしょう。かなりいい加減に決めたに違いありません。
その時、先生から
「一応なんでも選んでおいてください。これは後で変更できます。」
と聞いたのは覚えている。
それでこの「うし」と「うさぎ」であるが、気に入らなければ変更すればいいのだろうが、恥ずかしいことに変更の仕方を忘れてしまっている。
うろ覚えで変更していて、「バチッ」とブログそのものが消えてしまわないか、ちょっと怖いので変更できずにいる。
それにこの二つのキャラ、嫌いではない。かといって、愛すべきキャラとも思えないが、なんとなく愛嬌はあって、それにブログ誕生からずっとこの位置に鎮座して見守っていてくれるので愛着も感じている。
この牛、最初の頃はわからなかったがよく見るとかすかに動いている。寝そべっていて手になにやらミカンか林檎かわからないが持っていてもてあそぶように動かしている。そしてもう一方の手はお尻を掻いているようである。
牛が寝そべるとは、なんか微笑ましくもあるが、わたしは、ぐうたらした怠惰な風情を感じる。といって別に嫌悪感を持つわけではなくあくまで可愛さの範囲である。
というのは子供の頃、食事をしたあと横になり寝そべっていると私を育ててくれた祖母が
「食べた後、寝そべると、牛になる。」
とよく注意された。「喰っては寝、喰っては寝」という言い回しがあるが、ぐうたらした生活を暗示していて、規律を重んじる昔の人は、このような行為を戒めたのであろう。
そう見てみると、この牛、もしかして怠惰な生活を繰り返しているうちに、なんらかの罰や祟りで牛になった過去を持つキャラのような気もする。ただし、反省しているようすもなく、これはこれで楽しんで「ねそべり牛」をやってる。
そして「うし」の下にある「うさぎ」、これも単純に可愛いうさちゃんとは見えない。
露天温泉に入っていて、雪もチラホラ降っている。情景としては旅愁や郷愁を感じる。
ところが、中に入っているのは、でっぷり太った鼠色の生き物、耳も大きくなくずんぐりした体形から巨大ネズミ・カピパラのよう。かろうじて兎唇(みつ口)からうさぎとわかる。
それにこの胸から出てる突起物はなに?ブログをやり始めた頃は、これは手だ、手だ。と思い込もうとしていた。わざと拙劣に描いて、アニメを可愛く見せるのはよくあることなので手に違いないと言い聞かせていた。
しかし、最近はこれ、乳房であることを確信している。でっぷりした肝っ玉母さん風の体形であること、おおきな垂れ乳であること、もうこれに間違いはない。だいいち、バニーちゃんみたいなウサギは頭のてっぺんにタオルなどのせまい。
これはかなり年季のはいった「おっかさんウサギ」である。
垂れ乳はなんら恥じるものでも、醜いものでもない。何人もの子供をこれによって立派に育て上げた象徴である。母性の権化といっても差し支えないであろう。我が国においては「垂れ乳」は西洋の聖母マリア像に比肩できる「聖なる母性」である。
和歌には「枕詞(まくらことば)」というのがある。ある言葉の前におかれる飾り言葉のようなものである。
「母」にかかる枕詞に「たらちねの」というのがある。「たらちねのはは」というような使われ方をする。この「たらちね」というのは、多くの子を育て上げた母が持つ、大きなしかし垂れた乳房の「垂れ乳」から来ている。
たらちねとは、なつかしく、あまく、そして切ない母を感じさせる言葉だったのである。
このように思ってみると、この温泉ウサギ、なかなか味わい深いキャラであります。
ようですというのは、なぜこれを選んだか、そのわけを思い出せないのです。去年の十月ですから忘れるはずないのにどうしてもわかりません。選択に他にどんなものがあったかも覚えていません。
たぶん、先生に言われるまま一番最初に目についたアニメを選んだのでしょう。かなりいい加減に決めたに違いありません。
その時、先生から
「一応なんでも選んでおいてください。これは後で変更できます。」
と聞いたのは覚えている。
それでこの「うし」と「うさぎ」であるが、気に入らなければ変更すればいいのだろうが、恥ずかしいことに変更の仕方を忘れてしまっている。
うろ覚えで変更していて、「バチッ」とブログそのものが消えてしまわないか、ちょっと怖いので変更できずにいる。
それにこの二つのキャラ、嫌いではない。かといって、愛すべきキャラとも思えないが、なんとなく愛嬌はあって、それにブログ誕生からずっとこの位置に鎮座して見守っていてくれるので愛着も感じている。
