今、アラブ諸国では、革命といってもいいような政治的変革が起こり、あるいは起こりつつありますね。エジプトでは数十年にわたる政権が倒れ、今、リビア、バーレーン、イエメン、イランでは大規模な反政府デモないし暴動が起こっています。これが政権交代をもたらすかは、まだわかりませんが、この地域に広がっています。
この地域では、いままで強権的に反政府活動が抑えられてきたようだが、インターネットの普及に伴い、情報統制が崩れてきたのが大きな一因と考えられているようです。
昨夜午後9時の、NHK特集で、チュニジアでなぜ大規模デモが起こり、結果として政権を倒したか。について分析してました。
政府の統制の目を潜り抜けるものとして、インターネットの「フェイスブック」をあげていました。プロバイダーを通す前に暗号化し、また、仲間内で、情報の共有を限定できるそうで、いわばお上の目を逃れつつ、大規模に情報が広がったのだそうである。
そして、大衆に火をつけたのは、フェイスブックへの動画の投稿であったといっていた。つい最近、日本でもユーチューブの動画投稿サイトの漁船衝突動画で、日本の政権が揺らいだのも記憶にあたらしいところで、政府に都合の悪い「動画」の破壊力の強さはご存じのとおり。
チュニジアでの理不尽な政府による弾圧への反発は「痛ましい犠牲者の動画」によって人々に広まり、澎湃として起こった反政府運動によって、政権が倒れたのであった。
インターネットの動画は、文字や言葉による情報よりも圧倒的な力を見せたのでした。
アラブ諸国のちょっとした革命の嵐とでも言っていいような動きは、広まりつつあるような気がします。
このような動きは、民主国家に生まれ変わるとき経なければならないプロセスなのでしょうか。
ヨーロッパ諸国は19世紀前半に革命や動乱の嵐が起こり、日本は1853年から幕末の動乱が始まり、1868年明治維新を迎えました。
このような古い時代であっても情報は人々を動かす元となったのは、今日のアラブ諸国と違いはありません。ただ、情報媒体は、新聞(幕末では瓦版)、ビラ、パンフレット、本、口コミ、アジ演説、などでした。
当時、動乱の嵐はゆっくりとだが着実に燃え広がりました。そして、19世紀末には欧州・日本では、議会が開かれ、立憲政治体制に移行し、民主主義のステップを踏み始めます。かなりの時間をかけての変革でした。
しかし、動画も含め、あらゆる情報を多量に瞬時にそして大勢に送れるインターネットの発達は、変革の時間幅をも大きく変えました。
アラブ諸国のあれよあれよという間の変革の速さに驚きを禁じえません。日・欧が数十年かけてやってきた民主化への動きを数か月、いや、数週間でやりそうな勢いです。インターネットの時代とはこのようなものなのでしょうか。
日本にいれば多様な情報媒体があり、また、良質の情報が任意に得られます。情報を統制されるということはありません。しかし、国の中には情報を統制し、上から一方的に押し付ける情報しかない国もあります。
そんな中、インターネットの普及はそれらの国に福音をもたらすことになります。世界的につながり、国の枠を越えて情報は広がり、結果、統制をかいくぐります。また、自らも発信者になることも容易です。革命的変革をもたらす情報の媒体としてまことにふさわしいものです。
パソコンを購入しインターネットをひいて半年、少しずつインターネットというものの使い方がわかってきた今日この頃です。そして、今、中東の革命的変革にインターネットが大きな役割を担っているということを聞くにつけ、インターネットが社会にもたらした影響の大きさを思わずにはいられません。インターネットがなんたるか知らずに60歳近くまで過ごした私ですが、中東でのインターネットが担った変革の嵐のニュースなどを見ていると、インターネットのもたらす影響を実地に勉強している気がします。
逆にいうと、日本のような自由な情報社会より、これらの統制された国の方がインターネットの威力がより強いのではないでしょうか。
これらの国が革命的変革に向けてエネルギーが強いのには理由があります。それは若年人口が日欧と比べて極端に多いことであります。チュニジアなんかは20歳以下の人口が50%以上といわれています。老人が多い国より若者が多い国の方が血の気が多いのは当たり前ですよね。
2011年2月21日月曜日
2011年2月20日日曜日
楽してドーンと金儲ける方法ないかいな
早朝、持病が出て心配したが無事におさまりホッとしている。そのため眠りも浅く、体もしゃんとせず、今日もあまり外へは出なかった。
不健全に家でボーっとしていると妄想が憑りついてくる。
今日の妄想は、楽して大金を手にできぬものか、というもの。
妄想だから手前勝手に何でも都合よく、あり得ぬこともなんのその、ありもせぬ大金を手にしたように興奮してくる。
たなぼたで大金を得るには?
