2011年2月28日月曜日

入試なんかやめっちまえ

 じたばた大騒ぎするほどのことか?
 わたしゃ、60歳の爺さんでインターネットやりはじめて半年にもならんけど、こうなることはお見通しじゃわ!
 NHKの夜のニュースでトップ報道、
 
 「今回の入試問題流失そしてインターネットに投稿・解答の一連の事件。入試制度の根幹を揺るがす。」

 けっこうけだらけ、それで根幹が揺らいだなら、いっそ入試制度の廃止も含め抜本的に変えたがいいと、私は提案したい。

 インターネットの発達、そしてインターネット端末の多種多様化、進化し続ける情報機器の時代、今までこれを入学試験に(もちろん不正だが)応用しなかった方がよっぽどおかしい。これだけ発達した情報社会にあっても、入試は聖域と思っていたんでしょうな。まさか!そんな!裏をかかれて、頭にきたんでしょうな。大学や文科省、良識独占企業のマスコミは怒りの様子。そんなの誰でも予想できることで、なんで今まで対策を取らなかったのか、わたしゃ不思議でならない。

 それをあたふたして、偽計業務妨害で告訴するという。
 恥っさらしなことはやめたがいい。
 
 警察も威信にかけて捜査するでしょうが、もし、証拠も残らぬほど完璧に入試をかいくぐれば、誰か知らないが、この人、並みの京大入学生の何倍もの能力を持っていると思いますよ。
 これだけで入る価値があります。

 この際、入試など全廃した方がいいのか、紙と鉛筆の入試方法がいいのか、議論しましょうよ。
 ペーパー試験などして選抜していい人が選べるなどという根拠、本当に確かなんですか?
 え?経験上間違いないって?ほんまかいな。

 2000年も前から合理的な試験選抜制度があったのは中国で、「科挙」というのがあり、それを通してすべての人に門戸を開き人材を供給してきました。今の国家公務員試験Ⅰ種と同じ制度です。
 それに対して近代にいたるまで貴族や武士などが人材を独占し、世襲が当たり前だったのがヨーロッパや日本、でも歴史を通して中国に比べ人材が劣っていたとは決して思えないんだけれどね。

 やった人詮索するより、おのれの(大学、文科省)ほうを変えた方がいいんでないかい。

 
 

2011年2月27日日曜日

食べた後すぐ寝ると・・・ たらちねの・・・ のあとには何がくる

 このブログの横にガジェットというアニメが入っています。訓練校の授業でブログを始めて作ったときにデザインを選ぶんですけど、私は「うし」と「うさぎ」を選んだようです。
 ようですというのは、なぜこれを選んだか、そのわけを思い出せないのです。去年の十月ですから忘れるはずないのにどうしてもわかりません。選択に他にどんなものがあったかも覚えていません。
 たぶん、先生に言われるまま一番最初に目についたアニメを選んだのでしょう。かなりいい加減に決めたに違いありません。
 その時、先生から
 「一応なんでも選んでおいてください。これは後で変更できます。」
 と聞いたのは覚えている。

 それでこの「うし」と「うさぎ」であるが、気に入らなければ変更すればいいのだろうが、恥ずかしいことに変更の仕方を忘れてしまっている。
 うろ覚えで変更していて、「バチッ」とブログそのものが消えてしまわないか、ちょっと怖いので変更できずにいる。
 それにこの二つのキャラ、嫌いではない。かといって、愛すべきキャラとも思えないが、なんとなく愛嬌はあって、それにブログ誕生からずっとこの位置に鎮座して見守っていてくれるので愛着も感じている。

 この牛、最初の頃はわからなかったがよく見るとかすかに動いている。寝そべっていて手になにやらミカンか林檎かわからないが持っていてもてあそぶように動かしている。そしてもう一方の手はお尻を掻いているようである。
 牛が寝そべるとは、なんか微笑ましくもあるが、わたしは、ぐうたらした怠惰な風情を感じる。といって別に嫌悪感を持つわけではなくあくまで可愛さの範囲である。

 というのは子供の頃、食事をしたあと横になり寝そべっていると私を育ててくれた祖母が
 「食べた後、寝そべると、牛になる。」
 とよく注意された。「喰っては寝、喰っては寝」という言い回しがあるが、ぐうたらした生活を暗示していて、規律を重んじる昔の人は、このような行為を戒めたのであろう。

 そう見てみると、この牛、もしかして怠惰な生活を繰り返しているうちに、なんらかの罰や祟りで牛になった過去を持つキャラのような気もする。ただし、反省しているようすもなく、これはこれで楽しんで「ねそべり牛」をやってる。
 
 そして「うし」の下にある「うさぎ」、これも単純に可愛いうさちゃんとは見えない。
 露天温泉に入っていて、雪もチラホラ降っている。情景としては旅愁や郷愁を感じる。
 ところが、中に入っているのは、でっぷり太った鼠色の生き物、耳も大きくなくずんぐりした体形から巨大ネズミ・カピパラのよう。かろうじて兎唇(みつ口)からうさぎとわかる。

 それにこの胸から出てる突起物はなに?ブログをやり始めた頃は、これは手だ、手だ。と思い込もうとしていた。わざと拙劣に描いて、アニメを可愛く見せるのはよくあることなので手に違いないと言い聞かせていた。
 しかし、最近はこれ、乳房であることを確信している。でっぷりした肝っ玉母さん風の体形であること、おおきな垂れ乳であること、もうこれに間違いはない。だいいち、バニーちゃんみたいなウサギは頭のてっぺんにタオルなどのせまい。
 これはかなり年季のはいった「おっかさんウサギ」である。
 垂れ乳はなんら恥じるものでも、醜いものでもない。何人もの子供をこれによって立派に育て上げた象徴である。母性の権化といっても差し支えないであろう。我が国においては「垂れ乳」は西洋の聖母マリア像に比肩できる「聖なる母性」である。

 和歌には「枕詞(まくらことば)」というのがある。ある言葉の前におかれる飾り言葉のようなものである。
 「母」にかかる枕詞に「たらちねの」というのがある。「たらちねのはは」というような使われ方をする。この「たらちね」というのは、多くの子を育て上げた母が持つ、大きなしかし垂れた乳房の「垂れ乳」から来ている。
 たらちねとは、なつかしく、あまく、そして切ない母を感じさせる言葉だったのである。

 このように思ってみると、この温泉ウサギ、なかなか味わい深いキャラであります。
 

2011年2月26日土曜日

Prostate 本日は男性読者限定

 私は特定の器官が悪い病気を持っている。いろいろな症状はあるが、生活にそう支障はない。しかし、時として発作に近い症状が出るときがあり、これが起これば病院へできるだけ早く行って処置してもらわなければならない。これが出ると苦しくて、悶絶しそうになる。厄介なことにこれが起こるのは、未明、早朝である。病院は閉まっている。何回も起こっていて、いわば馴れてもいるし、歩きもできるので、救急車などのお世話にならず、幸い近くに総合病院があるので、自分で電話して直接歩いていく。

 このように書くと、心臓の発作に似ているが、私の悪い器官は心臓ではない。心臓の場合はほんとに悶絶死することがあるが、悶絶しそうになるだけで命にかかわることはないので、安心だが、このような発作的な症状がでると、一回の処置ですぐ回復はするものの、体より精神的にダメージを受けて、数日虚脱したようになりぼんやり過ごすことになる。

 ところで、体の中には五臓六腑と言われるようにいくつもの器官がある。この意味を調べてみると

五臓六腑 - Wikipedia
 五臓六腑(ごぞうろっぷ)とは、伝統中国医学において人間の内臓全体を言い表すときに用いられたことば。「五臓」とは、肝・心・脾・肺・腎を指す。心包を加え六臓とすることもある。「六腑」とは、胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦を指す。 ...

 古典の医学本から来ているとは思っていたが、やはりそうである。それにしてもほとんどなじみのある臓器であるのには意外であった。三焦だけは不明であるが、あたりまえで、これは働きだけあって形がないものだそうである。

 私の悪い器官はこの中に入っていない。
 江戸時代、西洋の解剖学のテキストをみながら、実際に死刑囚の体を解剖し、蘭学医が「解体新書」を著した。心、肝、腎・・・・臓などは、昔からの漢方医学にもあるため直訳でよかった。
 しかし、私の悪い器官は、五臓六腑に入っていないし、その器官の存在は、江戸時代知られていなかったのであろう。そのため漢字表記の日本語で新しく作る必要があったものと思われる。

 なぜ、そんな推理ができるかって?
 まあ、その器官の名前をじっくり見てください。
 「前立腺」
 まえ立つ腺?不思議なネーミングですね。
 なに?男だったら、珍棒が、朝立ち、そして、前に立つ、腺、などと下卑た冗談からではありませんよ。

 これね、どうも英語(蘭、仏、独もおなじ)の直訳だと思うのです。
 英語で、prostate, 前立腺。
 ちょっと解説すると、pro- は接頭語で、前、先、という意味があります。語幹のstate は建てる、立てる、の意味がある。このことから、建てられた国、州、はstate, 立てられた銅像はstatue, がきている。
 つまり、pro-state, 前・立、腺。

 この英語ね、一回見たらすぐ覚えましたわ。高校生の時から知ってるある専門用語に似ていたからです。
 なになに、高校の時から英語の専門用語?
 皆さんもありませんか、英語の単語なんどろくすっぽ覚えもしない癖に、猥褻な淫靡な単語は一生懸命辞書で引いて覚えた記憶、
 「え、それは、おまえだけじゃ」
 そうでした、すんません。
 売春婦などという言葉は、高校生の時から3つ知ってました、prostitute,quean,whore,ませガキだったんでしょうかね。
 このprostitute, に似ていたから前立腺prostate, をすぐ覚えました。

