2020年10月17日土曜日

龍の祟りか、はたまたお大師っさんのバチが当たったのか

  大けがをした当初はあまりにも生々しくて(というのもケガ現場からそれこそ死ぬ思いで這うようにして道路まで下りてきて、そこから救急車によって地元の病院に運ばれ即入院、翌日手術になり、全治数か月という大けがになったため)このことについてブログのネタにする気も起らず、その代わり、けがの原因となった太龍寺参拝と旧遍路古道の写真などをもとに1~5までの太龍寺についてのブログを作った。でもまぁ、大けがから一か月半もたち、ようやく大けがについての記事を書ける気になった。

 この古道は前のブログでもちょっと述べたように龍の岩屋へ通じる道でもあった。非常に急で坂には上り下りの手助けのためロープが平行に沿って張られている。ところがそのロープ、山道の地を這うように設けられているため、泥などにもぶれまくって、ロープを握るとまるで泥の塊を握ったように手が泥まみれになってきちゃないことこの上ない。最初はそれでも握っていたが、辛抱たまららず、手を放し、杖を頼りに急坂をそろそろ下りだした。

 反射神経や筋力が優れていた若い時なら何とか急坂でも降りられたのだろうが、何度か滑るうち、とうとう、最悪の滑り方をし、かなりの高低差を滑り落ち、かつ左足を妙にねじってしまった。今から思うと確かにその時、ボキ、っとかいう鈍い音がした。今まで骨など折ったことがないので、そのときはまさかと思い、たぶん、そうあってほしいと思ったのだろう、小枝を踏みしだいたのだろうと思ったが、後々その周りの状況を考えると骨の折れた音以外は考えられない。

 骨折したに違いないと思ったのは、その鈍い音よりも、墜ちた後感じた打ち身や挫きとは違った異様な足首の痛さにあった。さぁ、たいへんだ、どうする。携帯は持っていて圏内だが、連絡したとしてこんな山道に救急隊がどのようにして駆けつけてくれる?もちろん救急隊員はそんなことも想定済みだから、頼べば否とは言わないだろうが、時間がかなりかかりそうだ。たぶん二人手で持つ担架だろう。しかし、そのけがの場所は古道をかなり下まで降りたところだったので、救急車が通る道までは1kmもないだろうと見当をつけ、何とかそこまで自力で行くことに決心した。

 けがをした左足をかばうように杖を頼りにゆっくり歩くが、どうしても左足は動かさないわけにはいかないがそのたび痛みが走る。地獄に落ちて針の山を歩かされるのはこんな感じだろうかとおもったり、なんの因果でこんな目に(その時は祟りとかバチとかは考えなかった)、とか、これから受けねばならぬ今まで経験したことのない骨折の手当や(もしかしたら切開手術か)、そしておそらく全治まではかなりかかるだろう、いやもしかすると完全には治らず後遺症に悩まされるだろう、とかさまざまな思いが次々湧いてきた。痛みとそんな暗い思いで半泣きで降り下っていった。

 谷あいに拓かれた田や畑まで降りてきたときは、ああ、もう少しで道に出ると感じた。続いて農作業小屋のようなものが見え、しばらく行って観音庵が見えてきた。その前まで車の入れる道が引き込まれている。それを見たときは、ああ、助かったと心底思った。下に見えるのがその観音庵である。あとになってググルの地図で確認すると確かに集落の最もはずれ(ということはここで車は行き止まり)にある「あせび観音庵」ということがわかった。下がそのあせび観音庵の写真である。

 この写真、実は大けがをしてようようの思いでたどり着いたときに撮った写真である。よくそんな大けがをして必死でたどり着いたのによく写真など撮れる間があったな、と思われようが古道の石仏や石造物などを写真におさめるためコンパクトな写真機を持っていたのと、当日は平地最高気温35°の猛暑である。もう喉はカラカラである。痛みも激しいし、このあせび観音庵で一服してペットボトルの水を飲んだのである。その時、撮った写真である。

 この場所まで道路は伸びているが道幅は救急車が入れるギリギリである。水分を補給し少し休んでちょっと元気が出たこともあり、そこから数十メートル歩いたところにあるもっと幅の広い道路にでてそこから救急に電話をした。救急になど電話したことが今まで一度もなかったため、市外局番なしに携帯から直近の救急隊まで連絡がつくか半信半疑で119だけを押した。すぐでた。そこで名前、年齢、怪我の状況、現在の位置、などいって救急車の要請をした。10分ほどで着くだろうとのことである。切ってからもう一度あちらから電話がかかってきた。ほとんど私から言うことはなかったはずだが、確認のためだったのだろう。下は到着する救急車、握っていた携帯の写メールで撮った。

 救急隊員は運転手も入れて確か4人いた記憶がある。足を固定し救急車に乗せ、付き添ってくれたのは若い隊員で丁寧で優しく、また運送中頻繁に声をかけてくれた(たぶん意識状態を見るためだろうが)、心もかなり折れていたのだろうと思うがそんな(マニュアル通りかもしれないが)救急隊員に感激した。手を合わせたくなるほどありがたかった。

 運ばれたのは地元の総合病院、平日の午後3時過ぎであったのでフルの医療スタッフがいて検査診断はあっという間だった(レントゲン、CTも撮って)。足首の骨折、すぐ入院、翌日手術である。その時は気づかなかったが診察が終わって病室へ行って(レンタルの)パジャマに着かえたとき、着ていたシャツ、ズボンが汗と泥でべとべとになっている、非常に汚い、また着ている自分は気づかないが汗やその他の(幸い失禁はしなかったが)匂いがきつかったに違いない。救急隊員や医療スタッフに相当不快な感じをあたえたと思った次第である。

  
太龍寺山の標高はそんなに高くはない。でもググルマップの鳥観図で見ると違った山の性質が見えてくる。赤の矢印が古道が通っている怪我をしたあたり、ずいぶん険しい山道であることがわかる。黄色の矢印が救急車を呼んだ場所である。白くがけ崩れのようになったところは石灰採掘場、二か所見える。そして一か所くぼ地がある。これが鍾乳洞が破壊された跡である。


2 件のコメント:

カルロス さんのコメント...

ほんとうに大変でしたね。
怪我をしたらしいというのは、わかりましたが、
そんな大ごとだとは思わんかった。
ゆっくり養生してください。

yamasan さんのコメント...

ありがとうございます。当分、山岳の聖地には行くけまへん。歳ぃいって無理したらあきまへんな。でもなんもせんとボ~っとするだけやったら痴呆が心配やし、ボチボチ何をしようか考えますわ。