あなたまかせで自分が全く努力なしに手にできる道の一つは、宝くじに当たること、もとで300円で億の金を得られる。
「ああ、これから死ぬまで贅沢三昧できる。」
ただ、当たる確率は極めて低く、やすやすとは実現しない。
次は、思わぬ遺産が転がり込んでくること、父方はみんなわかっていて、そんな遺産を残して死んでくれそうな親戚はいない。母方はよく知らないから、もしかしたらブラジルで成功した親戚がいて跡継ぎもなく、私まで遺産がまわってこないか。
まず、ありえないわな。
そして、たなぼたではなく、ホンのちょっと努力するだけで大金をせしめる方法。
思いつくのは、アイデア、特許、実用新案、生み出すのに少々苦労するが、一回当たれば、寝ていても権利に伴う大金が入ってくる。
大きく当たれば、小出しにする必要なく、たった一回、ポコッと生むだけでいいが、かなりな創造性は求められる。
凡人がまぐれあたりにできるかしら。
「うーん、難しい」
所詮、妄想にすぎず、こんなことを考えていても明日を生きる力が湧いてくるわけではない。地道にコツコツ金を儲けるのが最善なんでしょうな。
などど、思いながら、NHKテレビを見ていると昭和54年に放送された古い紀行番組をやっている。冬の北海道のようである。ナレーションを某俳優がやっているが、その人の歌が画面に流れ出した。この曲、自作自演である。ミリオンセラーとなり印税で大もうけしたはずである。
「あ、このやろー、どずんべらこく、うまくやったやつじゃ。」
これがはじめて出たとき、私は真っ先に替え歌かと思った。ある曲にそっくりだったからである。しかし、みるとこの人の作詞作曲となっている。
「そんな、馬鹿な!どうみてもオリジナルの編曲程度ではないか!」
しかし、今に至るまで自作を押し通している。なぜ?私が推測するに、一つはオリジナルは古い文部省の唱歌であるので、目くじらたてて訴える人がいなかったこと、二つ目は俳優の大御所的存在だから文句も言えなかったのではないか。
もう数十年も昔のことであるが、当時、公憤をおぼえたものである。
今となると、公憤よりも、
「ちくしょう、盗作まがいのことして、楽して、大金をせしめた、うらやまし~」
という気持ちの方が勝っている。
TVを見ながら、
「楽してドーンと儲けるこんなやり方もあったんじゃ」
「わたしも似たようなことできんかいな。」
この人の告発をするのが目的ではないので具体的なことを書くのはやめますが、オリジナルの文部省唱歌を入れておきます。聴いてみてください。ある程度の年上なら思い当るかも。
でも違法すれすれで儲けるのはいくらなんでもね。
不健全に家でボーっとしていると妄想が憑りついてくる。
今日の妄想は、楽して大金を手にできぬものか、というもの。
妄想だから手前勝手に何でも都合よく、あり得ぬこともなんのその、ありもせぬ大金を手にしたように興奮してくる。
たなぼたで大金を得るには?
