2010年12月6日月曜日

ムービーメーカーで少し動画を編集しました

 日曜日に動画を携帯で4つ撮りました。そのうち2本をムービーメーカーを使い編集しようと思いましたが、思うようにできませんでした。
1、近くの公民館で開かれた子供向けのお祭り
  タイトルを入れる以外編集してません。おいおい他の機能も使えればと思ってます。




2、草創期の映画のイメージ
  1895年フランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフを発明して映写したのが始まりと言われています。はじめての映画は列車が近づいてくるという単純な、ごく短いものでした。
 動画など見たことのない観客は、大きなスクリーン上をこちらに向かってくる列車を見て仰天して我先に観客席から逃げたそうです。
 その草創期の映画をイメージして作りました。白黒にしたのはいいのですが、訓練校の時は古いフィルムの効果があって、雨降り画面やシミなども入って雰囲気が出たのですが、それ、見つかりませんでした。



2010年12月5日日曜日

さらぬ別れ 去年の12月5日

今日の午後四時前、影は自転車に乗るわたしである。日は西の山の端に沈みかけており、影が長く尾を引いている。
 私は気象歳時記にはかなり敏感である。じゃあ12月5日は?写真からもわかるようにこの日の前後、もっとも日の入りがこの地方では早い。一年で夜の訪れがもっとも早いのがこの日と言っていいだろう。
 去年も携帯写真でこの日夕日で長く影を落とす自分を撮影している。歳時記にあまり敏感でない人は夜の訪れがもっとも早いのは22日の冬至と思っている人が多いが、そうではなくて日の入りのもっとも早いのは今日前後である。
 三時台を過ぎると早くも夕づく日の光は見る間に弱まり、四時近くなるとまことにかそけき光となり影をはるかかなたまで投げかけるようになる。気温もグッと下がり侘しき風情となっていく。
 私はこの日、もう一つ切なさで胸いっぱいになることがある。去年の同じ12月5日、私の親父が最後に私のもとを訪れたのである。
 普段は三人の孫に囲まれて県外で娘夫婦と楽しく暮らしているが、時々、独り身の私のところへ来る。くれば大体2~ 3日、時として一週間いる。顔を突き合わせればよく小言を言われた。男の子供は私一人なのにいつまでもしっかりしない私に、言わざるを得ないのだろう。私もそのことはよくわかっているが、親子の気安さでずけずけ言いあい、険悪になる時もある。でも、親父もわかってたみたいで、仲良く別れられるように思ってなのか来て2日ぐらいすると
「わし、明日、帰るわ。」という。
 去年の夏を過ぎたあたりから、毎月のように急にふらりとやってくるようになった。そして一日で帰っていく。そして口やかましくも言わぬようになった。ただ「おまえ、これから、どうするんだ。」と頼りない私を心配する口癖はかわらない。とみに痩せて行っているのが気になり、親父死期が近いの知らせに来たのだろうか、まさかな。親しい友と冗談で話したことを思い出す。10月、11月もそのようにふらりと来てすぐ帰った。
 そして、忘れもしない12月5日、早朝、今から行くわ。と急の連絡、ポンコツ軽四で駅へ迎えにいった。いつものハイカラな格好は変わらず、皮のカーボーイハット、黄色のサングラス、ウエスタンスタイル。80代の爺さんの格好ではない。再会するたびに苦笑する。
 聞くと明日帰るという。別に用事はないという。わたしもいよいよ親父の身に対し不安が巻き起こってくるが、口にはしなかった。
 夜に入り北路の温泉に夕食も兼ねポンコツ車で出かける。一緒に浴場に入ったが裸の親父の体を見て、涙がこぼれそうになった。驚くほどやせている。中年過ぎても筋肉質だった面影もない。このときのわたしの心の中は今から考えると「ああ、おやじ、わたしに別れを言いに来たんだな。」と思ったに違いないと思うのだが、その時はまさか、不吉な、と否定、抑圧したのだろう、意識には努めてのせなかった。
 かえり、遅くまで開いているスーパーに朝食を買いに寄った。店の前に冬物の厚手のパジャマが吊られているのを見て「おまえ、寝るとき、寒いやろ」と私のために買ってくれた。

