墨
資料館の発掘物の写真
昔の筆記用具は。紙(和紙)、毛筆、墨と思ってらっしゃいませんか?
平城宮の昔でも紙はありましたが、貴重なため普通は木簡という薄い木の板に墨書しました。上記の写真の板ベらがそうです。その上に直角に置いてあるものは小刀。何のため?これ、消しゴムのようなものです。間違えれば小刀で木の表面を削り字を消すのです。
硯は丸いですね。そして墨があります。油煙の煤と膠から墨を作ります。1300年たった今でもこの奈良は墨作りで有名なこと、知っていましたか?
ところでこのブログを読んでるあなた!墨などすったことありますか?そもそも「墨をする」意味が分からない若者が増えていますね。
そっくりそのまま移転
昔の日本の木造建築は釘、金具留めなんかは使わない。ロゴのように挿し込み式、組み立てで作っていく。だから、解体し、運び、また、組み立てることも容易である。
ここ平城宮では木簡、小物の遺物は発見されているが、大極殿、朱雀門の柱、瓦などは埋もれた遺物として発見されていない。
それはここから長岡京(京都)に遷都する時、すべてばらして持って行ったためである。そして長岡京の予定地で正確に元のように組み立てるのである。
下の写真は遷都のため、建物をすべて解体し、運ぶところである。
2 件のコメント:
私の時代はまだ習字の授業がありましたので、こすって書いた記憶があります。磨る感触は覚えていますし、汚れるのにビビッていたような気がします。
昔の日本の木造建築はプレハブ工法だったんですね。我が家もプレハブなんで親近感を感じます。(^_^.)
お家の環境整備は済みましたか。
我が家は私一代で終わるため、荒れるに任せます。終わりも近いのでちょうどいいです。
「するすみ」という名は鎌倉時代の名馬にありました。面白い名ですね。
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