あなたまかせで自分が全く努力なしに手にできる道の一つは、宝くじに当たること、もとで300円で億の金を得られる。
「ああ、これから死ぬまで贅沢三昧できる。」
ただ、当たる確率は極めて低く、やすやすとは実現しない。
次は、思わぬ遺産が転がり込んでくること、父方はみんなわかっていて、そんな遺産を残して死んでくれそうな親戚はいない。母方はよく知らないから、もしかしたらブラジルで成功した親戚がいて跡継ぎもなく、私まで遺産がまわってこないか。
まず、ありえないわな。
そして、たなぼたではなく、ホンのちょっと努力するだけで大金をせしめる方法。
思いつくのは、アイデア、特許、実用新案、生み出すのに少々苦労するが、一回当たれば、寝ていても権利に伴う大金が入ってくる。
大きく当たれば、小出しにする必要なく、たった一回、ポコッと生むだけでいいが、かなりな創造性は求められる。
凡人がまぐれあたりにできるかしら。
「うーん、難しい」
所詮、妄想にすぎず、こんなことを考えていても明日を生きる力が湧いてくるわけではない。地道にコツコツ金を儲けるのが最善なんでしょうな。
などど、思いながら、NHKテレビを見ていると昭和54年に放送された古い紀行番組をやっている。冬の北海道のようである。ナレーションを某俳優がやっているが、その人の歌が画面に流れ出した。この曲、自作自演である。ミリオンセラーとなり印税で大もうけしたはずである。
「あ、このやろー、どずんべらこく、うまくやったやつじゃ。」
これがはじめて出たとき、私は真っ先に替え歌かと思った。ある曲にそっくりだったからである。しかし、みるとこの人の作詞作曲となっている。
「そんな、馬鹿な!どうみてもオリジナルの編曲程度ではないか!」
しかし、今に至るまで自作を押し通している。なぜ?私が推測するに、一つはオリジナルは古い文部省の唱歌であるので、目くじらたてて訴える人がいなかったこと、二つ目は俳優の大御所的存在だから文句も言えなかったのではないか。
もう数十年も昔のことであるが、当時、公憤をおぼえたものである。
今となると、公憤よりも、
「ちくしょう、盗作まがいのことして、楽して、大金をせしめた、うらやまし~」
という気持ちの方が勝っている。
TVを見ながら、
「楽してドーンと儲けるこんなやり方もあったんじゃ」
「わたしも似たようなことできんかいな。」
この人の告発をするのが目的ではないので具体的なことを書くのはやめますが、オリジナルの文部省唱歌を入れておきます。聴いてみてください。ある程度の年上なら思い当るかも。
でも違法すれすれで儲けるのはいくらなんでもね。
2011年2月19日土曜日
よみがえる思い出の旅・流氷
夕べは遅くまでパソコンをいじっていて、寝たのが午前二時前、おかげで今日は寝不足が祟り頭も体も活動低下である。
何もかも積極的になれない今日、ブログを書こうとする気力もなく、外で活動しなかったので書く内容も見当たらない。
今日はブログは休止するつもりであった。
それでもパソコンを開け、みんなのブログやコメント、私宛のメールなどをチェックして、あとパソコンに入れてある写真アルバムを見ていた。
そのなかにちょうど今頃の時期、流氷の旅をした写真があった。おそらく今後二度とは行けないであろうなと思いつつ、その旅情をせめてブログの上でもう一度蘇らせたく思い6年も前の旅行写真を載せて見た.
平成17年3月7日、網走沖・オホーツク海
顔を出すとまずいので、パソコンの写真編集機能を使い。このように仕上がったのはよいが、オリジナルの写真が消えた!
Kobaさんが授業でくれぐれも・・と注意したのにやってしまったわ。
後方はオホーツク海、全面びっしり流氷で水面が見えない。
これ私、杖を持ってるが、実は直前まで、椎間板ヘルニアで1か月寝たきりだった。
これ雪原ではなく流氷の上、流氷の上お遊びツアー。もちろん有料。
このように盛り上がったり、割れ目があったりで、流氷の上を普通の人が歩くのは危険。

次に砕氷船に乗って船上から流氷を見る。
テーブル状になった広い流氷を砕きながら船は進む。

日本の自然は南から北まで多様性に富む。北緯44度の網走沖だが、船の舳先から見る氷が浮かぶ海は、まるで北極海のよう。
もう一隻の砕氷船とすれ違う。
南極の氷は何万年もたったものがあるようで、かけらを持ち帰りオンザロックで飲むと、太古の眠りから覚めた氷の中の気泡がパチパチいってロマンを掻き立てるとか。
流氷でもウイスキーやハイボールに浮かべて飲めばそれなりのロマンもあるといって、私が若い時、ユースホステルで味わったりしましたが、最近は流行りません。
流氷は1年性で太古のロマンなどない。そして南極の氷は純氷なのに対しこちらは塩分が含まれているので、酒がまずくなるといいます。
夜、ホテルで流氷のギシギシいう音を聞きながら、製氷氷の入った酒をちびちび飲むのがいいですね。
何もかも積極的になれない今日、ブログを書こうとする気力もなく、外で活動しなかったので書く内容も見当たらない。
今日はブログは休止するつもりであった。
それでもパソコンを開け、みんなのブログやコメント、私宛のメールなどをチェックして、あとパソコンに入れてある写真アルバムを見ていた。
そのなかにちょうど今頃の時期、流氷の旅をした写真があった。おそらく今後二度とは行けないであろうなと思いつつ、その旅情をせめてブログの上でもう一度蘇らせたく思い6年も前の旅行写真を載せて見た.
