2019年8月26日月曜日

晩夏

 数日前から朝晩涼しくなって今日なんかは日中でも真夏のような暑さは感じなくなった。実は、ひねくれでも天邪鬼でもなく、ワイは今年の夏は長く、超ド級の猛暑が続かないかと思っていたのだ。というのも、最近、ワイは古代インドのお釈迦様の時代にはまってしまっているのだ。いろんな本を読み、写真集やネットの画像動画なんかも利用して知識を得ている。そうなるとインドへ行きたくなってくる。しかし、暇はたっぷりあるもののゼニがない。おそらくインドに行くことは永久にないだろう。

 それならばできるだけ似たインドの風土を楽しみたいという願いを持った。お釈迦様やそのお弟子さんが活躍した中インド(ガンジス川中流域)は一年の三分の一近くは40度~50度になるという。そういうと乾燥していて焼けつくような暑さでこの日本とはちゃぁうやろ、といわれるが、なにがぁ~、湿度も日本に負けず劣らず高いのである。そんな中インドの夏、湿度も高く気温も40度を軽く突破し、50度近くになるとどないになるか?人の頭はボウゥ~とし、だらりとして気力も抜け、動きたくなくなる。影でへたるか、水に浸かるかである。そんなところでもお釈迦様やお弟子さんは修業していたのである。今でもそんな過酷な暑さを持つガンジス中流域で修行するインドの行者さんは多い。そんな場所でインドの哲学、宗教、仏教、文化は生まれたのである。

 そんなわけでここ阿波徳島にいて、できるだけ中インド(ガンジス川中流域)に近い季節が訪れるのをこい願っていたのだ。7月の終わりころから全国から猛暑だよりが届き始めた。35度ぉ~?まだまだ、37度ぉ~?インドをなめとんかぃ、もっと上がらんかい!このヘタレ!40度を越えました。おぉ、エエ傾向やないかぃ、もっと頑張らんかい。50度までまだまだあるでぇ、でもここ徳島では緑が多いせいか35度より以上は上がれへん。結局、全国の猛暑地点でさえ、インドからすれば涼ぅしぃわ、っちゅう最高気温で今年の夏は終わりそうなのである。日本(徳島)にいてはインドの過酷な夏は味わえなかったのである。

 今週で8月も終わる。もう厳しい夏の暑さはないだろう。今日の午後、郊外を自転車で走る。3時前だが、ずいぶんと日差しも柔らかくなり、風も涼しい。ふと「晩夏」という言葉が頭に浮かんだ。「晩夏」って正式な季節な名前ではないやろな、でも文学的表現として「風物詩」に入っているんじゃないのかな。ネットでしらべると詩の「風物詩」としてはよく使われているようだ。二つの句をあげる。

 〇紅くして黒き晩夏の日が沈む/山口 誓子
 〇赤き月草は晩夏の香を放つ /阿部筲人

 月草はどんな植物かわからず、おそらく月見草(マツヨイグサ)かな見当をつけて調べると、なにがぁ~!ツユクサのことじゃった。ツユクサの花は澄んだ青色、晩夏の夕方、赤い日に照らされての表現かなぁ。

 自転車で見えた晩夏の風景は稲刈りと刈田跡じゃった。


 ツユクサは見えないかなぁと路傍を見つつ走ったが、みえるのはエノコログサばかり、これが穀物の「粟」の原種と知ったのは最近のことじゃったな。

 週間天気予報を見ると晴れは今日まで、明日から8月の最終日までずっと雨傘マークがついとった。涼ぅしぃなるんもきっと早いわ。曼殊沙華の季節までもうちょっとやな。

2019年8月22日木曜日

ミロクさまのはなし 弥勒のお姿

我々がイメージとして持っているもっともポピュラーなお姿は、やはり学校の歴史の教科書の口絵などに必ず載っている左のような半跏思惟像であろう。しかしこれは飛鳥奈良時代までの流行であってそれ以後(今まで約1200年間)作られたのは坐像が多い、たまに立像もある。






 一昨日拝観に行った鳴門大谷の東林院の弥勒様も座位である。

 手には何も持っていないがこの手と指の形は「転法輪」といわれ、衆生に説教されている。

 この弥勒様と同じころ造られたのが下の醍醐寺の弥勒様、快慶作と言われこちらは国宝になっている。両手を下におろして組み、小さな五輪の塔を持っている。

 次の弥勒様は絹本著色像(福井・長源寺、鎌倉時代)でやはり小さな五輪の塔を持っている。

 日本の弥勒様は神さびて、神々しいイメージを持つが、それが伝わってきた中国、西域、さらにはルーツといわれるインドではどんなお姿なのだろう。

 まず中国、7世紀、中国史上唯一の女帝だった則天武后は自らを弥勒菩薩の化身と称していた。そしてその則天武后のお顔に似せて作ったといわれているのが下の龍門石窟最大の石仏である。