この牛、最初の頃はわからなかったがよく見るとかすかに動いている。寝そべっていて手になにやらミカンか林檎かわからないが持っていてもてあそぶように動かしている。そしてもう一方の手はお尻を掻いているようである。
牛が寝そべるとは、なんか微笑ましくもあるが、わたしは、ぐうたらした怠惰な風情を感じる。といって別に嫌悪感を持つわけではなくあくまで可愛さの範囲である。
というのは子供の頃、食事をしたあと横になり寝そべっていると私を育ててくれた祖母が
「食べた後、寝そべると、牛になる。」
とよく注意された。「喰っては寝、喰っては寝」という言い回しがあるが、ぐうたらした生活を暗示していて、規律を重んじる昔の人は、このような行為を戒めたのであろう。
そう見てみると、この牛、もしかして怠惰な生活を繰り返しているうちに、なんらかの罰や祟りで牛になった過去を持つキャラのような気もする。ただし、反省しているようすもなく、これはこれで楽しんで「ねそべり牛」をやってる。
そして「うし」の下にある「うさぎ」、これも単純に可愛いうさちゃんとは見えない。
露天温泉に入っていて、雪もチラホラ降っている。情景としては旅愁や郷愁を感じる。
ところが、中に入っているのは、でっぷり太った鼠色の生き物、耳も大きくなくずんぐりした体形から巨大ネズミ・カピパラのよう。かろうじて兎唇(みつ口)からうさぎとわかる。
それにこの胸から出てる突起物はなに?ブログをやり始めた頃は、これは手だ、手だ。と思い込もうとしていた。わざと拙劣に描いて、アニメを可愛く見せるのはよくあることなので手に違いないと言い聞かせていた。
しかし、最近はこれ、乳房であることを確信している。でっぷりした肝っ玉母さん風の体形であること、おおきな垂れ乳であること、もうこれに間違いはない。だいいち、バニーちゃんみたいなウサギは頭のてっぺんにタオルなどのせまい。
これはかなり年季のはいった「おっかさんウサギ」である。
垂れ乳はなんら恥じるものでも、醜いものでもない。何人もの子供をこれによって立派に育て上げた象徴である。母性の権化といっても差し支えないであろう。我が国においては「垂れ乳」は西洋の聖母マリア像に比肩できる「聖なる母性」である。
和歌には「枕詞(まくらことば)」というのがある。ある言葉の前におかれる飾り言葉のようなものである。
「母」にかかる枕詞に「たらちねの」というのがある。「たらちねのはは」というような使われ方をする。この「たらちね」というのは、多くの子を育て上げた母が持つ、大きなしかし垂れた乳房の「垂れ乳」から来ている。
たらちねとは、なつかしく、あまく、そして切ない母を感じさせる言葉だったのである。
このように思ってみると、この温泉ウサギ、なかなか味わい深いキャラであります。
2011年2月26日土曜日
Prostate 本日は男性読者限定
私は特定の器官が悪い病気を持っている。いろいろな症状はあるが、生活にそう支障はない。しかし、時として発作に近い症状が出るときがあり、これが起これば病院へできるだけ早く行って処置してもらわなければならない。これが出ると苦しくて、悶絶しそうになる。厄介なことにこれが起こるのは、未明、早朝である。病院は閉まっている。何回も起こっていて、いわば馴れてもいるし、歩きもできるので、救急車などのお世話にならず、幸い近くに総合病院があるので、自分で電話して直接歩いていく。
このように書くと、心臓の発作に似ているが、私の悪い器官は心臓ではない。心臓の場合はほんとに悶絶死することがあるが、悶絶しそうになるだけで命にかかわることはないので、安心だが、このような発作的な症状がでると、一回の処置ですぐ回復はするものの、体より精神的にダメージを受けて、数日虚脱したようになりぼんやり過ごすことになる。
ところで、体の中には五臓六腑と言われるようにいくつもの器官がある。この意味を調べてみると
五臓六腑 - Wikipedia
五臓六腑(ごぞうろっぷ)とは、伝統中国医学において人間の内臓全体を言い表すときに用いられたことば。「五臓」とは、肝・心・脾・肺・腎を指す。心包を加え六臓とすることもある。「六腑」とは、胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦を指す。 ...