平成17年3月7日、網走沖・オホーツク海
顔を出すとまずいので、パソコンの写真編集機能を使い。このように仕上がったのはよいが、オリジナルの写真が消えた!
Kobaさんが授業でくれぐれも・・と注意したのにやってしまったわ。
後方はオホーツク海、全面びっしり流氷で水面が見えない。
これ私、杖を持ってるが、実は直前まで、椎間板ヘルニアで1か月寝たきりだった。
これ雪原ではなく流氷の上、流氷の上お遊びツアー。もちろん有料。
このように盛り上がったり、割れ目があったりで、流氷の上を普通の人が歩くのは危険。
次に砕氷船に乗って船上から流氷を見る。
テーブル状になった広い流氷を砕きながら船は進む。
日本の自然は南から北まで多様性に富む。北緯44度の網走沖だが、船の舳先から見る氷が浮かぶ海は、まるで北極海のよう。
南極の氷は何万年もたったものがあるようで、かけらを持ち帰りオンザロックで飲むと、太古の眠りから覚めた氷の中の気泡がパチパチいってロマンを掻き立てるとか。
流氷でもウイスキーやハイボールに浮かべて飲めばそれなりのロマンもあるといって、私が若い時、ユースホステルで味わったりしましたが、最近は流行りません。
流氷は1年性で太古のロマンなどない。そして南極の氷は純氷なのに対しこちらは塩分が含まれているので、酒がまずくなるといいます。
夜、ホテルで流氷のギシギシいう音を聞きながら、製氷氷の入った酒をちびちび飲むのがいいですね。
2011年2月18日金曜日
駅 STATION その2
昨日とうってかわって今日は風が冷たい。
徳島へ行くついでに駅長にゃんこ(私が勝手に名付けているだけ)のご機嫌をうかがうと、きょうは寒さの為か待合室の座蒲団の上で猫だんご状態。手でちょんちょんと突っつくが 、胡散臭げに顔をちょっと上げただけで、すぐにまた丸まってしまった。
この猫、聞くところによるとこの駅で乗降する女子高校生がエサなどの世話をしているとのことである。
今はさびれたような無人駅であるが、徳島線の川島駅の歴史を調べて驚いた。なんと開通、そして駅の創業は19世紀に遡るのである。前々世紀である。
19世紀は鉄道の世紀と呼ばれている。鉄道を生んだ英国で本格的な鉄道が運営され始めるのはこの世紀の30年代、アメリカ大陸横断、シベリア鉄道開通もこの同じ世紀である。
日本最初の鉄道が1872年、新橋~横浜である。
そして徳島~川島の開通営業が1899年。この駅の意外な古さに感動する。
もちろん創業当時のおそらく木造だった駅舎が法隆寺のように残っていて、歴史文化財としてあるわけではないが、19,20、21世紀と3世紀にわたる駅の変遷を思うとき、目には見えぬが歴史の重みを感じる。
徳島駅で降りるとコンコースで写真の展示をしている。見てみると40年も前に廃線になった鍛冶屋原線の列車・駅の風景、懐かしく写真におさめる。
私が二十歳の時は、まだこの徳島駅から鍛冶屋原行が出発していた。この廃止にはなったが鍛冶屋原線、吉野川の北岸を南岸にある徳島線と平行に牛島駅の北の方まで走っていたのである。この線が計画されたとき、もしかすると北岸を脇町や三好の方までのばす計画があったのかもしれない。今となっては歴史のはるかかなたに消えた夢の計画である。
今はない鍛冶屋原駅
ここから鴨島までの国鉄バスがあった。この国鉄バス、ツバメのマーク。この時代、国鉄は野球チームを持っていた、今もスワローズにその名残がある。
昭和47年1月15日、廃止の記念セレモニー。
今残っている駅も今世紀中にはなくなるかもしれませんね。もっと皆さんが鉄道を利用してくれれば別ですが。
