2022年12月31日土曜日

大晦日 昔の映画館の跡地を歩く

  半世紀前の大晦日は大賑わいだった東新町、今はこのように衰微を極めている。(アーケード入り口付近)


 昔はこの左に「東映封切り映画館」があった、まだ時代劇も作られていたが、年末年始の映画としては「トラック野郎」が人気だった、映画は斜陽とは言われながらもこの時期は大入り満員だった。

 アーケードが二股になったところから右へ行くと「松竹封切館」があった。ここではボニと正月、必ずと言っていいほど、世界最長のシリーズ映画「男はつらいよ」を見たものだ。


 二股を左へ行くと「日活劇場」があった。もうこの頃には日活はポルノ映画を作っていたが、それでも「かぐや姫」の曲にもとづいた「赤ちょうちん」や「神田川」のような「ほろ苦い青春映画」も作られていて、見に行ったものだった。


 さて本日の大晦日の夜、独居老人は誰かと楽しく過ごすこともない。銭湯にでもつかり、一年の垢でも流して温まろうと思っている。(下は銭湯の大晦日限定の暖簾)

2022年12月28日水曜日

ワイ、来年が年男、ウサギ年じゃが猫年というほうがええ

  ワイの大方の同級生は寅年うまれだが、ワイは3月生まれなので兎年となる。明治生まれの祖父はワイの誕生年が寅年の同級生と同じにならなかったのが、残念なのか、「おまいは旧正月で年が変わって一月びゃぁでうまれたから、兎より寅が勝っとる。」などと、訳の分からないことを言っていた。孫が「五黄の寅」でなかったのがよっぽど悔しかったのだろうか。

 小ンまいときは、いわゆる「怖じミソ」な子で、気の弱さ、押しの薄弱なことから、よくいじめられたりもしたから、子どもこころにも「寅だとつよかったのに、兎やから、臆病でビクビクしとんかなぁ」と思ったものだ。

 その年男も6回目を迎える。この歳になると兎年や寅年が性格に影響を与えるような迷信は信じていないし干支自体も関心がない。最近でいうと去年末と今年始めに「令和四年は寅の年やなぁ」との単純な認識を持ち、その後は忘れてしまう。夏頃になって「今年何年か?」と質問してもすぐには答えられない人が多いんじゃないだろうか。でもまぁ、ワイは来年の兎年が年男になるんやから、いつもよりは強く印象づけられると思う。

 徳島動物園へ行ってみよう。虎などはみるからに怖そうだし、馬、牛にしたって走力や力強さを感じる。それより小さいイノシシでもパワーを感じる。しかし兎は小ンまく、怖さや力強さもない。走るのは多少速いかもしれんが、猟犬に追いつかれかみ殺されるから速さも自慢できるものじゃない。ネズミなどはいっちょう小ンまく、ウサギより劣るんじゃないかと思われがちだが、日本昔話や童話ではネズミはエエ者であり成功者である。「ネズミの嫁入り」の話などでは、最強の生き物とみなされている。イソップ話でも、象対ネズミ、ライオン対ネズミ、でもいいキャラを演じている。それにたいしてウサギのはなしで思い出すのは、「ウサギとカメ」、ご存じのように負けキャラである。なんかウサギにいい童話・昔話はなかったかしらん?それでもなんとか長所を見つけてアッピルできるキャラとしては、兎は「可愛らしさ」しかないだろう。英国の童話に「ピーターラビット」というウサギがいる。これなどは可愛くて子どもに人気である。

 日本でもウサギはかわいい系キャラで、アニメのキャラについてはちょっと知らないが、現実世界の話でも、どっか忘っせたが、ある島にウサギがたくさん生息していて、野生ではないので人にも慣れているようで、ふれあいができるそうだ。その毛並みのモフモフ感などのかわいさでずいぶん人気らしい。でも若いうちならかわいいウサギ年も似合おうが、72歳の爺がウサギ年っちゃってなんちゃ、かわいいない。

