2012年2月5日日曜日

山紫水明、豊葦原の瑞穂の国たらしめているのは


 われわれ生き物にとって水はもっとも重要かつ必須なものであることは言うまでもない。人の体の大部分は水である。そもそも生命も水の中の化学反応が積み重なって生まれたものであり、水無くして生命は生まれないし、存続もしない。

 考えると、人の一生も水とともに始まる。生れ落ちると必ず我々は例外なく「産湯」を使う。この世に誕生した祝福の洗礼とも考えられる。水無くして誕生の秘儀は行えない。
 そして人の最期、もう鼓動も呼吸も停まり、生命反応が停止していても「末期の水」で唇を湿らせる。まだ死んではいないが最後に水を与える場合もある。

 そしてなぜか、死んで幽明を分かつ境界には「三途の川」が流れ、そこを渡るという。

 ことほど左様に水は人と切り離せない、生きるために必要な根幹の源である。

 この水が必要なだけの量を使え、良質で、タダまたは非常に安価に手に入るということはとてもありがたいことである。日本は世界で最もその条件がそろっている数少ない国である。我々は安全多量な水は当たり前と思って生活しているからその有難さに気付かない。しかし世界ではそんな国はまれであると自覚した方が良い。
 欧米の先進国では量的にはさすが困ることはないが、質は日本と比べてもお話にならない。あちらの水道水は生で飲めない。

 日本は水道の浄化技術が優れていることもあろうが(それなら欧米も技術は持っている)、大本の水道に取り入れる天然の川、湖、ダム湖、地下水の水がきれいなのである。
 ずいぶん昔だが20世紀初め、琵琶湖湖北の水を取って調べたら、蒸留水に近い純水だったという話もある。

 なぜこんなに水が綺麗なのか。きれいな水は美しい国土と表裏一体である。日本の自然の美しさを表す「山紫水明」「豊葦原の瑞穂の国」などという言葉は有り余りあふれるばかりの清い水無くしてはあり得なかったのである。

 まず、多量の降雨、夏も多く降るし、梅雨、台風でドット降る。春秋は前線の影響で数日に一回は雨が降る。寒い冬はどうか、普通、寒くなれば空気中の水分は減るため多量の降水はないのだが、日本海側には夏を上回る信じがたいほどの降水がドカ雪となって降る。雪のいいところは山に根雪で水を溜めこみ春から初夏にかけて平野をうるおす。

 ただ降るだけでなく国土を覆う7割近くある森林はその水を溜めこみ水資源として涵養する。花崗岩質、石灰岩質の土壌はきれいな地下水や泉となって水を保有してくれる。

 まことに水に関しては、神が地上に作った楽園がこの日本ではないかという気がする。

 ところが最近気になる噂が耳に入った。某国が日本の水資源を狙い、宅地に比べ安い山林(水源の涵養地)を買っているというのである。
 この国、四大文明の源となった大河、「K河」を有しているが、この下流は枯渇が激しく、枯れ川となってもはや海にも流れ込んでいないのである。もともと黄色く濁った大河で水質は昔からよくないが今となってはさらに量の確保もできなくなったのである。

 こんな「ど汚い水」でしかもその水も枯渇している国に住む人は日本の多量の清水が羨ましくて仕方がないのも頷ける。この国、最近、経済だけはうまくいっているようで世界のいろんな不動産を買いまくっている。
 そこでもっとも欲しい資源のきれいでたっぷりの日本の水に目を付けたわけである。

 噂といっても近所のおばはんの噂話でなく、大手週刊誌のゴシップですが・・・・・

 多量の雪をのせた山々、水源涵養地のブナ林、山のきれいな谷川、山あいの泉、狙われているかもしれません。杞憂で済めばいいんですが、
 さっきも言ったように生まれてずっと恵まれた水の環境にいる日本人は有難さがよくわかっていないのじゃないかと心配してます。なくなってその有難さが身に染みるということにならなければいいですがね。
 砂漠の民、草原の民、黄砂の民、などの良い水の乏しいところで生活する者にとって、たった一杯の水でさえ血を持って贖い取るモノですからね。我らも肝に銘じていた方がいいですね。

