この歳になると若いときは経験しなかったような「痛み」を体験するものである。現在、胃もたれと、胃部の鈍痛が続いている。この内蔵(胃)の痛みは鈍痛と言ったが、若いときには経験しなかったようなちょっと言い表しにくい痛みになっている。鋭い痛みでなく耐えられるのだが、なんとも嫌な気分にさせる形容しがたい鈍痛である。
私の友人は最近(ヘルニアか座骨神経痛か)腰の痛みを訴え、昨日あったときもすわるたび「痛てて」と言っている。私もヘルニアの痛みで平成17年の1~2月頃、一ヶ月近くまともに立ち上げれないほど腰の痛みがあった。立ち上がれない痛みには困った。まだ55歳くらいだったがこのまま立って歩けない痛みが続いたらどうなるのか、と心配したが医者の治療の結果ではなく、日がたつにつれ良くなり、また自転車のチューブを切って腰に強く巻いたりして腰の痛みを軽減し、自然に歩けるようになった。でも足の感覚異常はヘルニアの所為で今も若干続いているし、時々痛くなる(腰など)
しかし、痛みを取り去る薬は近年格段の進歩を遂げている。腰の鋭い痛みはもちろん、私の胃部の鈍痛も医師の処方でたくさんたまっているガスター錠を飲めばすっきりするが、注意書きとして痛みを除去することは胃の悪い疾患(腫瘍)などの発見を遅らすので注意してください、とのことなので、ちょっと安易には飲めない。健胃散でまぎらかしている。
なんか前書きが「痛み」となったが、今日の主題はそれではない。実は昨日、ハリー・ベラフォンテの訃報を聞いて「イテテ」を思い出したのである。私がすきなあの有名な(私の子どもの頃)曲、バナナボートのフレーズ
「イテテ、イテテ、イテテ~よぉ」
である。前にもブログで取り上げた(曲も貼り付けてあります)ここクリック
享年96歳十分に生きたと言っていいだろう。ご冥福をお祈りします。
※ この歌、かなり昔の歌だがインパクトがあるせいか、現代でも大リーグで観客どうしで鼓舞しあう時に、デェ~~~オ、デェェェェオ、と数万人の観客が絶叫したりしている。またコミックホラー映画にも使われたりしている。面白いのでこれも下にヨウツベを共有して貼り付けて起きます。
3 件のコメント:
この数年、自分たちの世代の有名人がどんどん、亡くなっていくのを感じる。
それなりの歳になっているから、当然ではあるが、やっぱり寂しいものだ。
こうやって、世代は交代していくんだな。
今の若い人からすれば、誰や? というものだろう。
この流れにあがなうことはできない。
楽しい思い出ありがとうということで、送り出すか。
ロシアのことわざに(ロシア人ってヨーロッパ人の範疇に一応入るけど死生観ってわりと仏教主流のアジアのような達観がある気がします)『人はみんな順番に墓に入る』があるし、日本でも子どもの時ひいばぁさんの葬式のとき、まだ死についてよくわからなかった幼稚園児の私に「みんな順番じゃけんな」と祖父が言ってたのが印象深く刻まれています。
ベラフォンテさんのように享年96歳と聞くと、まぁ順番じゃな、ちゅう気がしますが。でも私の好きな芸術家、文学者はどういうものか若死が多いです、その訃報を聞いたときはかなりのショックを受けました。
とても好きな音楽で私の人生の応援歌のように思っていた大塚博堂、河島英五は30代や40代で、柳ジョージは60ちょいで、またほぼ全巻読んだほどの好きな作家だった三島由紀夫や中上健次は40代で、これなどは先に行った「順番」と言うことは当てはまらず、人の生き死にの無常を感じます。
ヨーロッパの人は才能あって若死にの場合「神に愛されすぎたから天国に召された」と考えているのをモーツアルトの伝記を読んでいて知りました(彼は35歳)、ゴッホなんか肖像画から60代くらいが享年かと思っていましたなんと30代でなくなり驚きました(最近ゴッホの映画をみて知りました)、「神に愛され過ぎた・・」ということで若死した人に対する悲しみがどれだけ癒やされるかわかりませんが、これも残された者の優しい追悼の言葉でしょうね。日本ではそんな言葉は禁句に近いですが。
自分もそのいわゆる「順番」に近づいたせいか有名人の訃報を聞いたときや、昔の映画俳優を思い出した時、ネットのウィキでその享年や死因を見るようになりました。上とは逆に「えぇぇ!この人まだ生きてたんや」と思う人も多いです。名は言いませんが。まさに「老兵は死なず消えゆくのみ」ですが、でも思いがけず生きていてくれればそれは嬉しいです。
人は必ず死にます。死は平等に訪れます。
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