 十二支の動物は古代中国で生まれた。今も記年に使う国は多い。おおむね身近な動物だが、中には「辰」つまり龍、などは想像上の動物もいる。使う国は東洋諸国のみであろうと思ったが、調べると意外なことにロシア、ベラルーシなども年々に動物を配置している。これらの諸国でも動物の種類はおおむね一致はしているが少し違う場合もある。

 おもっしょいのはベトナム、タイ、チベットではなんとウサギがなく、その代わりあるのが「猫」年である。そのためこれらの国では来年はウサギ年でなく「猫」年となる。猫好きのワイとしては、ウサギ年生まれというより、「ワイは猫年じゃ」というほうがいい。このように、十二支は世界共通と思っていたが、ところ変われば・・でネコ年というのもあるのだ。下に各国の十二支の動物を挙げておく。


 東南アジアで「ハローキティーちゃん」が人気があるのは、十二支に猫年があることとなんか関係があるのかもしれない。東南アジアは旧暦で新年を祝う国が多いが来年1月末ころになるとさらにこの「ハローキティーちゃん」のキャラグッズがあちらの国で売れるかもしれない。

 日本にはペットとして犬、そして猫が多く飼われている。犬好きの人には「イヌ年」があってうれしかろうが、ワイも含めてネコ好きの人には、「なんでイヌ年があるのに、ネコ年がないのか」と不満だった。しかし東南アジアではあるが、ちゃんとネコ年があったのである。

 ちなみに中国と日本では十二支の動物はほとんど一致する。ほとんどといったのは一つを除いてである。その一つは十二支の最後の動物、亥である。日本ではイノシシであるが、中国ではこれはブタを表す。亥は別名「猪」であるが、これは中国ではブタのことである。中国でイノシシという場合は「野猪」と書かなければならない。ワイは猫好きだから、ウサギ年というより、東南アジアで用いられているようにネコ年といわれるのを好むが、イノシシ年を中国のようにブタ年と呼びたいという日本人はあまりいないだろう。

 東新町アーケードの正月のイルミ。年の暮れというのに閉まっている店が多く、ほとんど人通りもない。イルミにはちゃんと来年の干支のウサギがいる。


2022年12月26日月曜日

まだまだおさまりそうにないコロナ

  徳島でも毎日千人を超える陽性者が発生している。ウィルスについてのことはよく分からないが、変異も多く、短期間で新型株が出ているようだ。怖いのは強毒性に変異することだ。いま流行の中心は「オミクロン株」とその類似株だ。今のところ強毒株はないようだが、来年はどうなるだろう。不安だ。

 今月初めに役所から五回目の接種申込書が届いた。最初は、今年の盆過ぎに私自身陽性になったこともあり、免疫も出来ているだろうから、どうしようかと迷ったが、減りそうにない徳島のコロナ陽性者と、中国で感染爆発しているらしいとのニュースを聞いて、五回目の接種を決断し、今日申し込んだ。

 その中国では、今日の新聞によると一つの省(浙江省)だけで、なんと1日100万人の陽性者が出たそうだ。記事をよく読むと、怖いのは桁外れの陽性者が出ると、ウィルスが変異しやすく、その変異速度も速くなるので、新株がどんどん発生することだ。また人間と家畜・そのほかの動物とのコロナウィルスの共感染で、とんでもなく恐ろしい病原性に変わる可能性もあるそうだ。そうなるとまたそれに対応したワクチンを作らにゃならず、そのタイムラグでパンデミックと言うことも考えられる。

 今冬は寒くなりそうで、ただでさえ普通の風邪(鼻水や咳など)に罹りやすいのに、コロナ、そして旧来のインフルエンザと、多くの疾患の心配をせにゃならん。

2022年12月24日土曜日

やまさんのジングルベー雑学


  古希を過ぎたワイらの世代でも子ども時代(当然昭和30年代)のクリスマスの思い出がある。小学校時代、商店街では多くの店がクリスマスの飾り付けをしていた、赤や金、銀のモール、玉、そして雪に見立てた綿などを、切った生木につけてクリスマスツリーを作り店頭に置き、また商店街の拡声器からは「ジングルベル」の曲が流れ、クリスマスの雰囲気を盛り上げ、ワイら子どももなんとなく浮ついた気分になりうれしかったものである。