去年5月我が町のきれいな水を撮りました。


そして我が家の辺りは、名水に指定されている「江川伏流水」が地下を流れています、そのため我が家は水道水ではありません。このようにボーリングしてポンプで地下水をくみ上げそれを上水として使っています。
 癖のないきれいな水でもちろん飲料に問題はありません。隣近所も地下水を使っており、ある人はなづけて
 「我が家のホワイトワイン地下水」などとあばさかっております。

2012年2月4日土曜日

あこがれの職業


 今日は徳島城博物館でこのような企画展をやっているので見に行った。
 今日は特別に学芸員が一時間ほど見学者に解説をしてくれるというので240円の入場料を払って入館した。
 前回は「阿波の鉄砲展」でこの時も学芸員の解説日に合わせて入場しました。この時もブログを作っております。これです。
 今回も同じようにその見学の内容、解説に合わせてブログを作ろうと思いましたが、今日は視点をちょっと変えて解説してくれた学芸員に関連したことを書きます。

 前回と今回は学芸員が違っておりました。前回は40代の方、今日の方は30代前半、いやもしかしたら20代かもしれない若い方でした。どちらの方も見るからに知的な雰囲気を持っています。そして解説を聞いてもそれは外見だけでないことがわかります。
 時には専門用語、しかし一般人にわかるように平易さを心掛けています。洗練されたしゃべり口、よどみなくすらすらと解説が進みます。

 テーマの中心は各時代のひな人形の変遷なんですが、今日の若い学芸員の方、国文学にかなり詳しいのか、ひな人形の世界に関連して「源氏物語」のいくつかの巻のお話をされていました。『初音』『須磨・明石』の帖です。
 私の息子のような年齢の学芸員がしゃべる源氏物語の話しにすっかり魅了されてしまいました。

 若いのにまるで大学の老教授が学生に教え諭すように落ち着いて話してくれます。声もしっとりとした低い声ですが、耳が遠くなった私にもはっきりと聞こえます。

 「う~~ん、素晴らしい!」

 「もしかしたら、俺が就きたかった本当の職業はこれこれ、この学芸員ではなかったのか」

 子供のころから20代くらいまでいや、30代になってもあこがれの職業はくるくる変わりました。結局、あれこれと夢見ただけで実現はしませんでした。何もできない役立たずな人間かもしれないと思う一方、いやいや、本当の「天職」はきっとあるはずだ、未だ自分がよ~見つけないだけじゃ、と思ったりもしました。
 で、見つからないまま幾星霜、ン十年。

 今日、思いました。

 「この学芸員が天職じゃなかったのか?」

 60歳過ぎて、過去形でいうのが悲しいです。この歳が来てもあこがれると心理的に「同一視」する傾向があります。
 「知的で、洗練され、学会の専門員に名を連ね、研究一筋、時々博物館の見学者相手に上品な物言いで、かつ専門性は秘めながらもあくまでも平易に説明する学芸員」

 ちょうど前回や、今日の学芸員のように・・・

 でも家へ帰って冷静に考えると極めてがさつで下品に出来てる自分にあの高尚な雰囲気は出せないだろうと思いました。エキセントリックな学芸員にはなりたくありません。あくまでピシッとしたスーツを着こなし、上品で知的な雰囲気を醸し、国文学や歴史専攻の女学生がヨロヨロとなる学芸員でなきゃ、ヤダ!

  「これもダメか」

 「天職をもとめさらなる遍歴を続けよう!」・・・などと身の程知らずな夢をいつまでもみるやまさんでした。

 下は博物館内から見た庭園です。

2012年2月3日金曜日

今日はふる年の・・・


 明日は二十四節気の『立春』である。暦の上では冬は今日まで、明日からは暦の概念上では春となる。もちろん「春は名のみの寒さ」であるが。

 正月を「新春」と呼ぶように古くから一年の始めをこの立春という区切りに持ってきていた。特に農事暦では。
 月の動きを元にした月暦では旧暦一月一日は太陽の動きを元にした24節気の上では変動は大きい。 旧暦一月一日が立春にピタリ会えばいうことないんだろうけれども、新月が立春に一致する確率は低い。年によっては旧年、つまりまだ12月中に立春が来てしまうこともある。今年は太陽暦の1月23日が旧元日であったため、立春は旧暦の1月13日となる。

