2019年4月16日火曜日

ノートルダム大聖堂炎上

 朝、起きぬけにテレビをつけたら飛び込んできたのがノートルダム大聖堂炎上の衝撃的な映像だった。驚いたことは驚いたが、なんかデェジャブ感がある。なんで?と考えると去年の今頃、ネットでみた西洋時代劇の中世もの『大聖堂』で大聖堂炎上の回があってそれを見た記憶があったからだ。面白かったので毎回配信を楽しみに最終回まで欠かさずみた。

 その聖堂炎上シーン


 まあドラマなら安心して見られるが、現実にノートルダム大聖堂炎上となってはたいへんである。しかし仏大統領はさっそく再建の強い意志を示し、全世界で寄付を募ると表明したそうである。このドラマも全編を貫いている主題は「大聖堂再建」であるから、ますます去年見たこのドラマの類似を思い浮かべた。ドラマでは最後は大聖堂が立派に完成し大団円を迎えるから、現実のノートルダム大聖堂再建もきっとうまくいくだろう。

 ノートルダム大聖堂が完成したのは14世紀(12世紀から建築が始まったが)といわれるが、それより600年も古い大寺院にわが日本の「東大寺」がある。この東大寺なんかは8世紀にたてられたが12世紀と16世紀に二度兵火に罹り炎上している。石造りがメインのノートルダム大聖堂と違い木造建築であったため派手に燃え落ちている。それでも二度とも再建を果たしている。12世紀でも再建できたのだから21世紀の現在、ノートルダム大聖堂の石造部分はほとんど損傷をうけなかったこともあり再建は容易だろう。

炎上中の大仏殿と燃え落ちた大仏殿


 映画より大仏殿炎上シーン


 平家物語巻五では「奈良炎上」という一節を設けてこの大仏殿炎上を叙事詩的に述べている。

 「・・・御くしは焼け落ちて大地にあり、御身はわきあいて山の如し、八万四千の相好は、秋の月早く五重の雲におぼれ、四十一地の瓔珞は、夜の星むなしく十悪の風にただよふ、煙は中天にみちみち、ほのほは虚空にひまもなし。」

 炎で大仏の首が落ち、首以下の胴部分も溶けて形定かならぬ山のようになったと描写している。このようになったのだろうか、(映画の大仏炎上より)

そして本節はこのように締めくくる。

 「聖武皇帝、宸筆の御記文には、我が寺(東大寺のこと)興福せば、天下も興福し、我が寺衰微せば天下も衰微すべし、とあそばされたり、されば天下の衰微せんことも疑いなしとぞ見えたりける。あさましかりつる年も暮れ、治承も五年になりにけり。」

 これは日本の中世の開幕を告げる衝撃的な事件であった。当時は末法思想の流行もあり、このまま日本国は衰退滅亡してしまうだろうと嘆いた人々も多かった。しかし1180年の大仏炎上直後から再建の動きは始まり、勧進帳をもち(それを隠れ蓑に義経と弁慶主従らの逃避行は有名である)全国津々浦々に勧進聖・山伏が回り貴族、武士、庶民の別なく浄財を募り、立派に再建を果たした。以後日本国は衰退滅亡に向かわず、武士の勃興もあってダイナミックな中世を迎えるのである。21世紀の現在、おフランスのノートルダム寺院もきっと立派に再建されるだろう。

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