古典の医学本から来ているとは思っていたが、やはりそうである。それにしてもほとんどなじみのある臓器であるのには意外であった。三焦だけは不明であるが、あたりまえで、これは働きだけあって形がないものだそうである。
私の悪い器官はこの中に入っていない。
江戸時代、西洋の解剖学のテキストをみながら、実際に死刑囚の体を解剖し、蘭学医が「解体新書」を著した。心、肝、腎・・・・臓などは、昔からの漢方医学にもあるため直訳でよかった。
しかし、私の悪い器官は、五臓六腑に入っていないし、その器官の存在は、江戸時代知られていなかったのであろう。そのため漢字表記の日本語で新しく作る必要があったものと思われる。
なぜ、そんな推理ができるかって?
まあ、その器官の名前をじっくり見てください。
「前立腺」
まえ立つ腺?不思議なネーミングですね。
なに?男だったら、珍棒が、朝立ち、そして、前に立つ、腺、などと下卑た冗談からではありませんよ。
これね、どうも英語(蘭、仏、独もおなじ)の直訳だと思うのです。
英語で、prostate, 前立腺。
ちょっと解説すると、pro- は接頭語で、前、先、という意味があります。語幹のstate は建てる、立てる、の意味がある。このことから、建てられた国、州、はstate, 立てられた銅像はstatue, がきている。
つまり、pro-state, 前・立、腺。
この英語ね、一回見たらすぐ覚えましたわ。高校生の時から知ってるある専門用語に似ていたからです。
なになに、高校の時から英語の専門用語?
皆さんもありませんか、英語の単語なんどろくすっぽ覚えもしない癖に、猥褻な淫靡な単語は一生懸命辞書で引いて覚えた記憶、
「え、それは、おまえだけじゃ」
そうでした、すんません。
売春婦などという言葉は、高校生の時から3つ知ってました、prostitute,quean,whore,ませガキだったんでしょうかね。
このprostitute, に似ていたから前立腺prostate, をすぐ覚えました。
こんな能書き垂れて前立腺がよくなればいいんですが、なんの役にも立ちませんわ。
それよりか、導尿カテーテルを自分で入れられれば、緊急外来の世話にならなくて済むが、自分では無理だろうなと思う。なにせ、私の主治医の一人である若い泌尿器科の医師は医学学校の実習で、自分で入れるのを試したが痛くて全然できなかったと言ってたから、私などはまして出来ないのは当たり前。その点、看護婦さんは場数を踏んでるためか、他人に入れるのは上手。自分のはどうか知らないが・・・
そうそう、昔の変態ポルノビデオは、鞭と蝋燭、せいぜい浣腸ぐらいだったけど、最近は導尿カテーテルが登場らしいよ、
と友達がいってました。まるで泌尿器科の医学実習みたいですね。
このように書くと、心臓の発作に似ているが、私の悪い器官は心臓ではない。心臓の場合はほんとに悶絶死することがあるが、悶絶しそうになるだけで命にかかわることはないので、安心だが、このような発作的な症状がでると、一回の処置ですぐ回復はするものの、体より精神的にダメージを受けて、数日虚脱したようになりぼんやり過ごすことになる。
ところで、体の中には五臓六腑と言われるようにいくつもの器官がある。この意味を調べてみると
五臓六腑 - Wikipedia
五臓六腑(ごぞうろっぷ)とは、伝統中国医学において人間の内臓全体を言い表すときに用いられたことば。「五臓」とは、肝・心・脾・肺・腎を指す。心包を加え六臓とすることもある。「六腑」とは、胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦を指す。 ...
