皆の心にあるもっとも古い記憶を思い出してほしい。自ら認識できる自分史の太古・原初の記憶である。どのような記憶だろうか?
当然遡れば遡るほど記憶はあいまいになり、そのぼんやりした記憶の断片のどれが最も古いかは弁別も難しくなる。三島由紀夫の小説の中でもこのもっとも古い記憶の回想が出てくる。主人公はなんと生まれたばかりの産湯の記憶が残っているというのだ。これは遡れるもっともふるい記憶だろう。この小説は自伝的小説なのでその記憶の主は三島由紀夫自身であるといわれている。ちょっと信じられない気もするが、たまにそのような記憶を持つ人も幾人かは存在する。ただし記憶として本人は認識しているが、それが果たして本当に経験したことか、それともあまりにも幼く何かの思い込みが記憶として脳の片隅にインプットされたのかわからない。しかし本人は経験したと思っている記憶である。
私の最も古い記憶はいくつかの古い記憶の中から確実にこれと言える一つをあげることができる。それは夜中たぶん家の庭で、負い子袢纏(ねんねこ)にくるまれて母の背中に負ぶわれてあやされているようで、私と言えばアンアン泣いている。だから年齢は乳児に近いころだろう。これが最も古い記憶と私は信じている。そしてアンアン泣きながら母の背中から空を見上げている。その場所も状況も地上の夜景もはっきりしないが、見上げた空にあった丸い月は鮮明に頭に焼き付いている。その夜空にあった満月の強烈な印象は70年以上たっても消えない乳児の記憶として残っている。それからしばらくして母は父と離婚して家を出て行った。だからこれ以外の母の記憶はほとんどない。
夜空の月を見ると人はなんとなく物悲しくなるといわれているが、私の場合もそのような月の記憶があるだけに月、特に満月をみるとよけいに感傷的になった。青年期になって世界や宇宙を客観的にみられるようになっても月は「感傷的」であり、かつ「不思議なもの」であった。
青年期(大学時代)のある満月の夜、布団に入っても寝付かれず「月」について考えていた。
私は「生」をこの地球の上に受けている、その我が地上の「地球」よりも「月」がもっと不思議で神秘的な天体だと思う。他の惑星(木星や土星)の衛星にくらべるとその比率は異常にデカイ、何より不思議なのは、地上で見る太陽と月はほぼ同じ大きさだ(だから皆既食も金環食もおこる)そんなほぼピッタリの大きさってありか?信じられない一致だ。自然にそうなったと思うには無理がある。そして月の形は三日月~半月~満月~と変化をとげ、その周期がほぼ一か月となり、人間生活の基本的なリズムをなしている。
もしも、もしもだが、月がなかったら、はたして知的生命としての人類は誕生しただろうか、いや、もっとさかのぼって生命は?この頃よく読んだ科学雑誌にそういえばあったっけ、月による潮汐によって生じる海岸の干潟のようなところで低分子有機物が縮合・重合されて複雑なタンパク質や糖とリン酸の長い鎖の高分子物質(RNA)が作られ、そのような化学進化からとうとう生命が誕生したと。もし潮汐がなかったら干潟もできないから生命の誕生は無理かもしれない。(生命の誕生場所について他にもいろいろな説がある)
わたしにとってはそのような不思議で神秘的な月だったが、科学探査は月のそのようなベールを剝いでいく。私が小学校三年生の時、人類は直接月と接触したニュースを聞いた。人工衛星でもアメリカを出し抜いていたソビエトが月に人工衛星をぶち込んだ(衝突させた)のである。処女地の月にはじめて人類の人工物を送り込んだのである。そして私が中学三年生の時、ソビエトは人工衛星の月着陸(激突ではないから軟着陸という)に成功するのである。ソビエトに一歩遅れを取っていたアメリカは国家をあげて月探査に力を入れ、私が高校三年の夏、とうとう人類を月面に立たせるのである。
