昨日は「春一番」が吹いた。知ったのは夕方のローカルニュースであった。昨日、朝は少し雨がぱらつき、その後晴れた。昼頃には風が少し強くなった。しかし風には冬の気は感じられず、吹かれた体の感覚としては「春の強風」だな、である。その後、春一番だったとわかったが、なるほど、確かにあれは春を強く感じさせる風だった。
このように「春一番」は今では、春の暖かさを感じる突風的な強風と言うように理解している。とはいえ、私が、春先の強風がそれであると独断でわかるものではない。気象庁の発表を待って、ああ、あれがやっぱそうやったんや、と認識している。昨日の気象庁によると、去年は「春一番」吹かなかったようで二年ぶりといっていた。
この「春一番」という語彙、知ったのはいつ頃だろう?学習や経験とともに語彙量がうんと増える高校生になっても私がこの語彙を知っていたという確証はない。もしや聞いたことはあるにしても、春一番という言葉を自ら使ったことはなかったし、高校生の頃吹いた春先の強風を「これが春一番では」と疑問に思ったこともなかったと思う。俳句が好きなこの頃の高校生はもう知っていたのかしらん?俳句の「歳時記」には当然入っていたろうなぁ。それにしてもこの春先の強風、春先の最初に吹くから一番と名付けたのか?でも初冬に吹く「木枯らし」は「木枯らし1号」という。春も「春風1号」でもいいような気がするが、なんかJRの春の臨時列車の名前みたいでやっぱ春一番がしっくりするか。
そこで語源を調べると、意外や意外、なんとこれが新しいのである。幕末も幕末、ペリーが浦賀に黒船で来てからさらに6年も後、1859年、ある海難事故があった、それまでにも九州西岸の漁師たちの間で春先の、船を転覆させるような危ない突風を伴う強風を「春一」、あるいは「春一番」と呼んでいたが、それ以後、全国に知れ渡る名前となった。なるほど、まだ生まれて150年、それも最初は九州西岸のローカルな地域での言葉だから、全国的に知られるようになったのもずっと後だろう。「歳時記」の本に取り上げられるのも明治以降だろう。
でも、気象用語とは別の方面から、この「春一番」は私の頭のなかにしっかり刻み見込まれた。時は昭和51年、私は満25歳、ある音楽を聞いたからである、高校から大学、そして収入を得る社会人となるに従って音楽を聴く媒体は、ラヂヲでの深夜放送の歌から、レコードプレーヤー、そして出始めたラヂヲカセットテープレコーダー(いわゆるラジカセ、録音できて好きな曲をラヂヲから録音も出来た)と進化していったが、そこから昭和51年春流れてきたのが、キャンディーズの「春一番」、陽気で楽しく、モテなかった陰キャラの私でもなんかいい恋ができるような雰囲気にさせられる歌だった。一度聞いてすっかり好きになってしまった。
私は後に出演した映画の影響もあって伊藤蘭ちゃんのファンだった。歌にときめくにはその時25歳でちょっと薹がたっていた。だから当時は、この歌大好きとは公言できなかった。一番はまってもてはやしたのはこの頃高校生くらいの子だったんじゃないかな。でもそのときの高校生も今は60代半ば、もう半世紀に近い昔だ。
でも、今聞いてもなんか楽しくて陽気でいいよなぁ。(上にヨウツベを張っておきます、クリックして久しぶりに聞いてみてください)
2 件のコメント:
キャンディーズ、かわいかったですね。曲も良かった。
自分がいた四畳半下宿の隣の部屋の学生が、あるとき突然キャンディーズにはまって、追っかけみたいなことを始めました。バッジとかくれました。
彼はミキちゃんという一番目立たないメンバーのファンだった。
いい時代だったな。
アイドルがいっぱいいた。山口百恵、南沙織、ピンク・レディーとか。
カルロスさんへ
そうですか、カルロスさんもこの曲、いい曲と聞いていたんですね。昨夜行った銭湯で、風呂仲間で見知りあい(60~70代)の人たちに、徳島でも春一番が吹いたという話題から。私が、春一番といやぁ、と無理にキャンディーズのこの歌の話題に転じると、皆知っていて中には曲を口ずさむ人も。当時高校生だった60代の人は三人の愛称もよく知っていてこの頃、高校男子に人気だったのがわかりました。
私がお気に入りの蘭ちゃんは映画にも主演して、演技もうまく、なんどもDVDで観たので(図書館にあるので)一番のファンとなりました。ちなみに寅さんシリーズの蘭ちゃんがマドンナの「寅次郎カモメ歌」は、唯一、徳島ロケがされました。なんどかロケ地を訪ねたりしました。鳴門に三ヶ所あります。ただ渥美さんや、あき竹城さんは来徳したのですが蘭ちゃんは来ませんでした。
話は変わるけど、カルロスさん下宿生活だったんですね。まったくなかった私は、もう繰り返せない過去だけど、出来たら下宿したかったなぁと思っています。学生時代、広島の山奥から出てきた学生がいて、シュッとしていて、長髪で、当時の反戦フォーク歌手のようにかっこよいのがいて、下宿生活で真の自由を満喫しているような感じでした。彼は友達も下宿生活のせいか多く、それも羨ましかったです。たった一度だけその学生の下宿を訪ねたことがあります。ひこずりさがしてましたが、それもなんか男の下宿のかっこよさだと、妙なことで気に入ったりしました。私の学生時代の友達が少ないのは、自分の性格を棚に上げて、下宿生活がなかったからじゃないか、と思ったりします。
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