2023年1月29日日曜日

冬の花

  夕べも寒かった。しかし寝るときは電気毛布で布団の中は暖かいはずだ。若い頃なら頭冷足暖で少なくとも朝まで快適に安眠できたが、歳ぃよると眠り浅く、なんども小便に起きるし、体のアチラコチラで疼痛は起きるわで、寒い夜は辛い。

 夜はつらさを味わうが、明るい昼間なら、なんとか鬱々とした気分が転換ができると、正午前、風も弱く、日射しもあるので眉山山麓から両国、徳島城公園と自転車でまわり、冬の花を観賞した。

細瀧とモラエス花

(大滝山の瀧のモラエス花、黄花亜麻が正式名だがここ徳島ではモラエス花と呼んでいる、名の由来はモラエスさんが植えたからと言われている)



天神さんの梅
(蕾ばかりで一輪も咲いていなかった)

枇杷の花
(意外と知られていないが枇杷の花も冬の花だ。西鶴の世間胸算用にも、年の暮れの枇杷の花云々と記載されている、もちろん旧暦だから当時の年の暮れはちょうど今頃)

緋寒桜
(咲き始めると毎年地元紙が取り上げるのが両国橋南詰めのこの木)

(見ると数輪、花開いている)

やぶ椿
(冬の花の代表はツバキ系の花、カンツバキやサザンカだ、栽培種だけに八重や大輪で花数も多く華やかだ。しかしこの城山原生林にはヤブツバキという野生種がある、一重でシンプルな花だが私は好きである。時期としては少し早いがこの極寒期でも花をつけている)

2023年1月27日金曜日

今週は老体には辛い一週間だった ほぼ貧窮問答歌の世界じゃ

  週が始まる前から、気象庁は10年に一度の強い寒波と脅していたが、その予報通り、雪、低温、寒い風、冷たい雨、と老体にはとても辛い天気の日々だった。

 暖房器具と言ってはホットカーペット兼櫓炬燵だけで、石油ストーブおよび電気ストーブ、エアコンはあるにはあるが、節約のため使っていない。最強の寒波の日ぐらい石油ストーブとも思ったが、何年も使っていないためストーブの芯の掃除も調整もしておらず、いまさらそれをするのも面倒で、結局使わなかった。灯油は風呂の燃料にするための使用のみ。

 だから炬燵で丸まっているか、布団に包まり寝るか、どちらかである。寒さと悪天のため前立腺の調子も良くない。病院で追加の薬をもらい、なんとか発作が起きないようにしている。

 月曜くらいからぐっと気温が下がり、火曜日の午後は吹雪のようになった。間の悪いことにこの日はオミクロン対応ワクチンの五回目の接種日、国立病院まで数キロある路を自転車で行った。行くときも横殴りの雪が吹き付けてきたが、帰りはもっと悲惨でホワイトアウトに近い状態で風と雪に打たれ、家に帰ると雪だるまのようになっていた。こんな時、自家用車のある人が羨ましい。

 水曜は電力会社から二通の封書、一通は今月の料金振込用紙、請求書をみるとやはり一年で一番消費量が多い。結構な出費だ。そしてもう一通のほうは次年度(4月)からの電力料金の値上げのお願い(お願いったって嫌も応ももない!)。見るとなんと今より約28パーセントもの値上げ。寒さに打ちのめされる老体をなおも鞭打つ厳しい二通の封書。

 今日は友人と久しぶりに無印良品へ行った。そして金平糖の小袋を買った。前来たときは99円だったが今日値札を見ると120円、二割の値上げだ。先日ニュースで物価が40年ぶりに5パーセント以上の値上がりと言っていたが、エンゲル係数の高いオイラにとっては、食品類の値上げは5パーセントどころじゃないぞ、実感としたら支出は二割増し以上となっている。カツカツの年金暮らしでこれからどうなる?

 自虐の詩として、奈良朝の山上憶良の「貧窮問答歌」でも詠じようか。

 風雑へ 雨降る夜の 雨雑へ 雪降る夜は 術もなく 寒くしあれば 堅塩を取りつづしろひ 糟湯酒 うち啜ろひて 咳かひ 鼻びしびしに しかとあらぬ髭かき撫でて 我を除きて 人は在らじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾引き被り布肩衣 有りのことごと 服襲ひぇども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の・・・

2023年1月22日日曜日

旧正月そして暦は春へ

  今日1月22日は旧暦(太陰太陽暦)では1月1日・元日である。今どき旧正月元日だといって何か行事をするのは、由緒ある神社が旧暦元日の「神事」を行うくらいであろうか。一般の人はまったく気にとめていない。

 日本が太陽暦を採用したのはもう150年も前である。確か明治5年と記憶している。しかしそれ以後も、公的、つまり役所や公文書などは太陽暦を用いていたが、明治大正、昭和と庶民はずっと旧暦を意識し、旧正月を祝っていた。昭和の30年代、私が小学校の時も、県西部では旧正月は祝われていて、新暦の正月と平行して祝われていたが、私の祖父母の家では旧正月に重きを置いていた。餅つき、神棚飾り、などは旧正月前、旧大晦日までに済ましていた。