徳島へ行くついでに駅長にゃんこ(私が勝手に名付けているだけ)のご機嫌をうかがうと、きょうは寒さの為か待合室の座蒲団の上で猫だんご状態。手でちょんちょんと突っつくが 、胡散臭げに顔をちょっと上げただけで、すぐにまた丸まってしまった。
この猫、聞くところによるとこの駅で乗降する女子高校生がエサなどの世話をしているとのことである。
今はさびれたような無人駅であるが、徳島線の川島駅の歴史を調べて驚いた。なんと開通、そして駅の創業は19世紀に遡るのである。前々世紀である。
19世紀は鉄道の世紀と呼ばれている。鉄道を生んだ英国で本格的な鉄道が運営され始めるのはこの世紀の30年代、アメリカ大陸横断、シベリア鉄道開通もこの同じ世紀である。
日本最初の鉄道が1872年、新橋~横浜である。
そして徳島~川島の開通営業が1899年。この駅の意外な古さに感動する。
もちろん創業当時のおそらく木造だった駅舎が法隆寺のように残っていて、歴史文化財としてあるわけではないが、19,20、21世紀と3世紀にわたる駅の変遷を思うとき、目には見えぬが歴史の重みを感じる。
徳島駅で降りるとコンコースで写真の展示をしている。見てみると40年も前に廃線になった鍛冶屋原線の列車・駅の風景、懐かしく写真におさめる。
私が二十歳の時は、まだこの徳島駅から鍛冶屋原行が出発していた。この廃止にはなったが鍛冶屋原線、吉野川の北岸を南岸にある徳島線と平行に牛島駅の北の方まで走っていたのである。この線が計画されたとき、もしかすると北岸を脇町や三好の方までのばす計画があったのかもしれない。今となっては歴史のはるかかなたに消えた夢の計画である。
今はない鍛冶屋原駅
ここから鴨島までの国鉄バスがあった。この国鉄バス、ツバメのマーク。この時代、国鉄は野球チームを持っていた、今もスワローズにその名残がある。
昭和47年1月15日、廃止の記念セレモニー。
今残っている駅も今世紀中にはなくなるかもしれませんね。もっと皆さんが鉄道を利用してくれれば別ですが。
2011年2月17日木曜日
美郷温泉を貸切に、殿様気分でいい湯だな~
市内には4つの温泉がある。一番利用客の多いのは鴨の湯、そして、おそらく一番少ないのは旧美郷村にある美郷温泉だろう。
久しぶりに温泉でくつろぎたくなり、美郷温泉へ行く。
客の少ないことを願って。
玄関前は車もなく閑散としたもの、もしや休みでは。
入って呼びかけるがスタッフもいない。
しばらくして出てきた。
客は誰もいない。
私だけの貸切状態。
たっぷり温泉を満喫できました。
400円の入湯料でこんな贅沢はない。
ここにきてよかった。
出るまで誰も来なかった。
帰り、桜峠から吉野川を見下ろす。
峠には雪がまだ消えず残っていた。
久しぶりに温泉でくつろぎたくなり、美郷温泉へ行く。
客の少ないことを願って。
玄関前は車もなく閑散としたもの、もしや休みでは。
入って呼びかけるがスタッフもいない。
しばらくして出てきた。
客は誰もいない。
私だけの貸切状態。
たっぷり温泉を満喫できました。
400円の入湯料でこんな贅沢はない。
ここにきてよかった。
出るまで誰も来なかった。
帰り、桜峠から吉野川を見下ろす。
峠には雪がまだ消えず残っていた。
いい温泉の選択をしました。たった一人だから、あれこれ瞑想を妨げられることもなく、ゆったり入ってくつろげました。
その瞑想!となりに湯文字の美女が
「とのさま、お背中をお流ししましょう。」
気分は、蜂須賀のお殿様。
「おお、ういやつ、うい湯じゃ」
そりゃ、瞑想でなく、妄想だっちゅうの!
