昨日8日、遍路道を歩いた。ほとんどが山道である。そのルートを下に示す。距離は約10kmだが山道なので起伏がある。峠も二つ越えねばならない。10kmとはいえ結構きつい登りがあり、また気温も湿度も高く、かなり苦しい夏遍路の修行となった。
勝浦町生名のバス停で降りて歩き始める。時刻は午前8時過ぎ、行く手には夏空とこれから登らねばならない山々が広がっている。太陽が高度を増すとともにだんだん暑くなりそうだ。
山道のいたるところで見られたのが花をつけたこのねむの木、ド派手なつけ睫毛(それもピンク)のように見える。
勝浦川と那賀川の分水嶺でもある鶴峠についた。樹木が生い茂っていて、イメージしていた峠からの展望は望めない。ここから鶴林寺へ上る道が分かれているが、そのまま峠を越えて那賀川沿いにある大井部落に降りていく。
夏遍路(歩きの)をする人は(他の季節と比べ)少ない。この全ルートを通じて出会った遍路さんは女性の歩き遍路一人だけであった。この峠を少し降りたところ出会ってごあいさつしたが、太龍寺までお互い前後になり何度か会った。那賀川沿いの大井地区に降り、那賀川の鉄橋を渡る。水量たっぷりに、広い河原を流れている、汗だくで少しくたびれた体がこの眺めに癒される。
そこからまた登りの山道に入る。橋を渡って少し行ったあたりで、大人と子供の十数人のグループに会う。ご挨拶して話を聞くと、この山道にあるさまざまなカタツムリを探しているそうだ。小学生の自然学習の一環だろう、引率の先生以外の大人は地元のカタツムリの専門家である。遍路道を重なっているため、一緒に歩く、半時間ほど歩くと彼らの目的地である鍾乳洞のいり口があり、そのあたりにいろいろなカタツムリがいるらしく探していた。
この鍾乳洞の前を谷川が流れているが、そのあたりが「若杉山辰砂採掘古代遺跡」である。弥生時代から、この谷川から少し上った露頭岩で辰砂を採掘し、朱を(赤色の顔料)を精製していた。赤の顔料として様々な用途にもちいられたが、普通の顔料ではなく、神秘的といおうか呪術的顔料といおうか、ほかの色の顔料と違い、死後の再生をもたらす祈りをこめて古代墓の石棺、甕棺の内部に用いられたりしている。下の写真の斜面を上がったところにその採掘遺跡がある。
1 件のコメント:
猛暑の中 凄いです✨
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