若い衆(わかいし)は一度は相対性理論にはまるのか
お昼に二十歳のA君と話をしていたら、彼の口から相対性理論の話が出てきたので、おや、と思いました。私も二十歳くらいのときこの理論に魅力を感じ、入門書や青少年向けの解説本を読み漁ったことがあったからです。
私がはまっていたときは、アインシュタインをまるで新興宗教の教祖なみに思っていました。
絶対普遍の所与として「空間」「時間」は幾何学の公理・公準と同じに動かしがたい前提として初めから存在するもの。と思っていました。
ところがそのあたりまえの常識を誰も異議をさしはさむことのできない完璧な理論で打ち砕いたのですからラディカルな青年の心をとらえるのも無理はありません。
そのうちそんな理論は日常生活どころかかなり専門的・技術的な理論にもほとんど関係ないことがわかり熱が冷める。
相対性理論の衝撃的な例えを御神輿のように担ぎ、もてはやしたが、地上にへばりついて生活する身には関わりのないこと。高速で宇宙を旅行するのを思い描く絵空ごとにもあきる。
物理的に時間が早まったり遅れたりすることよりも加齢とともに一年がだんだん短くなる「時間」の方が気になる。
なして?
そして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
流れる時間のなかで自分の死はなんなんだろう。通り抜けて流れるものか、そこでプッツンか主観と客観、梵と我の対立は死でどうなるのか
わからん!
とまあA君、私はこのような軌跡をたどってきました。でもA君のような未来人はもっと違った時間の体験が待っているかもしれん。
期待してるよ
3 件のコメント:
時間を一定の周期ではなく、一つの変動する軸だと考え、自己感覚の時間経過≠現実の時間経過の理論説明ができるまでに成長したいものです^^
そもそも時間の定義は
陽が昇り、沈む=一日
一日=24時間=1440分=86400秒の考えは太陽と地球の関係上から生まれた一つの理論。
本当は何か一つを基準にするのではなく、個々の時間をずらす(統合する?)ことでやっと1秒の基準なのでは?
人間の一秒は限り無く、無に等しいが、良く生きて10数年の犬からすれば一秒は人間の数倍に感じられる可能性も。
一秒が遅く流れるのでは無く、犬にとっては、
人間の一秒が犬の数秒に感じられる可能性も。
大小かかわらず、どんな動物でも死ぬ(老衰などによる)までの鼓動が一定数だという話を聞いた事があります。
…と、いうことは、
すべての生物の心臓が動く周期の平均が一秒の可能性も…
とか考えています。
長文失礼しました^^
おぉ!お二人とも深いですね…(OoO)!!
私は「相対性理論」という言葉は聞いたことはありますが、よく知りません。。。
本でも読んで知識を深めねばいけぬな!!
相対性理論って、男女関係のことですか?
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