追伸: 美郷には無料の巡回バスが市役所から出てます。この26日から梅見のさまざまなイベントもあります。行楽にお出かけしてはいかがでしょう。詳しくは下をクリックしてください。
2011年2月16日水曜日
病院代に憤懣やるかたなく、ブサカワ猫と戯れる
今日は久々に持病の診察と薬をもらいに近くの総合病院へ行く。
このところ持病も目立って表には出てなくて、緊急の処置が必要となる発作的発症は起こっていないが、薬が切れたので、一か月半ぶりに行った。朝早く受付しても薬をもらいすべて終わるのに午前中いっぱいは覚悟しなければならない。診療などは十数分もあれば長いほう、待ち時間のほうがずっと長いがいつものことで仕方がない。
診察はいつも問診が中心で、たまに採血するぐらいだが、今日は超音波診断をしましょうという。この時、
「あ、まずいな、これ診療点数が高いのじゃないか。」
と後で会計に支払うときいつもより高額請求されるだろうと思った。しかし、腹の中に隠れている患部の状態を診るのに必要であることもわかっているので、高額になるからと拒否できない。
たぶん、何か月かに一回はこのように超音波検査をするのだろう。いつもいつも問診では肥大悪化を見逃すからだろう。その理屈もわかる。
今日は高くなるぞとの予感を抱きながら診察を終わった。
案の定、一か月の薬代よりはるかに高い超音波診断料が薬代に加算され請求された。
とほほな状態
このような最新医療機械の診断点数は意外と高い。以前、この超音波診断を受けて、請求金額が想像してたよりずっと高いので、窓口で
「まちごうとらへん?」
と聞いて、超音波診断の医療点数の高さを知らされ、たまげたことがあった。
最新医療機械は高額なものが多い。その費用を償還しなければならないことを考えれば診療点数が高くなるのはやむを得ないのであろう。
それにしても貧困にあえぐ身にとって今日の出費はたいへん痛い。
大枚をふんだくられた為、あらぬ方へ憤懣の矛先が向かう。
「だいたい、最近の医者は、最新機械に頼りすぎとる!」
「泌尿器科の医師は昔は触診で、前立腺の大きさを診断したものである。ところがどうだ、ローテーションを組んでいる外来の4人の泌尿科の医師の一人として触診なぞしない。」
「前立腺の触診は診断のイロハじゃ。安易に機械に頼るのは医者としてどんなんじゃ!」
あああ、必要に迫られてるが、これじゃ歯の治療も恐ろしゅうて行けん!
午後からは、むしゃくしゃする思いを癒すため、昨日紹介したブサカワイイ駅長候補ネコを見に行った。
今日はしっかり写真におさめてきた。
満腹するとだいたい寝ているが、気まぐれなため、行動パターンは一定せず。
顔。メスのようである。どうりでおとなしく、なついているはずだ。
オン太だと一っ所にジッとはしていまい。
駅長らしく、列車の出発を見送るとプラットホームにごろんと寝て、毛づくろい。
このところ持病も目立って表には出てなくて、緊急の処置が必要となる発作的発症は起こっていないが、薬が切れたので、一か月半ぶりに行った。朝早く受付しても薬をもらいすべて終わるのに午前中いっぱいは覚悟しなければならない。診療などは十数分もあれば長いほう、待ち時間のほうがずっと長いがいつものことで仕方がない。
診察はいつも問診が中心で、たまに採血するぐらいだが、今日は超音波診断をしましょうという。この時、
「あ、まずいな、これ診療点数が高いのじゃないか。」
と後で会計に支払うときいつもより高額請求されるだろうと思った。しかし、腹の中に隠れている患部の状態を診るのに必要であることもわかっているので、高額になるからと拒否できない。
たぶん、何か月かに一回はこのように超音波検査をするのだろう。いつもいつも問診では肥大悪化を見逃すからだろう。その理屈もわかる。
今日は高くなるぞとの予感を抱きながら診察を終わった。
案の定、一か月の薬代よりはるかに高い超音波診断料が薬代に加算され請求された。
とほほな状態
このような最新医療機械の診断点数は意外と高い。以前、この超音波診断を受けて、請求金額が想像してたよりずっと高いので、窓口で
「まちごうとらへん?」
と聞いて、超音波診断の医療点数の高さを知らされ、たまげたことがあった。
最新医療機械は高額なものが多い。その費用を償還しなければならないことを考えれば診療点数が高くなるのはやむを得ないのであろう。
それにしても貧困にあえぐ身にとって今日の出費はたいへん痛い。
大枚をふんだくられた為、あらぬ方へ憤懣の矛先が向かう。
「だいたい、最近の医者は、最新機械に頼りすぎとる!」
「泌尿器科の医師は昔は触診で、前立腺の大きさを診断したものである。ところがどうだ、ローテーションを組んでいる外来の4人の泌尿科の医師の一人として触診なぞしない。」
「前立腺の触診は診断のイロハじゃ。安易に機械に頼るのは医者としてどんなんじゃ!」
あああ、必要に迫られてるが、これじゃ歯の治療も恐ろしゅうて行けん!