 あまりいいおやつなどなかった子ども時代、クリスマスのうれしさの大半は、ケーキが食べられるということであった。今のようにケーキなど食べるのがありふれた時代とは違い、ワイらの子どもの時はケーキなんど食べられるのはまずクリスマスを除いてなかった。祖父母に育てられ貧しかった我が家でも、クリスマスのときは孫のために張り込んだのか、ケーキを用意してくれた。丸形のいっちょう小ンまいケーキではあったが、それでもローソクの数本は立てるようになっていた。生クリームなんどではなく、安物の無塩マーガリンを甘く味付けした(マーガリン)クリームではあったが、それでもその彩られ形成されたクリーム、そして中のスポンジケーキの味わいは一年に一度きりの、この上ない甘美な味わいであった。

 明治生まれの祖父は、クリスマスが近づくと、「ジングルベーなど、耶蘇教の祭りじゃ、なんで、喜んでせにゃならんのじゃ」と(祖父はなぜかクリスマスのことを、ジングルべーといっていた)ブツブツいっていた。それでもカワイイ孫のためか、ウチの庭にあった大きめの盆栽の木を用意してくれ、綿や、ワイが学校で工作の時間作ったクリスマス飾りをつけて(不格好だが)クリスマスツリーを作った。

なんでクリスマスは24日のイブと25日の2日間あるのか

 その小学校の頃、こども心に不思議に思ったことがある。低学年の頃は暦などの見方も分からなかったが、3年生くらいになると「日めくり」などを破くとき(今は見かけないが昔は毎日一枚ずつはがす「日めくり」があった)書いてあるその日の行事などを読むようになった。そこでクリスマスには、どうも二日間あるのだ言うことがわかった。24日「クリスマスイブ」とあり、また25日「クリスマス」となっている。これはなぜだろうとおもった。日本の祭りでも宵宮があり、前夜祭的なものかとおもうこともあったが、しかしどうみても25日のクリスマスより24日のイブの日が大がかりである。むしろ次の25日などは、売れ残ったケーキの安売り、大急ぎで片付けられるクリスマス飾りなど、いわゆる「六日のアヤメ、十日の菊」状態(いわゆる後の祭りで、無駄なことの例えである)である。これは疑問のまま分からずに大人になった。その疑問が氷解したのは「比較宗教学」関係のユダヤ教の暦に関する説明を読んだからである。

 我々は太古の時代から日を今日、明日、二日後、三日後と区切っていた。夜が来て、寝て翌朝目が覚めると次の日が来る、というのが原始人に限らず現代人でももつ日の感覚である。しかし、人間の知能も進んでくると、厳密に考え出した。今日の終わりの時点はいつで明日はいつから始まるのか。寝ている間は無感覚であるから、翌日明るくなれば次の日でいいじゃん!と考えるのがこれまた普通の感覚である。それならみんなが寝静まる深夜に日の替わりの瞬間を持ってきた方がよかぁ~ないか、っつうんで深夜12時が日の変わり目となるのが一般的だ。これはローマ以来、西洋も、古代中国以来の東洋も替わらない。東洋では深夜12時の、子の刻の始まりが一日の最初となる。

 しかし古代ユダヤ人は違った。瞬時の日の変わり目が、寝ていて無感覚の深夜の間におこるのが、どうも気色悪いのか(ワイだと逆に、寝とる間の方がいいが)。一日の終わりを地平線に太陽が沈む時にした。すると太陽が沈むと翌日になる。結局一日の始まりは日没時で、それから、夕食時~夜~深夜~朝~昼~そして夕方の日没が一日の終わりとなる。そうなると、つまりこうだ。キリストの生誕の日は、日没から次の日没までとなる。そうすると今日の夜のいわゆる「イブ」と翌日の昼間は「同じ日」と言うことになる。だからユダヤの日付では今日の夜のイブと翌日の昼間は同じ日ということである。現代の日の変わり目からゆうと今日のイブと明日の昼は別の日だが、キリストはんのいたユダヤの日の感覚では同日なのである。なぁ~るほど納得!