 しかし今では則天武后の顔に似せて作ったことは浮説にすぎないと否定されているが、この優し気で気品のある美しい顔は高貴な女性を思わせるものがある。

 もっと西の方へ辿っていき時代も遡ると、われらのよく知っている仏像の始原の地、ガンダーラに行きつく。そこでそのガンダーラの弥勒菩薩様を見ると

 なんかギリシア彫刻の美術品を見るようで弥勒菩薩の仏像という感じはしない。立像で右手はとれているが左手には水瓶(油壷という説もある)を持っている。2~3世紀ごろの作といわれる

 次もガンダーラの弥勒菩薩像、こちらは腰を掛けている姿で足を交差させている。日本では半跏思惟の形はあるがこのように足を交差させている仏像はまずない。中央アジア独特の形だろうか。

 仏像のルーツはガンダーラと言われているが実はほぼ同時に中インドのマトゥーラでも仏像が作られ始めた。下は2世紀のマトゥーラの弥勒菩薩像である。ちょっと衝撃を受けるほどすごいお姿をしている。


 腰にうす衣をまとっただけ、それも沐浴後じゃないのかと思われるほど、薄物の布がぴったりと股間に張り付いている。

 「これ!ほんまに、弥勒さま?間違いじゃないの?」

 と言われそうですが間違いありません。この像にはしっかりと弥勒様のインドのお名前「マイトレーヤ」が銘記されています。

 右手を挙げて無畏印(せむいいん)の形です。これは手を上げて手の平を前に向けた印相。漢字の示す意味通り「恐れなくてよい」と相手を励ますサインである。恐れなくてもよい、とかいっても現代の日本でこんな格好の男性が若い女性に近づけばえらいことになりますね。左手は水瓶を持っています。

 

2019年8月20日火曜日

鳴門大谷の東林院に行ってきた

 言い伝えによれば奈良時代の天平5年(733年)に行基によって建立されたとされている。東林院は鳴門市大谷の撫養街道から少し山の方に入ったところにある。本堂には御本尊の薬師如来さまがまつられている。

 本尊に隣接した本坊には愛染明王と弥勒菩薩さまがまつられている。どちらも秘仏ではないのでそのお姿を拝むことができる。下は公開されている弥勒菩薩で平安後期の作、ヒノキの寄せ木造りで、彫りが浅く温和な表情をしており、全体に金箔が施されています。丸顔でなで肩、体つきが丸みを帯びているのが特徴です。国指定の重要文化財となっている。

 本堂・本坊の隣には種蒔き大師堂がある。

 境内に沙羅双樹の木が植えてあった。

 この東林院のすぐ横には宇志比古神社がある。江戸時代は寺もこの神社も一体化していてこの辺り全体が神仏習合の霊場だったのだろう。狛犬さんの前足がずいぶん長く、ちょっとユーモラスな感じがする。

 ここから数百メートル南西には土御門上皇の御火葬塚もある。

2019年8月17日土曜日

昨夜の鴨島駅前通り

 台風の影響でたった一夜の地元の阿波踊り

2019年8月14日水曜日

平安なボニとはならんわ

 先のブログで平安なボニがええわ、と書いた。一昨日から始まったドンチュドンチュ、ドンガドンガは前日、早々と中止宣言が出た。台風の影響である。最終日の明日は、もしやの台風さんの気まぐれをわずかに信じて中止宣言を待つそうやが予報では多分だめだろう。(今日と明日の天気予報)

 ドンチュドンチュ、ドンガドンガがなくなり、その点では平安になったが、台風さんにあんまり暴れまくられたら困る。ウチの洗濯干し場のトタン屋根がすでに半分めくれている。台風の強風でこれがさらにめくれまくるかもしれん。家の傷みの修繕は結構な金がかかる。生きるにカツカツの生活をしているジジイにはそんなゼニはあらへん。なんとかトタンがめくれかえる風は吹かんといてほし。

 あからさまにブログで、中止が静かになってええのになんどと書くから、バチがあたりワイの家がめげるかもしれんな。

追伸
 午後二時前、アミコあたりをうろついていたが前日は人の混雑で行き来できんくらいやったが、うって変わって今日は閑散としている。雨は今は止んでいる。バザーのテントもいろんなブースも全部撤去されていた。どうも今日どころか明日も中止やろな。
 明日は朝から汽車も四国内で全面的に止まるらし。明日は家で引きこもってDVDか読書やな。

追伸の追伸
 明日最終日の阿波踊りも中止が決定した。阿波踊り中は太平洋高気圧が毎年張り出しているため、雨天は少なかった。ここ十年くらい雨で流れたっちゅう記憶はないわ。ニュースを読むと二日間悪天のため中止になるのは平成8年以来23年ぶりとのことである。その時のオイラの記憶を探ってみると阿波踊りが二日も流れた記憶はどこにもない。それもそのはず、平成8年の8月はほぼ1か月北海道でおったわ。

2019年8月9日金曜日

ミロクさまのはなし 常楽寺の石碑、上生佛

 先日行った常楽寺入り口にあるミロクさまの石碑をもう一度見てみよう。石碑には「上生佛 弥勒慈尊」と刻んである。弥勒はみろくさまのお名前だからわかるが、その他の文字の意味は何だろう。上生佛~慈尊とは?