 その親父も四か月後、葉桜の頃、半月に満たぬ入院で逝った。
 亡くしてわかる親のありがたみ。というけれどまさにそのとおりである。自分のことを心底心配してくれるのが親である。さんざん苦労や厄介をかけても見返り一つなく尽くしてくれたのが親である。
 せめて万分の一でも恩返し、と思うだけで不幸の数々、それでも恨みに思うどころか、80歳越えても子の心配。
 せめてあと2,3年生きてくれればと私が言えば、神や仏の罰が当たろうというもの、これ以上いつまで情けない息子に気苦労させられるのかと死んだ親に叱られる。
 私に子でもいれば、また、子の為に私が苦労することで親の恩に報いることもあるが、それもない。もうすこし、もうすこし、生きて、少しでも喜ぶことをしてあげたかったと正直思っています。しかし、千遍いっても、せんないこと、墓に布団はかけられません。

 親と子は深い絆で結びついています。しかし、やがて寿命からすれば当然親が先に逝くはずです、どうしても避けられない別れ「さらぬ別れ」があります。60歳近いいままで親が元気でいてくれたことだけでも親のありがたさを感じなければなりません。
 さいごに伊勢物語にみる親子の、さらぬ別れ、の歌を紹介します
長らく離れている
老母
老いぬれば さらぬ別れの ありといへば いよいよ見まく ほしき君かな
子(在原業平)
世の中に さらぬ別れの なくもがな 千代もといのる 人の子のため
在原業平はこの返歌をしたためながら母を思ってひどく泣いたそうです。
 息子に「おまえ、寒かろう」と厚手の夜着を買った親父を思い出すとわたしも涙がこぼれます。

2010年12月4日土曜日

桜散る木下、銀杏の枯葉舞う下、そして涅槃

 もうバカバカしいことだが再び自転車を徳島に向かって運んだ。初めから置いておけばいいものをつくづく見通しのない日々を送っているなと思う。
 一日で運ぶのは疲れるから今日は国府まで乗って運んだ。
 私の場合自動車を持ってないので足は自転車か列車になる。吉野川での就活は限られたものであるし、また働く中心はやはり徳島、そんなわけで佐古までの定期とマイ自転車を組み合わせ就活の足にしようと考えた。
 とりあえず昼に出発して2時半には国府の神社で休んでいた。
今日は昨日と違って午後は風もなく自転車に乗るには最適の天気。青空のもと昼過ぎでも赤っぽい柔らかな日を浴びてここ国府の神社まで来た。遠くの山がはっきり見えるくらい澄んだ透明な初冬の空気の中、境内には大きな銀杏の木から枯葉が舞い落ちている。
 真黄色になった銀杏の木は半分ほど葉をすでに落としており、地面は黄色い枯葉が覆っている。
 自転車を玉垣のそばに止め、銀杏の根方に坐る。はらはらと落ちる葉をしばらくぼんやり眺める。なんて静かで、平安に満ちた午後だろう。子供の声が遠くでしているから決して静寂ではない。が、ともかく静かで平安を感じるのである。
 私の心の中は静か、平安とは程遠いのにである。こころの苦悩、不安はどうしようもなくあるのに、一方、この根方に坐って享受している静けさ、平安はどうだ。透明な大気を通して日の光は直接私の顔にあたっているがそあれはあくまでも柔らかく肌を愛撫するように心地よい。風は全くないのに葉はひとひら、またひとひらと落ちていく。
 私の頭に涅槃という言葉が浮かんだ。難しい意味などは知らない。しかし、この静けさ、平安を感じながら今ここで生を終えたなら・・・・・・・・・・これこそ涅槃の境地で往生することではないのだろうか。
 ものみな凋落をしめし、枯葉舞う境内、すでに傾いた日を浴びながら、冬まで生きられぬ秋の虫のようにゆっくり動かなくなって生を終える。こんなことを夢見た詩人はいないのだろうか。
 ちょっと思いつかない、詩人にも秋好きと春好きがいるようで、私の好きな西行は、春、花散る桜の木の下で私がいうところの涅槃の境地になったようである。それは次の有名な和歌によって察せられる。
「願わくば 桜の下にて 春死なむ その望月の 如月の頃」
 西行さんはこちらが涅槃だったようで、じっさいその季節のおまけに望月の頃亡くなったそうですからすごいですね。ほんとの詩人はこうでなくっちゃ
 まあ、現実の幽体離脱はせいぜい15分くらいで、やがて国府駅の自転車置き場に自転車を置きに向かいましたわ。
 なかなか涅槃の境地で往生するのは難しそうです。
 