そもそもイエスはんってホンマにクリスマスに生まれたんかぇ?

 クリスマスは冬至のだいたい二日後、北半球では夕暮れが早く夜長く、寒さの増す季節である。まぁ、2000年も昔だから、誤差として数日は認めてもいいが、イエスはんは冬至の数日後あたりにホンマに生まれたんか?という疑問がある。古代でも王侯貴族なら生まれた年月も記録に残る場合が多いが、なんぼぅ後に「大教祖さま」になるにしたって、生まれたときはビンボ人の大工の小せがれである。母や父が頭に記憶に残しているが、確たる記録なんどはちょっと怪しい。おっかさんのマリヤはんから弟子に口づてに伝えたことも考えられるが、冬至頃の誕生というのはある「文献」の上からでも疑問が呈せられている。

 その文献とは他ならぬ「聖書(新約)」の「ルカによる福音書」である。その2章8節には次のようにある。この節はキリストが生まれた時の様子を記したものである。

「その地方では羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき・・云々」

 とある。生誕の地ベツレヘムは緯度で言えばワイの住んどる四国と替わらない。冬至頃は草木も枯れるし、かなり寒くなる。現代でも古代でもこの時期、野っ原で羊を放牧し、羊飼いが野宿することはないそうである。この時期は羊は屋根のある所、一歩譲って露天としても密集した囲いの中、で飼われており、当然、羊飼いも小屋や家の中にいて、野宿するなどあり得ない。そうするとまず11月中旬から~翌年の春まではこのような情景はないと言うことになり、12月24日の生誕は怪しくなる。聖書の記述を信じるなら、この時期以外の季節の誕生が考えられる。

 それではなぜ、この12月24日にキリストの生誕を持ってきたのか?誤った伝承でそうなった、だけとは言えぬある「事情」があるんやないかとワイは思っている。それはこの日が「冬至の直後」ということである。冬至の2日後、冬至に極大を示した南中時の棒の日影はこのクリスマス頃、ようやく目に見えて短くなることが確認できるのである。太陽が高さを回復し、日中もようやく長くなる兆しを見せるのがこの日なのである。いわゆる「一陽来復」である。北半球の高緯度に住む人々ほどこの日の「一陽来復」を待ち望んだ。そしてこれらは「弱っていた太陽が勢力を増す」うれしい日として古代人は祝った。冬至直後にあるこのような古代人の祝祭は多くの民族が形を変えてもつものである。

 キリスト教はドずンべらこい布教の手段を使うときがある、キリスト教は各地にある教宣前の土着宗教を頭から強圧的に抑えるのではなく、土着の聖地とされる土地にキリスト教の教会を建て、以前からの土着信仰の聖地をキリスト教の祈りの場所にすり替えたりしたのである。そうすることにより祈りの場所としての抵抗感をなくすことができる。それと同じように、古代からあった「太陽回復の祭り」の日をキリスト生誕のクリスマスにすることにより、古代の「一陽来復」のめでたい祭りをキリスト教の祭りにすり替えたんじゃないかと思っているが・・・ワイのコンジュ悪る、な推理かもしれん。

え?ギリシア正教ってクリスマスが1月7日やってぇ?

 今日のホットなニュースであるが、ウクライナではクリスマスをロシアと同じ1月7日に祝っていたが、ご存じの通り、ロシアとは現在戦争中、国民感情のロシア嫌い、西側が好き、という事もあってか、ウクライナは旧来の1月7日クリスマスを世界基準の12月25日(前にも言ったが前日イブも含む)に合わすそうだ。

 でもロシアの準国教である「ギリシア正教」では1月7日がクリスマスやったんやな、これは知らなんだわ。これは現代日本での「元日」を新暦で祝うのと旧暦で祝うのとにちょっと似ている。日本の場合は二つの暦、つまり「太陽暦」と「旧暦」(厳密には太陰太陽暦)の違いで二つの異なる元日となるのである。