何より驚き感動したのは、人類が初めて月に一歩をしるした時、月面からの「生中継」(ライブ映像)を日本でテレビで同時に(同時通訳とともに)見られたことである。まだ私の高校は夏休みにはなっていなかったが、もう数日で夏休みということで授業は短縮、すでに一学期の成績も確定し、教科書も学期分は消化していたので、クラスに一台づつ備わっていた(白黒)テレビを朝からずっと先生も含め全員で視聴していた。ライブ画面から第一歩を踏み出すのを見、米人宇宙飛行士の月面からの第一声も聞いた(英語はよくわからなかったが同時通訳で意味は分かった)
その時は、月面着陸そして人類第一歩ということでそれだけで感動したものだが、以後半世紀以上もたってジジイになり悪知恵がついてくると、別の「すごさ」を感じている。
第一はアメリカという国の持つパワー、ポテンシャルのすごさである。国家計画の中でアメリカが遂行した他国にはまず真似のできない巨大なものが二つある。一つは原爆開発の「マンハッタン計画」、そしてそれに劣らない人類を月に送る計画の「アポロ計画」である。マンハッタン計画というのは原爆製造という軍事そのものだが、アポロ計画もよく考えるとすべてと言っていいほど軍事技術の応用・実践である。考えると月面着陸できるほどのロケット技術開発は、大陸間弾道弾・ICBMよりずっと難易度が高い。つまりアポロ計画が成功するということは宇宙空間から高速かつ高い精度で地上のポイントを狙えるということである。核ミサイルによる恫喝が最高潮に達した「キューバ危機」の時の米大統領のケネディがアポロ計画の音頭をとったことを考えると、アポロ計画は優秀な核ミサイルの誇示、敵方への恫喝と見て取れる。
そして第二のすごさは、なにがなんでも(歴史に残るであろう、人類月に立つ!)と、まるで(私の感想だが)狂気のような意志である。これは決して褒めた言葉ではない。「狂気のような」と形容したが、このような意志でもって目的が完遂されることは非常に少ないといっていいだろう。1969年のあの、人類月に立つ、という偉業は結果的に成功したが、その難易度の高さはいかほどのものであったのだろう、と今考える。一部ではラクダを針の穴に通すくらい難しかったとも言われるほどである。犠牲者もでた(表面に現れず、知られない犠牲もあるだろう)。20世紀の60年代に人類が月に行った、というのは、今になってみるとほとんど信じられないほどである。このアポロ計画以後、半世紀以上たつが、以後、人は月にはいっていない。
高校三年の夏、月面を歩く人類を見たとき、さほど日月をかけず、やがて月に有人基地ができ、そこをベースに月面各地にキャンプもでき、人類はいろいろな月面活動を次々続けるだろうと思ったものである。ところがその後はどうなったか?50数年たってもご存じのような状況である。理由は二つ、そもそも人類を月に送り込むのは大変難しく、あのアポロ計画が成功したのは僥倖だったのではないかと思っている、そうすると再チャレンジが続くと、きわめて難度の高い有人の月面着陸での即死事故のライブ映像もあり得るわけで、最初の成功の栄光がものすごかっただけにそのような世界中が悲鳴を上げるような失敗は犯したくないだろう。それともう一つは、月面探査は無理に有人にしなくても発達した無人の探査機器によって充分行えていることである。歴史的偉業は人類初めて月に立つ、の第一回が成功して、歴史にしっかり刻まれれば、以後の探査などは安全な機械に任せればよいのである。結局、以後、月軟着陸および探査は、ソビエト、中国、インドが跡に続くが有人飛行は今日まで半世紀以上ない。
