鎌倉武士は質実剛健、自供自足の生活と考えられているが、実態を知ると結構、銭に対し欲がでたりして、意外な気がする。
現代の世の、「世の中銭がすべてでおます!大概の問題、悩みは銭で解決しまっさ!幸せも銭の多寡に比例する!」というような風潮もこの時代から出てきたものと思われます。
このような風潮をこの時代の人は
『銭の病』
と名づけました。うまい言葉ですね。
さて、このたびの旅行で鎌倉を歩いていて、そのような「銭」に関する、名所旧跡を2つばかりご紹介いたします。
建長寺から北鎌倉のほうの道を歩きたいのですが、ミーちゃんハーちゃん、キクちゃんらの有象無象がわんさかいるのと、憎らしい車の行列に恐れをなし、北鎌倉のほうへ向かって山には入りました。具体的な地名で言えば(後から知ったが)
『源氏山~化粧坂きり通し』
でした。
『銭洗い弁天』
です。
って、あとでウィキを調べたら、ここで洗ったら銭が何倍にも増えるとか!
『ああ、どこまでも欲に導かれるのか、人類に救いはない』
そことは反対の山際になるが(前回の動画でちらりと見えているが)小町の山のほうを流れる小川がある。「滑川」という。下は私が撮った現代の滑川です。
『ある武士がこの滑川を渡っていて川の中に銭10文を落とした。夜であったため、松明を50文で買って探させたそうだ。人は、馬鹿なやつよと、言ったそうだ。収支が合わないから普通はそう考える。しかし、この武士は、10文を川の中に失えばその財は永遠に失われる、しかし、50文を使い、10文を見つけ出せば、合計60文の財が天下に流通し、社会全体は益を得るだろうと。』(詳しくはここクリック)
なるほど!為政者になるような人にはこういう人がいて欲しいものですが、私などは下司の根性が沁みついているため、目先のことだけ考えてようしません。
2 件のコメント:
鎌倉時代にそんなにすごい経済学者がいたとは驚きです。銭洗い弁天はお金を洗うところ位にしか考えていませんでした。やはりお金は糞尿と同じで使わずにほっておけば、どんどん悪臭を放つから、洗うのかもしれませんね。((((^^;)¥
金が金を生むという、利子などは誰が考えたんでしょうね。この時代、すでに高利貸しが大もうけしてましたから、楽して金が金を生むシステムで稼ぐのが出てます。
金に汚くこずるいのがこの時代からいます。
どんな奴か知りたかったら私のこのブログをみませう。
http://koromonotate.blogspot.jp/2011/10/blog-post_30.html
この人きっと罰が当たったんでしょうね。
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