 今、太陽暦では12月31日を「大晦日」おおみそか)と呼んでいるが、旧正月を祝う祖父母は旧暦の12月末日(旧暦では12月末日は30日もあり29日もあった)のことを「おおつごもり」と言っていた。その時はその意味について詳しく知らなかったのでそんな言い方の日なんだと思っていただけだったが、後になって、なるほどこの「おおつごもり」の言い方のほうが旧暦の12月末日を呼ぶのにふさわしいと納得した。旧暦の月の最終日は当然、月の相は「新月」に近く、天空に存在を表さない、だから「月(コモ)る」、そして一年最後の最末日だから、「大」をつけて「大つごもり」となるのだ。旧暦の月末は月は出ず「晦い」(くらい)が、太陽暦の月末は月の相は様々である(満月もある)。

 私の小学校の4年くらいまでは田舎の小学校では旧正月は学校はその一日休みとなった。しかしそれ以降は旧正月休みはなくなった。そして祖父母の家でも私が中学に上がるころには新暦の正月で祝うようになった。

 東アジアでは日本は伝統が色濃く残っている国である。例えば「元号」(東アジアでは唯一)、そして祝祭日には民族衣装である「着物」を普通に着ていても違和感がなく、受け入れられ普及している。そのほかにも伝統的なもので残っているのは多い。しかしこの「旧正月」だけはすっかり断絶してしまっている。しかし他の東アジア諸国、中国、韓国、そしてベトナムも「春節」すなわち「旧正月」を盛大に祝うし、一週間近い休みとなる。なんで日本は断絶してしまったのか寂しい思いがする。中国韓国にしたって、太陽暦の新年は一年の最初の一区切りの日として重んじられているがそれは別として旧正月も祝っている。日本もそのように出来なかったのかなぁ。

 日本の歴史が好き、あるいは日本の古典が好き、という人、私もそうだが、そんな人は旧正月を意識し、旧暦の暦をよく見ていて、今日は何の日か認識する人が多いはずだ。古典の季節感を表す「歳時記」など考えると、新暦の一月一日を「初春」と呼ぶことには無理がある。新暦の一月一日は冬至から10日もたってはいず、陽光も極小になり、気温もまだまだ下がっている。これで初春じゃの初春じゃのと呼べるはずがない。

 旧暦は季節との乖離が(月の相を基準とするため)若干あるが、旧暦には24節季があり、これが季節の推移の目安となっている。その中で「立春」というのがある。だいたい新暦の2月4日頃である。この頃になるともう寒さ極大値は過ぎ、陽光などは強さを増し、春の兆しを感じられる頃となる。まさに「立春」頃が、初春とか初春というのにふさわしい。

 旧暦の元日はこの立春頃にあたるのが理想とされているが、ご存じのように太陽の動きと月の相とは一致しないので、多くの旧暦の元日はだいたい平均すると立春ころだが、年により立春より少し早い年もあれば少し遅い年もある(半々に近いが若干早い場合が多い)。そう考えると24節季の立春(新暦の2月4日ころ)が古くより一年の初めとされていたと言っていいだろう。だから中国でも韓国でも旧正月を「春節」と呼ぶのも納得できる。

 ところが今年は旧正月元日は立春より15日ほど早い。これは旧暦の日付が月の相であるから仕方がない、立春が新月と一致することは少ない。しかし15日間も立春との乖離が大きくなると季節との乖離も無視できないようになる。これ以上乖離が進むと24節季の「大寒」が元日となりかねない。そのためにはそうならないよう閏月をいれて調節する。今年は乖離が大きくなったので旧暦には2月が二回、後の月は「閏月」を入れて調節するようにしている。

 ちなみに閏月はどこに入れるか?ちゃんと法則性がある。24節季は12の「節気」と12の「中気」がある。近々のそれでいえば一昨日の「大寒」は中気、2月4日の「立春」は節気となる。そして中気を含まない月が「閏月」となるのである。だから今年の暦注(高島暦)を見ると閏月は中気を含んでいない。(節と中は互い違いになっている)12ある中気を季節の目安基準にしているため、中気がない月を閏とするのである。 

 江戸時代に生きる人にとって今日が月の何日になるかは、わりとわかりやすい、月の相を見れば、三日月なら三日、上弦なら7日か8日、満月なら15日、と夜空をみれば見当がつく、しかし困るのはいつ閏月が入るか、また月の日数が29日か30日かどちらか、ということである。そのため江戸時代の暦は下のようになっている。一枚刷りであるが、小の文字の下が29日の月となっており、大の文字の下が30日の月である。そして月を見ると文化八年(1811年)は今年と同じで閏があり二月が二回ある。このようにして閏月があるか、また今月は小の月(29日)か大の月か(30日)を知ったのである。