 同じように世界標準の暦は「グレゴリオ暦」であるが、ギリシア正教の宗教儀式の暦は現在でも「ユリウス暦」をとっているのである。そのため旧正月のように同日同月でも暦が違うとずれを生じるのである。そもそもはユリウス暦(太陽暦)が唯一で西洋もロシアも16世紀まではそれを使って一致していた。ところが太陽の公転周期の日数には端数がある。ユリウス暦は単純に0.25日長いとして、四年に一度の閏日を入れた。ところが厳密には0.25日長いのではなくわずかではあるがそれより0.0078日短かったのである。太陽暦は日付と春分点が一致しなければならない(3月21日)ところがわずかなずれでも何百年、千年とたつとそのずれが10日間弱にもなった。こいつはいかん!となって、ユリウス暦1582年10月4日木曜日の翌日を、曜日を連続させながら、グレゴリオ暦1582年10月15日金曜日とすることを定め、その通りに実施された。またわずかだが0.0078日の差も以後の補正をするため、うるう年は100年に一度、ちょうど100で割れる年は「うるう日」を作らない。ただし、2000年など、400で割れる年は、「うるう日」とすることを決めることで補正するようにしたのである。

 ところがギリシア正教では(ロシアの社会は革命後グレゴリウス暦を採用したが)いまだにユリウス暦を守り、ますますグレゴリウス暦との日の乖離が進み、その結果、ユリウス暦では、12月25日は1月7日となるのである。なるほどよ~わかったわ。

イエスはんはどの暦で生活したん?

当然ながら現在のグレゴリウス暦でもないし、また当時の支配者であったローマ帝国のユリウス暦でもない。イエスはんが活躍した時代にはキリスト教の最大の祭りクリスマスもない、というかキリスト教が誕生するのはイエスはんが磔刑になったあとである。当時のイエスはんはユダヤ教徒である(異端とされたがユダヤ教の範囲内のことである)。そのイエスはんの生きた時代のユダヤ教の暦は、なんと日本の旧暦とよく似た「太陰太陽暦」つまり新月を月の初めとし、各「月」が季節と大きく乖離しないよう、時々「閏月」を入れる(そのため一年が13ヶ月になることがある)。このユダヤ暦は現在でもイスラエルでは用いられている。

2022年12月23日金曜日

近年にない大雪じゃ

  積雪などほとんどない近年には珍しく、昨夜からの雪で朝はこの通りの大雪(雪国ではたいしたことないのだろうが暖国徳島では大雪だ)。降雪の強弱はあっても今日一日、夜まで降り続くようだ。天気予報では明日は晴れるようだが、降雪が解けず屋根や木々に残っていると、イブは暖国ながらホワイトクリスマスになるが、さてどうだろうか。

2022年12月22日木曜日

今日は冬至

  今日は冬至、昼の時間が一年で一番短い。また太陽の南中高度が最も低くなる日だ。といっても生活実感としてはそんなことより、ともかく日の暮れがとても早く、弱日の日光で日向にいても十分暖まらないと言った方がいいだろう。

 冬至の風物詩としては「ゆず湯」が知られている。我が家の風呂でもゆず湯が出来ないことはないが、それより400円びゃぁで「銭湯」へいって、今日限定の、ゆずの浮いた風呂に入る方が手っ取り早いし、よく温もる(ただし帰るまでに湯冷めせんようにせにゃならん)。暖かく着ぶくれして行こうと思っている。

 今日からまた寒波が強まり数日つづくそうだ。西日本でも降雪があると言っていたから、もしかするとクリスマスイブは徳島でも珍しくホワイトクリスマスに期待が持てるかも知れない。ワイも若いときなら「ロマンチックでええわ」とおもっていたが、歳ぃいって孤独と寒さがこたえる老骨には、なんちゃ、うれしいこともないわ、風も、雪もおこらえなして!じゃわ。

 陽が南中する正午頃の徳島公園にて、長い影が地を這っている。


影の角度を計算すると、90°-[23.4°(地軸の傾き)+34°(徳島の北緯)]=約32°、になるはずだ。

 影の先端とポールの先端を結ぶと、それくらいの角度かなぁ?