 こんな能書き垂れて前立腺がよくなればいいんですが、なんの役にも立ちませんわ。
 それよりか、導尿カテーテルを自分で入れられれば、緊急外来の世話にならなくて済むが、自分では無理だろうなと思う。なにせ、私の主治医の一人である若い泌尿器科の医師は医学学校の実習で、自分で入れるのを試したが痛くて全然できなかったと言ってたから、私などはまして出来ないのは当たり前。その点、看護婦さんは場数を踏んでるためか、他人に入れるのは上手。自分のはどうか知らないが・・・

 そうそう、昔の変態ポルノビデオは、鞭と蝋燭、せいぜい浣腸ぐらいだったけど、最近は導尿カテーテルが登場らしいよ、
 と友達がいってました。まるで泌尿器科の医学実習みたいですね。

2011年2月25日金曜日

病院の一日

 早朝から病院のお世話になる。
 歯もいよいよダメになり、予約をとり、今から行く。
 本日は、しんどくて、ブログはお休みします。

2011年2月24日木曜日

美男、ブ男

本の題に魅せられて図書館で借りてきたが、題とはまるで期待外れだった。
 日本の歴史上、美男と言われた人をあげ、解説。美男のその時代時代の基準、美男がその時代の社会でどのように扱われてきたか、それらの変遷などが書かれている。

 すべて歴史上のことであり、今を生きる美男が出世して、それに対してブ男が逆襲するわけではない。

 しかし、それくらい単純に割り切って書いてくれた方が面白いのだが、歴史学~社会学的な新書であるらしいのでそのように白黒二つに分けて対立するものとしては書けないのであろう。

 ブ男の私としては、
「美男こそが神に選ばれた善良であり、出世し、光り輝く到達点に達することが約束されているのである。」
 とかいって、拳固でぶ~~~ん。とぶちのめされる内容のほうがよかった。

「いやいや、美男の基準もあいまいで、ブ男といわれていても、女性から見ればなかなか、魅力もあり・・・・・・・・・」
 などという曖昧さは、わたしゃ、すかん!

 はっきり 美は善、醜は悪。という大前提を打ち立てて、書いて欲しい。
 今時、こんな差別につながるような恐ろしいこと書けんって?ごもっとも。

 ところで、ブ男の逆襲って、なにするんだろ。わたしゃ頭悪いからようわからなんだが、まさか美男を闇討ちにするわけでもあるまい。
 それをバネに努力、発奮せよということか、
 「男は顔じゃない〇〇だ。」
 とよくいいますがね。この〇〇に入るものも、肉体の美にくらべてそれほど高尚なものなんでしょうかね。

 あ、ちょっと断っときます。この本には記述はなく、私の見解なんですけど、美男について、老若ちゃんぽんにしてますが、20~30歳くらいの年齢と考えてくださいね。何を根拠?
 「最後の審判」では、高齢で亡くなった人も等し並みにこの年齢に若返って、審判者の御前にでるそうですから、私も60歳ですが、2,30歳の私を思い浮かべて考えてます。
 私としては、18,9歳ぐらいがいいと思うのですが。

 なんか、美男がよくて、ブ男は踏んだり蹴ったりのような言い方ですが、美を考えればそうなります。しかし、もし、それにあるものが付着していれば、あなた、どちらをとります。

 「まぎれもなき若さ、美には、刹那、はかなさ、具体的には、短命、悲劇的な死」が

 「しこめしこめしき男には、平凡・日常性、現世をずぶとく生きる力、具体的には末永き命」

 「美」と肉体を持つ生身の「男」が結びついて「美男」となった時、宿命的にそれは刹那的、はかなきものとならざるをえないのです。肉は老醜を刻むものであり、腐敗し滅するものなのです。
 対し、醜は、老であり、腐敗であることは言うまでもないこと、しこめしこめしき男はそれを体現した権化。衰亡、醜悪、老そのものが生きること、そりゃ、長生きするでしょうよ。

 でもね、そんな理想的な美男もブ男もまずいないからみなさん、安心しましょうね。

江川水源地と水仙・本日撮影

 うちの近くに泉があり、水がわき出ています。江川水源地として観光地にもなっています。
 この水際に水仙が咲いています。

 昔、理想的な美男(もちろん若く、おそらく15~19歳くらい、女性にも男性にも愛された)がいたそうですが、やはり、はかなくて、神に愛され天上に召される運命でした。

 水面に写る自らの美しい姿を見つつ、水仙になりました。

 本当の美男は長くこの世にとどまれないんですよ。

 

2011年2月23日水曜日

川島駅、野良猫小劇場・駅長への野望

 ムービメーカで動画を編集してみました。訓練校でやったようなアニメ、特殊効果まではつけられませんでした。

2011年2月22日火曜日

猫にゃんにゃんにゃん、犬わんわんわん

 今日は久しぶりに徳島のハローワークへ行く。
 正午前だったがすでに大勢の求職者が詰めかけている。もうすぐ年度がわりでチャンスも増えるのではないかと思うが、この分だと求人倍率もそう改善はすまい。

 気に留めた求人がいくつかあったが、そのなかで、まさにこの混雑して大盛況のここハローワークの相談業務の専門員の求人があったのにはなにか皮肉っぽくてちょっと興味が湧いた。
 必死に職を求めてやってくる人々をサポートするためその必死に求める人の中からまた選ぶ。いったいどんな内容だろうか。


 免許・資格は不問。これは問題ない。年齢不問、よしよし。
 経験等。おや。なになに、パソコンの基本操作、Kobaさんに教えてもらってOK 
 それに対人業務経験者(カウンセリング等)、あ、これがあかん!

 徳島公園で、春の日を浴び、昼のひと時を過ごす。ずいぶん光が強くなってる。日焼けを厭うおばさんの中には早くも日傘をさして歩いている人もいる。春分頃になると紫外線もグッと強くなる。 
 「春分まであと幾日だろ。」
 「えーと、きょうが、22日」
 「ちょっと待てよ、2月22日」
 「おー、今日は三つぞろ目じゃ」

 「あれ?222って、なんかの記念日でなかったかな。」

 しばらく頭をひねる。

 「わかった!猫の日、わけは簡単。猫にゃんにゃんにゃん、で222、犬の日は、同じ理屈で犬わんわんわん、で111。」

 で、今日は猫様の・・・・・なに~?ぅぅぅぅっと、記念日?か。猫の記念日?いや単純に、猫の日、でいいんだろうな。なにする。慈しむ日か?

 日本人て優しいから、徳川綱吉の時代から生類を慈しんできました。
 猫の日まであるくらいだから、失業者の日もあるのかしら。失業者も慈しみましょうね。
 失業者だってなきますよ、にゃんとなきましょうか。  

2011年2月21日月曜日

それにつけてもインターネットのすごさよ

 今、アラブ諸国では、革命といってもいいような政治的変革が起こり、あるいは起こりつつありますね。エジプトでは数十年にわたる政権が倒れ、今、リビア、バーレーン、イエメン、イランでは大規模な反政府デモないし暴動が起こっています。これが政権交代をもたらすかは、まだわかりませんが、この地域に広がっています。

 この地域では、いままで強権的に反政府活動が抑えられてきたようだが、インターネットの普及に伴い、情報統制が崩れてきたのが大きな一因と考えられているようです。
 
 昨夜午後9時の、NHK特集で、チュニジアでなぜ大規模デモが起こり、結果として政権を倒したか。について分析してました。
 政府の統制の目を潜り抜けるものとして、インターネットの「フェイスブック」をあげていました。プロバイダーを通す前に暗号化し、また、仲間内で、情報の共有を限定できるそうで、いわばお上の目を逃れつつ、大規模に情報が広がったのだそうである。
 そして、大衆に火をつけたのは、フェイスブックへの動画の投稿であったといっていた。つい最近、日本でもユーチューブの動画投稿サイトの漁船衝突動画で、日本の政権が揺らいだのも記憶にあたらしいところで、政府に都合の悪い「動画」の破壊力の強さはご存じのとおり。
 チュニジアでの理不尽な政府による弾圧への反発は「痛ましい犠牲者の動画」によって人々に広まり、澎湃として起こった反政府運動によって、政権が倒れたのであった。

 インターネットの動画は、文字や言葉による情報よりも圧倒的な力を見せたのでした。

 アラブ諸国のちょっとした革命の嵐とでも言っていいような動きは、広まりつつあるような気がします。
 このような動きは、民主国家に生まれ変わるとき経なければならないプロセスなのでしょうか。
 ヨーロッパ諸国は19世紀前半に革命や動乱の嵐が起こり、日本は1853年から幕末の動乱が始まり、1868年明治維新を迎えました。
 このような古い時代であっても情報は人々を動かす元となったのは、今日のアラブ諸国と違いはありません。ただ、情報媒体は、新聞(幕末では瓦版)、ビラ、パンフレット、本、口コミ、アジ演説、などでした。
 当時、動乱の嵐はゆっくりとだが着実に燃え広がりました。そして、19世紀末には欧州・日本では、議会が開かれ、立憲政治体制に移行し、民主主義のステップを踏み始めます。かなりの時間をかけての変革でした。

 しかし、動画も含め、あらゆる情報を多量に瞬時にそして大勢に送れるインターネットの発達は、変革の時間幅をも大きく変えました。
 アラブ諸国のあれよあれよという間の変革の速さに驚きを禁じえません。日・欧が数十年かけてやってきた民主化への動きを数か月、いや、数週間でやりそうな勢いです。インターネットの時代とはこのようなものなのでしょうか。