2010年12月3日金曜日

砒素のひそひそ話

燐から砒素へそして 
 根源的な問いに答える科学的な分野は非常に面白く、われわれ素人でも大いに関心をよせる。それは幾つかある。「宇宙はどのように誕生したか」 「人類はどのように進化したか」 「脳のどのような働き、機能が心を生むのか」 そして「生命はどのように誕生したか」などである。
 どれも我々の存在のルーツを探る、そしてもっとも根源的な問いである。
今日の新聞に、生命の誕生に関する重大な発見をアメリカのNASAが発表したと、載っていた。
 それは燐の代わりに砒素を成分とするバクテリアの発見のニュースであった。生命の定義の一つに「生殖」、いや、いいかえると「わが身と同じコピーを作り出すことができる。」というのがある。どのような生命体もこの働きをもっている。そしてそれはDNA、(ごく一部の種類はRNA)という物質に依っている。
 そのDNAの必須元素が燐、P である。DNAは燐を含む化合物である。だから生命体は燐がなければ存在できないと考えられていた。ところがNASAは燐の代わりに砒素を取り込んでDNAもどきを作るバクテリアの発見を報じたのである。これは衝撃的な発見である。
 砒素は高校の化学で習った周期表を思い出してもらえばわかるが、燐と同族元素である。そのため他の元素よりは性質が似ている。だから燐の代替で遺伝情報を満載した物質DNAに似た物質ができる可能性はある。実際に砒素を取り込んだバクテリアの発見はこの可能性を証明するものではある。ただ、わたしがもっと知りたいのはこの砒素の利用が緊急避難的な一時なものかどうかということである。
 しかし、いずれにしても生物にとって有毒とみなされた砒素を生命が利用することは驚きの発見であり、生命の活動領域がグッと広がったことを意味する。
 このことは記事を続けて読めば、過酷な地球外環境、燐が存在せず、砒素があるところつまり宇宙でもそれらの元素を使った生命体の存在の可能性を示唆していることからもわかる。
 記事はここまでだが、ここでやまさんはちょっと考えた。砒素が同族ゆえ置き換わることができるならじゃあ生命体の大部分を構成する元素の炭素は?炭素の周期表の一つ下の同族は珪素、Si である。上記の記事から容易に類推されるのは珪素を主とした生命体の可能性である。
 おそらく生命化学者は否定するだろう。やまさんも昔化学を少し勉強してたからわかるが、珪素化合物は、炭素化合物が有機物と呼ばれるほど無限に幾種類もあるのに対し、極めてすくないのである。これでは複雑な生命の原形質を作れない。やっぱり珪素の方はダメか。
 しかしここではたと思い当った。生命体ではないが今のコンピューターの中心の素材は、確かシリコン、珪素が主ではなかったか?われわれ炭素生命体の次代が珪素のコンピュウターに置き換わり、炭素生物がやがて滅びるとするなら、これは炭素から珪素への流れではないのか。
 生命科学の興味は尽きない。
怪しい元素、砒素
 砒素の化合物は猛毒なものがほとんどである。だから上述の記事にはこの意味でもびっくりである。この化合物、中世以前より知られており、たぶん金属などを精錬するとき昇華によって坩堝などの上部に付着したのだらう。
 歴史的にはこれ、毒薬として用いられました。目立たず、気づかせず、そして力も度胸もない実行者でも容易である暗殺手段でした。飲ませて幾日か経って殺すこともできたため、毒見もあまり役にたちません。第一どこで毒を盛られたのかも日がたてばわかりません。またすこしづつ服用させれば昔のこととて病気のじょじょの悪化としか見えません。まことに都合の良い毒薬です。
 でも砒素化合物の入手は金属精錬過程での昇華(蒸気から直接結晶させる)という、昔でも錬金術師まがいのことをしなければならないので、普通の人は困難でした。
 主に王侯貴族、宮廷のなかで用いられたとおもいます。思いますというのは毒殺の場合、残った遺体から砒素が発見されれば証明の一つになるが、歴史的に有名な王侯貴族の遺体を毒殺鑑定に出すことは難しいのである。
 日本でも時代劇にお殿様の暗殺に「鴆毒」(ちんどく)という怪しげな名称の毒薬が登場するが、これは砒素化合物と考えられている。
 砒素と並ん歴史的に怪しい化合物がある。それは水銀である。こちらも毒殺に用いられたが砒素の方が効果は上だったようである。こちらはむしろ「毒、変じて薬となる」のたとえのように少量を薬として用いた。江戸時代、かなり症状のでた梅毒の特効薬として使用されている。
 この梅毒の特効薬の使用は文献にも残っていて、蘭方医の秘薬扱いされている。
 怪しい化合物、砒素、水銀にしてもごく微量だと強壮剤になるという話を聞いた。今は用いられないが、昔はそれこそ怪しげな薬に使われたようである。王侯貴族が求めた不老長寿の薬はこれらで作られていたという話もある。でも毒殺といい不老長寿の薬といい、正史には取り上げられない話なのでホントはわからない。