2022年12月11日日曜日

師走の駅前

  JR運賃は来年に値上げになる。遠くへの移動が主に汽車である私にとってはまた一つ生活が窮屈になる原因となる。世の中、何もかも値上げである。スーパーに行って値札を見ると、夏頃と比べて値上げしていないものを探すのが難しいくらい、なんでもかんでも値上がりしている。当然、重油、灯油、なども上がっている。そんな中、JRは比較的良く持ち応えたものだと思わなければならない(値上げは来年になってそれも春以降と言われている

 マイカー社会になって久しく、JR利用客は減る一方だが、その中でもJR四国はもっとも企業規模も小さく、これ、もし公益性がほとんどない私企業だったらとっくに倒産しているに違いない。企業だから目的は利益であるが、運賃はそうそう企業の都合で勝手に挙げられないところが苦しいところである。人員削減、合理化といっても限度がある。安全性を担保しなければならないからである、それじゃぁ、どこかに売っぱらう、あるいは思い切って赤字部門を(つまり収益率の低い路線)を切り捨てるか、ができるかと言えばこれも公益公共の点からやりにくい。結局、赤字体質のまま衰微せざるをえないのだ。はっきり言ってJR四国ほど将来性のない企業もないだろう。

 汽車の利用の衰微は各駅前の衰微と共振同調している。私が乗り降りするのは徳島駅以外では蔵本駅鴨島駅であるが、これらの駅前のさびれようはただ事ではない。昭和の時代と比べると店の大半は消滅している。鴨島駅前はシャッタをしめた廃屋のような店が並んでいるし、蔵本駅前も大きな店はほとんどなく、こちらはなにか再開発の予定があるのかやたらと更地が目立つ。

 日暮れのはやい師走、暗くなりますます寂しくなったこれらの駅前で点滅を繰り返し存在を示しているのが、冷たい色どりの蛍光のイルミネーションである。各商店街組合がせめてイルミだけでも賑やかにとおもったのだろうが、人気のないところでの冷光の点滅は、ますますわびしさを感じさせるものとなっている。

 これらの駅に比べるとさすが徳島駅は徳島・鳴門・高徳・牟岐各線の終着であるし、バスターミナルもあるので乗降客もかなりある、駅前の店も賑わっている、12月になり旧そごうのアミコビルもリニューアルし、今日の日曜はいつになく客で繁盛している。ただ徳島駅前も表の見かけは華やかだが、裏通りにまわると客はウンと少なく、寂れた店が多い。ポッポ街の昭和時代、師走にはずいぶん人であふれかえっていたが今はまばらで閉めた店も多い。そんな状況の中、今日、徳島駅前のポッポ街を活性化させようと、城ノ内高校2年生の有志9人が、県産のユズやミカンを使った食品を提供する催し「ゆずとみかんのとくもぐすとりーとinポッポ街」を開いていた。その宣伝マンさんが駅の入り口付近で催しの広報をやっていたがその格好が面白いので、許可を得て撮影させてもらった。


 二人いるようであるが実は一人である。二人羽織に似た格好で、小さい子どもなどは興味をひくのか立ち止まって見ているし、大人も結構注視している人がいたから宣伝効果はあったようである。

これを見た時、私は「江戸職業づくし」のなかの『えぇ~、親孝行でござい』という職業(江戸ではこれも立派な稼ぎ職人芸)を思い出した。どんなのかというと、左のように一人の人間が前に等身大の人形を腰に結び、いかにも子が老親をおぶっているような格好をしながら、「えぇ~、親孝行でござい」とふれまわり、その親孝行(の芸)で人々からいくらかの銭をもらうというのである。


 まったく馬鹿馬鹿しい、芸ともいえぬパフォーマンスであるが、江戸ではけっこうこういう商売芸が成り立ったのである。もっと面白いパフォーマンスもある。小道具も衣装も用意できぬ身一つの貧窮者がいた場合、「えぇ~、熊でござい」というのもある。素っ裸になり、全身に墨をぬり、熊の態にして、えぇ~、熊でござい、と言いつつ人々の間をまわるのである。それでも江戸の人は面白がってか、あるいは哀れんでか、銭をやったそうである。それで一日の食い扶持くらいは稼げたそうであるから、江戸という町の包容力はすごい。いまだとボランティアの炊き出しか、公共団体の福祉のお世話にならぬような人でも、江戸ではこのように「稼ぎの仕事」をしていたのである。