 日本にいれば多様な情報媒体があり、また、良質の情報が任意に得られます。情報を統制されるということはありません。しかし、国の中には情報を統制し、上から一方的に押し付ける情報しかない国もあります。
 そんな中、インターネットの普及はそれらの国に福音をもたらすことになります。世界的につながり、国の枠を越えて情報は広がり、結果、統制をかいくぐります。また、自らも発信者になることも容易です。革命的変革をもたらす情報の媒体としてまことにふさわしいものです。

 パソコンを購入しインターネットをひいて半年、少しずつインターネットというものの使い方がわかってきた今日この頃です。そして、今、中東の革命的変革にインターネットが大きな役割を担っているということを聞くにつけ、インターネットが社会にもたらした影響の大きさを思わずにはいられません。インターネットがなんたるか知らずに60歳近くまで過ごした私ですが、中東でのインターネットが担った変革の嵐のニュースなどを見ていると、インターネットのもたらす影響を実地に勉強している気がします。 
 逆にいうと、日本のような自由な情報社会より、これらの統制された国の方がインターネットの威力がより強いのではないでしょうか。

 これらの国が革命的変革に向けてエネルギーが強いのには理由があります。それは若年人口が日欧と比べて極端に多いことであります。チュニジアなんかは20歳以下の人口が50%以上といわれています。老人が多い国より若者が多い国の方が血の気が多いのは当たり前ですよね。

2011年2月20日日曜日

楽してドーンと金儲ける方法ないかいな

 早朝、持病が出て心配したが無事におさまりホッとしている。そのため眠りも浅く、体もしゃんとせず、今日もあまり外へは出なかった。
 不健全に家でボーっとしていると妄想が憑りついてくる。
 今日の妄想は、楽して大金を手にできぬものか、というもの。
 妄想だから手前勝手に何でも都合よく、あり得ぬこともなんのその、ありもせぬ大金を手にしたように興奮してくる。

 たなぼたで大金を得るには?
 あなたまかせで自分が全く努力なしに手にできる道の一つは、宝くじに当たること、もとで300円で億の金を得られる。
 「ああ、これから死ぬまで贅沢三昧できる。」
 ただ、当たる確率は極めて低く、やすやすとは実現しない。

 次は、思わぬ遺産が転がり込んでくること、父方はみんなわかっていて、そんな遺産を残して死んでくれそうな親戚はいない。母方はよく知らないから、もしかしたらブラジルで成功した親戚がいて跡継ぎもなく、私まで遺産がまわってこないか。
 まず、ありえないわな。

 そして、たなぼたではなく、ホンのちょっと努力するだけで大金をせしめる方法。
 思いつくのは、アイデア、特許、実用新案、生み出すのに少々苦労するが、一回当たれば、寝ていても権利に伴う大金が入ってくる。
 大きく当たれば、小出しにする必要なく、たった一回、ポコッと生むだけでいいが、かなりな創造性は求められる。
 凡人がまぐれあたりにできるかしら。
 「うーん、難しい」

 所詮、妄想にすぎず、こんなことを考えていても明日を生きる力が湧いてくるわけではない。地道にコツコツ金を儲けるのが最善なんでしょうな。

 などど、思いながら、NHKテレビを見ていると昭和54年に放送された古い紀行番組をやっている。冬の北海道のようである。ナレーションを某俳優がやっているが、その人の歌が画面に流れ出した。この曲、自作自演である。ミリオンセラーとなり印税で大もうけしたはずである。

 「あ、このやろー、どずんべらこく、うまくやったやつじゃ。」

 これがはじめて出たとき、私は真っ先に替え歌かと思った。ある曲にそっくりだったからである。しかし、みるとこの人の作詞作曲となっている。

 「そんな、馬鹿な!どうみてもオリジナルの編曲程度ではないか!」

 しかし、今に至るまで自作を押し通している。なぜ?私が推測するに、一つはオリジナルは古い文部省の唱歌であるので、目くじらたてて訴える人がいなかったこと、二つ目は俳優の大御所的存在だから文句も言えなかったのではないか。

 もう数十年も昔のことであるが、当時、公憤をおぼえたものである。
 今となると、公憤よりも、

 「ちくしょう、盗作まがいのことして、楽して、大金をせしめた、うらやまし~」

 という気持ちの方が勝っている。

 TVを見ながら、
 「楽してドーンと儲けるこんなやり方もあったんじゃ」
 「わたしも似たようなことできんかいな。」

 この人の告発をするのが目的ではないので具体的なことを書くのはやめますが、オリジナルの文部省唱歌を入れておきます。聴いてみてください。ある程度の年上なら思い当るかも。

 でも違法すれすれで儲けるのはいくらなんでもね。

2011年2月19日土曜日

よみがえる思い出の旅・流氷

 夕べは遅くまでパソコンをいじっていて、寝たのが午前二時前、おかげで今日は寝不足が祟り頭も体も活動低下である。

 何もかも積極的になれない今日、ブログを書こうとする気力もなく、外で活動しなかったので書く内容も見当たらない。

 今日はブログは休止するつもりであった。
 それでもパソコンを開け、みんなのブログやコメント、私宛のメールなどをチェックして、あとパソコンに入れてある写真アルバムを見ていた。

 そのなかにちょうど今頃の時期、流氷の旅をした写真があった。おそらく今後二度とは行けないであろうなと思いつつ、その旅情をせめてブログの上でもう一度蘇らせたく思い6年も前の旅行写真を載せて見た.
 平成17年3月7日、網走沖・オホーツク海
顔を出すとまずいので、パソコンの写真編集機能を使い。このように仕上がったのはよいが、オリジナルの写真が消えた!
 Kobaさんが授業でくれぐれも・・と注意したのにやってしまったわ。

後方はオホーツク海、全面びっしり流氷で水面が見えない。
 これ私、杖を持ってるが、実は直前まで、椎間板ヘルニアで1か月寝たきりだった。





 これ雪原ではなく流氷の上、流氷の上お遊びツアー。もちろん有料。














 このように盛り上がったり、割れ目があったりで、流氷の上を普通の人が歩くのは危険。













 次に砕氷船に乗って船上から流氷を見る。















 テーブル状になった広い流氷を砕きながら船は進む。















 日本の自然は南から北まで多様性に富む。北緯44度の網走沖だが、船の舳先から見る氷が浮かぶ海は、まるで北極海のよう。
もう一隻の砕氷船とすれ違う。














 南極の氷は何万年もたったものがあるようで、かけらを持ち帰りオンザロックで飲むと、太古の眠りから覚めた氷の中の気泡がパチパチいってロマンを掻き立てるとか。
 流氷でもウイスキーやハイボールに浮かべて飲めばそれなりのロマンもあるといって、私が若い時、ユースホステルで味わったりしましたが、最近は流行りません。
 流氷は1年性で太古のロマンなどない。そして南極の氷は純氷なのに対しこちらは塩分が含まれているので、酒がまずくなるといいます。
 夜、ホテルで流氷のギシギシいう音を聞きながら、製氷氷の入った酒をちびちび飲むのがいいですね。

2011年2月18日金曜日

駅 STATION その2

 昨日とうってかわって今日は風が冷たい。
 徳島へ行くついでに駅長にゃんこ(私が勝手に名付けているだけ)のご機嫌をうかがうと、きょうは寒さの為か待合室の座蒲団の上で猫だんご状態。手でちょんちょんと突っつくが 、胡散臭げに顔をちょっと上げただけで、すぐにまた丸まってしまった。
 この猫、聞くところによるとこの駅で乗降する女子高校生がエサなどの世話をしているとのことである。
 
 今はさびれたような無人駅であるが、徳島線の川島駅の歴史を調べて驚いた。なんと開通、そして駅の創業は19世紀に遡るのである。前々世紀である。
 
 19世紀は鉄道の世紀と呼ばれている。鉄道を生んだ英国で本格的な鉄道が運営され始めるのはこの世紀の30年代、アメリカ大陸横断、シベリア鉄道開通もこの同じ世紀である。
 日本最初の鉄道が1872年、新橋~横浜である。
 そして徳島~川島の開通営業が1899年。この駅の意外な古さに感動する。

 もちろん創業当時のおそらく木造だった駅舎が法隆寺のように残っていて、歴史文化財としてあるわけではないが、19,20、21世紀と3世紀にわたる駅の変遷を思うとき、目には見えぬが歴史の重みを感じる。

 徳島駅で降りるとコンコースで写真の展示をしている。見てみると40年も前に廃線になった鍛冶屋原線の列車・駅の風景、懐かしく写真におさめる。

 私が二十歳の時は、まだこの徳島駅から鍛冶屋原行が出発していた。この廃止にはなったが鍛冶屋原線、吉野川の北岸を南岸にある徳島線と平行に牛島駅の北の方まで走っていたのである。この線が計画されたとき、もしかすると北岸を脇町や三好の方までのばす計画があったのかもしれない。今となっては歴史のはるかかなたに消えた夢の計画である。
今はない鍛冶屋原駅
ここから鴨島までの国鉄バスがあった。この国鉄バス、ツバメのマーク。この時代、国鉄は野球チームを持っていた、今もスワローズにその名残がある。





昭和47年1月15日、廃止の記念セレモニー。












今残っている駅も今世紀中にはなくなるかもしれませんね。もっと皆さんが鉄道を利用してくれれば別ですが。 

2011年2月17日木曜日

美郷温泉を貸切に、殿様気分でいい湯だな~

 市内には4つの温泉がある。一番利用客の多いのは鴨の湯、そして、おそらく一番少ないのは旧美郷村にある美郷温泉だろう。
 久しぶりに温泉でくつろぎたくなり、美郷温泉へ行く。
 客の少ないことを願って。
玄関前は車もなく閑散としたもの、もしや休みでは。
 入って呼びかけるがスタッフもいない。
 しばらくして出てきた。
 客は誰もいない。


私だけの貸切状態。
 たっぷり温泉を満喫できました。
 400円の入湯料でこんな贅沢はない。
 ここにきてよかった。
 出るまで誰も来なかった。



帰り、桜峠から吉野川を見下ろす。
峠には雪がまだ消えず残っていた。


 いい温泉の選択をしました。たった一人だから、あれこれ瞑想を妨げられることもなく、ゆったり入ってくつろげました。
 その瞑想!となりに湯文字の美女が
 「とのさま、お背中をお流ししましょう。」
 気分は、蜂須賀のお殿様。
 「おお、ういやつ、うい湯じゃ」
そりゃ、瞑想でなく、妄想だっちゅうの!