 「上生」があるのだから「下生」もあるのかしらん。しかしもし「下生佛」という言葉があるとするとなんか上生に比べると下位・劣位のようなイメージがあるから下生なんかはありはすまいと思うが、調べるとなんと上生に対し下生もある。しかし弥勒信仰の上生、下生は上位、劣位という意味ではない。平たく言う救いを求めるわれらが弥勒様の元に行って救いに与かるのが上生、われらが行くのではなく弥勒様にこちらの方に来てもらって救いに与かるのが下生である。弥勒様は我々が住むこの世の遥か上方の兜率天といういわば天国にいらっしゃるので、われらがその弥勒様の天上界へ行くことはわれらが「上」方世界に「生」(往生)じることとなるので「上生」である。これに対し弥勒様がわれらのいるこの世に降りてきてわれらを救ってくださるのが下生の弥勒信仰である。弥勒様が天上界からこの世に「下」って救ってくださり、われらがこの世に居ながらにして「生」(往生)させてくださるので「下生」となる。

 弥勒様は未来仏である。現れるのは56億7千万年後である。これはあまりにも長すぎる。その間いったいどれだけの輪廻転生を繰り返すのだろうか、もっと早く救いにあずかれないのかしらん?人々がそう考えるのは自然である。その間、弥勒様はどこにおいでになる?弥勒様はその時が来るまで天界の「兜率天」というところで自らも修業したりその天界で利他行(他の人のために尽くす、もちろん人の救済、成道を助ける)を行ったりしている。それならばいっそその「兜率天」というところにわれわれは生まれ変わることができないか。それができると信じるのが弥勒の「上生信仰」である。そう考えるとこの石碑に刻んである「上生佛」とは上生信仰をかなえてくれる弥勒様という意味になる。

 そして「・・・慈尊」とは?「尊」はまさに仏様の尊称である。現代使われる「様」に当たるのが尊である。地蔵様のことを地蔵尊と呼ぶのは様=尊であるからである。そうなるとこの尊の前にあるのが名前となる。弥勒様のルーツはインドである。インドでは弥勒様を「マイトレーヤ」と呼んでいた。その音を中国で漢字に直したのが「弥勒」となる。そしてこの「マイトレーヤ」は梵語で「慈しみ」という意味から弥勒様の名前になったといわれている。中国語で音をうつして弥勒となったが、「慈しみ」の意味からの意訳で弥勒のことを別名中国では「慈」氏ともいう。つまり「・・弥勒慈・」は音をまねた「弥勒」とその梵語の意訳から「慈」という文字が弥勒様の名前を表すのに重ねて用いられているのである。

 上生信仰とは弥勒様のいらっしゃる「兜率天」に「上生」し云々、というのを聞くと、日本の中世以来盛んになり現代も優勢な宗派の根本教義として存在する「阿弥陀信仰」を思い浮かべる。弥勒様を阿弥陀様、「兜率天」を「極楽浄土」、「上生」を「往生」と読み替えれば阿弥陀信仰と同じではないか。しかし一見同じように見えるが調べると差異もある。まず大きな違いは弥勒様は菩薩であり、阿弥陀はんは如来である。仏としてのステージが違うのである。悟りを啓いた究極のステージは如来である(釈迦如来、薬師如来、大日如来など)。菩薩はその次のステージである(弥勒もそう、文殊、観音、など)。悟りの一歩手前、もう如来になることは約束されているようなものだがまだ一応修業中で究極の如来ではない。そういうとなんか人を救う力が弱いような気がして如来より頼りなさそうに見えるが、さにあらず、菩薩さんは利他行、慈悲行を積極的に行う(他人のために粉骨砕身してくださる)。瞑想してド~ンと座っている如来さまより、頼りがいがある。菩薩さまは立ち姿で(なかには片足を半歩踏み出してすぐにも救済に向かうぞ、と言わんばかりの菩薩さまもいる)、手には(二つ以上、中には百も手がある)いろんなお救い道具をもったりしている。そんな菩薩さんの方が救いを求める人にはありがたい。