 この宣伝マンさんを見つつこのようなことを思いながらアミコ正面に向かうと、えらい懐かしい歌が聞こえてきた。
 ♪~恋人はサンタクロース、背の高いなんちゃらかんちゃら~♪

 アミコ正面へいくエスカレータをあがると少女が歌っていた。松任谷由実さんの「恋人はサンタクロース」の歌である。これを聴いたのは私が36歳のころみた映画であった。気に入ったので当時最新の機器であったCDディスクを買ったのを覚えている。この頃はまさにバルブの真っ盛り、そのおこぼれに預かり私も金銭的には結構華やかな思いをさせてもらった。そのようないい思い出がよみがえって来たのでデジカメ動画でこの少女の歌を撮影させてもらった。

2022年12月7日水曜日

五番札所地蔵寺

  境内に大きな銀杏の木がある。ハラハラと間断なく葉が落ちている。数日を経ずして寒々とした冬木立になるだろう。


2022年12月5日月曜日

初冬雑感

暖房

 電気代も値上がりするっちゅうし、灯油も高値を維持している、寒さが身に応える老体には暖房費に気を遣わねばならないので余計に窮屈さが増す。灯油タンクの備蓄は風呂燃料のみの消費で、石油ストーブは倉庫にしまってもう5年も使わない。冬を乗り切る暖房は、ホットカーペットと櫓炬燵のみである。時たま、エアコンを暖房モードで運転するが、これは主にメンテナンスと故障していないかの様子見のためで長時間つけるわけではない。

 真夏の絶えきれない猛暑の気候の時は、以前もブログで述べたように、お釈迦はんのインドの酷暑に比べりゃぁどうっちゅうことないわ、と我慢したが、今年は、ニュースでウクライナの人々がロシアの攻撃により電気のないなかで寒さをしのいでいるのを思いやり、それが我慢の根拠となるかも知れんが、健康を損ねてはお話にならないのでこのような「精神的対処」はまぁ半分冗談のようなものである。

テレビ鎌倉殿

 権力争いを見るにつけても、互角同士、生きるか死ぬかの激闘暗躍を見るのは、ハラハラドキドキもあって時代劇の楽しみとしては面白いが、終末期の鎌倉殿は「反逆は芽のうちに摘んどけ」とばかり、反逆の根拠さえ怪しいのに義時は、強大な権力を握った独裁者的な思惑で、部下や歳若い者をブチ殺し続けているのは、好きになれない、もう見たくはないのだが、あと二回で終わりなので、中世のエポックメーキングと言える「承久の乱」がどのように描かれるか、みるのがちょっと興味があって見ている。

 それにしても鎌倉殿のこの毎回血しぶきが飛ぶような誅伐というか謀略の殺戮は見ていて鼻についてくる。いわゆる「一所懸命」で自分の封地や職に命をかけるのが「鎌倉武士」ではあり、東国の武士(もののふ)たちの性格とはこのようなものであろうとは思うが、最高統治権をめぐる争はそれが終わるまでは血みどろとなるようだ。泰時にいたりようやくその目的が達成され安定期に入るがそれはテレビ「鎌倉殿」以降の話である。

 「鎌倉殿」は人気脚本家の創作時代劇であるが、依拠する史料は「吾妻鏡」である。幕府の公式史書扱いの史料である。ドラマの血なまぐささは決して脚本家の創作ではなく、事実、この「吾妻鏡」に基づく。そのためか、歴史好きの私としては、話題になった史書には一応目を通すのが普通であろうが、度重なる白刃を振るっての、吾妻鏡に載る事件、騒動を読むのはうんざりして読みたくない。その代わり私が今読んでいるのは同時代の歴史資料(史料ではない)として読まれている「増鏡」である。こちらも鎌倉時代をずべてカバーする「編年体の歴史ものがたり」である。王朝ものの系譜をひく歴史ものがたりである故、血なまぐさいことなどはない。「実朝暗殺」にしても、他の鎌倉の「騒動」も、また承久の乱も、蒙古襲来も記述はあるが優美な文体の中に淡々と事実が述べられているに過ぎない。どうせ読むならと、こちらの血なまぐさくない方を資料として、私は読んでいる。

