まずこの動画の歌を聞いてください。
懐かしい歌です。小学校の時に歌った記憶があります。そして歌いながらリアルにこの水車が働いているところをイメージしました。というのも私が小学校のころ近くの江川に小屋かけの水車が二基実際に動いて穀物などを脱穀したり精米していました。なんどか見に行きました。歌のように断続的に大きな音をたてていました。この歌の擬音は軽快な「コトコトコットン」でしたが、もっと迫力のある「ゴットン、ゴットン」という音がふさわしい気がしました。
子どもでしたがその流水によって動くメカニズムに大変興味を覚えました。見た子供はみんなそのメカニズム(水車の機構)に引き付けられたんじゃないかな。電動モーターや石油発動機と違い、その機構は単純で小学生にでも理解できるものでした。クラスの中には夏休みの工作で木で小さな水車小屋を作った子もいました。水を垂らすと模型ではあったが水車の車輪が回り、小屋の小さな杵が臼を搗く仕組みになっていました。自分もこんなものが作れたらなぁと羨ましく思ったことを思い出します。
この私のようにリアルで水車が働いているのを見た人はもう70歳をとうに過ぎていることでしょう。若い人の中には「いんや、ほんなことあれへん、いろいろな水車がうごっきょるのを見たことがあるわ」という人もおられるでしょうが、「リアルな水車の働き」ということに焦点をあてたばあい、動力として水車を使い、水車小屋の中で何かの仕事をさせる、というような水車は今はほぼ絶滅しました。若い人が見ているのはまず観光用とかアトラクションの水車とみていいでしょう。
水車は結構古く、平安時代から作られ働かされていました。平安時代の水車は「揚水」、つまり水を川から高い位置に上げるために用いられたのが主でした。今、大河ドラマ「光る君へ」で平安絵巻がくりひろげられています。寝殿造りとともに広大な屋敷の泉水・池も出て来ますが、川から屋敷までの高低差があるにもかかわらず、その泉水・池に水が流れこんでいるのは「揚水水車」が使われ、水を上げているからでした。大河ドラマでは牛車の大車輪は出てきますが、揚水水車の車輪はチラとも見ませんね、これからも出ないでしょう。でたらおもっしょいが、ドラマの筋と関係ないから無理だろな。さて、この時代の揚水水車は次のようなものと思われます(これは鎌倉時代の絵巻物・石山寺縁起絵巻より)
江戸期になると大車輪の動力水車がたくさん作られるようになります。脱穀精米以外にも手工業(酒造、窯業)、また例は少ないですが繊維業(織物、紡績)にも用いられています。こんなのを見ると江戸期は産業革命の前段階を順当に踏んでいるのじゃないかと思ってしまいますね。下は北斎富岳三十六景より、隠田の水車、大掛かりで水の量も多く、かなり大きな馬力が出たのではないでしょうか。
4~5日前のローカル紙に山城町頼広の黒谷川・半田岩の水車小屋が載っていました(この付近はホタルの見学・観光で売り出しているので新聞掲載はその広報活動の一環だろう)。もちろんいわゆるリアルな水車小屋ではないが、新聞で山間のこの水車小屋を見た時、子供のころを思い出して懐かしくなり、昨日友人をさそい見に行ってきました。
残念なことに数日前の大雨で樋の導水管がつまって少量の水しか落ちていないので水車の車輪は回っていなかった。
2 件のコメント:
水車 風流があっていいですね。
ドライブイン大歩危ですか?
美味しい物を食べて良い時間でしたね。☺️
>>テルさんへ
今週はいい天気が続くようです。暇なときはどうされているのでしょう。北山の例のところのバイトはやっていますか。またお会いして近況やお話ができればと思っています。
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