 追伸: 美郷には無料の巡回バスが市役所から出てます。この26日から梅見のさまざまなイベントもあります。行楽にお出かけしてはいかがでしょう。詳しくは下をクリックしてください。

2011年2月16日水曜日

病院代に憤懣やるかたなく、ブサカワ猫と戯れる

 今日は久々に持病の診察と薬をもらいに近くの総合病院へ行く。
 このところ持病も目立って表には出てなくて、緊急の処置が必要となる発作的発症は起こっていないが、薬が切れたので、一か月半ぶりに行った。朝早く受付しても薬をもらいすべて終わるのに午前中いっぱいは覚悟しなければならない。診療などは十数分もあれば長いほう、待ち時間のほうがずっと長いがいつものことで仕方がない。

 診察はいつも問診が中心で、たまに採血するぐらいだが、今日は超音波診断をしましょうという。この時、
 「あ、まずいな、これ診療点数が高いのじゃないか。」
 と後で会計に支払うときいつもより高額請求されるだろうと思った。しかし、腹の中に隠れている患部の状態を診るのに必要であることもわかっているので、高額になるからと拒否できない。
 たぶん、何か月かに一回はこのように超音波検査をするのだろう。いつもいつも問診では肥大悪化を見逃すからだろう。その理屈もわかる。
 今日は高くなるぞとの予感を抱きながら診察を終わった。

 案の定、一か月の薬代よりはるかに高い超音波診断料が薬代に加算され請求された。
 とほほな状態

 このような最新医療機械の診断点数は意外と高い。以前、この超音波診断を受けて、請求金額が想像してたよりずっと高いので、窓口で
 「まちごうとらへん?」
 と聞いて、超音波診断の医療点数の高さを知らされ、たまげたことがあった。

 最新医療機械は高額なものが多い。その費用を償還しなければならないことを考えれば診療点数が高くなるのはやむを得ないのであろう。
 それにしても貧困にあえぐ身にとって今日の出費はたいへん痛い。

 大枚をふんだくられた為、あらぬ方へ憤懣の矛先が向かう。

 「だいたい、最近の医者は、最新機械に頼りすぎとる!」

 「泌尿器科の医師は昔は触診で、前立腺の大きさを診断したものである。ところがどうだ、ローテーションを組んでいる外来の4人の泌尿科の医師の一人として触診なぞしない。」

 「前立腺の触診は診断のイロハじゃ。安易に機械に頼るのは医者としてどんなんじゃ!」

あああ、必要に迫られてるが、これじゃ歯の治療も恐ろしゅうて行けん!

 午後からは、むしゃくしゃする思いを癒すため、昨日紹介したブサカワイイ駅長候補ネコを見に行った。
 今日はしっかり写真におさめてきた。
満腹するとだいたい寝ているが、気まぐれなため、行動パターンは一定せず。



































顔。メスのようである。どうりでおとなしく、なついているはずだ。
 オン太だと一っ所にジッとはしていまい。
 









駅長らしく、列車の出発を見送るとプラットホームにごろんと寝て、毛づくろい。

2011年2月15日火曜日

駅 STATION

 川島駅で列車に乗るため待合室に入ると、でかい丸々と太った猫が待合室の椅子の座布団の上で鎮座している。黒地にところどころ赤のブチのような縞模様のようなどちらともわからぬ模様が入った猫である。そんな毛の模様はお世辞にも綺麗とはいえず、うんと汚した雑巾で床に落ちた卵の黄身を拭いたような毛色の猫である。(ほんとに汚れているわけではありません)
 おとなしい猫で私が触れても逃げないでじっとしている。のどの下をなでてやるとあごを上にのばしゴロゴロいう。ずいぶん人というか駅で乗り降りする乗客に慣れているに違いない。座布団の下の床を見ると猫ちゃんのエサ入れの容器がある。ここで居ついたままみんなが食べ物をやっているのだろう。丸々していて人に慣れているのも道理である。

 列車に乗ってから写真を撮ればよかったと気づいた。残念である。いま人気の「ブサカワイイ系」の猫のような気がする。様子から見てここにしばらく居ついてみんなに可愛がられているのであろう。
 この時、ふと思った。どこの駅か忘れたが、猫が駅長を務めている駅があるそうである。その猫の頭には小さな駅長帽がちょこんと載っている。写真や動画で紹介されると、ちょっとしたブームになり駅を訪れる人、乗降する人がうんと増えたそうである。だいたい鉄道会社は赤字だから会社は喜んで猫の駅長をバックアップしているのだろう。

 このままこのブサカワイイ猫ちゃんが居つくなら、いっそ駅長の名称を奉ってはどうだろうか。実はこの川島駅、去年から完全に無人駅になり、駅員さんが誰もいないのである。私が猫の急所であるのどの下を撫でてもジッと気持ちよくしているぐらいおとなしい猫である。駅長として今まで通り椅子の座布団の上に鎮座してもらい、時たま、カメラサービスで小さな駅長帽を被ってもらえれば猫駅長の誕生である。いいと思うなあ。
 この川島駅の隣駅は「学」駅で、全国的に有名である。特に今の時期、この駅の入場券を5枚買うのが縁起物としてもてはやされている。鉄道会社の収入に寄与している。それに加え、すぐ隣駅で猫の駅長がいればこちらも有名になるだろう。収入増も図れるのではないか。

 などとよけいなことを勝手に妄想している。

 それにしても徳島線の駅は2~3の大きな駅を除いて去年ことごとく無人駅になった。それまでにも昼までしか駅員さんがいなかった駅が大半であったが、完全にいなくなり、駅もさびれたような、いっちゃあ悪いが荒廃の気配さえ感じるようになった。
 次に来るのは廃駅・廃線か、と思うと列車しか頼る交通手段のないものは辛く悲しくなる。

 まだまだ私も駅も若かった頃、この川島駅は四六時中駅員さんが何人もいて業務をこなしていた。最終列車を見送った駅員さんは何人かで駅舎の宿所で始発列車まで休息をとった。なんと待合室には売店まであった。

 この駅からでる最終列車は当時まだ存在していた小松島線を通って港から阿摂航路に接続していた。船中泊し近畿方面へ行く客が利用するのである。

 深夜近く出る最終列車を待つ乗客たちにとって待合室はさびしいものであっただろう。しかし、常に駅員さんがいてくれるのは本当にありがたいものである。
 最終の時間帯、駅前通りは人通りもなくみんな寝静まり、街灯も暗い中、煌々と明かりを照らし闇に浮かぶ駅舎はこれから旅立つ旅人にとって灯台のように心強いものである。

 分厚い紙の切符に鋏をいれ、鋏の切り口をつけてもらえばそれが改札。町内の顔見知りだと駅員さんとあいさつしたかもしれない。
 都会へ出稼ぎに出る人は夢と希望を抱いて出発しただろうが、中には人目を避けるため夜逃げ同様着の身着のままで故郷を後にする人もいただろう。最終列車には悲喜こもごもの出発劇があっただろう。

 そんな人々を駅はそこにいつもいる駅員さんと優しく見送ってくれた。

 跨線橋を渡りながら昨日の雪の残る駅構内を見たとき、30年前に見た映画「駅 STATION」の最終シーンがよみがえってきた。まさに最終列車が出発するシーンと同じアングルである。そして映画でも悲喜こもごも交差する最終列車である。感動的なエンディングなので30年たっても覚えている。
 急いで写メールに撮る。下図がそれである。

 
 

2011年2月14日月曜日

台湾坊主がもたらした春の雪

 今、午後3時前、皆さんの地方では降雪はどうですか。我が家の辺りは、かなり積もっており、まだ降り続いております。
 昨日のブログで台湾坊主で朝から雪かも、と書いてましたが、朝は降雪も積雪もなく、午前十時を過ぎたあたりから降り始めました。時間が少し遅れて、書いたことがほんとになりそうです。
 寒くてずっとこもっていましたが、先ほど外へ出ました。暖国にしては大雪になりそうです。今、窓の外で盛んに降ってます。
 出たついでに写真を撮りました。
国道にもシャーベット状の雪が積もっている。
 ドライバーは結構スピードを出している。大事故にならねばいいが。








雪の公園、誰もいない。カモが数羽浮かんでいる。












霏々として降る雪の中、かんどり船が。
 蓑笠つけて雪の中一人船から釣り糸を垂らせば、漢詩や水墨画の世界となる。









公園の水車













足跡一つない静まり返った公園
 柳が簾のように遠景を見せる。

2011年2月13日日曜日

使えない気象用語、なんで?