 昨日のドラマでは「施餓鬼」を挙行し、当時の鎌倉庶民たちがチョロッと出てくるが、鎌倉時代の庶民の生活を知るのにもってこいの資料がある。私は以前購入して(かなり高価だったが)持っているが「一遍聖絵」である。絵巻物であるため、誰が見てもおもしろい。表面上をなぞるだけでも面白いが、深読みをすると、専門的な博士論文が何枚もかけるような貴重な資料である。つまり歴史好きの素人だろうが、専門家だろうが、だれもが読む価値のある絵巻物である。

 下は聖絵の中から、一遍上人が鎌倉で執権時宗に出会うところ


 サッカートーナメント

 リーグを勝ち上がった16チームがそろったが、一昨日からトーナメントも行われ、はや8強の4チームが勝ち上がっている。オランダ、アルゼンチン、イングランド、フランス、である。私はサッカーファンとしては全くの無知であるが、その試合に先立って、指標にしていたのが「各国の世界ランキング」である。それによると、オランダ(8位)対アメリカ(16位)、アルゼンチン(3位)対オーストラリア(38位)、イングランド(5位)対セネガル(18位)、フランス(4位)対ポーランド(26位)である。これを見ると、私の素人目だがやはりランキングは嘘をつかないと言える。ランキングが下位で、今のところ8強に勝ち上がったところはない。

 いよいよ深夜、日本対クロアチャであるが、この世界ランキングは日本(24位)対クロアチャ(12位)である。今までの流れを断ち切ってランキング下位の日本が上位クロアチャに打ち勝てるか。もちろん日本を大声援するが、今までの実績ではクロアチャがずっと上だったのだ。さてどうなるか。こりゃテレビ「鎌倉殿」以上におもっしょいわ。

 勝って、三苫と田中の抱き合っての芝生コロコロ、と長友の「ブラボー」の絶叫、また見たいわ。

2022年12月2日金曜日

無敵艦隊破る

  午前5時過ぎにションベンに起きたのでサッカーの試合途中経過を見ると、な、な、なんと!2-1で日本が勝ってるやないかぃ。まさかスペインとやってリードなんぞできると思うてなかったのでびっくり。なんとかこのままの状態を保てと思ってたが、心臓に悪いのでいったんTVを切って、次につけたらなんと日本勝利、正直、勝つとは思わなかったわ。

 スポーツ紙でスペインチームを「無敵艦隊」と表現しているが、これはご存じ世界史のイングランド対スペインの、英国の存亡をかけた大海戦、スペインは「無敵艦隊」を率いて英国攻略に乗り出した。時は1588年、日の沈むことのない大海洋帝国スペイン対弱小国英国、そのスペインの「無敵艦隊」が貧弱な英国艦隊に対したのである、誰も英国は負けて英国女王も踏み潰されると思った。しかし、大方の予想を裏切り、弱小の英国がスペインに勝ったのである。英国の海賊船を使った縦横無尽な戦略が功を奏したと言われている。

 世界ランクの遙か上のスペインを日本が負かしたとき、この1588年の無敵艦隊・アルマダの敗戦を思い出した。

 この後、英国はオランダをぶち破り、フランスとの世界規模の小競り合いにも勝ち、大英帝国の発展につなげるのである。

 幸先いいぞ!日本、がんばれ。

 だが、ランク遙か上の強豪には勝つが、同輩や格下に負ける傾向がなきにしもあらず、コスタリカなんかみておもう、なんとか次も勝って8位をものにして欲しい。

 急遽、にわかファンになったワイ。お気に入りの選手、スペインのガビ、と堂安ドウアンと読むらしい、時代劇の医者みたいな名じゃ)