2021年5月23日日曜日

半死の日とそれなりに元気を取り戻す日のすごしかた

 ようやく図書館が再館しました。ワイも含めHLの人もくっつぉぐ場所がでけたのでホットしています。そんなわけで今日は図書館のパソコンからあっぷしてますぅ。図書館のパソコンは一時間しか使えないので長いブログは書けまへん。

  まだ50代の時、病院に内視鏡の検査を受けに行った。待合室には人の好さそうなばぁちゃんがいて、ニコニコ顔で診察室に呼ばれるのを待っていた。そのばあちゃんが言うにはもう80歳をずっと前に過ぎているが、これといった病気の原因がないのに、歳ぃよると、体のあっちこっちが痛ぅなったり、わけもなく「せこい日」があってなぁ、という、その時はあぁ、老化とはそんなもんかいなぁ。と思っていたが、今この頃はそれを身に染みて実感している。まさにそのお婆さんのいったように、最近の私は、わけもなくしんどくて何をする意欲もなく鬱に沈む日とそうでもない普通の日が繰り返しやってくるようになった。

 これといった病気の原因がないのに、といったが厳密にいえば、何らかの原因があると思う、私の場合、おそらく心臓がかなり弱まっている日が鬱の日に当たるんじゃないかと思っているが、いまのところ心臓専門医に行く予定はない。

 その鬱状態のしんどい日は昨日だった。どこぇいってもおもっしょうおないし、本を読む意欲もない、無理に読んでも頭にはいれへん、ぼんやりするか、半ボケで寝転がる以外ない、それもあんまし半死状態がすぎる。ぼんやりしているがそれなりに目と耳に刺激でも与えたがよいと、古い古いDVDを借りてきた。昭和44年4月リリスだからワイが高校3年の時、DVDのケースをみると大昔(高校3年の時)見た記憶がかすかにある。で、家でごろんと横になり高校時代みた映画鑑賞となった。

 見て思い出したことは、昭和40年代前半の高校生って、グルプサウンズも趣味だったが、ムード演歌だの御当地演歌だのも趣味だったんだ。今だと考えられないが。そういや文化祭に美術部の同級生が森進一の「港町ブルース」のイメージ画を出したのを覚えている。波止場に向かってマドロス(かっこいい船員)が海を眺めている図だったが、上手だなと思った。

 高校の昔見て今また見た映画は左の映画。ご当地演歌のストーリをそのまま映画の筋にしたもの。当時人気の青江三奈が映画中で歌い、主演は松方弘樹や宮園純子、若い谷隼人が出てたが、若い時の谷隼人って「太陽がいっぱい」のあのアランドロンもかくやと思うくらいの男前だったのに改めて目を見張った。

 歌には「♪~あぁ切ない長崎~ブルス、だの(挿入別歌)シュルシュルシュビジュワ、♪~さよならと乗ろうかな最終の長野行き、~新宿の夜~♪」

 とご当地がちりばめられている。この東映の映画、田舎の映画館ではあったが高校生のワイも見たんだから、結構、高校生も多く見たんだと思う、(もっとも田舎の映画館は三本立て、お目当ての映画以外にもほかに抱きあわせの二本の映画もくっついているから積極的に見たとは言えないかもしれないが。

 しんどくてもこんな古い映画ならぼんやり見つつも、あ~だこうだ~と忘れていた青春のワイの思い出がよみがえり、しんどい一日だがそう悪くない時間のつぶし方だった。

 うってかわって、今日は夜中に飲んだ安定剤が効いたのか、たっぷり眠れたので気分はそう悪くない。昨日は本も読めなかったので今日は小説を読んでいる。と言っても歳ぃいって冗長な長編は読めないので、味わいの深い短編小説をじっくりと時間をかけ読んでいる。わずか十数ページだが三篇のうちようやと、一編と二編目の半分が読めた。読んでいるのは芥川龍之介の最晩年(遺稿となった)三篇集「歯車」である。

 途中までの感想を書きたいが、この図書館のパソコンは一時間しか使えないので詳しくはかけないのでまた機会があったら感想を書いてみようかなと思っている。芥川の短編は中高校生の国語に入っていてよく読まされるが、この最晩年の「歯車」は、あまりにも暗く、高校生にはちょっと読むことをお勧めできない。しかし半死状態の日を暮らす人が読めば、これが糧になって生きる力が湧いてくるとは間違っても言えないが、多々共感するところはある。共感に少しでも癒す力があるとすればそういう意味では鬱の人に勧められるかもしれない。読んで感じることは人生の鬱や半死状態をも小説にできるとしたらこのようなものになるんじゃないだろうか。

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