 最近は、まったくの素人でも天気図に詳しい人がいる。それも気圧配置図とか気象衛星から送られた生の画像をみながら玄人はだしの解析を加えるのである。
 素人が得られる情報も昔と比べると質量とも格段によくなった。インターネットを利用すれば昔の専門家でも得られなかった情報を瞬時に得られる。そのため一から天気図を作るのに素人であっても大した苦労なく、短時間で作業ができる。 
 昔、自分で天気図を作ったことがある。(確か高校の地学の発展学習で自主的に私が作った) 今から考えるとずいぶん原始的な方法だ。中国東部シベリア南部、東シナ海、朝鮮半島、日本海、日本列島、千島列島が入った白地図を用意する。そして一日何回かあるNHKラジオ中波の第二放送を聴くのである。
 「・・・宮古島、南南西の風、曇り、気温・・・・、松輪島、・・・・・」
 聴きながら鉛筆で白地図上に記載していくのである。そしてそれが終わったら等圧線を描き、低気圧・前線など描きいれるが、局地的な低気圧・前線は自分で推測して描きいれなければならない。大変な作業である。

 今はそのような手間暇かかるような方法はなくなり、インターネットで得られたリアルタイムの天気図で局地的な天気図解析もできるようになっている。

 そのように簡単に情報が得られるようになったから、天気図に詳しい人が増えたのかなと、思っていたが、それに加え、「気象予報士」の資格制度ができ、これが結構な人気とのことで、この影響もあるようである。
 以前そういえば、列車のなかで、楚々とした女性が天気図の入った大判のテキストブックを広げて勉強しているのを見たことがある。女性の就職先として女子アナは最高の職の一つであろう、気象予報士を学生のうちに取っていればずいぶん有利に働くから、この女性もそうかしらん。と思ったものである。

 さて、ところで今晩から明日にかけて、その天気図である。
 インターネットで簡単にみられるから検索していただくとわかるが、少し前、台湾の東部海域で低気圧が生まれ発達を見せながら、日本列島南岸を進みそうである。北からはかなり低温の気団が上空に来ている。
 このような時、低気圧は大きく発達し、荒れ模様になるのはもちろん、普段、雪の少ない太平洋側に思わぬ大雪をもたらす。
 私はこのような低気圧のことを台湾坊主と呼んでいた。昔は気象用語にも使われていた。当然今も言われているものと思って、さっきインターネットで調べたら、なんと死語になっているではないか。
 なんで?差別用語でもないし、なんだろ。災害をもたらす低気圧に他国の名前を付けるのがよくないのかなあ。
 私なんかはこちらの方が表現がぴったりしていいとおもうのだが。気象庁の通達で使われないらしい。残念。
 ちなみに台湾坊主の一般的な天気図の型は下図に示したようになる。
南岸低気圧の例(地上天気図)

 台湾付近で生まれ、発達しながら東海地方南岸に進んだ図である。
 
 このような天気図の時、四国以東に大雪をもたらす。

 明日の天気予想がどうもこのようになりそうである。
 台湾坊主とはお上のお達しとやらで言えなくなっているが、私が見るところこれはまぎれもなく
台湾坊主。

 気象に関係した言葉でもう一つ使ってはいけない言葉を思い出した。裏日本という言葉である。マイナーなイメージで日本海側の人に失礼だというのだが、じゃあ、茶道の裏千家、表千家はどうなるのだろうか。裏千家が劣るなどとは誰も思っていない。あまり神経質すぎるのではという気がする。
 さあ、明日、台湾坊主が大きく育ち、この地方にも大雪をもたらすのでしょうか。それとも雪を伴わない台湾坊主になるのか。
 北からの寒気のわずかな差によると思いますが、こうゆう予想は専門家でも難しいそうです。
 どちらか?朝、起きればわかる。

2011年2月12日土曜日

百均は安いか

 数日前まで暖かい日があったのに、昨日も今日もそしておそらく明日も寒い一日になる。暖かい春のような日が続いていたのに一転して真冬の寒さ。三寒四温を繰り返し本格的な春になるのでしょうが、暖かい日を味わった分、寒さが真冬よりこたえる気がする。
 今日なんかは一日中寒さに震えていた。家でひきこもり状態である。もちろん暖房器具を使用しているがなぜか体のどこかが寒い。

 ホットカーペットで横になっているとついついうたたねをしてしまう。よくないことはわかっていても睡魔におそわれZZZZZZZZ
 目覚めてもしばらくぼんやり、やはり頭が重く、片方の瞼の裏に鈍痛がする。足が冷たい。

 四時前に思い切って外へでる。

 新しくできた百均ショップへ行く。店内は物凄い混みよう。ずいぶん人気があるなと驚く。

 百均が大盛況なのは、これも不況そしてデノミネーションの影響だろうか。百均といえばあらゆる種類の安いものが取り揃えて置いてあり、少ないお金でお得なものをたくさん買えるイメージがある。
 しかし私から言わせれば、たしかに105円で安くお買い得感のあるものもあるが、多くは品物の質を落としたり、数分量を少なくしていて他の店とくらべそんなにお得ではない。
 そして当然のことながら百円未満の品物はない。小間物などはみんな百円に統一されているが、
 「これほんとに百円?」
 というものもある。昔は小間物屋で値段は一円単位で小刻みに付けられていた。百均という名前にくらまされて百円以下のものまで百円に値段を上げられているのではないかという疑いを強く持つ。

 しかし名前の持つイメージは大きい。百均はお買い得感のイメージを与えるのに成功している。

 で?お前は何を買ったって。
 私がここで買うのは決まっている。4つ入った山崎製パン製のドーナツ風揚げパン。105円でお得でおいしいよ。それとポテトティップス、しめて210円のお買いもの。
 寒いので買い物がすんだら早々に帰る。
 夕食は、鍋と言いたいが昨夜贅沢に飲み喰いしたので今日は金を使わない。
 もやしとキャベツのみでかわいらしい(憎らしくない・肉らしくない)やきそばを作り、上に目玉焼きをのせて、出来上がり。貧しいもんですわ。

2011年2月11日金曜日

寒い日だがみんなと会える

 ここしばらく暖かい日が続いていたが、今日はまた真冬の寒さに戻った。昨夜は冷たい雨だったが未明に雪に変わり、朝起きると雪が積もっていた。
 いま午後5時前だが今日は、日中でも気温が上がらず、みぞれが降ったりで、ほとんど家の中で暖房器をつけて過ごした。これから新年会に出るため徳島に行かなければならない。帰りも遅くなるので、今、パソコンでブログを書いてる。
 降雪で交通の障害を心配していたがそれもなさそうなのでちょっと安心している。これからの時間天気予報を見ると曇りだが午後9時を過ぎると氷点下の気温になりそうである。帰りの寒さが心配である。

 楽しい日がこのところずっとなかったので、今夜はみんなに会えることを楽しみにしている。

 
新年会 談笑の時を過ごす 

 午後11時15分、家に帰りつく
 
  二時間前お開きとなり、店の外へ、外気の寒さがこたえる。かなりの気温低下。見上げると上弦の月が煌々と冴えわたっている。もう雪の心配はなさそうだ。名残を惜しみみんな出たところで立ち止まりしばらく話をする。しかし、陽気のよい春の夜ならばと。うらめしく、今夜は極寒の宵、寒さにせきたてられるように、2次会に行くものはそのまま、そして帰るものも店の前でまたの再会を約し、別れた。

 宴果ててのさびしさ、ぽかっと空いたようなむなしさはどうしてなんだろう。人はもっと華やかに楽しくお開きを迎えられるのだろうか。私は違う。でもそれは宴が華やかでなく楽しくなかったからでは決してない。むしろ逆で楽しい談笑の時を過ごせば過ごすほど、果てた後の寂しさは一入である。夜遅くにはねる芝居を見た後、帰る夜道のさびしさといえばわかってくれるだろうか。
 
 幸いなことに一緒に駅まで行くAさんがいるのがありがたい。人通りの少なくなった新町川沿いを通って話をしながら歩む。すでに濡れた歩道は凍っている。

 寒い向かい風が吹こうとも、歩道が凍ろうとも、明日も歩み続けなければならない。
 

2011年2月10日木曜日

もやしもんその2

 このアニメ大変気に入りましたので、つづけてブログに書きます。

 ほんとにこの数か月、ワンピさんやとしさんの影響でアニメを完全に見直しました。
 ワンピさんの今日のブログでワンピのアニメがクローズアップ現代に取りあげられていることを知りました。この放送は私は見てないのですが、今までに放映された番組はよく見ていて主題の切りこみ方はわかりますので、ワンピさんの的確な感想で概ね知ることができたと勝手に思っています。

 そしてこの「もやしもん」。ワンピがマクロな世界を扱うのに対してこちらはミクロの世界。豪胆なワンピに、柔和な「もやしもん」。果てなく広がる大洋に、こちらはせせこましい農大キャンパスと農園。描く世界はずいぶん違っていても、単に面白いという以上のものを残すのはどちらも同じ。
 見終わった後、微生物の知識が自然と頭に入るということはもちろんだが、なんか人も含めたあらゆる生物に対する目線が柔らかく優しくなった気がします。

 一神教的世界観では人と他の生き物は峻別されます。ペット以外で愛情の対象などはあり得ぬこと。まして微生物にこのアニメのように愛情あふれたまなざしを注ぐなどは沙汰の限り。日本人以外にこのようなアニメが作れるだろうかと考えたとき、このアニメの凄さがわかってきます。

 我が国土は豊葦原の瑞穂の国といわれるほど湿潤で生き物を育むのに適した世界。菌類の繁殖でも同じ。祖先はその菌類の中から有用なものを見つけ、多種類の発酵食品を作ってきました。この多さも世界に比類なきものである。
 このような菌類の多さがアニメの元となっているのであるが、このアニメの特長は、人にとって悪さをする菌類であっても、発酵菌類と全く同じ愛情で見ていることである。
 「人にとっては、悪者でも、菌類には関係ないことじゃ。」
 と老教授にいわしめています。
 そして悪者菌も同じようにかわいいキャラにしあがっています。これを見てもわけ隔てのない生き物に対する愛情を感じます。

