考古館より少し山を上ったところに位置している。国府の平地は、昔は暴れ川でたびたび流路を変えていた鮎喰川の沖積平野である。この古墳が作られた古代にその沖積平野は水はけが悪くたびたび浸水もしたのだろう。だからこの時代の住居、建築物は高地か山すそにある。この矢野古墳も山すそに位置する。
古墳群のあるところから市立考古資料館と平地を望む。
説明板
時期は6~7世紀である。前にブログでとりあげた徳島県西部にある段の塚穴(横穴式石室古墳)と同じ時期である。古墳時代の最後期といってもよいだろう。古墳時代も後期になるとこのような横穴式石室古墳が中心となる。羨道のある構造的にもしっかりした石室を持っているので改葬や、後から同じ石室に何体も埋葬できる。
石室入り口
石室、見えにくいが石室奥の壁は一枚の岩である。
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