古典の医学本から来ているとは思っていたが、やはりそうである。それにしてもほとんどなじみのある臓器であるのには意外であった。三焦だけは不明であるが、あたりまえで、これは働きだけあって形がないものだそうである。
私の悪い器官はこの中に入っていない。
江戸時代、西洋の解剖学のテキストをみながら、実際に死刑囚の体を解剖し、蘭学医が「解体新書」を著した。心、肝、腎・・・・臓などは、昔からの漢方医学にもあるため直訳でよかった。
しかし、私の悪い器官は、五臓六腑に入っていないし、その器官の存在は、江戸時代知られていなかったのであろう。そのため漢字表記の日本語で新しく作る必要があったものと思われる。
なぜ、そんな推理ができるかって?
まあ、その器官の名前をじっくり見てください。
「前立腺」
まえ立つ腺?不思議なネーミングですね。
なに?男だったら、珍棒が、朝立ち、そして、前に立つ、腺、などと下卑た冗談からではありませんよ。
これね、どうも英語(蘭、仏、独もおなじ)の直訳だと思うのです。
英語で、prostate, 前立腺。
ちょっと解説すると、pro- は接頭語で、前、先、という意味があります。語幹のstate は建てる、立てる、の意味がある。このことから、建てられた国、州、はstate, 立てられた銅像はstatue, がきている。
つまり、pro-state, 前・立、腺。
この英語ね、一回見たらすぐ覚えましたわ。高校生の時から知ってるある専門用語に似ていたからです。
なになに、高校の時から英語の専門用語?
皆さんもありませんか、英語の単語なんどろくすっぽ覚えもしない癖に、猥褻な淫靡な単語は一生懸命辞書で引いて覚えた記憶、
「え、それは、おまえだけじゃ」
そうでした、すんません。
売春婦などという言葉は、高校生の時から3つ知ってました、prostitute,quean,whore,ませガキだったんでしょうかね。
このprostitute, に似ていたから前立腺prostate, をすぐ覚えました。
こんな能書き垂れて前立腺がよくなればいいんですが、なんの役にも立ちませんわ。
それよりか、導尿カテーテルを自分で入れられれば、緊急外来の世話にならなくて済むが、自分では無理だろうなと思う。なにせ、私の主治医の一人である若い泌尿器科の医師は医学学校の実習で、自分で入れるのを試したが痛くて全然できなかったと言ってたから、私などはまして出来ないのは当たり前。その点、看護婦さんは場数を踏んでるためか、他人に入れるのは上手。自分のはどうか知らないが・・・
そうそう、昔の変態ポルノビデオは、鞭と蝋燭、せいぜい浣腸ぐらいだったけど、最近は導尿カテーテルが登場らしいよ、
と友達がいってました。まるで泌尿器科の医学実習みたいですね。
2011年2月25日金曜日
2011年2月24日木曜日
美男、ブ男
本の題に魅せられて図書館で借りてきたが、題とはまるで期待外れだった。
日本の歴史上、美男と言われた人をあげ、解説。美男のその時代時代の基準、美男がその時代の社会でどのように扱われてきたか、それらの変遷などが書かれている。
すべて歴史上のことであり、今を生きる美男が出世して、それに対してブ男が逆襲するわけではない。
しかし、それくらい単純に割り切って書いてくれた方が面白いのだが、歴史学~社会学的な新書であるらしいのでそのように白黒二つに分けて対立するものとしては書けないのであろう。
ブ男の私としては、
「美男こそが神に選ばれた善良であり、出世し、光り輝く到達点に達することが約束されているのである。」
とかいって、拳固でぶ~~~ん。とぶちのめされる内容のほうがよかった。
「いやいや、美男の基準もあいまいで、ブ男といわれていても、女性から見ればなかなか、魅力もあり・・・・・・・・・」
などという曖昧さは、わたしゃ、すかん!
