2023年9月6日水曜日

巡礼・遍路(遊行)さんの大昔の野宿

  涼しぃなったら歩きの遍路をしようかなとおもっている(一定の区間を決めて行う「区切り打ち」だが)、とりあえずの目標は23番薬王寺から24番最御崎寺であるが、これがまぁ一区間としてはとんでもなく長い。約80kmもある。一回の区切り打ちで終えるとしても一日ではとても歩ける距離ではない。中間点で一泊するとしても一日に歩かにゃぁならん距離は40km、ジジイの初心者であるワイにはちょっと無理だ、二泊するとすると一日歩行距離は26~27kmとなる。これくらいならなんとかなるかもしれないと、机上の計算である。

 どこで泊まるか?足を痛め、へとへとに疲れながら一日を終え、次の朝それを回復させ出発するのであるから、一番いいのは二食付きの旅館・ホテル・民宿であろう。おいしい料理で栄養を取り、ゆっくりと風呂に入り、きれいなシーツの布団で眠るのは疲労回復に一番良い。民宿(遍路を多く受け入れている宿)ならば宿泊料も比較的低廉である。十年ほど前のガイドブックには遍路利用民宿の料金表が乗っていたが二食付きで6500円くらいである。しかし最近の諸物価の大幅値上げを受けて宿泊料も大きく値上がりしている。今現在一万円札を出しておつりがはたしてあるかどうか、というくらいの相場である。貧なジジイにはこの宿泊代は痛い!宿泊代の心配のため、泊りの歩き遍路を敬遠したくなるほどである。

 そこで金のあまりかからない宿泊方法を考えてみる、口コミで聞いたところによれば海陽町から室戸岬までの間には、遍路小屋、善根宿もいくつかあるようである。粗末な小屋だったり、また廃バスを利用したところもあるようであるが、料金はタダ、あるいは払ってもワンコイン(500円玉)、高くても1000円札一枚びゃぁである。ただ遍路小屋、善根宿の場合あらかじめ自分用の寝袋を持参しなければならない。

 粗末な小屋、寝袋持参というのは「なんちゃ、かんまん」が、見知らぬ歩き遍路の人と雑魚寝というのは、抵抗がある。ジジイの初心者遍路にとって、初めからいきなりこのような場所に放り込まれると他人とコミュニュケーションを取るのは億劫である。なんか変な信念をもっている人、あるいは強い思い込みのある人だったらどうしようと思ってしまう、折伏や説教などはされたくない。かといって挨拶のみで済まして、朝まで全然話をしないというのも、余計相手のことを気にして神経がすり減りそうである。慣れればそんなこと杞憂かもしれないが、新参の第一泊目を他人と雑魚寝というのは、私にとっては修業がきつすぎる。

 金も使いとうない、雑魚寝もいや、の場合、そうなると「野宿」という選択となる。どうせ寝袋をもっていくのなら、軽い折り畳みの「テント」を持参するのも同じことである。その用意があれば適当な場所を見つければ野宿ができる。

 日和佐から室戸岬までの歩き遍路での宿泊は ①民宿、②遍路宿・善根宿、③野宿の選択を用意している、さて、どれにしようか、まだまだ出発は先、ゆるゆると考えよう。

 以下、巡礼・遍路(遊行)さんの大昔の野宿を調べてみた。参考になるかな

 下に見る図は13世紀の「一遍上人絵伝」の一こま、中世の旅の様子、遍歴する人の様子が絵巻物にあらわされ、よくわかる史料である。まず最初に見るのは固定した家を持たない人が休息時あるいは寝る時はどのようなところに身を横たえていたか、がわかる図である。白の矢印がそれである。右矢印は葦簀(ヨシズ)あるいは蓆(ムシロ)のようなものを斜めにして二本の棒で立てかけ、三角形の空間を作っている。考えうる最低限の仮小屋である。今、仮小屋の住人は椀と箸で食事の真っ最中である。左矢印は唐傘一本がその仮小屋の代わりである。身を横たえて休息か睡眠をとっている。


 いざとなれば究極、露天で身を横たえることもありだろうが、安息をとったり寝たりする場合、陽光や夜露、朝露、雨などを凌ぐため覆いのある仮寝場所を設営したい。上図などはもっとも簡単な覆いのある組み立て式の仮寝小屋である。

 今だと折り畳み式のテントだろう、テントのように移動するときは畳む、あるいは巻いてそれを負って別の場所へ移った。下の図は上図の仮小屋をまとめ移動する人々である。右の矢印の人は、上図でいえば右の仮小屋を巻いてつっかい棒に括り付け背負ったもの。左の矢印の人は上図でいえば左の唐傘を畳んで背負って移動している。


 最低限の仮小屋(というより覆いといったほうがいいか)もない人がよく利用するのは、寺社の軒下、あるいは縁の下である。今でも遍路はお堂や神社の夜露の凌げるところで寝る人もいるようである。下の図は寺の縁の下で夜を過ごす人、表情を見る限り安眠しているようだ。持ち物といっては椀と箸、そして被っているのはムシロか、枕もしている。


 橋の下なども夜露を凌げる格好の場所となるが、13世紀のこの絵巻では遍歴する人々(乞食も含む)にその場所の利用は少ない。というのもこの時代はまだしっかりした構造の橋は京都くらいにしかなく、そもそも川に橋が架かっていることが少なかった。あったとしても簡単な橋で橋下で休めるようなものではなかった。川幅のある橋でも、下のような「船橋」(幾つかの船を杭で川の中に並べその上に板を渡して橋にする)で、これでは橋の下で休めようがなかった。


 中世の遍歴する人々(遍路・巡礼も含む)もいろいろ工夫して夜露を凌ぎ、寝どころを確保したのである。私も中世の、遍歴しながらたくましく生きる人々を見習い遍路すべきか。

1 件のコメント:

Teruyuki Arashi さんのコメント...

僕ならローコストホテルか旅館にします。やはり風呂に入り、体の疲れをとりたいですから やまさんはどうしますか?