 この学園が舞台の「もやしもん」、同じように学園舞台のある超人気ドラマのアンチテェーゼとして描かれたのではないかと思われるのですがどうでしょうか。
 それは「のだめカンタービレ」、おしゃれな音楽大学が舞台です。
 それに対し、農業大学、実習は畑の耕作、家畜の世話、糞さらい、などなど、のだめの対極と言っていいほどの場の作り。おしゃれの反対、ださい。そこはかとなく漂うよい香りそしてクラッシック音楽、対、肥しの匂い、生き物らしい喚き声。
 これもし同時に放映すれば「のだめカンタービレ」をおちょくっているとしか思えませんよね。

 若い人が「のだめ」を見て音楽の道に進んだり、音楽に親しんだりするのもいいけど、私としては、「もやしもん」に啓発されて、若者が発酵産業や農業、畜産に興味が向いてくれる方を、うんと応援したいな。
 それにこのアニメの全篇を流れるどんな生き物に対しても注ぐ愛情、これは何にも代えがたい価値がある。子供の情操教育にも寄与すると思う。
 

2011年2月9日水曜日

ねんきんとねんきん

ねんきんその1 
 としさんの影響で借りてきたアニメ、「もやしもん」が面白くて、今日は第5話をみました。発酵微生物学の術語がぽんぽん出てくる侮れない漫画。その中で気になってしょうがないのが、粘菌の形態および生態である。
 
 なぜ私がこのアニメにでてくる多くの菌キャラのなかで粘菌に注目したのか。それはその名前があらかじめ頭の中に入っていたからなのですが、最初はどこでインプットされたかわかりませんでした。ところで、皆さんはこの粘菌て知ってました?一般的でないから知らない人が多いですよね。
 
 今日になってどこで私の頭に粘菌が強く印象付けられたのかがわかりました。
 2年前の8月末、南紀へ行った帰り、白浜へちょこっと寄ったんですけど、そこで「南方熊楠」という人の記念館でこの粘菌を見たことを思い出しました。
 詳しくは言いませんが、この人粘菌の研究の大家で、粘菌もそうとう変わった生き物だけれど、この人もそれに負けず劣らず変わった人らしかったようです。

 まあそんなこんなで、にわか粘菌ファンになり、粘菌のキャラのイラストを考えてたんです。とし君が暇だったらと思ったりもしたんですが、人に頼ってはいかん!自分でせにゃ!
 と決心し、ウィンドウズ7・2010に入っている内臓ソフトで描こうと夕方取り掛かりましたが、どこやらわからん、ディスクトップにペイント、てあるけどこれ使うのかな?
 

 粘菌は右のような形だから私のようなへたくそでも描けるかなと、粘菌キャラの創造に取り組もうとしたのですがツールの呼び出しからしてわからん!
 
 今日描くのはやめました。


ねんきんその2 
 国民年金は65歳から支給で、やまさんは60歳だからまだまだもらえません。でも2か月前封書が年金機構から届きました。それには、今までに厚生年金の期間が1年1か月あるからこの分は60歳からもらえるということで(60歳までにたった1年1か月というのも情けない話だが、1年未満だと受給資格もないそうでかろうじてクリア、ありがたい!)、今日、佐古の年金事務所に行きました。

 「さて、どれくらいくれるか、たのしみ~。」
 「でも1年1か月だから、ちょっとだろう、でも、今年からいただける。」
 
 係りの人が
 「では、概算を出しますのでしばらく、おまちを。」

 わくわく、どきどき 

 「はい、おまたせしました。」

 渡された紙を見ると、24,000円弱の金額が読めた。
 これね、1年額ですよ。
 月に直すと2,000円もない。
 あはははははははは!もう笑うしかない。
 フーテンの寅さんだったら

 「へぇ~~っ、たいしたもんだよ、かえるのしょんべん!みあげたもんだよ、屋根屋のふんどし!けっこうけだらけ、ねこはいだらけ、おしりのまわりはくそだらけ」

 とでも啖呵を切ったでしょうが、上品なやまさんは、

 「え、そんなに少ないんですか」

 といってはみたが、厚生年金は掛けた期間が短いからこんなものかと、後で納得。

 月、2000円ねえ、関西のお笑い芸人が、わずかな金があっという間に無くなることを
 「芋喰うて、屁こいて寝たらしまいや!」
といいますがまさにそのとおり。
 今日は下品ですみません。

2011年2月8日火曜日

冬ごもり 春さり来れば

 寒い北風から、暖かい春風に変わり、過ごしやすくなりましたが、いろいろなことを考えながら逍遥を楽しむには、私には秋の方があっています。
 万葉の時代から快適な季節である春と秋には自然を織り込んだ多くの歌が作られています。歌人たちも私のように、自然を逍遥し楽しむのに春よりも秋が好き、あるいはその反対の人もいたようで、それぞれに春と秋の優劣が論じられています。

 寒さから閉じこもり縮こまっていた体も精神も春が来れば、開放感に浸り、外で元気に活動したくなります。
 それが人も含めた多くの生き物の自然な実感でしょう。

 しかし、いつごろからだろう、特に春先を厭うようになったのは。子供のときはそうではなかった。多くの生き物と同じようにより活発に動きだし、気持ちもウキウキとして子供ながらも春の自然を楽しんだはずだ。
 十年ばかり前、急に始まった花粉症のせいばかりではない。中年以降、春先は花粉症以外にも体の変調をきたすようになった。
 真冬、暖かい布団で、トイレに起きる以外は、よく眠れたのに、同じ気温の朝であっても、春になり、朝が早くなるのに伴って、ちょっとした睡眠障害とでもいおうか、まだ暗いのに目覚め、それ以後眠れなくなってきている。
 また、どうといった症状があるわけではないが、胃腸の不調がぐずついたりする感じが毎年のようにある。喉や鼻は花粉症で言わずもがなの状態。
 皮膚にもかゆみ、目などの粘膜にもちょっとした爛れがある。目のものもらい、ニキビ様のもの、毛穴の発赤が体内から吹き出てくるのも春先だ。
 ホルモン分泌や自律神経のバランスの崩れだろうか。

 春先、からだのどこをどうというのではない、いわゆる不定愁訴を訴える人は私以外にも多い。いい季節なのに体が応えてくれないのが恨めしい。

 今日もそんなわけで機会があればぐだぐだと不調を訴えてやろうとしている体の先手を取って、振り払うように川田川の土手までやってきた。
 とりあえず、てくてくと春の自然の中を歩いてみることにした。

「なに、かまうものか、あるけば、爽快になり、健康にも寄与するはず。」

 川田川が吉野川に流れ込む土手のあたりから、高越山から流れ下る川の上流へ向けて歩き出した。
 晴れてはいるが、春霞が立っていて高越山が霞んでいる。まだ立春を過ぎたばかりで土手は枯れ草色で緑は少ない。
 デカマスクをしているせいもあろうか爽快に歩くというには程遠い。空気も太陽の光もなんかざらつく様な感じで目や鼻の粘膜に刺激を与えそうである。風もかなり強い。秋の逍遥は風など気にしたことはないが、春先は結構風の強い日が多く、これもいとわしいことの一つである。

 それでも歩くにつれ元気が湧いてくる。川田川上流のつり橋まで往復だから8キロある。しんどくなったら引き返すつもりであったが、最後まで歩いて往復を貫徹した。

 心配した杉アレルギーはまだ飛散していないのか、今以上に鼻喉の状態が悪くなることはなかった。でもさすがに歩きすぎて腰とふくらはぎが痛い。


遥か向こうの山裾、アーチ橋が見えてる奥まで歩く。
 風の強いのがはためく幟でわかる。
 左は川田川、土手上の道を歩く。






奥の山際近く、小さな簡易郵便局がある。
廃止にならずに今でも頑張っている。
懐かしい雰囲気の郵便局なので写メールに撮る。















川の上流、高越山の上りとなるあたりにアーチの青雲橋が架かっている。
 ふいご温泉の入り口から見上げる形で写真に撮る。
 温泉には入らないで、さらにもう少し奥の折り返しのつり橋へ。




つり橋・鞴橋。
渓流まで滑りつつ降りて見上げる。
ここまで来ると水がとてもきれい。




















ふいご温泉全景とアーチ橋。
宿泊もできる。








 春は気温も上がりかつ湿度も低く、おまけに風も強い、火災の季節である。
 帰り、土手上から見ると向こうの阿讃山脈の中腹から煙が、山火事であろうか。
 霞で写真では見づらい。
 手前の土手にかかる今時珍しい赤レンガの橋脚は徳島線の鉄橋。













あんのじょう、夜になって昼間の無理が祟る。
湿布膏薬と点鼻薬、目薬でちゅうぶるの体をメンテナンスする。

2011年2月7日月曜日

ウォーキングと紅梅

 体調が少し良くなったので今日は昼過ぎに歩きました。
 
 3キロほど歩いた山裾の千年クスノキの下に梅林があります。多くはまだ小さな蕾で花は咲いていないけれども、豆粒のような白い色をしていて白梅ということがわかります。
 この白梅に混じって何本かある紅梅の枝にはかなりの花が早くも咲いていました。

俳句で

梅一輪 一輪ほどの あたたかさ (服部嵐雪作)

という句がありますが、何輪もの花で暖かさが倍加したのでしょうか、今日は歩いていて汗が出るほどでした。
 鼻を近づけて匂いをかぐと梅の上品な薫りがします。








 

2011年2月6日日曜日

地元温泉とお接待宿

 わが吉野川市には4つもの市が管理あるいはかかわっている温泉施設があります。多すぎる気がするんですが、合併前の3町1村がそれぞれ公営の温泉として持っていたから仕方のないところがあります。
 