はっきり 美は善、醜は悪。という大前提を打ち立てて、書いて欲しい。
今時、こんな差別につながるような恐ろしいこと書けんって?ごもっとも。
ところで、ブ男の逆襲って、なにするんだろ。わたしゃ頭悪いからようわからなんだが、まさか美男を闇討ちにするわけでもあるまい。
それをバネに努力、発奮せよということか、
「男は顔じゃない〇〇だ。」
とよくいいますがね。この〇〇に入るものも、肉体の美にくらべてそれほど高尚なものなんでしょうかね。
あ、ちょっと断っときます。この本には記述はなく、私の見解なんですけど、美男について、老若ちゃんぽんにしてますが、20~30歳くらいの年齢と考えてくださいね。何を根拠?
「最後の審判」では、高齢で亡くなった人も等し並みにこの年齢に若返って、審判者の御前にでるそうですから、私も60歳ですが、2,30歳の私を思い浮かべて考えてます。
私としては、18,9歳ぐらいがいいと思うのですが。
なんか、美男がよくて、ブ男は踏んだり蹴ったりのような言い方ですが、美を考えればそうなります。しかし、もし、それにあるものが付着していれば、あなた、どちらをとります。
「まぎれもなき若さ、美には、刹那、はかなさ、具体的には、短命、悲劇的な死」が
「しこめしこめしき男には、平凡・日常性、現世をずぶとく生きる力、具体的には末永き命」
「美」と肉体を持つ生身の「男」が結びついて「美男」となった時、宿命的にそれは刹那的、はかなきものとならざるをえないのです。肉は老醜を刻むものであり、腐敗し滅するものなのです。
対し、醜は、老であり、腐敗であることは言うまでもないこと、しこめしこめしき男はそれを体現した権化。衰亡、醜悪、老そのものが生きること、そりゃ、長生きするでしょうよ。
でもね、そんな理想的な美男もブ男もまずいないからみなさん、安心しましょうね。
うちの近くに泉があり、水がわき出ています。江川水源地として観光地にもなっています。
この水際に水仙が咲いています。
昔、理想的な美男(もちろん若く、おそらく15~19歳くらい、女性にも男性にも愛された)がいたそうですが、やはり、はかなくて、神に愛され天上に召される運命でした。
水面に写る自らの美しい姿を見つつ、水仙になりました。
本当の美男は長くこの世にとどまれないんですよ。
日本の歴史上、美男と言われた人をあげ、解説。美男のその時代時代の基準、美男がその時代の社会でどのように扱われてきたか、それらの変遷などが書かれている。
すべて歴史上のことであり、今を生きる美男が出世して、それに対してブ男が逆襲するわけではない。
しかし、それくらい単純に割り切って書いてくれた方が面白いのだが、歴史学~社会学的な新書であるらしいのでそのように白黒二つに分けて対立するものとしては書けないのであろう。
ブ男の私としては、
「美男こそが神に選ばれた善良であり、出世し、光り輝く到達点に達することが約束されているのである。」
とかいって、拳固でぶ~~~ん。とぶちのめされる内容のほうがよかった。
「いやいや、美男の基準もあいまいで、ブ男といわれていても、女性から見ればなかなか、魅力もあり・・・・・・・・・」
などという曖昧さは、わたしゃ、すかん!
はっきり 美は善、醜は悪。という大前提を打ち立てて、書いて欲しい。
今時、こんな差別につながるような恐ろしいこと書けんって?ごもっとも。
ところで、ブ男の逆襲って、なにするんだろ。わたしゃ頭悪いからようわからなんだが、まさか美男を闇討ちにするわけでもあるまい。
それをバネに努力、発奮せよということか、
「男は顔じゃない〇〇だ。」
とよくいいますがね。この〇〇に入るものも、肉体の美にくらべてそれほど高尚なものなんでしょうかね。
あ、ちょっと断っときます。この本には記述はなく、私の見解なんですけど、美男について、老若ちゃんぽんにしてますが、20~30歳くらいの年齢と考えてくださいね。何を根拠?