午後からは、むしゃくしゃする思いを癒すため、昨日紹介したブサカワイイ駅長候補ネコを見に行った。
今日はしっかり写真におさめてきた。
満腹するとだいたい寝ているが、気まぐれなため、行動パターンは一定せず。
顔。メスのようである。どうりでおとなしく、なついているはずだ。
オン太だと一っ所にジッとはしていまい。
駅長らしく、列車の出発を見送るとプラットホームにごろんと寝て、毛づくろい。
2011年2月15日火曜日
駅 STATION
川島駅で列車に乗るため待合室に入ると、でかい丸々と太った猫が待合室の椅子の座布団の上で鎮座している。黒地にところどころ赤のブチのような縞模様のようなどちらともわからぬ模様が入った猫である。そんな毛の模様はお世辞にも綺麗とはいえず、うんと汚した雑巾で床に落ちた卵の黄身を拭いたような毛色の猫である。(ほんとに汚れているわけではありません)
おとなしい猫で私が触れても逃げないでじっとしている。のどの下をなでてやるとあごを上にのばしゴロゴロいう。ずいぶん人というか駅で乗り降りする乗客に慣れているに違いない。座布団の下の床を見ると猫ちゃんのエサ入れの容器がある。ここで居ついたままみんなが食べ物をやっているのだろう。丸々していて人に慣れているのも道理である。
列車に乗ってから写真を撮ればよかったと気づいた。残念である。いま人気の「ブサカワイイ系」の猫のような気がする。様子から見てここにしばらく居ついてみんなに可愛がられているのであろう。
この時、ふと思った。どこの駅か忘れたが、猫が駅長を務めている駅があるそうである。その猫の頭には小さな駅長帽がちょこんと載っている。写真や動画で紹介されると、ちょっとしたブームになり駅を訪れる人、乗降する人がうんと増えたそうである。だいたい鉄道会社は赤字だから会社は喜んで猫の駅長をバックアップしているのだろう。
このままこのブサカワイイ猫ちゃんが居つくなら、いっそ駅長の名称を奉ってはどうだろうか。実はこの川島駅、去年から完全に無人駅になり、駅員さんが誰もいないのである。私が猫の急所であるのどの下を撫でてもジッと気持ちよくしているぐらいおとなしい猫である。駅長として今まで通り椅子の座布団の上に鎮座してもらい、時たま、カメラサービスで小さな駅長帽を被ってもらえれば猫駅長の誕生である。いいと思うなあ。
この川島駅の隣駅は「学」駅で、全国的に有名である。特に今の時期、この駅の入場券を5枚買うのが縁起物としてもてはやされている。鉄道会社の収入に寄与している。それに加え、すぐ隣駅で猫の駅長がいればこちらも有名になるだろう。収入増も図れるのではないか。
などとよけいなことを勝手に妄想している。
それにしても徳島線の駅は2~3の大きな駅を除いて去年ことごとく無人駅になった。それまでにも昼までしか駅員さんがいなかった駅が大半であったが、完全にいなくなり、駅もさびれたような、いっちゃあ悪いが荒廃の気配さえ感じるようになった。
次に来るのは廃駅・廃線か、と思うと列車しか頼る交通手段のないものは辛く悲しくなる。
まだまだ私も駅も若かった頃、この川島駅は四六時中駅員さんが何人もいて業務をこなしていた。最終列車を見送った駅員さんは何人かで駅舎の宿所で始発列車まで休息をとった。なんと待合室には売店まであった。
この駅からでる最終列車は当時まだ存在していた小松島線を通って港から阿摂航路に接続していた。船中泊し近畿方面へ行く客が利用するのである。
深夜近く出る最終列車を待つ乗客たちにとって待合室はさびしいものであっただろう。しかし、常に駅員さんがいてくれるのは本当にありがたいものである。
最終の時間帯、駅前通りは人通りもなくみんな寝静まり、街灯も暗い中、煌々と明かりを照らし闇に浮かぶ駅舎はこれから旅立つ旅人にとって灯台のように心強いものである。
分厚い紙の切符に鋏をいれ、鋏の切り口をつけてもらえばそれが改札。町内の顔見知りだと駅員さんとあいさつしたかもしれない。
都会へ出稼ぎに出る人は夢と希望を抱いて出発しただろうが、中には人目を避けるため夜逃げ同様着の身着のままで故郷を後にする人もいただろう。最終列車には悲喜こもごもの出発劇があっただろう。
そんな人々を駅はそこにいつもいる駅員さんと優しく見送ってくれた。
