偉大なお釈迦はんのように涅槃には入れないが、ワイも死期が近づきつつあるのか、沙羅の木が気になって仕方ない。もう一ヶ月びゃぁも前から沙羅の木が花開くのを楽しみにしていて、今月の中旬から下旬が開花期と聞いていたので15日を過ぎたあたりからそわそわしていた。そして極楽寺は2回、他に石井の山麓へも沙羅の木を見に出かけ、ブログに3度も取り上げた。
そして今日、ワイの友人が沙羅の木の花を見たことがないっちゅうんでさそい、友人の車に同乗し、また極楽寺へ沙羅の木の花を見に行った。前二回より今日のほうが盛りのようであり、ついている花も多かった。とはいっても朝に花開いたら、夕方にはポトリと落ちる花で、枝についている数より下に散らされた落花の方が多い。
沙羅の花のアップ写真は、今までのブログで足(た)るびゃぁ見ていると思うので、今日は違った角度、距離(少し遠景で)から撮ってみた。下の写真がそうである。
極楽寺の境内の沙羅の木は2間ほどはなれて二本ある。上の写真の白い矢印で示し、そして幹を赤丸で囲ってあるのが沙羅の木である。枝に花がついているのがわかるだろうか?南伝の涅槃経(「大パリニッバーナ経」)にお釈迦さんの涅槃のようすは詳しいが、二本の沙羅の木の間に横たわって涅槃に入ったとある。その二本の沙羅の木を『沙羅双樹』と呼ぶ。四文字の植物ではなく沙羅(の木)が二本だから「双樹」なのである。
極楽寺の坊んさんもおそらくそれに(釈迦の涅槃のようす)ちなんでこのようなわずかな距離を隔てて二本植えたのだろうと推察する。確かにこの二本の木の間に臥所はちゃんとおさまる。間に石灯籠じゃの桜の古木があるのはしゃぁない、みるところ二本の沙羅の木より以前から鎮座ましましていた先輩なのだから、なんぼぅ沙羅の木でも押しのけるわけにゃぁいかん。
お釈迦はんは二本の沙羅の木の間に横たわり(北枕、右腹下)「涅槃」に入ったのであるが、初期の仏教ではお釈迦はんの死のみを「涅槃」にはいったといった。しかしその後出家者でさとりをひらき「涅槃」の境地に達した羅漢はん(悟りを開いた出家者のこと)もポチポチ現れるようになった。けどごく限られた人のみであったろう。
だが、初期仏教はインドから北西~西域~中国に伝わるにつれ大乗仏教に変化し、「涅槃」が易しくなっていった。涅槃という言葉も用いられたのではあるが、涅槃という言葉で言い表さなくても同じような境地に達し、望ましい臨終を迎え往生する人が増えてきた。これも大乗仏教の特色である。大乗仏教は「空」の思想を生み出し発展させたが、その「空」の境地がまさに「涅槃」である、と唱える人もいてこれはけっこう説得力がありそれを支持する人は多い。
大乗仏教が発展展開してくると「涅槃」=「空」であるばかりか、禅の「無我の境地」もそれと同じである、ということになる。ただこれらの境地に達するのは凡俗であっても修行やあるいはかなり高度な瞑想の能力が必要であるが、大乗仏教ももっと後期になると、下賤の凡俗だろうが、いや悪人でさえも、臨終にさいし阿弥陀はんに掬い取られ西方極楽浄土の世界へもれなく転生し、そこで阿弥陀はんのもとで修行の階梯を踏み、最終的には全員「仏」となることができるのである。そうなるとまさに空くじなしの全員が(時間はかかるが)涅槃に入ったのと同じようにブッダとなれるということである。
江戸時代初期、日本のセクスピヤといわれた近松門左衛門の書いた戯曲に「曽根崎心中」というのがあるが。その中の有名な道行、ご存知だろうか・
「♪~この世のなごり、世もなごり~死ににゆく身を、たとふれば、安達ヶ原の道の霜~、一足づつに消えてゆく~・・・七つの鐘が六つなりて残る一つがぁ~♪(ピンコシャンコ、ペンペン)♪~今生の~鐘の響きの聞きおさめぇ~(そして次の言葉に注意)、寂滅為楽と響くなりぃぃぃ~~~~」
この最後の四文字熟語「寂滅為楽」は涅槃の境地を言い表している。なんと!ワイから言わしてもらやぁ、愛する相手との心中はエロス最大限の発露、最高のエロスの境地である。その心中道行きで上り詰めた最高点を「涅槃」と同義語の「寂滅為楽」と言っているのである。なんとお釈迦はんが涅槃に入って二千数百年、日本の江戸では最高のエロスの境地までも「涅槃」とかわらない「寂滅為楽」と言い表すようになったのである。
大乗仏教は密教へと発展し、さらに後期密教となった、その後期密教やその影響を強く受けたチベット仏教を見ると、エロスの最高境地=悟りの境地、ということもわからんことでもないが、初期仏教とはえらく違うようになった気がする。ワイとしてはそれを堕落と切って捨てはしない、そんなのすっきゃわ。
そういや、(現在50歳以上でなければ知らんだろなぁ)今から40年も昔
『おやじ、涅槃で待つ』
という遺書を残して四十数階から壮絶な飛び降り自殺をしたイケメン俳優がいたのをご存知だろうか?このイケメン俳優は義理の父と同性愛関係にあった(同性愛の絆を固くするため養子関係を結んだといわれている)のは公然の秘密であった。そうみると、この「涅槃でまつ」というのは、二人(おやじと自分の)の最高のエロスの境地=涅槃、と解釈できる。一時、涅槃が同性愛のエクスタシーと同じように使われたとして、「涅槃」の言葉がその筋で(以前から一部には用いられていたが)もてはやされたとのことである。
いっとくが、これはキリストのボンさんのいうようなプラトニック(精神的愛)なものではない、深い男同士の肉の交わりが(オラル、アナル、汁の飲みあいなど)実際にドギツクあったうえでの、最高のエロスの境地としての「涅槃」である。なんと!栗の花の香り高い「涅槃」であることよ。
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