さて、ここから今日のブログの「ご謙遜を・・・もっと誇ってもええんとちゃうか」の本題に入っていく。先に述べたように現在、月に軟着陸させた国はアメリカ、ロシア(旧ソビエト)、中国、インドの四か国である。この四か国に共通するのは核ミサイルを持っていることである。そしてその核ミサイルの飛距離、命中精度の如何は直接、月着陸の人工衛星の技術に結びついている。(地球から月までの距離)38万キロm以上飛び、月面のある特定の地点に着陸させる技術は、地球の重力圏から脱することもなく、たかだか高度数百~数千km、飛距離1万kmほどを飛ぶ大陸間弾道弾・ICBMの技術より格段に上である。つまり月に人工物をとどかせる技術はストレートに大陸間弾道弾・ICBMの技術イコールと思ってよい。
そこに(月面着陸成功)今回、日本が加わったことは数日前の大ニュースだったので皆さんもご存じでしょう。日本はアメリカ、ロシア、中国、インドにつづく第五番目の国となった。世界二百数十か国の中でたった五か国であるから、日本の宇宙技術も大したもんだと思う。しかし、私が注目すべきところは、五か国の中で唯一、日本のみが核ミサイルすなわち大陸間弾道弾・ICBMと全く関係なくその業績をなしとげたことである。ニュースではこのことは強調されなかったようだがもっと声を大にしていいと思う。わが日本の月探査機は着陸に成功したが、残念なことにバッテリーの不具合から活動がかなり制限されるようだ。しかしその着陸ポイントの
精度は百メートル内の誤差で五か国のうちで
断トツというではないか(他は数キロm以上もある)。
JAXA(日本宇宙航空研究開発機構)は謙遜して、「いやいや、成功はしましたけんどなぁ、まだまだですわ、成績でいえば60点、優良可のぎりぎり可ですわ、なんとか落第点とらずにホンマよかったですわぁ」とご謙遜だ。
しかし私は過大かもしれないが「優」の点、80点以上つけてもいいのではないかと思っている。日本の月探査のロケット技術は軍事に特化することなく、純粋に宇宙科学探査のみに打ち込み、また各民間企業も積極的に参加し、民間の力も結集したうえでのこの快挙である。「JAXAはん、ご謙遜を。もっと誇ってもええんとちゃいますか」と言ってあげたい。
一億年前の地球の王者は「恐竜」であった。地をかけ、空を飛び、海に潜り、我が物顔だった。肉食竜は頑丈で力強い顎とナイフのような歯をもち、食物連鎖の最上位に君臨した。「巨大さ」「他者に負けない力、爪、歯の武器」、敵う生物種はいないはずだ。しかし、恐竜には次の新世代の発展はなかった。次の時代を担ったのは、恐竜の陰に隠れた取るに足らない小動物、毛の生えたネズミ様の生き物・哺乳類だった。貧ちょ小んまい、チョロチョロするケモノがなぜ恐竜の跡を継ぐことができたのか、それは巨大にもならず、一方向に体を特化させず、小さいが効率の良い体であったためである。このことを考える時、軍事技術に特化しすぎたロケット技術をもつ四大国より、小さくて力は弱いが、精度がよく、チョロチョロと小回りの利く日本のロケット技術に次代をかけてみたくなる。
日本のこの月探査機は「SLIM・スリム」というそうだ。ほっそりとしてスマートという意味か?なるほどデブよりほっそりしている方が難なく着地でき、踏み台からとぶ三段跳びでも狙ったところに着地できるような気がする、だからなのか?しかし新聞をよく読んでみるとこのSLIMというのは「Smart Lander for Investigating Moon」の略であるとの説明がある。だがこれは単なる略とは思えない、先に述べたイメージもあわせもつように考えられたネーミングであるような気がする。
と、褒めつつ、半分ぼけてきている私の頭はなぜかこのSLIM・スリムを聞いて、嫌らしいことに女性用生理用品を思い浮かべた。なぜなんだ?そんな商品名があったのか?生理用品にチャームナップ・ミニはあるが、スリムという女性器タンポンなんてあったっけ。こうゆときネットは便利である。調べるとそれは商品名でなく、チャームナップのタイプ類型の一つに「少量スリム」と名付けられているのがある。それがどっかで頭に密かに入ったものか、スリムと聞いてタンポンを思い浮かべたのである。呆けたジジイはしゃぁない!