2012年9月23日日曜日
車争い
現在、私は車を持っていないが、車を所有しているとなにかと争いがある。駐車に関すること、あるいは走っていて、クラクションを鳴らされたの、割り込みをされたの、といろいろある。グッと我慢をすればよいのだろうが、むらむらと怒りがこみあげ、そして対抗心を燃やすと争いになる。
所有欲からいろいろな争いのタネは芽生えるが、車はとりわけ所有存在の大きなものである。というのは、片や軽四の中古のぼろ車と高級車と比べると、どちらが「ワイが所有してるんだぞ!」という所有感・存在感が大きいか、下世話に言えば、どちらが「乗っていて偉そうにふんぞり返れれか」を考えれば明らかであろう。
もともと車はそういう俗物的な所有欲が極めて強い上に、人はハンドルを握ると、遠い昔の騎馬民族の血が騒ぐのか、ハンドルを握るだけで体も動かさないのにアドレナリンが多量に放出されるせいか、トチ狂う人が多い。
普段は温厚な人なのにハンドルを握ると恐ろしく攻撃的な人格に変わる人がいるとはよく聞く話である。
ここで「争い」とはいっても、血の雨の降るようなバトルを言っているのではない。(まあ、たまに車から降りて路上でつかみ合いの喧嘩をする人がいるが、そんなことは稀である)
ちょっとした競争心、対抗心、そしておそらく嫉妬・羨望がちょっぴり入っているかもしれない。冷たい(表にはあまり出ない)争いである。
じゃあ具体的にどんな車争いがあるのだろう。現代の車争いをネタにするのも面白かろうが、今日は1000年前の車争いについて書きます。
1000年も前に車なんてあったの?あります。自動車ではありませんがこんな牛にひかせる牛車がありました。
今夜放送のNHK大河の「清盛」の展開はこの「車争い」がモティーフになっているのです。『殿下乗合』事件です。牛車が二台出会います。一方は身分が高い場合、進路を譲るとか、それなりのご挨拶をするのですが、先にも書いたようにいい車に乗っていると、どちらも人格が攻撃的でギスギスしたものに変わるのでしょうか
「おらおらおらおら!どけどけ、車で踏みつぶされんど~~~」
「無礼者!このお方をなんと心得る!」
「この成り上がり者め、どくのは、お前じゃ」
「えええぃ!かまわぬ、突っ込め!」
まあ、その場では、当たり前だが、身分の高い方が優先権がある。何とか身分の高い方が優位に立ったが、この争い、やはりというか、後々尾を引いた。争いは「仕返し」を引き起こす。
これよりちょっと前に車争いで有名なのは「葵上と六条の御息所の車争い」である。祭り見物しやすい場所に車をとめるのをめぐっての争いである。女同士の争いであるだけに、決して表には吹き出さないが、内攻してもっと恐ろしいことになる。負けた方が生霊となって相手の女を取り殺すのであるからすざまじい。
この生霊、やがて有名になり、立派な妖怪変化として成長する。夜な夜な都大路を徘徊し、恐れられる『朧車』妖怪となる。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
2 件のコメント:
いつの時代も乗り物を自慢する風潮はありますね。
借金してまでいい車にのる人の気持ちはわかりませんがカッコイイ車は大好きです。それが値段が高ければ買えませんが憧れるし持ってる人を羨ましく思うかも知れません。
ただ、見栄のために高級車を選ぶのが世の常であり、ベンツに乗っていれば銀行も融資しやすくなるかも知れません。割り込みが上手なだけではないんですね。(^^)/
まあ、自分は実用的な車がありその上でお気に入りの1台を持てるように頑張りたいと思います。
すべての人が車を持てる社会なんて、私が子供のころの昭和30年代は夢の話でしたが、今ほとんど実現しました。
いいことなんですけど、歩行者として見ていてマナーが気になります。
携帯を片手で使用しながら平気で運転し、しかもその状態で右左折までしています。方向指示器も出しません。怖いです。
何より安全に気を付けてほしいです。
コメントを投稿