2011年2月27日日曜日

食べた後すぐ寝ると・・・ たらちねの・・・ のあとには何がくる

 このブログの横にガジェットというアニメが入っています。訓練校の授業でブログを始めて作ったときにデザインを選ぶんですけど、私は「うし」と「うさぎ」を選んだようです。
 ようですというのは、なぜこれを選んだか、そのわけを思い出せないのです。去年の十月ですから忘れるはずないのにどうしてもわかりません。選択に他にどんなものがあったかも覚えていません。
 たぶん、先生に言われるまま一番最初に目についたアニメを選んだのでしょう。かなりいい加減に決めたに違いありません。
 その時、先生から
 「一応なんでも選んでおいてください。これは後で変更できます。」
 と聞いたのは覚えている。

 それでこの「うし」と「うさぎ」であるが、気に入らなければ変更すればいいのだろうが、恥ずかしいことに変更の仕方を忘れてしまっている。
 うろ覚えで変更していて、「バチッ」とブログそのものが消えてしまわないか、ちょっと怖いので変更できずにいる。
 それにこの二つのキャラ、嫌いではない。かといって、愛すべきキャラとも思えないが、なんとなく愛嬌はあって、それにブログ誕生からずっとこの位置に鎮座して見守っていてくれるので愛着も感じている。

 この牛、最初の頃はわからなかったがよく見るとかすかに動いている。寝そべっていて手になにやらミカンか林檎かわからないが持っていてもてあそぶように動かしている。そしてもう一方の手はお尻を掻いているようである。
 牛が寝そべるとは、なんか微笑ましくもあるが、わたしは、ぐうたらした怠惰な風情を感じる。といって別に嫌悪感を持つわけではなくあくまで可愛さの範囲である。

 というのは子供の頃、食事をしたあと横になり寝そべっていると私を育ててくれた祖母が
 「食べた後、寝そべると、牛になる。」
 とよく注意された。「喰っては寝、喰っては寝」という言い回しがあるが、ぐうたらした生活を暗示していて、規律を重んじる昔の人は、このような行為を戒めたのであろう。

 そう見てみると、この牛、もしかして怠惰な生活を繰り返しているうちに、なんらかの罰や祟りで牛になった過去を持つキャラのような気もする。ただし、反省しているようすもなく、これはこれで楽しんで「ねそべり牛」をやってる。
 
 そして「うし」の下にある「うさぎ」、これも単純に可愛いうさちゃんとは見えない。
 露天温泉に入っていて、雪もチラホラ降っている。情景としては旅愁や郷愁を感じる。
 ところが、中に入っているのは、でっぷり太った鼠色の生き物、耳も大きくなくずんぐりした体形から巨大ネズミ・カピパラのよう。かろうじて兎唇(みつ口)からうさぎとわかる。

 それにこの胸から出てる突起物はなに?ブログをやり始めた頃は、これは手だ、手だ。と思い込もうとしていた。わざと拙劣に描いて、アニメを可愛く見せるのはよくあることなので手に違いないと言い聞かせていた。
 しかし、最近はこれ、乳房であることを確信している。でっぷりした肝っ玉母さん風の体形であること、おおきな垂れ乳であること、もうこれに間違いはない。だいいち、バニーちゃんみたいなウサギは頭のてっぺんにタオルなどのせまい。
 これはかなり年季のはいった「おっかさんウサギ」である。
 垂れ乳はなんら恥じるものでも、醜いものでもない。何人もの子供をこれによって立派に育て上げた象徴である。母性の権化といっても差し支えないであろう。我が国においては「垂れ乳」は西洋の聖母マリア像に比肩できる「聖なる母性」である。

 和歌には「枕詞(まくらことば)」というのがある。ある言葉の前におかれる飾り言葉のようなものである。
 「母」にかかる枕詞に「たらちねの」というのがある。「たらちねのはは」というような使われ方をする。この「たらちね」というのは、多くの子を育て上げた母が持つ、大きなしかし垂れた乳房の「垂れ乳」から来ている。
 たらちねとは、なつかしく、あまく、そして切ない母を感じさせる言葉だったのである。

 このように思ってみると、この温泉ウサギ、なかなか味わい深いキャラであります。
 

1 件のコメント:

てるゆき さんのコメント...

今の僕の毎日が、怠惰な生活です。

ガジェット 懐かしい言葉です。