芸術的な毒殺者チェーザレ・ボルジア
追伸 今日、てるさんの真似をして出来島のハローワークからJ訓練校を経て二軒屋駅まで、てくてく歩きました。学校では先生にお会いしてムービーメーカーの使い方の一つを聞きました。訓練生だった方もここで働いていらっしゃってごあいさつしました。

 

   

2010年12月2日木曜日

朝早くから病院へ

半日病院
 早朝より病院の診察準備。7時前にいったん病院へ行って予約しなければならない。幸い、総合病院だが家より近いので助かる。それからいったん家に帰り、9時前にいく。
 早朝予約しても、検査などあるから半日はかかる。
 この病院、吉野川のハローワークと50メートルくらいしか離れていない。ほとんど隣。検査や薬、会計など待つ間、3回ハローワークを出たり入ったりする。病院の待合で過ごすよりこちらの方がよい。
 こどもの時から病院は大嫌い。あの消毒液と何か得体のしれないものの混じった匂いを嗅ぐと心のなかに暗いものがジワーと広がってくる。
 老病死は密接につながり、生きとし生けるものの定めだろうが、できれば老から死へ直接つながりたい。具体的には、いわゆる、ぽっくり逝くというの。老も死も逃れることはできぬが、病は避けることができる。死の寸前まで少なくとも病院のお世話にならずに逝けたらどんなにかいいだろう。 
 京都あたりは「ぽっくり地蔵さん」がたくさんあり、大往生をねがうお年寄りの信仰が盛んだが、徳島はあるのかしら

 来たくない場所で、少し痛い目をし(血管から血抜く)おまけに薬代検査代をふんだくられ、後日、あけてびっくり玉手箱のような結果待ち、とできればなくしたい半日でした。
地蔵信仰 
 みなさん。だから健康には常に留意して、食べ物、運動、睡眠、ストレス、便通まで、しっかり管理し病気を避けましょうね。
 ここで妄想ワープが始まります。じゃあ、江戸の裏長屋に一人住まう天保時代のご隠居の桃山のじいさんはどうなんだろう?捨て扶持で何とか食べてるようだが、独り身で偏屈で頑迷・固陋のじいさん、病だとて誰も看取りはすまい。この時代、薬、医者とてたいしたことあるまい。だいいち、薬代もままならぬはず。
 病から一直線に死へ、
 でも多くの貧しい庶民の大半はこんなもの。それゆえかこの時代、盛んだったのが地蔵信仰。苦しい時の神頼み。
 お地蔵様は俗世間に近い存在の仏様。救いも身近で救済も早い、まあ、救急外来のような仏さん。そのため如来さんや、観音さんは浮世離れしたお衣装を召されていますが、地蔵様は法体(僧侶)姿です。俗塵にまみれて救済を施すためです。
 おまけにすぐ行動できるように、立ち姿であるばかりでなく、今にも動き出さんばかりに片足を一歩踏み出しています。まことに、救いのない人々にとってありがたい頼りになる仏さんです。
 桃山のじじいさん、最近、とみにこの信仰に凝ってるようです。なるほどと思いますね。
 二年前、夜中の大きなうめき声で発病したのが最初。最近他の病気も出たみたいで弱っている様子。出歩くたびに各町内に一つはある地蔵の前でぶつぶつ祈っています。
 この仏さんもう一つ重要な特徴をもっています。それは地獄にまで出かけて亡者を救う仏さんなのです。なんと!地獄に落とされた人まで救いの手を差し伸べるのです。
 そのため長屋の他の住人達は、
 「じいさん、さんざっぱら、悪事を重ね、今頃になって地獄に落ちるのが怖さに、地蔵さんにすがろうって魂胆さ。」などと陰口をたたかれています。
 金もない、身寄りもない、その反対に病と小悪は背負えないほど持っている、こんな人でもすがれるありがたい仏さんです。宗旨、宗派も関係なく、どこにでもいらっしゃり、野や山に野ざらしでおわすのが地蔵様なのです。
 おねがい、やまさんも救ってください。

