坂本龍一さんの訃報を一昨日耳にした。常々偉大な音楽家であることを聞いていた。私も若い頃チョロッと楽器をやったことがあり、さまざまな自分の好みの曲を自演しながら鑑賞したものだったが、一世を風靡したとも言っていいYMOの音楽は私より少し下の世代からの支持が多くなるようで、ちょうど私がキーボードの練習から始めてそれにのめり込んでいったのは70年代中頃で、私が練習曲に選んだのはその時までの欧米のポピュラーミュージュク、あるいはクラッシックのモダン編曲の曲であった。それをキーボードでやっていたため、後発(78年以降)で爆発的人気となったYMOの音楽はほとんど馴染みがなかった。それでも80年代頃には世にずいぶんもてはやされ、年下の後輩の車に乗るとYMOの音楽がカースピカーから流されていたり、また巷でも聞く機会が多くなった。私もキーボードをやっていたこともあり、当時はやりのシンセサイザーを駆使する彼らの作曲・演奏姿勢に興味がわいたのを思い出す。だがYMOの音楽のファンとまでは言えない。
坂本龍一さんについて個人的に印象に強く残っているのは映画『ラストエンペラー』の中で満州国の日本将校「甘粕 正彦」の演技であった。甘粕 正彦は実在の人物であるが毀誉褒貶が多い人で、一言では評価できない人物である。歴史好きの私でもあり、このような大物・黒幕的な人物、また見た目もかっこ良い帝国軍人を誰がやるか、と思っていたが、そのキャストが坂本龍一だったのである。かっこよさ、知性、そして軍人らしいシビヤーさ、どれもぴったりのような気がして私としては満足のいく配役であった。この人は演奏も一流、作曲は天才肌、俳優としても評価が高いすごい人じゃなぁ、と感嘆したのを覚えている。
一昨日訃報を聞いた後、今日もさまざまな分野の人から惜しむ声のコメントが載せられると同時に彼が最後の作曲に取り組んでいたのが校歌で、それも昨日徳島に開校した「神山まるごと高専」のそれであったのには、わが徳島県人としておどろかされた。早速ヨウツベなどで検索したがまだ完成していないのか、聴けなかった。もし未完でもなんとか校歌になるようつなげられないものだろうかと思う。
彼のような天才肌の音楽家・作曲家をみるとき、このような才人を生み出すのは天賦か環境か、二者択一ではないにしてもどちらが与って大きいのだろうかと思ってしまう。そんなことを考えると大昔(1985年製作)見た映画「アマデウス」のモーツアルトとサリエリの確執を思い出す。サリエリは努力家であり、幼少の頃は音楽的な環境には育っていなかった。自己研鑽の結果音楽家となった人である。対するモーツアルトはよちよち歩きの頃から音楽家である父の手ほどきを受け、幼少時より天才的な演奏・作曲の腕を見せる。
そして二人が出会ったとき、サリエリは、当時のウィーンの宮廷での名声はあるにもかかわらず、とても自分は敵わないと瞬時に理解する。天才の前の凡人の悲哀をかみしめるのである。
坂本龍一氏はどちらだろうか、これはモーツアルト型の才人であると言って間違いはなかろう。彼は学者、セレブの多い家系に生まれている(音楽家に生まれたモーツアルトとかさなる)、父は学者でこそないが、あの三島由紀夫や中上健次を担当した編集者である。そして幼稚園・三歳児からピアノを習う環境にあった。そして東京芸大に進学、彼の手がけた作品はどれも評価の高いものである。モーツアルト型といってもいいのではないだろうか。
天賦は神から与えられたものである、というふうに私も納得できるが、いい環境に生まれ、すくすくと才人に育つことについては、ちょっと神も不平等なことをするなと思わないでもない。
以下はしょむない、私の個人的な音楽との関わりです。
幼少時からいい音楽的環境になかった私である。同年代の小学生の中には医者やいわゆるオブゲンシャ(お分限者・金持ちのこと)の子どもも何人かいて、は家にはピアノ、あるいはヴァイオリンなどあって田舎ながらも習わせている子が何人かはいた。しかし私の接する音楽はラジオで歌謡曲を聞いたり歌ったり、そして学校の音楽の時間、簡単な打楽器を打つことくらいであった。当時の小学校の音楽では全員に笛やハーモニカ、ピアニカなどは持たせていなかった。全体的に貧しい家庭が多かったからである。もちろん家には楽器などはなかった。
