昨夜はいつも行く銭湯が定休日だった。銭湯の大きな浴槽で入浴すれば、心身のリラックスになるのでだいたい毎日通っている。とはいえ、この銭湯がお休みの日には、他の銭湯に行くこともなく家に居る。しかし昨日は12月も中旬というのに異常な暖かさである。暗くなっても気温は下がらず、まるで夜桜見物の時節のような夜気である。
夕暮れが濃くなる時、空を見上げると天頂部の濃紺色が西へ行くにしたがい浅黄色のグラジュエーションとなり、遠くの山際はまだ残照の茜色が少し残っている。その少し上には細い細い月が出ている。今日は旧暦の2日だ、月が細いのは当たり前だ。外気は春四月のような温かさ、そしてこの夕景と言い、陽気と言い、外歩きをいざなうような雰囲気である。それにのせられ、うかうかと外歩きにでた。シャツの上に薄いジャンパーを羽織っただけだが全く寒くない。むしろ歩けば汗をかいてシャツを脱がなければならなくなるかもしれない。
すこし歩いて、ふとあることを思いついた。まるで天からの贈り物のようなこの陽気と夜景のすばらしさ、この中ならどこまでも歩いて行けそうな気がする。でもどこまで?そうだ!どこか温泉らしい温泉まで行って、入浴してこよう、まだ時刻は午後5時過ぎである。以前場所を確かめた眉山裏の山ふところにある「八万温泉」なら、夜でも迷うことなく行きつけるし、遅くなっても帰れるだろうと。
最終バスに乗り込んだ。夜のバスの雰囲気もなかなかのものだ。乗客の半分はスマホをいじり、その液晶の明るさで顔をぼんやり浮きたたせている。後の半数は半睡状態なのか目をつぶりバスに揺られている。それでも乗り越すことなく、ピンポンピンポンと停車ボタンの音が聞こえるとともに一人また一人と降りていく。数少なになった乗客を乗せたバスはやがて私の降りる「園瀬橋」についた。
そこは徳島の市街地から遠く離れたところ、家もまばらである。園瀬川堤防沿いの遊歩道は真っ暗である。夜歩きの時にいつも携帯しているライトが頼りである。右手奥に眉山裏の山影が暗く浮き出ている。その山の谷筋の一つ、長谷(ながたに)に目指す温泉はある。以前明るい時にこの遊歩道をあるいて温泉までたどったので夜歩きでも不安はない。真っ暗の遊歩道を携帯ライトで照らしながら歩く。時々堤防上の道路を走る自動車のヘッドライトがまぶしく過ぎてゆく。
遊歩道の終わったところから右へそれる。眉山山系の谷の一つに入っていく。少し歩くと榎(エノキ)の塚に行き当たる。そのすぐ横はもう八万温泉の駐車場だ。この榎の塚、夜はなんか不気味だ。もし横に八万温泉の明るい光がなければ暗くなってこの横を通りたいとは思わない。昼見ると江戸時代から信仰されてきた石仏群が榎の周りに配され、歴史文化好きな人の興味を引く(私もその一人だ)。左が昼見たその「榎の塚と石仏群」。天保二年の年号がある石仏がある。およそ二百年前の江戸時代である。大昔の人はこの榎の塚の石仏にどのような願いをかけたのだろうか。
ついたのは8時少し前、市内の人にはよく知られた郊外の温泉であるし、また週末金曜日の夜とあって、人混みを予想していたが、なんと人少なく、玄関からガランとしている。チケットを買って入るが、ロビーからもう山の中のちょっと鄙びた温泉の雰囲気を漂わせている。「いいぞ、いいぞ」。洗い場も浴槽もゆったりしている上に人も少ない。かけ湯をし、広い浴槽に身を沈める、深さもあり、湯温も私好みのぬるめである。思い切り腕足を延ばす、浮力のためたゆたう気分がまた爽快。横にはさらに深いジェットバスもあり、これも試しに入ってみる。肩や腰に当たる水圧が筋肉をほぐし神経を弛緩させるのだろう。圧力に少し身を抗するが、気持ちよい。整形外科系の病に効きそうである。
もっとも気に入ったのは露天風呂である。サウナは嫌いなので素通りしてその横にある出口から外へ出るとそこが露天風呂、うすぼんやりの灯り一つなので、露天の岩風呂、露台の椅子などが幻想的である。何よりいいのは湯船の入り口近くに大輪の白い八重椿(山茶花)がたくさんの花をつけていたこと、暗い中の白い花弁、そして椿(の種類)の木というのが、私の露天風呂はこうあるべし、という好みにまさにぴったりだ。あれはいつのことでどこだったか?
そうだ、もう三十年以上も前、九州阿蘇外輪山と九重連峰の境あたりにあった温泉郷「黒川温泉」の露天風呂だった。このような岩風呂風の露天だったのと、露天だが上には覆いかぶさるような紅椿の花が満開だった。そして露天の湯船につかっていると椿の木からポタリと花が湯面に落ちたっけ。三十年以上たっても今も心に残る椿の露天だった。この八万温泉の露天に入り、白の八重椿を眺めているとその時の気分がよみがえってくるようだ。身も心もゆったりと露天風呂に入り咲く椿を眺める。もし天寿国(極楽・浄土)がこの世にあるなら、このようなところではあるまいか。いつまでも浸っていたい私であった。
上を見上げると覆う椿はないが満天の星空である。しみじみと眺めていると、同じ露天から出て、そばにあるベンチに腰を掛けている老人と若者の会話が聞こえてくる。暗い露天から満天の星空を見上げているのは私だけではないようで、老人の「あの星は何だろう、まるで六つの星が固まったように見える」というと、若者は「どこどこ」と探しているようだ。ふたりとも「なんだろうなぁ?」と疑問のようである。私のお節介の虫が騒ぎ出し、話に押し入る。「あれは、スバル(昴)、昔の人は、六連(むづら)星ともいい、六つの星が蛍のように集まっているようにみえます」と話をすると、「そうかスバルか」、とちょっと感慨深げであった。私も椿の花だけでなく、満天の星空にスバルまで見えて、もういうことなし!
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