昨日のブログで、ないと思い通り過ぎた「林芙美子の文学碑」が、ひっくりこけながらも存在したことでもあり、もしや、と思い、今日、県庁へ歩いて往復したので通り道にある富田橋・南小公園にあった「国木田独歩の文学碑」をもう一度さがしにいった。
小公園の蜂須賀桜はすっかり若葉になっている。その根方に「蜂須賀桜」と書かれた角材の白い棒杭が朽ちて桜の木に寄りかかっているだけである。何気に近寄ってみると、なんと裏の角材の一面のみに『国木田独歩の小説「波の音」の舞台』と書かれてある。角材は根も頭部も虫食いで朽ちていて、無造作に立てかけてあるだけ、ほとんど廃棄物扱いだ。
「またもや、こんな状態だ、何とかならんもんか、恥ずかしゅうてならんわ、こんな扱いをするんだったら、いっそ、ないほうがまし、なければ嘆きもすまいに」
とまで思った。
さて話題は変わる。国営放送の今ホットな連続ドラマは、今週から始まった朝ドラ「らんまん」と毎度おなじみの大河ドラマ「どうする家康」であろう。
らんまんを始めから見ているがなかなか面白く、これからよほどがっかりすることがなければ毎回最後まで見そうな気がする。まず
オープニングにとりどりの野草の花が出てくるのが見ていて気色がいい。ちょうど
今春爛漫(はるらんまん)、今朝も汽車に乗りながら車窓からご覧のよう春の花々を撮影した。オープニングの多彩な花々はどれも野生であろうから、今日撮影した栽培種の桜や藤はちょっと違うが。
しかし今、野原に出れば野生の花々が爛漫と咲き乱れているだろうが・・・・・
と、留意するのはなぜだかわかりますか?牧野の富ちゃんは明治生まれくらいだろうと思っていたがゴッつう長生きしたため、なんと生まれは江戸時代・文久二年(1862年)つうから今日の朝放送したくらいの子供時代ならまだ慶応時代(~1868年)、江戸時代最末期である。さて今日この頃、この徳島の野原も爛漫と草花(野生の)は咲き乱れているが、牧野の富ちゃんの幼年時代の野原とは大きく違っているものがある。どこが?
それは現在の野原の野草の花々の大半は、明治以降入ってきた「帰化植物」の草花なのです。だから牧野の富ちゃんの幼少時、原野や山林を逍遥し、野生の植物を観察したのはほぼ土着の日本の草花ばかりだったのです。オープニングの美しい野生植物や花を見ながら、そこのところは、少なくとも植物好きの人は留意して見ねばならんなぁと思います。(現代の帰化植物がチョロリとでも出たらクレームをつけるほど意地悪ではありませんが)
それにしても植物学者の大家として名を成す牧野の富ちゃんも、4月4日のブログでも述べたように、やっぱ、
いい環境にお育ちになったんですねぇ。造り酒屋の
坊ちゃん、地元の名士、外へ出て「花よ蝶よ」と追いかけても不都合のない育ちです。作物を作ることに精いっぱいで雑草との戦いに明け暮れる水呑み百姓の子せがれとは違いますわ。なかなかそんな環境では名もなき雑草などに科学的な目をむけられませんわな。
まだ大人になった主人公は登場しませんが、いいとこのボンボンらしい子役が好演しています。脇役だが坊ちゃんのお守り役の子供もなかなかかわゆくて、私の好みではこの子に名演の素質がある気がします。大人になってもお守り役をするのかしらん。竹雄君というらしい。エエ子や。
さてもう一つの連ドラ・大河、こちらは、一回見ただけで(独断と偏見かもしれませんが)もう、半分あきれて見切ってしまいました。去年の大河も、ボケと突っ込みの漫才のようなタメ口に閉口しましたが、今年の大河もなんちゅうたらええんかなぁ、私の見解ではミスキャスト、テンポがおかしい、エピソードが仰天過ぎる・・等々、実はもっと上げたくなりますが、まぁこれから見るつもりはないので詳しくは言いません。
一言だけ(いや二言かな)、先日見ないといいながら、15分びゃぁチョロッと見ました。
明智光秀の
爺さんのような風貌は、あれは
よかった、事実、明智光秀が活躍し歴史の脚光を浴びるのは人生五十年の戦国の世にあっては彼の年齢(50歳過ぎる)は十分ジイサンだから、これはこれでいいと思う。
開いた口がふさがらなかったのは15代将軍足利義昭、こりゃなんぼぅなんでもひどすぎる。義昭といえば足利6代将軍義教と同じで将軍就任前は寺院の門跡として修業しています、だから当時一流の教養、知識、作法を身につけた人です。信長との確執はありますが暗君ではないはず。イケメンである必要などはありませんが、今回の大河の義昭、こりゃひどかった。どう時代考証を大目に見ようがあれはない。一応、時代物に出てくる高位の貴族(これは足利義昭も同じで武士より遙かに高い地位である朝廷の官職にある)公卿には、歌舞伎ではおなじみの「悪公卿」(ワルくげ)というキャラがいて、男のくせに不気味な白化粧の顔、妖怪じみた悪顔という定番はあるがその定番からもこの義昭はあまりにも逸脱したキャラじゃ。
いまの若い衆(ワカイシ)が家康主人公の大河をどう思っているか知らんが、ワイらの世代で言えば天下一統の三傑のなかでの人気は信長、秀吉が抜きん出ていて、家康は最終的に天下を取り、次代どころか250年にわたって徳川家のものとするが、なぜか二人に勝るような人気はない。信長は暗殺で消え、秀吉は一代限りで天下さまとなるが、最末期、癒やせぬ心配を胸に抱き、悶死と言ってもいい死に方をする、そして心配の通り血筋は根絶やしにされ二代続かず滅びる。ところが幸せな天寿を全うし、たくさんの子を作り、かつ盤石のお家存続をさせた家康より、悲劇性を帯びる信長・秀吉の方がずっと贔屓の天下取り武将である。
面白いことに(山岡荘八の翻訳小説の影響もあるのかも知れないが)中国では俄然、家康の方に人気がある。シビヤァな現実主義者で、政治にも結果を重んじる中国人には、挫折や失策で天下を取れなかったものは評価しない、それは敗者と断定して終わり、途中の過程や紆余曲折は結果がよしとなって初めて認められる。途中でホテ死んだ信長や、一代で終わりその後一粒種の息子までブチ殺されて子孫を残せなかった秀吉は、だから中国人には評価されない。
なんで家康が最終的に天下をとれるのか、この今年の大河「どうする家康」を見るとそれなりにわかるかも知れないが、私にはどうもこのキャラ、そして演出では見る気がしない。それより歴史書をもう一度読み直し、自分なりに、どうして最後まで家康が残り、最終的に天下をモノにすることが出来たのか考える方がよい。