20代の後半になって稼ぐようになって電子キーボードを購入し、初歩から(コード進行等など覚え)の社会人レッスンを受け始め、そのうちポピュラーな曲を弾けるようになった。そして30代になると国産の安価のアップライトピアノを購入した。しかしピアノを段階を踏んだ練習曲からやるには遅すぎた。音感も、指や肘の柔軟性もどうしたって幼少時からピアノをやっている人には敵わない。電子キーボードでおぼえたコード進行で適当にアレンジし好きな曲をピアノで弾くくらいだった。
結局、三十代後半、もっとも到達した時点の私のスキルと言えば、なんとかピアノのグレード認定官のまえで一番易しいモーツアルトのハ長調ピアノソナタを弾けたことと、簡単な楽譜を所見で弾けるくらいまでだった。その後いろいろな事情もあり、電子キーボードは知り合いに譲り、アップライトピアノは中古品として引き取ってもらい、家に楽器は無くなった。それとともに趣味でキーボードやピアノを弾くこともほぼなくなった。
ごくたまに、ずいぶん大人になってピアノなどをやり始めてもかなりな腕前に到達する人もいるが、それもよくきくとだいたい子どもの時から何かの楽器、笛でもハーモニカでもいいが、それをやった事がある、また楽器はなくとも、耳で聞いた歌を正確に歌うことができ、楽器はなくとも、結果的に、いわば自分の声という楽器で練習をした、という経験がある場合がほとんどである。
裕福な音楽環境になく明治生まれの浪曲好きの祖父母に育てられた私が、20代後半になっていくら楽器をやろうと思っても到達できるところはだから上記の状況が精一杯、絶対音感はどうしても身につかなかった。趣味でやるにはそれで十分という人もいようが、ピアノまで購入してやり始めたから、趣味よりは少し抜きん出るくらいには(人前で少なくともクラッシックな曲を演奏できるくらい)達したかったが。まぁ、いまとなっては家に楽器などなんもないのでどうでもいいことではある。
2 件のコメント:
やまさん、すごいなあ。ピアノが弾けるんですね。
自分もキーボードには憧れたけど、練習がいやなんでせんかった。バカっぽい理由だ。
YMOは今でも好きだ。コンピュータで音楽ができるようになって、やってみようともした。シンセサイザーの安い音源ユニットをPCにつないで、演奏させた。
「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「笑点のテーマ」とか。
すぐに飽きて、音源は人にあげた。
昨年、アフリカの素朴な民族楽器「カリンバ」をアマゾンで買った。音色が魅力である。ただ、親指ピアノと言われるように、指で弾くんだが、手が大きいほうなんで、とてもやりにくい。すぐ、断念する。
何をやっても、あかんなあ、わが人生。
カルロスさんへ
コンピューター音楽をやったことがあるのですね。その技術は進歩がすごいと聞きます。今は演奏スキルなど関係なく、まったく弾けなくても、コンピューターがオーケストラのような音を演奏してくれますし、作曲といったって、家の風呂場でふと思いついてなにかオリジナルの一節を口ずさめばそれをパソコンが拾って自動的に楽譜にしてくれますね。
つまり音楽できんでも、その作った曲が大衆受けすれば、流行して金を稼ぎ、音楽家として遇されるようになるということ、いやぁ時代は進歩しましたね。風呂場で面白い一節を唸るだけで、もしかすると、と思ってしまいます。
カルロスさんもコンピューターと音楽の分野にのめり込んでいたら楽器のスキル(上手下手と)とは関係なく、ゲーム音楽やアニメ音楽の大家として大成したかもしれませんよ、残念だなぁ。私ももう20年も若ければそっちの方をやればよかったと思います。
民族楽器の打楽器をやってるとのこと、良いですね、昔私の知り合いに「コンガ」をやっているのがいて、聞いてていいなと思いました、こんな打楽器って、なんか血湧き肉躍る、本源的な生命の躍動感がありますね。
何の趣味をやっても中途半端は私も同じ、でも、こう思えばどうでしょう。歴史上、音楽家も含め芸術家は見事な作品を天才的に仕上げました。王者や貴族はそれを後援し、真価を認め、保護した。対する王者や貴族は、それらの趣味を万遍なくなぞるが決して自らは一流にはなれない。
「王者は臣下と才や技を競うべきではない」王道とはそういうものである。とかんがえれば食い散らかしの趣味もまんざらでは、と思えませんか?
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