 ともかく旧暦の一月一日の新春は太陽活動の現実と比べ変異が大きいので、太陽の動きを24等分した節気の「立春」を新春として春夏秋冬の一年の始めの「打ち立て」としたのも頷ける。

 さてそこで、明日がこの新春、春夏秋冬・季節の初めということは・・・・・・・
 今日はふる年の最期の日、おおみそか、に当たる。
 人は嫌な過去を忘れたり、水に流すように消し去りたい願望を持っている。いつまでも嫌な過去が鮮明に頭に残っては生きていく妨げにもなろうというもの、
 そこで年の最期の日に過去を流し、一緒についている「災厄」を払い、新たな心・からだになって新年を迎える「まじない」を昔の人々は行った。
 奈良朝以前に始まった「追儺」(鬼やらい)の行事である。

 明日が立春で今日がそのふる年最後の厄払いの日である。今もその伝統は受け継がれている。形は変わったが災厄をはらうという目的は変わっていない。
 そう、本日の夜に行われる
 「福は内、鬼は外」の節分豆まきである。

 迷信じゃ!というなかれ、節分は今も忘れられず盛んにおこなわれているではないか。
 スーパーのコーナーには「豆まき用の節分豆」が山積みされ飛ぶように売れていた。
 幼稚園・小学校ではかわいらしい手から豆まきが行われ、爺ちゃん婆ちゃんの老人ホームでも豆まきは確実に行われている。

 節分行事は「おいのこさん」(詳しくはここ)と違い、盛んになってますね。最近は、バレンタインデーがチョコレート屋の陰謀説があるように、この節分の日に太巻きを丸かじりすれば縁起がよい、などと寿司屋の販売戦略にのせられているんじゃないかという風習まで我が郷土に取り入れられています。(昔はなかった、たぶん京阪地方の真似)

 まあ伝統を大事にするのはいいのですが。

 最後に私事ですが節分でふる年の厄を払う前に災厄が降りかかってまいりました。27年使い込んだ石油ボイラーが完全永久にブチ壊れてしまいました。今夜から風呂なしです。本格的な春を迎えるまで寒い夜を重ねなければなりません。

 これから夜のウォーキングに出発しようと思ってますが家々から聞こえる

 「鬼は~~~外!」

 という声を聞くと、まるですべての災厄を背負ってとぼとぼ歩いている自分が打ち払われているような惨めな気分になります。

 「ああああ~~長生きはしとうない!極楽は晩春頃の昼下がりが永遠につづくといってたから早く行きたいです。って思う一方、お前は地獄じゃ!極寒地獄、炎熱地獄どっちにするぞぃ?ウヒヒヒヒという地獄の鬼の声も聞こえそうです。」

 とりあえず、飯食べて、ぬくもるために今日はよけい歩きます。

2012年2月2日木曜日

冬の夜のウォーキング


 真冬の星月夜の下、人も車も絶えた田舎道を歩いていると宇宙の真ん中に放り出されているような錯覚におちいる。

 静寂と凍てつくような空気が増々その感を強くする。
 全天の中心に自分がいる。
 このまま歩き続けることによっていつの間にやら個が消滅し、宇宙と一体になればよいと思う。

 でもそんなに楽に宇宙に還元はされないだろうな。老醜を託ち、病に苦しみ、死の恐怖におびえながら地上でのた打ち回らなければ個は消滅しないのだ。それが生きるということなのだろう。

 あすはどんな一日になるのだろう。

寒っ


 今日は昼過ぎでも影になるところは凍りついたまま。最高気温も0度からそう上がっていないのではないか。

 ニュースは「豪雪」という言葉を使い始めた。新潟県津南町で3メートル半以上の積雪と言っていた。まだこれからも降り続くそうである。
 われら太平洋側に住む人間は雪が積もるのは『雪見』などといって鑑賞の対象となるが、日本海側の積雪地帯はそんな風流なことは言っていられないだろう。