「最後の審判」では、高齢で亡くなった人も等し並みにこの年齢に若返って、審判者の御前にでるそうですから、私も60歳ですが、2,30歳の私を思い浮かべて考えてます。
私としては、18,9歳ぐらいがいいと思うのですが。
なんか、美男がよくて、ブ男は踏んだり蹴ったりのような言い方ですが、美を考えればそうなります。しかし、もし、それにあるものが付着していれば、あなた、どちらをとります。
「まぎれもなき若さ、美には、刹那、はかなさ、具体的には、短命、悲劇的な死」が
「しこめしこめしき男には、平凡・日常性、現世をずぶとく生きる力、具体的には末永き命」
「美」と肉体を持つ生身の「男」が結びついて「美男」となった時、宿命的にそれは刹那的、はかなきものとならざるをえないのです。肉は老醜を刻むものであり、腐敗し滅するものなのです。
対し、醜は、老であり、腐敗であることは言うまでもないこと、しこめしこめしき男はそれを体現した権化。衰亡、醜悪、老そのものが生きること、そりゃ、長生きするでしょうよ。
でもね、そんな理想的な美男もブ男もまずいないからみなさん、安心しましょうね。
| 江川水源地と水仙・本日撮影 |
うちの近くに泉があり、水がわき出ています。江川水源地として観光地にもなっています。
この水際に水仙が咲いています。
昔、理想的な美男(もちろん若く、おそらく15~19歳くらい、女性にも男性にも愛された)がいたそうですが、やはり、はかなくて、神に愛され天上に召される運命でした。
水面に写る自らの美しい姿を見つつ、水仙になりました。
本当の美男は長くこの世にとどまれないんですよ。
2011年2月23日水曜日
2011年2月22日火曜日
猫にゃんにゃんにゃん、犬わんわんわん
今日は久しぶりに徳島のハローワークへ行く。
正午前だったがすでに大勢の求職者が詰めかけている。もうすぐ年度がわりでチャンスも増えるのではないかと思うが、この分だと求人倍率もそう改善はすまい。気に留めた求人がいくつかあったが、そのなかで、まさにこの混雑して大盛況のここハローワークの相談業務の専門員の求人があったのにはなにか皮肉っぽくてちょっと興味が湧いた。
必死に職を求めてやってくる人々をサポートするためその必死に求める人の中からまた選ぶ。いったいどんな内容だろうか。
免許・資格は不問。これは問題ない。年齢不問、よしよし。
経験等。おや。なになに、パソコンの基本操作、Kobaさんに教えてもらってOK
それに対人業務経験者(カウンセリング等)、あ、これがあかん!
徳島公園で、春の日を浴び、昼のひと時を過ごす。ずいぶん光が強くなってる。日焼けを厭うおばさんの中には早くも日傘をさして歩いている人もいる。春分頃になると紫外線もグッと強くなる。
「春分まであと幾日だろ。」
「えーと、きょうが、22日」
「ちょっと待てよ、2月22日」
「おー、今日は三つぞろ目じゃ」
「あれ?222って、なんかの記念日でなかったかな。」
しばらく頭をひねる。
「わかった!猫の日、わけは簡単。猫にゃんにゃんにゃん、で222、犬の日は、同じ理屈で犬わんわんわん、で111。」
で、今日は猫様の・・・・・なに~?ぅぅぅぅっと、記念日?か。猫の記念日?いや単純に、猫の日、でいいんだろうな。なにする。慈しむ日か?
日本人て優しいから、徳川綱吉の時代から生類を慈しんできました。
猫の日まであるくらいだから、失業者の日もあるのかしら。失業者も慈しみましょうね。
失業者だってなきますよ、にゃんとなきましょうか。
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