2023年1月20日金曜日

アスタム冬の丘

  今日は二十四節季「大寒」、これから「立春」にかけて最も寒い時期を迎える。比較的暖かかったのも今日までで、時雨もよいの天気の後、来週からは今冬一番の最強寒波が四国にもやってくるとのことである。

 強い寒さがこの後控えているが、今日の昼頃の光は、もう春を感じさせる。「春は光から」とはよく行ったものだ。下は市役所12階から徳島城址を望む、正午前、明るくまばゆい春の陽光が降り注いでいる。


 しかし午後からは一転、薄曇りで風が強まってきた。そんな中、友人とともに、アスタムの丘に季節の花を見に行ってきた。

 風車と水仙(動画)

 


 冬のバラ(葉は落ちて、痛々しい感じがする)


2023年1月16日月曜日

半年で二回も値上げ、よく利用するだけにこたえるわ

 

 某大手のフアストフド店、今朝朝食をとりに行ったら値上げしていた。独居老人で、朝はしんどいときが多く体を動かすのも大そうで、朝から準備、片付けもしたくないので、このフアストフド店で済ますことが多い。朝食セットがあり、ベエコンとエッグの丸サンドとコヒーの組み合わせがそのセットだ。

 これが今朝、270円から40円値上がりして310円になっているのだ。半年前の夏には250円だったが、秋頃270円になり、そして今回の値上げ、半年で二回あがった。もう世間は何もかも値上げ値上げで、最近は「またか」と慣れた感もあるが、ほぼ全物価高騰に生活はますます窮屈になって来る。

 このままだとわずかな年金で、コロナ前でさえ、赤字でこれまたわずかな貯金を取り崩していたのに、近頃の値上げでどう切り詰めても支出が大きく上回りそうである。先月、政府が低所得者に特別生活支援金を5万円配り、私も恩恵を受けたが、冬を終わらずそれも使い果たしそうである。

 仕事をしていれば高収入の職業に転職したり、人材難の今、賃上げもあろうが、働けない低年金者には破綻に近い状況を甘受せねばならないのだろう。何を削る?どの質を落としやっていく?

 まぁ他の老人は知らないが私の場合、低年金は自業自得、いわば人生の敗残者だから仕方ないと諦めがある。まさに「敗」であるが、それでも「残」って生きていかねばならぬ。仏教思想では、生まれて今まで行ってきた「業」(行動)の積もりが今の自分であると考えるなら、これも致し方あるまい。まぁ、窮屈でもなんとか工夫して楽しく生きるようするしかない。

2023年1月15日日曜日

暦注


 先日、百均ショップで100円の本を買った。左がそれである。細かい文字、数字、表が書かれていて、つまり内容濃密、おまけに160頁もある。それが100円(税込110円)とは信じられない安さだ。ただし表紙を見て分かるようにこれは「暦」の類いだ。しかしこのような本の体裁は「暦」と説明するより、易学に基づく「占い本の一種」と言った方が世間一般の認識である。

 占いの本にはいろいろな種類がある。西洋、中東、インドがルーツの「占い」もあるが、私が買った本は中国がルーツの「易経」や「陰陽五行道」、中国流の占星術などを基にしている。

 左の本はその中国式の占いも入ってはいるが、表題は「運勢暦」となっている。私は占いは信じる方ではないが、この本の暦の月日に入っている「暦注」、つまりある一日はどのような日であるか、曜日、十干十二支、その日の行事、節季、月齢、旧暦の月日、六曜、十二直、二十八宿などが日ごとに書き込まれているので毎年購入して、その日の暦注を見ている。

 ちなみに今日、1月15日の暦注は、癸酉、一白、大安、月齢は下弦、旧暦12月24日、小正月となっている(十二直、二十八宿も入っているが略す)。多くの人はその日が太陽暦の何月何日で曜日が分かればそれ以上は求めない、ただ冠婚葬祭がある場合は、せいぜい六曜の大安、仏滅、友引くらいを知れば事足りるものである。

 私は歴史が好きなので、古来から続いているその日の詳しい暦注を知りたく思いこのような本を購入し、参照引用しているのである。


 またこの本の占いの部分でも、荒唐無稽な記述はなく、ちゃんとした理論に基づく(それが人の運命に作用する妥当性があるかどうかは置くとして、論理としては矛盾なく成り立っている)説明がされていて、読むとその部分もなかなか面白い。詳しい説明は、この本を読んでもらうとして、理論の基本は、陰陽五行、もっというと五行相克(木火土金水)が運命に強く作用し、また九星の占いなどは(九星とは例えば私は四緑木星、など九つの色と木火土金水の五星がある)、左のような数学的な魔方陣がもとになっている。この理論も結構おもしろい。

 つい先日、えびす祭りがあった。解禁された露天が多く店を出していたが、昭和の時代にはこのような易学の本を売るテキヤさんがいた。フーテンの寅さんだと次のような売の口上になる。