 そのなかで私が住まいする旧鴨島町の温泉が「かもの湯」です。人口が一番多い旧町にあるためいつも休日などは満員。
 ここ、泉質は(もちろん冷泉ですけど)よくて、その意味でブログを見てる皆さんにお勧めしたいのですが・・・・・・・・
 私は地元ですが、実は1回しか入ったことがないのです。泉質はおくとして、脱衣場、洗い場ともに狭く、きわめて窮屈です。また、休憩室がありません。だから、ゆったりくつろぎたい私はリピーターになる気はなく、お勧めするのに躊躇があります。
 この温泉、建物はあくまでも簡易施設なんです。だから屋根部分はまるでサーカスのテントのようなつくりなんです。だから、狭く、部屋も取れないんです。
 しかし、地元で手軽に温泉に入りたいひとは、主に泉質の良さを目当てにたくさんの人が利用します。市内の高齢者は割引もあるのでお年寄りのかたも多いです。

 泉質はいいので、お年寄りが入っている雰囲気や、芋こぎの浴槽が好きな方はどうぞおいでてください。

 この温泉場の敷地にボランティアで大工さんが建てたお接待宿(無料のお遍路宿)があります。
 最近のお遍路さんはリッチな方が多くホテル、日本旅館、安くても民宿へ泊まる人が多いでしょう。いま、本当に出したくてもお金の出せない貧窮の人が遍路をするのは少なくなっています。また、全財産は身に着けているものだけという人も少ないと思います。
 しかし、お四国遍路は昔は(昭和の30年代くらいまで)そういう人々であふれていました。
 行き倒れになる人もいたぐらいですから。
 そんな人々に我らの先祖は貧しいなかからも、お接待として、金銭、米・食糧、一宿を与えたのでした。お遍路さんはたとえ一人であってもその背中に弘法大師を負っています。お大師様に対するお接待と同じように思われたのでしょう。
 
 そして、今、やはり金銭に窮屈なおもいで旅をする人もいます。その人の為にここお接待宿はあるのです。優しい心があらわれたこの施設にちょっと感動しました。

温泉能書きとおんせん入り口

お接待宿

温泉の横に建てられている

上が男性用部屋3畳、複数の時は雑魚寝
下は女性用2畳、2人以上は無理か
 情けはひとのためならず、雨露しのげる家に住む身ではあっても、人の世は同じ仮寝の旅の宿、たすけあっていきましょう。

2011年2月5日土曜日

もやしもん

 風邪の養生のため今日も一日ほとんど家でいました。退屈なので昼ごろ食料品を買いに行ったついでにDVDを何本か借りてきました。そのなかの一本が「もやしもん」です。

 ほんとは漫画本であり、それにもとずくアニメなんだけれど、私が借りたのは実写+アニメ、でした。実写で物語は展開するのだけれど、わさわさ出てくる菌類はすべてそれぞれの種類によって特徴をもったアニメキャラです。
 農業大学が舞台の学園ドラマ風なんだけれど、「野溜めカンタービレ」のようなおしゃれな音楽大学でなく、家畜の糞にまみれ、農作業に精を出し、汚れた作業着で構内をみんなが闊歩するような大学。「野糞フンマーミレ」!
 主人公は何代か続く老舗の醸造業の息子、なんとか右衛門タダヤス、とかいう御大層な名前を持ち先祖伝来の麹菌とともに新入学した農大生。研究室には菌まみれの老教授、それになぜかバニーガールのような場違いな美人大学院生。
 
 そのような設定のそれだけでお笑いの要素満載。見終わって、確かにわらえましたわ。

 しかし、おかしいドラマではあってもこれは簡単に笑って終わりというだけではありませんでした。アニメとは思えないような高度な専門性、ふつうはみんな知らない微生物の世界をキャラを借りて正確に表現しています。舌を噛みそうなラテン語ではないかと思うような菌の学名がさりげなく入れられます。これがなぜか頭にスット入るんですね。
 「これねえ、えらいことですよ。」
 菌類の学術名がぽこぽこ出てきて、笑い楽しみながら頭に入る。そして特徴ばかりか生育環境、までも知ってしまいます。大学の微生物学の退屈な講義内容が極めておもしろいアニメになったようなものです。そして頭への定着率はこちらが100パーセント。

 日本のアニメの洗練された質の高さに脱帽しました。
 私は年配者の常としてアニメをちょっと小馬鹿にしたところがあったんですけど、これなんか見るとほんとに舌を巻きますわ。十回繰り返しても覚えられないような、ラテン語の学術名を笑いながら、ガキがたった一回で丸覚え。微生物学の老学徒が(そんな人いるの?)ラテン語の学術名辞書を放り投げ、あたまを抱え。
 「あああああ、俺の人生なんだったんだ!」
 漫画、馬鹿にできませんよ。

 そういえば、最近、ワインについてえらい薀蓄を垂れる人が急増、みんなソムリエかしら?
 いえいえ、そうではありません!
 漫画の「神の雫」たらいうものの影響とか。
おそるべし、まんが 

 訓練校でワンピさんと知り合い、アニメワンピースを知りました。
 そしてとし君からは、この「もやしもん」
 お二人の人格と重ねて見てしまうところがあります。

 正義感が強く冒険好きで、世界の海に飛び出すルフィをワンピさんに。
 一見目立たないが実は世界のもっとも重要な生物連鎖の基幹をつかさどり、なくてはならない生き物を描いたもやしもんにとし君を。
 ごめんなさい、私のおもいこみをいって。でも、お二人がいなければまずこんな面白いアニメは知らなかったもですから。見るたびに思い出すのは許してください。

実写もやしもんの写メールと携帯動画をアップして入れてみました。
TV画面だから見にくいかも
これはO-157です。
野菜サラダに入っていて
食べる寸前、主人公が見て発見、大事に至らないというもの。









きれいな女の子の口の中にもさまざまな菌が 

 菌キャラが「かもせ、かもせ」という言葉を発します。
 これは「醸す」発酵させるという意味ですね。音読みではジョウだけど、古代日本語が残っているのではないかと思われる訓読みでは「かも、かむ」になります。
 以下は推定ですが、
 発酵も菌の酵素の働きによって化学変化を起こさせるものです。たとえばでんぷんを糖に変えるのはこうじ菌です。
 これとよく似た働きが我々の口の中にあります。菌の働きではなく、口中の消化酵素(唾液に含まれる)ででんぷんを糖に変えます。
 古代日本では、神に仕える処女が米をくちのなかで「かみかみ」し、唾液で糖に変え、その混合物を壺に入れ(かみかみ、ぺっ。でしょうね)さらにアルコール発酵させ酒を造ったと、何かの本で読みました。
 この行為から、「醸す」、「醸む」、(口で噛む)という言葉が来ているのではないかと思うのですがどうでしょう。
 なに?きちゃないですって?神聖な神に仕える選りすぐりの美女で処女がかんだ、かもした酒、万金に値する酒ですぞ。
 飲んで酔ってみたいと思いませんか。 

2011年2月4日金曜日

袖ひじて 掬びし水の こほれるを

 今日は暦の上で立春、そして暦どおり正直にどことなく春めく一日となりました。このところ毎日のように家の前の江川に氷が張っていましたが、2日前からはそれもなくなりました。
 今日の昼過ぎの日差しの明るさ、そして、日向のあたたかさはもう春。こころもウキウキと言いたいところですが、結構重度な花粉症を持っている身にとっては、つらい季節、パロディー風に業平の和歌でいうと

世の中に たえて花粉のなかりせば 春のこころや のどけからまし

花粉さえなければ外で春の息吹を感じたいですね。
春の野山に出て深呼吸したり、大あくびできる花粉症のない人がうらやましい。風邪の症状も治まらぬ今日、早くも花粉がとんでいるのかしらね。もしそうだとすると、目、鼻、喉、ダブルパンチです。

 一週間ほど前になるかなあ。春の花木を見に行きました。といっても桜じゃないですよ。木偏に春、文字通りの春の花木、「椿」です。
 石井町にかなり大規模な椿園があるのをご存知でしょうか。何十種類もの椿が農大の山裾に植えられ、椿園を作っています。でも行った日はまだまだ寒く、この日も最高気温はおそらく5度以下、春を感じさせるものとて何もなく、せめて春をその中に含んだ椿でもと寒風に吹かれ丘を登って行きました。
 しかし花が見られたのは数本ある山茶花のみ、丘の上部までびっしり植わっている椿はどの種類もせいぜい蕾、ほとんどはまだまだ固い小さな蕾ばかり。
 
 「はやかった、これだけ寒いのだから、当然か。」 
 
 濃い緑のつやつやした葉っぱのみの林は陰気で暗く、寒さがよけいつのる。丘を降りた谷地になったところが公園の広場になっている。山陰で冬日はほとんど射さず、夏でもじめっとしているところ。今は凍りついたような場所。
 そのまた隅の方に公衆トイレがある。かなり古い旧式トイレだが、なに、構うものか、小用だからと使用した。
 終わって手洗い場所をみると、なんと、陶器の手水鉢に水を入れておいてある。

 「手洗いも、旧式か、いまどき珍しい。」

 しかしよく見て2度目のびっくり。透明な厚氷がピッシリ張っている。人差し指でちょんちょんと突くが、相当厚くびくともしない。
 この頃は連日、朝は氷点下の気温、最高気温も一桁前半、おそらく何日も解けずに、そのまま厚く成長したのだろう。

 そして今日、風邪を引いているため家で過ごしているが、昼ごろの暖かさや陽気は家の中にいてでもわかる。ほんとに立春にふさわしい日です。
 
 この日、あの手水鉢の厚氷はどうなっただろう。何日かかけて成長したとはいえ、立春の今日の暖かさ、解けたのかなあ・・・・・・・・・・・・・・

 おなじ感慨をもった歌が古今集にある。


袖ひじて むすびし水の こほれるを 春立つ今日の 風やとくらむ    (紀貫之作) 