 そのいらっしゃる世界も阿弥陀様は「極楽浄土」である。ここは究極の理想世界で、もう嫌な世界に落ちもしないし別の世界に行くこともない。阿弥陀のもとで「極楽!極楽!」といって永遠に楽しく過ごせる。対し弥勒様のいるところは「兜率天」で地獄からだんだん上がっていくいろんな世界の中ではかなり上方にある天界に属し、いいところだがその上にはもっと素晴らしい天界の世界もある。その中の「兜率天」で弥勒は菩薩として修業しているのである。「兜率天」の住人は天人であり、とても幸福な世界だが永遠では無く有限である。寿命も長いがやがては尽きる(万年単位)、そうして「業」に引かれて下の世界に落ちてしまうこともあるし、また上昇することもある。「兜率天」は決して極楽浄土のように究極の世界ではないのである。

 だから、もし弥勒菩薩様にすがって「兜率天」に上生してもその世界ではやはり弥勒様のおそばにいて教えを請い修業を重ねなければならないことになる。もちろん現世より万倍もいい天界の「兜率天」だし、弥勒様もまじかにいらっしゃるのでやがては「成道」間違いないだろうが、それでも蓮の台の上で永遠を過ごせる「極楽浄土」の世界ではない。

 この弥勒の「兜率天」上生と弥陀の「極楽浄土」往生、違いはあっても、救いの仏、救いの世界の呈示などはよく似ている。もしやそのルーツを遡れば重なるのでなないだろうか。いやもしかするとどちらか一方のほうが先に起り、その影響を受けてもう一方の信仰が出てきたことも考えられる。はたしてどちらだろうか。なお調べてみた。続きはまたブログにします。

 下は鳴門市大谷の東林院にある弥勒菩薩像。転法輪の印(手の形)をしている。これは説教するお姿。「兜率天」に上生した衆生になおも教えを垂れているのかもしれない。

2019年8月7日水曜日

歳ぃ~いくと平安がええわ

 平安、なんどというとブログを読んでくれている人は、歴史好きのワイのことすぐ「平安時代」の話かなとおもうが、さにあらず文字通りの「平安」である。「平静」という言葉と意味がよく似ているように思うが、もう少し深い意味で使いたい。例えば精神や心で「平静」という言葉は使えるしよく使っている。しかし、精神や心よりもっと深い本質的な自分の心という意味で「魂」ならばどうだろう、平静な魂とは言わんだろう、これに対し「平安」ならどうだろう。「平安な魂」は使えそうだがちょっと違和感がある。じゃあ、ひっくり返したらどうだろう「魂の平安」これならば全くおかしくない。

 でも「魂の平安」なんどという言葉をつかったらまるで死者に対する鎮魂みたいな意味になるわなぁ。でもまあ、棺桶に足を突っ込んだどころが首まで入っているオイラだから、かろうじて生きている今現在、平安という言葉を使ってもいいだろう。まだ死んでいないのだから魂の平安を欣求するのはちょっと早いが、生活の平安は欣求する。

 家に帰って、ゴロンと横になり半分涅槃にはいったら、その状態の平安を乱されたくない。まあ幸いなことに我が家を訪問するものは先ずいない。直接の物理的な搔き乱しはないが、世間がざわついたら、こちらも同調してざわつくことはある、成道できず、悟りの道には程遠いオイラの心を乱してしまう。

 昨夜は納涼花火大会予定日だった。我が家からかなり近い河川敷でボカンボカンと花火が上がる。締め切っていても結構な音がする。若いうちなら見学も楽しみであろうが、もうこの歳が来たら花火なんどは楽しみとはならない。うるさいだけである。そうとう偏屈ジジイになっていると自覚はするが、ハッキリ言って花火なんどは「キライダ~ィ!」

 午後6時ころ、予定通り花火大会しますよ、との告知だろう、ボ~~~~ンと煙火弾が打ちあがった。

 「あ~~~ぁ、花火大会が始まるんか、一時間びゃぁ、うるさくなるぞ、テレビの音、ちょっと大きいにして、なんかおもろい番組でもみてやり過ごしたろ」

 しばらくテレビを見ていたらなぜかテレビが映らなくなった。と画面にポップの警告が出て、衛星の電波が厚い雲に遮られて届いていません、とでた。かなり厚い積乱雲がなければこんな電波が届かなくなるということはない。窓を開けて外を見ると豪雨になっている。

 結局花火大会は寸前になって豪雨のため中止となった。月末に延びるそうだ。そういうわけで昨夜は豪雨にもかかわらず、平安に過ごせた。

 さて次の平安をかき乱すのはドンチュドンチュ、チャンカチャンカ、とうるさい○○踊りである。こっちも平安に過ごせんかしらん。で、週間予報を見ると二つ玉台風が近づいてきよる。もしかすると踊りが中止かも、台風と○○踊り、どっちゃがワイにとって平安か、もうお分かりでしょう。

 ボニの台風の予想