 「さて、みなさん!天に軌道のあるごとく、人にはそれぞれもってうまれた運命というものがございます、そこのアナタ・・・」

 といって話術に引き込み、易学本を売るのである。

 しかし今は百均でこのような本が売られていてテキヤから買うこともない。

2023年1月14日土曜日

一日の半分は寝てた

  昨日から今日にかけ、妙に暖かく、小雨の天気で、季節体感としては桜の咲く頃のような陽気であった。

 こんな時は寒がりの私のようなものには体調はいいと思いがちだが、さにあらず!こうゆう時に、体調が不良になる。

 昨夜就寝してから深夜、胃の不快感と鈍痛に目覚めた。間に合わせの胃薬を飲んだ。しかしこのような雨で冬ながら妙に気温の高いときは、もう一つの発作が心配になってきた。尿意を感じたのでトイレに行ったが、やっぱりだ!力むが尿はほとんど出ない。そのうち膀胱はパンパンになり、苦しくなってきた。いくらトイレへ行って出そうとしてもでず、とうとう一滴も出なくなった。

 尿閉だ。もう4~5年は起こっていなかったが、ついに起こった。時刻を見ると午前5時過ぎ、外はまだ暗く、雨がボソボソ降っている。このように尿閉になったら、自分ではどうしようも出来ない。いつも行く病院の緊急外来へいってカテーテルで導尿してもらわなければならない。

 外は暗く、雨、少し明るくなってと、午前7時頃までなんとかしんぼうして、緊急外来へ電話した。今、コロナですぐ見てくれるかどうか不安だったが、若干の電話やりとりの(カルテを探す間)後、すぐ来てくださいとのこと。

 外は雨、私は車を持っていない。こういうときは救急車を呼ぶべきかも知れないが、幸いその総合病院はウチから近い。自転車で5分びゃぁ。尿閉は別に四肢が不自由になったり、頭がフラフラするようなこともないので、雨合羽を羽織り自転車で緊急外来へ行く。

 宿直医が間のいいことに泌尿科の若いドクターだったので、いつもは数度試みるカテーテル導尿も一発でできて、苦しみも一発で解消した。導尿すれば、再度起こることはないのでカテーテルも存置せず、それで処置は終わって家に帰った。

 少し遅い朝食を摂ったが、下腹部の膀胱がすっきりした代わりに、やはり夜中に胃の鈍痛があった症状がぶり返し、食事するとみぞおち当たりに鈍痛を感じ、尿閉の苦しみで発散されたいた胃部の不快感も鮮明に再び認識されるようになった。以前消化器科で処方された薬を飲む。

 全身も、なんかしんどくて、眠い、午前中に買い物に行ったくらいでほとんど家で過ごし、昼からは布団に入って夕方頃まで、横になる、数度うつらうつらしてのべ2時間は浅い眠りが出来たようだ。

 夜になって少し元気が出てきた。しかしさんざんな一日だった。瞼の間欠的な小刻みの痙攣は時々起こっている。今日もだ。歳いって多病になるといくつもの苦痛を同時に受けねばならないのだ、ということをしっかりと思い知らされた。

2023年1月12日木曜日

駅の水仙

  徳島線は無人駅がほとんどになった。そのため駅の構内の花壇も手入れが行き届かない。そんな中、野生に近い状態で群れて咲いているのは水仙である。


2023年1月9日月曜日

これやこの 行くも帰るも わかれては

  コロナによる規制がすっかり解かれての令和五年の宵えびすとなった。参拝はしなかったがたくさんの露天が出ているので見て回った。通町やそれと交差している通りは両側にびっしりと露天が出ている。行き帰りの人々の混雑で思うように進めないくらいである。


 私のように参拝するでもなく、露天を覗いて買うでもなく、行き交う人混みの流れにのってそぞろ歩きする者はよいが、大変な人出でなかなか進めていないのは、古い福笹などをもった正式参拝者である。恵比寿神社からずっとその列が伸びている。ガードマンがその最後尾にいて知らしめているがザッと100mはあろうか。



 家内安全・商売繁盛の「えびす神」はこれをみてもずいぶん人気(信心)があることがわかる。われわれ一般に「えびす神」としてイメージするのは七福神の一つ恵比寿である。七福神のなかでは唯一日本がルーツの神様であると言われている。そのルーツにはいろいろ説がある。一般的には古事記の神である大国主の命の息子の「事代主の命」であるとされる。通町の恵比寿神社の御祭伸も事代主の命である。

 ところがこの恵比寿神には、もう一つ暗いルーツがあるといわれている。「えびす」は漢字でかくと「戎」とも書かれる(戎神社ともいう)し、また「蛭子」と書いても「えびす」と読ませる。県西部には蛭子の姓のひとが多くいる。蛭子は素直に読めば「ヒルコ」となる。このヒルコすなわち蛭子は、やはり古事記の中に出てくる。イザナギ、イザナミがミトのまぐわいの結果生まれた第一子がヒルコである。ところがこの子は奇形であった。手も足もなく(それで蛭の子、ヒルコと名付けられた)それを忌避したイザナギ、イザナミによって葦船に乗せて川に流されてしまう。これは不思議だが旧約聖書のモーゼの話に一致する。それはともかく流されたヒルコは死なずどこかで根付いてヒルコ神になる存在になったというのである。なんか「悪神」になりそうな気もするが、崇められることによって善神になったのかもしれない。


 今、鑑賞している「百人一首」の作者の中にもヒルコによく似た境遇の人がいる。蝉丸である。やはり出自は高貴な生まれである。醍醐天皇の皇子として生まれるが、生まれつき盲目であったため(伝説では)生まれてすぐに無情にも捨てられる。しかしやはりヒルコのように生き抜き、後には盲目ながら、琵琶と和歌の名手となるのである。



 百人一首の中のその蝉丸法師の一句

 これやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬも 逢坂の関

 蝉丸も蝉丸神社の御祭伸として祀られ、琵琶、芸能ごとに上達の御利益があるという。

2023年1月8日日曜日

天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ

 

 午後二時前、薬・雑貨を買い、徳島駅前をウロチョロしていると、目も彩な振り袖をきた若い多くの娘たちがゾベラゾベラと歩いている。一瞬、なに?と思ったがすぐ気がついた。成人の日前倒しの、おそらく市主催の、各小学校校区単位の「成人式」に出席した乙女たちだろう。

 振り袖の美しさは格別なものがある。その上振り袖は年々、華美、派手さが増している気がする。この歳まで生きて、それこそワイが成人式の頃から、成人式だけでなく、卒業式や結婚式などの祝い事なんぞで多くの娘たちの振り袖を見てきたが、今日の徳島駅前の乙女たちの振り袖は、大げさに言うと「この世のものとは思われぬ美しさ」であった。どの娘もすこぶるの美女にみえた。みんなウサちゃんの白い毛で作ったようなショールを肩に軽くかけているのでまるで「天女」の羽衣のような気がする。

 今、鑑賞している「百人一首」から、強いてこの情景を同調させるとすると、次のような句になるだろうか。(僧正 遍照

 天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ

 アミコビルの方に歩きながら、首は後方にずっと向いて、天女にもまがう振り袖の乙女たちを見続けていた。

 それにしてもそこにも(駅前)成人式帰りの男の子もいたはずだ。あとで思い浮かべるとまっさらピンピンのスーツ姿の若い男が「そ~いや、いたなぁ」っつ~くらいの認識のうすさである。沖縄あたりの成人式にはキンキラキンの羽織袴の男もいるようだが、ここ徳島の駅前では、普通の羽織袴の男もいなかった。成人式の華はやっぱり女性の振り袖姿やなぁ。

 百人一首の絵札遊びに、「坊主めくり、姫めくり」がある。華やかさのない男の絵札にめくりの点はつかない。坊主の札なんぞめくったら、全部の点を取られてしまう。だが、華やかな十二単の女性札は高得点がつく。みんな姫の着物姿は評価しているのである。成人式の振り袖の女性は、彩りの美しい刺身の盛り合わせだとすると、男なんざぁそれの横にちょこっとおいてあるツマみたいなもんだろうか。

 振り返り振り返りアミコの二階広場に上るエスカレータに向かうと、そのエスカレーターの横で、ワイの歳くらいの羽織袴のジイさんが右手で皿回しをし、左手で団扇をあおりながら踊っていた。(横に置いたカセットからは、~年の初めのためしとて~、が流れていたが全然踊りに合っていなかった)

 「こりゃ、なんぞ?」

2023年1月7日土曜日

今日は七草、正式にいうと人日の節句だ

 


 古代から続く季節の伝統行事に「五節句」がある。この中で現代、各家庭においても廃れないで行われているのは、ほぼ三つ、上巳の節句(桃の節句)、端午の節句、七夕の節句である、後の二つの一つ「人日(ジンジツ)の節句」(七草)は、上記の三つほど一般的ではないが、「七草粥」(実際は普通の粥でもまにあわせられる)を食し、健康長寿を祈るのを家庭行事としている家もある。特に最近はスーパーで直前に「パック入りの七草」を売っているため、以前よりは注目度をあつめ行う家が増えているのかも知れない。忘れ去られたもう一つ「重陽の節句」は私の知る限り祝っている家など聞かない。

 明治生まれの祖父母の家で育ったが、子どもの時にはこの日、七草の野草なんどは入れなかったが、「今日はおかゆを食べる日じゃ」といって、何の材料か忘れたが特別の箸でお粥を食べさされたのが記憶として残っている。

 今、百人一首を読み、再鑑賞しているが、光孝天皇の次の歌は人日の節句前の「七草採り」になぞらえられる。

君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ

 この歌は現在の感覚からすると矛盾する。一月七日が春の野になるか、まだ冬の野じゃ、というものである。しかしこれは現在の太陽暦の感覚で、この時代の旧暦からするとだいたい立春過ぎ頃になるから現在の暦では二月上~中旬である。陽光も春のようになり気温は低いが植物の生長は盛んになり始める時期で、ロゼッタ状の若草などは伸び始めているから七草も摘めたのだろう。

 ちなみに今年の新暦と旧暦の関係では、旧暦の一月の短さ(29日か30日)が積もり積もって、季節に対す旧暦の月日がかなり早めとなっている。旧暦の元日(中韓では春節)はだいたい立春頃かそのすこし後に来るが、今年は新暦1月22日で立春より15日びゃぁも早くなっている。このまま行くと旧暦の月日と季節の乖離が大きくなりすぎるので、今年の旧暦二月の後にもう一つ「閏二月」をいれ調節する。だから令和五年の旧暦の一年は13ヶ月あることになる。

 「粥」を食べるっつ~たって、粥に本物の七草をぶち込んで煮たところで野草だけに青臭くうまくはあるまい。まぁ縁起のよい節句の行事として少量食べるのもよいが、昔の我が家のように「粥」だけでも良いとおもう。しかし最近の人は米系の流動食は(雑炊も含め)好まないようだ。私も粥は好きでない。病人食のようであり、また歴史好きとしては大飢饉のときの「お救い小屋の粥」をイメージし、惨めったらしくおもう。

 子供の頃の我が家では「粥」のことをオカイ、といい。雑炊のことをオミィサンといった。味噌汁はオツィとも言った。保温ジャーもない昔、朝しかぬくいご飯はなく冬の夜めし  は固く冷たくなった、そんなとき

 「朝の残りのオツイに飯ぃいれて、オミィサンにしょうや」

とまずいオミィサンを食べさせられた。

また子供の頃よく熱を出したが、そんなとき、オカイさんを無理に食べさせられた。

桃色日記・瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の

  正月だからと言ってどこへ行くでもなし、何をするのでもないが、一人で「百人一首」を読んでいる。若い時にすべてソラでいえるように覚えていたが、大昔の記憶は歳ぃいっても強く残っているものと見え今でもスラスラいえる。単に読み込み、その味わいを知るだけでは毎回のことで退屈するから、もう少し想像力を働かせ、通説にはない意味を推理したり、違った情景を思い浮かべたりしている(おそらく私のこじ付けだろうが、趣味でそう読むぶんにはいいだろう)、同時に英訳の百人一首、別々の(外国人翻訳者)二人が訳したもの、も読んでいる。この日本文学専門の外人二人の訳がちょっと面白い。一人のほうは、中学生でもわかるくらいの簡単な英文が基本で、百人一首の現代語訳の意訳に忠実ではあるが、英詩としてはどうだろうかと疑問がつく。もう一人のほうは、無理に現代日本語になった百人一首を英文になおすのではなく、大胆にも異訳を恐れず、中にはほとんど換骨奪胎じゃないかと思えるような英文もあるが、英詩としてはこちらのほうが型になっている。まぁどちらも一長一短だから、原文とともにこの二つの英詩も読んでいる。

 さて、百人一首で一番多いテーマは「恋の歌」である。四割以上を占める。大体は(一旦は恋しむすばれた)男女のお互いの、会えぬ嘆き、相手の不実を責める、大人の恋の歌が多い。現代の恋の詩ならば、純愛もの、すなわち片思いの恋、まだ肉体関係も結んでいないプラトニックな恋、が人気だが、百人一首の恋の歌にそれは少ない。

 全然ないかといえば、そうでもない。例えば、崇徳院の一首

瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われてもすえに 会わむとぞ思ふ

 なんぞはちょっと純愛詩に近いのではないと思われないこともない。そう思うのは落語の「崇徳院」を聞いたからかもしれない。落語「崇徳院」の内容は、江戸の町の両者とも大店の、ウブな坊ちゃん嬢ちゃんの初恋を、この百人一首の崇徳院の歌に込めているからである。平安朝のこの一首の恋情が、純愛に近いものだったかどうかは断定できないが、落語「崇徳院」聞く限り、この一首はすんなりとそのように理解できる。

 ある寺社参りに行ったとき、たまたまの出会いで坊ちゃんは嬢ちゃんに一目惚れする(最初は坊ちゃんだけかと思たが実は娘もそうだったと後でわかる)、この一目ぼれキリスト教のボンさんによれば、まだ肉体的結合に至らず思いをかけるのは純愛、プラトニックラブとなるからこの時点では純愛だ)は、お互い相手も知らず刹那の出会いで別れてしまうが、その時、百人一首の一句「瀬をはやみ・・」の短冊を渡すのがこの展開のミソだ、そののち坊ちゃん嬢ちゃん両方とも重度の「恋煩い」となり、命まで危うくなるが、残された一首と周りの努力の甲斐あって再び巡り合い、ハッピーエンドとなる。しかし、これは相手が見つかり、両者の親も(どちらも大店だからか)祝福したからハッピーになったのであって、これもし、会えなかったり、相手がわかっても「釣り合わぬ恋」と親が猛反対すれば、「思ふ人には添い遂げられず、わが身は今ぞ、消え果てぬめる」といって悲劇的失恋死となったかもしれない。