跨線橋を渡りながら昨日の雪の残る駅構内を見たとき、30年前に見た映画「駅 STATION」の最終シーンがよみがえってきた。まさに最終列車が出発するシーンと同じアングルである。そして映画でも悲喜こもごも交差する最終列車である。感動的なエンディングなので30年たっても覚えている。
急いで写メールに撮る。下図がそれである。
おとなしい猫で私が触れても逃げないでじっとしている。のどの下をなでてやるとあごを上にのばしゴロゴロいう。ずいぶん人というか駅で乗り降りする乗客に慣れているに違いない。座布団の下の床を見ると猫ちゃんのエサ入れの容器がある。ここで居ついたままみんなが食べ物をやっているのだろう。丸々していて人に慣れているのも道理である。
列車に乗ってから写真を撮ればよかったと気づいた。残念である。いま人気の「ブサカワイイ系」の猫のような気がする。様子から見てここにしばらく居ついてみんなに可愛がられているのであろう。
この時、ふと思った。どこの駅か忘れたが、猫が駅長を務めている駅があるそうである。その猫の頭には小さな駅長帽がちょこんと載っている。写真や動画で紹介されると、ちょっとしたブームになり駅を訪れる人、乗降する人がうんと増えたそうである。だいたい鉄道会社は赤字だから会社は喜んで猫の駅長をバックアップしているのだろう。
このままこのブサカワイイ猫ちゃんが居つくなら、いっそ駅長の名称を奉ってはどうだろうか。実はこの川島駅、去年から完全に無人駅になり、駅員さんが誰もいないのである。私が猫の急所であるのどの下を撫でてもジッと気持ちよくしているぐらいおとなしい猫である。駅長として今まで通り椅子の座布団の上に鎮座してもらい、時たま、カメラサービスで小さな駅長帽を被ってもらえれば猫駅長の誕生である。いいと思うなあ。
この川島駅の隣駅は「学」駅で、全国的に有名である。特に今の時期、この駅の入場券を5枚買うのが縁起物としてもてはやされている。鉄道会社の収入に寄与している。それに加え、すぐ隣駅で猫の駅長がいればこちらも有名になるだろう。収入増も図れるのではないか。
などとよけいなことを勝手に妄想している。
それにしても徳島線の駅は2~3の大きな駅を除いて去年ことごとく無人駅になった。それまでにも昼までしか駅員さんがいなかった駅が大半であったが、完全にいなくなり、駅もさびれたような、いっちゃあ悪いが荒廃の気配さえ感じるようになった。
次に来るのは廃駅・廃線か、と思うと列車しか頼る交通手段のないものは辛く悲しくなる。
まだまだ私も駅も若かった頃、この川島駅は四六時中駅員さんが何人もいて業務をこなしていた。最終列車を見送った駅員さんは何人かで駅舎の宿所で始発列車まで休息をとった。なんと待合室には売店まであった。
この駅からでる最終列車は当時まだ存在していた小松島線を通って港から阿摂航路に接続していた。船中泊し近畿方面へ行く客が利用するのである。
深夜近く出る最終列車を待つ乗客たちにとって待合室はさびしいものであっただろう。しかし、常に駅員さんがいてくれるのは本当にありがたいものである。
最終の時間帯、駅前通りは人通りもなくみんな寝静まり、街灯も暗い中、煌々と明かりを照らし闇に浮かぶ駅舎はこれから旅立つ旅人にとって灯台のように心強いものである。
分厚い紙の切符に鋏をいれ、鋏の切り口をつけてもらえばそれが改札。町内の顔見知りだと駅員さんとあいさつしたかもしれない。
都会へ出稼ぎに出る人は夢と希望を抱いて出発しただろうが、中には人目を避けるため夜逃げ同様着の身着のままで故郷を後にする人もいただろう。最終列車には悲喜こもごもの出発劇があっただろう。
そんな人々を駅はそこにいつもいる駅員さんと優しく見送ってくれた。
跨線橋を渡りながら昨日の雪の残る駅構内を見たとき、30年前に見た映画「駅 STATION」の最終シーンがよみがえってきた。まさに最終列車が出発するシーンと同じアングルである。そして映画でも悲喜こもごも交差する最終列車である。感動的なエンディングなので30年たっても覚えている。
急いで写メールに撮る。下図がそれである。
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