2012年10月29日月曜日

鎌倉と銭

 鎌倉時代は前の平安時代と違って、経済活動に『銭』が広範囲に使われるようになった。以前、函館空港付近にある中世の発掘遺跡現場を見学したが、数多くの甕に入った多量の銭が発見されたことを知り、驚いたことがある。日本の辺境ともいえる北海道での中世に貯められた多量の銭である。全国的に普通に通用していたものと思われる。

 鎌倉武士は質実剛健、自供自足の生活と考えられているが、実態を知ると結構、銭に対し欲がでたりして、意外な気がする。
 現代の世の、「世の中銭がすべてでおます!大概の問題、悩みは銭で解決しまっさ!幸せも銭の多寡に比例する!」というような風潮もこの時代から出てきたものと思われます。

 このような風潮をこの時代の人は
 『銭の病』
 と名づけました。うまい言葉ですね。

 さて、このたびの旅行で鎌倉を歩いていて、そのような「銭」に関する、名所旧跡をつばかりご紹介いたします。

 建長寺から北鎌倉のほうの道を歩きたいのですが、ミーちゃんハーちゃん、キクちゃんらの有象無象がわんさかいるのと、憎らしい車の行列に恐れをなし、北鎌倉のほうへ向かって山には入りました。具体的な地名で言えば(後から知ったが)
 『源氏山~化粧坂きり通し』
 でした。

 そのあたりをうろうろ迷っていると神社がありました。
 『銭洗い弁天』
 です。

 何という面白い名前の神社だろう。察するに、人間の欲望の染み付いた銭をここで洗い落とすという効能があったのではないかと思います。マネーロンダリングみたいですが、そうではなくて、銭使いはもうこの時代やめられなくなっています。それならせめて、金に染みついた悪習や欲など目にみえない穢れををきれいにして使おうという願いでしょうか・・・・

 って、あとでウィキを調べたら、ここで洗ったら銭が何倍にも増えるとか!

 『ああ、どこまでも欲に導かれるのか、人類に救いはない』

 そことは反対の山際になるが(前回の動画でちらりと見えているが)小町の山のほうを流れる小川がある。「滑川」という。下は私が撮った現代の滑川です。

 鎌倉の昔、銭に関し、この小川でこんな話があった。

 『ある武士がこの滑川を渡っていて川の中に銭10文を落とした。夜であったため、松明を50文で買って探させたそうだ。人は、馬鹿なやつよと、言ったそうだ。収支が合わないから普通はそう考える。しかし、この武士は、10文を川の中に失えばその財は永遠に失われる、しかし、50文を使い、10文を見つけ出せば、合計60文の財が天下に流通し、社会全体は益を得るだろうと。』(詳しくはここクリック
 なるほど!為政者になるような人にはこういう人がいて欲しいものですが、私などは下司の根性が沁みついているため、目先のことだけ考えてようしません。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

鎌倉時代にそんなにすごい経済学者がいたとは驚きです。銭洗い弁天はお金を洗うところ位にしか考えていませんでした。やはりお金は糞尿と同じで使わずにほっておけば、どんどん悪臭を放つから、洗うのかもしれませんね。((((^^;)¥

yamasan さんのコメント...

金が金を生むという、利子などは誰が考えたんでしょうね。この時代、すでに高利貸しが大もうけしてましたから、楽して金が金を生むシステムで稼ぐのが出てます。
 金に汚くこずるいのがこの時代からいます。

どんな奴か知りたかったら私のこのブログをみませう。
http://koromonotate.blogspot.jp/2011/10/blog-post_30.html

この人きっと罰が当たったんでしょうね。