 昔の日本人は、純愛(何度も言うようだが、まだ肉体的結合に至っていない)の男女を、童貞、処女のまま、キリスト教のボンさんがいうように、これぞまさにプラトニックラブが昇華したものだ!といって両者純潔のまま殺したりすることを好まないのではないか私は思っている。

 落語「崇徳院」は、江戸が舞台で、エエとこのボンボンと嬢ちゃんが別れても最後はハーピーエンドになったが、所変わればで、名家の一人息子と一人娘が一緒に添い遂げられず最後は二人とも死んでしまう悲劇は、ご存じルネサンス期のイタリアを舞台にした「ロミオとジュリエット」がある。一見、心中のようにも見えるが、不幸な行き違いのため結果として心中のような悲劇的相対死を迎えてしまう。

 これはシェクスピア作の悲劇だが、日本でも添い遂げられぬ恋のため死ぬ心中物語は、日本のシェクスピアと言われた近松門左衛門が得意とするところではある。しかし近松では純潔のまま男女が心中したりするのはない。だいたい遊女、あるいは娘であってももう男の味をしった女である。また実話がもとになった八百屋お七の話などは、娘ではあるが、火事の避難先となった若くて美男の寺小姓と、「しっぽり濡れた」関係をなんども持っているから、未通女(おぼこ)ではない。果たせぬ恋に燃え上がるのはジュリエットもお七も同じであろうが、やはり愛しい男との肉の喜びを知った女の狂乱のほうが、ずっと向こう見ずで大胆である。ジュリエットは仮死の薬を飲み死を装うだけだが、お七の方は愛しい男の寺にまた行けると思って放火をする。どちらの娘も崇徳院の下の句のように「われても末に会わむと思ふ」ことを目的に行動を起こしたのではあるがどちらも悲劇で終わった。

 と、ここまでロミオとジュリエットの話は両者とも純潔のまま死を迎える、と思い込んでいたが、西洋でも解釈はいろいろあるようで、秘密裏だが結婚式も神の前で挙げたので、初夜も迎えたはずだ、という意見もあるし、いややはり純潔だったというのもある(ロミオは分からんが少なくともジュリエットのほうは)。しかし結婚しとるのに純潔っておかしぃないか、と思いたくなるが、聖母マリアは大工ヨセフの処女妻であり、処女のままイエスを懐胎する西洋では結婚していても純潔を保つのはありなのかも知れない。


 これは1968年製作の映画のロミオとジュリエットだが、私が見たのは高校二年か三年の時、わざわざ徳島まで行って封切館で見たからボニか正月だったが、それを見ると、初夜の床入りのような場面があった。両者とも素っ裸で(毛布は一部分被っているが)抱き合って目覚めるシーンがある。

 晩稲(おくて)でウブな高校生だった私はそれでも、例え裸で抱き合って一夜を過ごしても、純潔はあり得ると、思い込んでそのシーンをそのように解釈した。西洋中世の神学者アベラールなんぞは、例え裸で抱き合って、局所にふれあう(今だとペッチングというのだろう)までいっても、最後の挿入に至らなければ、それは純潔なるプラトニックラブの範疇に入る、という定義を言った人だ。私も当時はそのように思っていたのだろう。

 しかしこの歳になると、そんなことはあり得ぬ、やはり初夜は遂げたのだ。と思うようになった。物語のロミオとジュリエットは15歳(西洋だから満年齢)と14歳である。女性はいざ知らず健康な15歳の男が愛しい女性と裸で一夜過ごして、中世の学僧アベラールの言うようなところで「寸止め」なんぞ、できるはずがない。今となると少なくとも一度は処女の開通式をすませたと思っている。映画の意図はどちらに組するか知らないが、私は日本人の感性からか、近松のように、愛し合いながらも死ぬる男女に事前に肉体の結合をさせるのは当然だとおもう。

 ところでこの1968年製作の映画ロミオとジュリエットについて昨日、実に面白いニュースに接した。この映画は製作当時、ヒーローとヒロインは原作に最も近い年齢であると評判になった。ロミオ役はレナード・ホワイテング16歳、ジュリエット役はオリビア・ハッセィ15歳である(こちらは後に布施明の嫁はんとなるので知られている)。その二人が共同で55年も前の製作の映画のその床入りのシーンは児童ポルノに当たり、また児童の性的虐待で、当時の我々の意志にも反し、監督から半強制されたと、数百億円の慰謝料を払うように映画会社を訴えたのだ。

 確かに15や16の少年少女を素っ裸にして(ジュリエットの方は布きれで下半身は隠れている)撮影するのは今の時代は完全にアウトである。しかし55年も昔、またヌードシーンも含め文芸的価値の高い作品として数々の賞も取り大人気となった映画である。いまさらそれを言うか、と思う。

