2012年9月21日金曜日

土、水、火、そして風になり、空に帰するのか

 
 仏教の深遠な理屈は分からない。しかし世の無常を感じるとき、その無常を教え諭すのが仏教ではないのかと思う。

 一昨日から彼岸の入りでみんな墓に参っている。日本の多くの墓は仏式であろうと思うが、そもそもの(御釈迦さんの教える)仏教に墓などあったのであろうか。

 昨日、丈六寺へ行った。三門の近くに立派な五輪の塔の墓があった。巨大な五つのそれぞれ特徴的な形の石が積みあがって五輪のはずだが・・・
 三基の石が残って二基は下に落ちている。つまり墓が真ん中からポキリである。そして横には告知の看板が立っていて、「この墓の縁故者の申し出なき場合は、強制改葬にします。」というようなことが書かれている。
 まあ、理屈はともかく、はやい話がこの土地の管理者(寺だろう)がこの墓を取り潰し更地にするということである。つまり墓が無くなるのである(無縁塚で供養するとは・・・うまい言い逃れだ!)

 立派な墓で碑文も読める。安永年間、であるから江戸中期、名前は賀嶋そして名前に受領名(阿波守、上野介・・など旧国名の守の名)上総が入っている。これは蜂須賀藩の家老以外考えられない。

 「家老職にあった人の墓でも平成の世には、無縁仏で墓も無くなるのか・・・」

 石の墓さえ諸行無常の「法」の前にはむなしくなっていくのである。

 しかし、私が力説しなくても昔の人もわかっていたはずである。何世代かは供養もあるが、やがて訪れも無くなり、苔むし、風化し、無縁仏になることを。

 五輪の墓にその「法」(のり)が形となり文字となって刻んである。私は難しい理屈は知らないが下から見ると

 土・水・火・風となるにしたがい、次第に物質的要素やはっきりした形状が希薄になっていく。そして最上部は『空』である。

 「すべては空に帰するということか。墓さえ諸行無常から逃れえぬことをみんなちゃんと知っていてこんな五輪の墓にしたのか。」

 五輪の塔、そのもととなる土・水・火・風・空の五大元の本当の意味は知らないが、丈六寺の巨大な五輪の塔を見てそんなことを考えた。

 なお関連した私の以前のブログがあります。参考にどうぞ
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4 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

 お墓は、鎌倉時代に政府が農民をその場所に縛るために、仏教を利用して作り出した制度だと誰かが言っていました。そうであれば、大したものではないはずですね。人の肉体と同じで無知の欠片かもしれません。(^.^)

てるゆき さんのコメント...

墓の管理はせいぜい子孫にいる人でも2~3世代ではないでしょうか。僕は1人なので~

まあ人間死んだら何も分からないのでどうでもいいです。

yamasan さんのコメント...

>>しんさま

 古い民俗の祖先崇拝が仏教と重なってお墓が生まれたというのは一般的な説ですが、為政者が土地に農民を縛り付けるためという説は始めた聞きました。なるほどと思わせる説得力がありますね。(特に左翼史観の人には)

 これから墓などいらん!という人が増えますね。

yamasan さんのコメント...

>>てるさん

 でもお墓参りには行くんでしょう?なかなか断ち切れるものではありませんね。

 私は直葬か山の穴の中で即身仏です。