2013年12月21日土曜日

我が郷土の江戸時代の風呂・石風呂


 江戸の風呂についてパート2のブログで述べているが、我が郷土の風呂に江戸時代の遺物はないかと探したら、県下で石井町にあった。幸いこの町は我が町の隣にあるのでさっそく行ってきた。

 蒸し風呂の一種かと思っていたが、そんな単純なものではない。蒸し風呂、そして森林浴、塩やミネラルのイオン効果風呂、の3つを兼ね備えたもののようだ。

 森林浴は樹木からの樹脂成分が体に何か有効な作用をもたらすものである。そして塩は現代でもサウナと塩もみと組み合わせ使われる。塩やその中の微量ミネラル分がこれまた体に有効な作用をもたらすものと考えられる。

 実際にどのように使われたかは下図の写真とともに説明しましょう。
 よく見ると炭焼きの窯のようになっています。ドーム型は石や耐火粘土で作られます。そして開口部から山の樹木を入れ炭焼きのように燃やします。この時、樹木の森林浴と同じ成分も煤煙となって窯の表面に付着するものと思われます。

 そして燃えた後、余熱が残っている窯の中の床に塩水で濡れたムシロを広げ、人が中にはいりムシロから立ち上る蒸気浴をするものです。公的な説明ではこのようになっています。

 薬師庵の石風呂(石井町) 石井町石井の薬師庵(あん)の敷地内に、石と赤土でできた石風呂がある。横穴式古墳のような形で幅四・五メートル、奥行き六・二メートル、高さ二・五メートル。一九七五年、町有形文化財に指定された。
 石風呂は水蒸気を利用した蒸し風呂の一種。室内で松葉を燃やし、熱くなった地面に塩湯に浸したむしろを敷く。利用客はその上に座って、立ち上る蒸気にあたる仕組み。現在のサウナと同様の効果があったようだ。高温のため、蒸気浴の時間は長い人でも五分程度だったらしい。
 作られた時期は定かでない。江戸時代中期に徳島市内で規模や構造が同じ石風呂が使われており、同時期のものではないかと推測されている。

 使われていたのは約四十年前まで。町民のほか、小松島、鳴門両市からも入浴客があった。一日二十―六十人が利用したとの記録がある。保存のため、石風呂を覆う小屋が設けられていて、状態はほぼ当時のまま。

 江戸時代の石風呂


 その場所の動画を撮りました。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

こんな物が徳島に在ったとは、驚きですね!!私にはピザ釜にしか見えませんが、ちょとデカすぎるし、住むにしては狭そうです。でも酸欠で倒れる人はいなかったんでしょうか、心配ですが、一回入ってみたいですね。今度一緒に入りますか?(^_^)/~~

yamasan さんのコメント...

今は遺跡として残っているだけで、実際には使われてはいないようです。10年くらい前は試験的に復活して入った人もいるそうです。

 燃えるときにできる木の樹脂、タール、あるいは香油成分、そしてムシロにしみこませた塩水が蒸気との複合作用で体にいい効果をもたらしたのだと思います。

 今でもサウナにハーブとか伯方の塩を使っていますから、よく似たものでしょう。 
 ムシロを使うだけに、むしろ、昔の石風呂が効いたかもしれませんね。(*^。^*)