 まぁここは、私も55年ぶりにもう一度みて判断しようと、幸い図書館のDVDコーナーにその映画があったので借りて昨夜みた。

 二人の初夜シーン



 確かに現代ならば15.6歳の少年少女に、例え文芸作品とはいえこのようなベットのシーンは倫理問題をこえて刑法上の罪になる可能性が大きい。児童ポルノ作成と性的児童虐待の罪の疑いが濃い。しかし55年も前である。私の頭に「時効」という言葉が浮かび上がるが、いまアメリカではコールドケースといって、なんと百年近く前の事件でも、現代科学に基づいた証拠資料で有罪とできる制度があるから、アメリカでは時効は55年びゃぁで罪の失効はないのだろう。また法律にはその行為をした時点で罪でなかった行為を、後に作られた法律で有罪とするのは禁止する、法の原則「遡及禁止」があるが、だが55年前でも児童のヌードや猥褻行為の陳列の禁止は当時の刑法にもあったはずであるから。それを根拠に今訴えたのだろうか。

 としてもこの上記のシーンのみだったら、どうか?ジュリエット嬢は胸まで毛布を被り下半身は隠している。ロミオのほうは全身ヌードだがうつ伏せで、プリッとしたキュートなお尻を見せてはいるが、べつにナニをみせているのでもない。これくらいなら55年も昔のことではあるし、大目に見ていいんじゃないかとは思う。

 しかしこの場面はこれでは終わらない、ロミオはベットから抜け出し、窓まで歩いて行って朝の光を全裸のまま浴びる。そのときの映像と、その後、タイツをはく映像

 

 そしてそれと同時に、ジュリエットも朝が来て両親に見つかるとやばいので、急いで起きて身支度をするため、ベットで上半身をおこすとき、ジュリエットの当時15歳の乳房がチラリとみられる。

 おお!これは!生の15歳少女のチチ、これは児童ポルノといわれてもしかたない。青いといおうか、まだ熟さない固めの果実のようなチチ、ニップル(乳首)などはまだ蕾にもなってなく小さくてあるかなきか、乳暈(乳首の周りの色素沈着した暈のような)はとっても薄く、本物の少女のチチであることがわかる。

 ここまで見ると、性器こそ見せていないが、あ、これはアウトだ!と私でも思った。児童ポルノを含め児童の性的虐待の定義は最近広範囲に解釈されている、そしてその関心が高まり糾弾が激しいこの時代に、本物の16歳の少年のキュートな裸のケツと15歳少女の青さの残るチチをこのように現在でも見られることはやはり刑法を含め問題があると思う。世には(性的に)少年好き、少女好きのおっさん(もちろんオバハンも含め)は多い、だからといって直接強姦などの行為に走る大人は、まずいないだろうが、そのためかせめて写真、映像でと、「児童ポルノ流布」が刑事事件として多発するのだ。

 55年前の作品とは言え、今もDVDは流布していて見られるから、このシーンは確かに問題とされるべきなのかも知れない。と、ここでそう頭の良くないやまさんは、ハッときづく、あぁ、これブログ作りの引用とは言いながら、写真なんど載せて私も児童ポルノ流布に関与しとんか?いかんいかん!でも、せっかく書いたブログやから、一週間か十日アップしたらこのブログ消しますわ。こらえてちょうだい。

 それにしても私のような庶民感覚からすれば、文芸作品で大ヒットした映画に出演し、子どもながら名声と賞賛を受け、また多額の出演料も手にしているのに70歳をこえたジジババになって数百億円の慰謝料って、そりゃちょっと胴欲な、ちゅう気がする。まぁ数千万円くらいなら、ありかなとおもう。弁護士戦略として大きくふっかけて、それくらいの額で妥協と言うこともあるかもしれん。ちなみに下は現在のロミオとジュリエットはん、最近金に困ったんかしらん。歳しゃぁ取りとうないもんやわ。

2023年1月5日木曜日

はや五日

  ションガツ、寝正月ではなかったけれど、いつものように何するでもなくノンベンダラァリと一日を送っていたら、三が日も過ぎ、はや今日は五日、結局、初詣も行かんままに終わってしもうた。

 今日は県立で借りた図書の返却期限なので、自転車で文化の森までちょっと遠出した。以前なら難なく行けた距離だが、寄る歳のせいか、キツかった。町中を過ぎ園瀬川沿いの土手横を走ったが風があるので漕ぐのに余計に力を使いくたぶれた。

 帰り、徳島市庁前に人だかりがしているので、何ぞぃな、と近寄ってみると、駅伝のゴール前の人だかり、二時に最初の選手がフィニッシュ予定という。20分あるので市庁舎の駐輪場に自転車を置いてフィニッシュの地点の脇に他の観客と並ぶ。こんな声援の旗を配っていたのでワイも一本もらう。


  まだ駅伝は終わっていないし、最後の区間の先頭選手もフィニッシュしていないが、もう徳島市が一位というのが確定していた。

 二時過ぎ、最終区間のトップランナーがゴールした。