2010年12月1日水曜日

おしらせ

コメントスパムで消えるケースが多いです。お手数ですが時々、ダッシュボードのコメントをクリックし、スパムをのぞいてください。
 スパムとは何ぞや?スパッと消えてムッとするから。一回解除しても何回でも起こりますよ。

緊急避難の港から嵐の外海へふるふる嫌嫌、出発

今日はチャカチャンリン、チャンリンと
途中で置いてあった自転車を朝。列車に乗って取りに行き、出発。
 朝から曇りの昨日と違い、柔らかな日差しがあり暖かく、ペダルをこぐ足も今日は軽やか。
チャカチャンリン、チャンリンと、はや、鮎喰の橋に。
 橋を渡り旧道へ




途中にあった天狗久、の碑。文楽人形の頭作りの名人。鮎喰の西側の土手下にある。













国府の御和神社の大銀杏、黄葉が美しい。







もう昼までには吉野川市についておりました。
昼からはボーッ、虚脱状態
 思ったほど疲れた感じはなかった。でも、なんだかボーとして物足らなく、力も抜けたよう。昨日までは毎日を訓練で過ごしていたのに今日からは・・・・・・・
 いかんいかん、訓練の目的は我の雇用能力を高めること、さっそく雇用に向けて活動せにゃいかんいかん。中にはすぐ就職を決めた人もいるのに、私も慌てにゃ。
 でもきびしいよ。還暦の爺やんが職を見つけるの。
 やまさんってガキの時から甘いんだよね。小学校の時は予防注射が嫌さに休んだりしました。結局、あとで一人病院で無理にやられました。毎回、夏休みの宿題は8月31日までのばし、叱られ、半泣きでしました。さように何でも嫌なことはあとまわし。
 大きくなってもモラトリアム人間はかわらず、あわよくば、おもしろおかしく全国を放浪し遊んで暮らそうなどという不埒な考えに憑りつかれてました。
 寒い時、朝、暖かい布団から出るのは誰も嫌、でも学校や仕事のため出て準備しなければならない。みんなはさっさと飛び出てるのに、やまさんは、駄々っ子のように「いやいや、」と布団で増々丸く体をちぢこめ潜り込む。
 あーあ、今回もおなじ。
 三か月、世間という外海から、緊急に防波堤の港に停泊しただけなのに、外へ出たがらずぐずぐず。
 60年生きてれば自分の悪習もよくわかってるのに、だめだねえ。
 ふるふる嫌嫌、出発しなければね。いけるかしら。
みなさんの庭にこんな雑草ありませんか

冬から春にかけて極めて生命力の強い植物です。
葉はロゼット状といい、タンポポの葉のように放射状に地を這うように地面を覆います。ご覧のように
 5年くらい前からうちのにわで見かけだしたかと思ったら、爆発的に増えていきました。 
 
図鑑で調べ、インターネットの画像で見たところ、ウラジロチチコグサと判明しました。熱帯アメリカ原産で生命力の強い雑草。葉の裏が白いからこのようなネーミングになったのでしょう。帰化植物がのさばってますね。

裏返すと葉は白い