一週間前の出来事で画像もないし、あったところでトイレの手水鉢ではあんまりなので、
 これはわが町吉野川市の名水、龍王水の筧から流れ込む手水鉢を画像として入れました。

 こちらは流水なので凍りません。そして陶器ではなく石の手水鉢です。

2011年2月3日木曜日

ある日を境にぱったりと

 今日はしんどくてブログを書く気力も乏しいんですが、毎日書いてるもので、一日でも書かないと何か落ち着きません。
 
 ちょっと考えてみました。この桃山日記がある日を境にパッタリ更新されなくなったときは、どんな時だろうかと。
 
 まず一番可能性のあるのは、生活費に追われインターネット回線の契約をやめる。
 
 救いのあることには、おそらくいやいやとか、泣く泣く金がないから打ち切ることにはならないだろうと思います。もちろん、金銭上の理由ですが、最近、インターネットより本やノートの方が恋しくなっています。目も老化でしょうひどく見えにくくなっています。残された日々は、ゆったりとした読書やノートに随想を書き付けることにしてもいいなと考えています。だから、回線使用料を払うのが窮屈になったら、おそらく思い切りよくすっぱりやめるでしょう。

 そして、次の可能性は忌まわしいことですが、パソコンを操作できないくらい重篤な病気、あるいは死亡です。

 私は訓練校に入学したおかげでブログというものを知り、続けております。ブログの作成の仕方、アップのやり方すべて訓練校の先生や教室の仲間に一から教わりました。だからこの桃山日記の読者は訓練校の仲間が主です。読みながら、教室にいたときのやまさんの顔や喋り方、が目に浮かぶでしょう。
 ウェブ上の桃山日記のやまさんではあっても、みんなは生身のやまさんを知っています。ウェブ上からスパッと消えたとき、
 「病気ではあるまいか」
 「ミイラや白骨になってはいまいか」
 「ああ、ようやく、くたばったか」
 現実のやまさんを知っているだけに何らかのおもいはあるかもしれません。

 ほんとはウェブ上だけの桃山日記のやまさんでいたかった。ある日を境に消えたとき、現実のやまさんを知ってるみんなに忌まわしい(想像力のある人だともっとおぞましい状況)想像をさせなくて済みますもの。
 やまさんは高齢で、インターネットを始めたのが遅かったですが、ウェブ上のみのパーソナリティーが存在することは知っています。究極、このようなヒトの作るブログがいいのではないかと思います。
 
 ウェブ上だけでしか存在しないやまさんが、スパッと消え去る方がクールでかっこよく、あとに嫌な匂いを残さないですよね。

 話は変わります。
 風邪にはなぜか子供のころから、アスピリンを愛用しています。今もそうです。今日も昼過ぎに飲みました。風邪のいろいろな症状のうち頭痛は治まりました。後はいけませんけどね。
 あと、葛根湯を飲むくらいです。
 まあ、風邪では死なんと思うけどこじらせればわかりませんね。

2011年2月2日水曜日

テレビに触発されてまた沖の洲へ

 今朝の四国放送の、「おはよう徳島」は、江戸時代の徳島の古地図と今を対比させながら、その変わり様についてリポートするものであった。途中から見たが、ちょうど沖の洲についての話らしいので、興味をもって視聴する。
 この間のブログで沖の洲の由来となった地形も、今は埋め立て工事が進んで見る影もない。と書いたが、リポーターも同じようなことを言っていた。
 ただ、さすが放送局の企画力はすごい。昔の古地図にあった海岸線を調べ、今の地形と当てはめ、その一部分がいまでも残っていて、今も残る岸の地形や、防潮の土手・石垣、松並木の一部などが現存していることをリポートしていた。そして、カメラとともにその場所に繰り出し、録画したのを今朝放映したのである。
 もちろん郷土史家などの専門家は今に残る昔の地形や風景についてはよく御存じだろうが、我々は知るすべがない。まして、江戸時代の絵地図と対比して今はどうか、などというのは知ることが出来ようはずがない。
 このような企画の(途中から見たのでわからなかった部分はあったが)番組を作ってくれたことに感謝している。

 今朝、テレビを見た後、早速、昔の沖の洲の地形、松並木、土手、などが残る場所に向かった。

 この間は、福島通りをひたすら東へ走り、コンクリートばかりの人工の街にがっかりしたが、今日テレビに教えてもらったのは、南沖の洲地区に残る昔の跡。行く前にインターネットの地図やグーグルアースの立体地図で目的の場所を検索し、メモを取り、駅から自転車で向かう。
地図にピンを刺し、目的地を示したかったが、やり方がわからない。いま刺さっているピンは違う。沖の洲幼稚園の南側に当たる地域が目的地。


大きな地図で見る

上は沖の洲幼稚園あたりの地図である。地図の左の+マークをクリックして沖の洲幼稚園を表示してください。この辺りに昔の沖の洲の面影が残る。

沖の洲幼稚園の南に昔の松林の一部がのこる。
 右は土手。

土手の向こうは昔は海であった。下の写真が土手の向こうから撮ったもの。 



この左から海があった。
今は埋め立てられて海までかなりある。









左が沖の洲幼稚園、昔の海岸に沿った松並木








中には二抱えもある大きな松が

しかし、アスファルトで覆われた街中の環境のためか、弱っているのや、枯れかかっている松が目立つ。



















古地図にある南沖の洲の海岸は上記の写真に見るように今は街中にある。
 そこを突っ切ると、明治~現代までの埋め立て地。
 なにやら見覚えのある店。
 もう10~15年も昔、ここで海鮮料理を食べたのを思い出した。
 こんな高級和食はこれからはたべれないだろうな。とおもいつつ横を通る。

2011年2月1日火曜日

パニック映画

 みなさん、映画鑑賞はお好きですか。私は若い時から、映画が好きでよっ~く行きました。還暦を迎えても相変わらず好きで、よく見ています。もっとも最近はDVDを借りて見ています。これは便利ですよね。新作封切り後2~3か月もすればDVDを借りられますもの。それに最新作でも一泊なら105円で借りられます。このように映画鑑賞が手ごろで身近になったため、学生時代、毎週のように映画館に足を運んでみていた時と同様か、いや、むしろそれ以上に見ているかもしれない。

 それにしても映画館の数、減りました。というより、徳島市内においては絶滅状態。私が学生の頃は手足の指に余るくらいはあったことを考えると隔世の感があります。
 1月22日のブログで沖の洲に行ったことを書きました。このとき福島の大通りを通ったんですけれども、40年も昔のことを思い出してある場所で少し思い出にふけりました。
 福島の大通りに面して、昔、福島平和劇場という映画館があったのです。ここは主に洋画中心で、封切りから1~2年以上たった名画を安く見せていました。学生で貧乏だったから、封切館は敬遠してここへよく通いました。チケットを買うと次の割引券をくれました。学生にとってはありがたい映画館でした。蔵本にも姉妹館があって、この割引券を使えましたが、こちらは主に邦画でした。

 ところで、皆さんどのような映画のジャンルがお好きでしょうか。私は雑食性でどのようなものも見ます。
 しかし、この一週間は、つづけてパニック映画を見ました。やはりねえこのところ続いている自然災害、特に長期化しつつある大雪や火山噴火が気になってしまってね。また、四国はやがて起こることが確実な南海大地震やその津波もね。
 娯楽という意味ではなく、これから百戒を得るという意味で。
 え?ほんとに教育啓蒙的見地からのみ見たの?すこしは娯楽で見たんじゃないの?と言われそうです。
 まあ、少しは・・・・・。あまりつっこまんといて下さい。

 見たのは2本。最新作です。

〇 「TUNAMI」 題名通り津波の映画、韓国映画で津波でプサンが壊滅する。

〇 「バルカン」 ドイツ映画、題名もドイツ語で火山という意味と思う。噴火でドイツが大被害。

 感想は?
 日本以外の国だったらパニック映画としてヒットするかもしれないが、日本人がみれば首をかしげるような設定、ありえないような非科学的な言説をのたまう科学者、信じられないようなおどろおどろしげな被害、つっこみ満載の映画でした。

 これを見たのは、日本に住む私としてありうべき災害の警告的意味だったんですが、この2本の映画を見て、逆に子供も含めたわれわれ日本人の火山や地震、津波の科学的知識、被害の的確予想の意識の高さを認識させられました。

 韓国もドイツも火山国でも地震国でもありません。国民全体の火山・地震に対する意識はずいぶん低いものです。
 しかし、考えればこのような国だからこそ、おどろおどろしく大げさな火山地震のパニック映画を作れるのだろうと思います。
 われわれ日本人がこのようなパニック映画を作れば、災害状況、人的物的被害を含めて、非常にリアルな申し分ない映画が作られるでしょう。だけど、明日、現実に起こるかもしれない大噴火、大地震、大津波を考えたとき、娯楽映画として作れるでしょうか。
 そのようなことを考えれば火山、地震のない国で娯楽としてパニック映画が作られるのは当たり前です。そして、非科学的、大げさすぎるのも仕方のないことです。
 日本人がこの二本の映画の主題で作れば、正確過ぎて科学的啓蒙映画になるでしょう。日本人の観客の知識・意識の高さから娯楽やシャレを許しません。

 けっきょく、自らへの戒め、自然災害の警告としてパニック映画を見るつもりでしたが、防災知識・意識は世界中で日本人がダントツであることがわかった。そして、こんな、子供でもありえんと笑う映画は日本では受け入れられないわ、と思った映画でした。

 大雪は峠を越えたようですが、新燃岳は溶岩ドームが急成長してるみたいで心配です。爆発、火砕流の危険があるそうです。現実にパニックにならないことを祈っています。
溶岩ドーム