 先ほどウォーキングに出たがあまりの寒さに近辺を一周しただけですぐに帰ってきた。人通りも車も少なかった。

 ストーブはガンガン燃しているがパソコンに向かっているのも寒い。さっさと風呂に入って温まり、ホットカーペットで寝そべります。

 「皆さんも暖かくしてお過ごしください」

 って、昨日もおなじこといったなあ。

 寒いなどといって暖かいところで心地よくうずくまり動かなくなるのは爺さんになった証拠かもしれない。

 「いかんいかん!動かなきゃあ。まだ、9時、もう一度、夜のウォーキングに出発します。」

2012年2月1日水曜日

明日は寒くなりそう


 わが吉野川市の明日の天気予報を見た。なんと日中の最高気温がわずか1℃、一日中寒さが続きそうである。

 日本海側は大雪、先ほどのネットのニュースで秋田では新雪雪崩だろうか、3人が重体と報道していた。

 この寒波、ヨーロッパと連動しているみたいだ。しかし、アメリカ東部、ニューヨークやワシントンなどは暖かいと言っていた。寒気は北半球どこでも一緒というわけではない。
 北極に大きなアメーバーのような寒気団が覆いかぶさり、それがアメーバーのように偽足をあちらこちらに伸ばしている。全体的にその偽足が3本あるいはもっと多く5とか6とか、変化し時間軸で見るとゆっくりした波動を描いている。
 その伸びた偽足のような寒波がヨーロッパ、日本に寒さをもたらしている。

 寒気の塊のそのアメーバー様のものといってもそれは空気、物理の流体力学の法則に従う、だからその偽足の動き、言い換えればゆっくりした波長の長い波動は、解析できるし、予測も可能であることは理屈である。
 だから天気予報の中でも北極からの寒気の南下、つまり寒波予報は比較的よく当たる。
 とはいっても、一週間か10日くらいの期間、これが長期予報となるともういけない。何か月も先となると外れることが多い。
 秋ごろ、予報で今年は暖冬だの、寒冬だの言ってるが、あまり当たらない。下駄や靴を投げるのとそう変わらない。

 でも目先の寒さ予報はよく当たるとのことで

 「明日の日中は相当寒くなります」

 みなさん、暖かくしてお過ごしください。

 ここで寒い歌を一つどうぞ! 

ロハな温泉


 東北や九州などの鄙びた出で湯の里に行けば、地元の人向けのかけ流し「温泉小屋」があって無料で利用できるという。
 別府や群馬草津などは大きな熱量を持った膨大なお湯が自然と噴出しているので、あちらこちらに無料の温泉小屋があり、みんなタダで毎日のように利用しているという。

 温泉好きな私などはうらやましい限りだ。こういうところに生まれなかった不幸を嘆く以外ないが、今になってうれしい話が出てきた。
 我が町ではある温泉が一か月限定して温泉が無料になるというサービスが今日から始まり、温泉ファンの私としてはちょっと喜んでいる。なづけて(私が名づけたのだが)

 『さようなら上桜温泉、ファン感謝・温泉無料月間』

 今日からちょうど一か月、2月29日まで、町内外誰を問わず無料になる。そして29日をもって永久閉鎖になる。温泉がつぶれるのはさみしいが、一か月入り放題、無料というのはうれしい。

 今日がその初日、やまさん、さっそく行ってまいりました。
 でもちょっとした懸念が・・・・・
 それは無料ということで、わんさか押し寄せること、それこそ、ミィちゃん、ハ~ちゃん、キクちゃんから、猫も杓子も、お山の猿までも・・・
 大混雑、『芋洗い』状態になるんじゃないか!ちょうどこのように

 そこで、一番空いていると思われる朝一を狙いました。朝一といっても午前10時からですから、ゆっくり家を出ても間に合います。

 町内無料循環バスに乗って川島へ向かいました。高台にあるため少し登ります。
 これが全景です。


 玄関を入り、チケット売り場を見ると、おお!確かに今日から無料だ!

 朝一だったので意外や意外、ガラ空きでした。

  人も少ないので湯船から外の景色を撮影しました。

 この温泉、老朽施設ですが眺めはすごく良いのです。湯けむりでぼんやりしてますが、眼下には大正池の公園が広がっています。
 下は休憩室です。

 帰り、川島駅によったら猫駅長が元気でエサを食べてました。

 下は地図です。行かれるのなら、土日は避けるのはもちろん、一番よいのは朝一(10時から)、または昼までに行くのが混雑を避けていいと思います。


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