2019年8月7日水曜日

歳ぃ~いくと平安がええわ

 平安、なんどというとブログを読んでくれている人は、歴史好きのワイのことすぐ「平安時代」の話かなとおもうが、さにあらず文字通りの「平安」である。「平静」という言葉と意味がよく似ているように思うが、もう少し深い意味で使いたい。例えば精神や心で「平静」という言葉は使えるしよく使っている。しかし、精神や心よりもっと深い本質的な自分の心という意味で「魂」ならばどうだろう、平静な魂とは言わんだろう、これに対し「平安」ならどうだろう。「平安な魂」は使えそうだがちょっと違和感がある。じゃあ、ひっくり返したらどうだろう「魂の平安」これならば全くおかしくない。

 でも「魂の平安」なんどという言葉をつかったらまるで死者に対する鎮魂みたいな意味になるわなぁ。でもまあ、棺桶に足を突っ込んだどころが首まで入っているオイラだから、かろうじて生きている今現在、平安という言葉を使ってもいいだろう。まだ死んでいないのだから魂の平安を欣求するのはちょっと早いが、生活の平安は欣求する。

 家に帰って、ゴロンと横になり半分涅槃にはいったら、その状態の平安を乱されたくない。まあ幸いなことに我が家を訪問するものは先ずいない。直接の物理的な搔き乱しはないが、世間がざわついたら、こちらも同調してざわつくことはある、成道できず、悟りの道には程遠いオイラの心を乱してしまう。

 昨夜は納涼花火大会予定日だった。我が家からかなり近い河川敷でボカンボカンと花火が上がる。締め切っていても結構な音がする。若いうちなら見学も楽しみであろうが、もうこの歳が来たら花火なんどは楽しみとはならない。うるさいだけである。そうとう偏屈ジジイになっていると自覚はするが、ハッキリ言って花火なんどは「キライダ~ィ!」

 午後6時ころ、予定通り花火大会しますよ、との告知だろう、ボ~~~~ンと煙火弾が打ちあがった。

 「あ~~~ぁ、花火大会が始まるんか、一時間びゃぁ、うるさくなるぞ、テレビの音、ちょっと大きいにして、なんかおもろい番組でもみてやり過ごしたろ」

 しばらくテレビを見ていたらなぜかテレビが映らなくなった。と画面にポップの警告が出て、衛星の電波が厚い雲に遮られて届いていません、とでた。かなり厚い積乱雲がなければこんな電波が届かなくなるということはない。窓を開けて外を見ると豪雨になっている。

 結局花火大会は寸前になって豪雨のため中止となった。月末に延びるそうだ。そういうわけで昨夜は豪雨にもかかわらず、平安に過ごせた。

 さて次の平安をかき乱すのはドンチュドンチュ、チャンカチャンカ、とうるさい○○踊りである。こっちも平安に過ごせんかしらん。で、週間予報を見ると二つ玉台風が近づいてきよる。もしかすると踊りが中止かも、台風と○○踊り、どっちゃがワイにとって平安か、もうお分かりでしょう。

 ボニの台風の予想

0 件のコメント: