2021年6月28日月曜日

沙羅双樹(⇒単なる沙羅の木ではなく「双樹」とあるのに注意)

  偉大なお釈迦はんのように涅槃には入れないが、ワイも死期が近づきつつあるのか、沙羅の木が気になって仕方ない。もう一ヶ月びゃぁも前から沙羅の木が花開くのを楽しみにしていて、今月の中旬から下旬が開花期と聞いていたので15日を過ぎたあたりからそわそわしていた。そして極楽寺は2回、他に石井の山麓へも沙羅の木を見に出かけ、ブログに3度も取り上げた。

 そして今日、ワイの友人が沙羅の木の花を見たことがないっちゅうんでさそい、友人の車に同乗し、また極楽寺へ沙羅の木の花を見に行った。前二回より今日のほうが盛りのようであり、ついている花も多かった。とはいっても朝に花開いたら、夕方にはポトリと落ちる花で、枝についている数より下に散らされた落花の方が多い。

 沙羅の花のアップ写真は、今までのブログで足(た)るびゃぁ見ていると思うので、今日は違った角度、距離(少し遠景で)から撮ってみた。下の写真がそうである。


 極楽寺の境内の沙羅の木は2間ほどはなれて二本ある。上の写真の白い矢印で示し、そして幹を赤丸で囲ってあるのが沙羅の木である。枝に花がついているのがわかるだろうか?南伝の涅槃経(「大パリニッバーナ経」)にお釈迦さんの涅槃のようすは詳しいが、二本の沙羅の木の間に横たわって涅槃に入ったとある。その二本の沙羅の木を『沙羅双樹』と呼ぶ。四文字の植物ではなく沙羅(の木)が二本だから「双樹」なのである。

 極楽寺の坊んさんもおそらくそれに(釈迦の涅槃のようす)ちなんでこのようなわずかな距離を隔てて二本植えたのだろうと推察する。確かにこの二本の木の間に臥所はちゃんとおさまる。間に石灯籠じゃの桜の古木があるのはしゃぁない、みるところ二本の沙羅の木より以前から鎮座ましましていた先輩なのだから、なんぼぅ沙羅の木でも押しのけるわけにゃぁいかん。

 お釈迦はんは二本の沙羅の木の間に横たわり(北枕、右腹下)「涅槃」に入ったのであるが、初期の仏教ではお釈迦はんの死のみを「涅槃」にはいったといった。しかしその後出家者でさとりをひらき「涅槃」の境地に達した羅漢はん(悟りを開いた出家者のこと)もポチポチ現れるようになった。けどごく限られた人のみであったろう。

 だが、初期仏教はインドから北西~西域~中国に伝わるにつれ大乗仏教に変化し、「涅槃」が易しくなっていった。涅槃という言葉も用いられたのではあるが、涅槃という言葉で言い表さなくても同じような境地に達し、望ましい臨終を迎え往生する人が増えてきた。これも大乗仏教の特色である。大乗仏教は「空」の思想を生み出し発展させたが、その「空」の境地がまさに「涅槃」である、と唱える人もいてこれはけっこう説得力がありそれを支持する人は多い。

 大乗仏教が発展展開してくると「涅槃」=「空」であるばかりか、禅の「無我の境地」もそれと同じである、ということになる。ただこれらの境地に達するのは凡俗であっても修行やあるいはかなり高度な瞑想の能力が必要であるが、大乗仏教ももっと後期になると、下賤の凡俗だろうが、いや悪人でさえも、臨終にさいし阿弥陀はんに掬い取られ西方極楽浄土の世界へもれなく転生し、そこで阿弥陀はんのもとで修行の階梯を踏み、最終的には全員「仏」となることができるのである。そうなるとまさに空くじなしの全員が(時間はかかるが)涅槃に入ったのと同じようにブッダとなれるということである。

 江戸時代初期、日本のセクスピヤといわれた近松門左衛門の書いた戯曲に「曽根崎心中」というのがあるが。その中の有名な道行、ご存知だろうか・

 「♪~この世のなごり、世もなごり~死ににゆく身を、たとふれば、安達ヶ原の道の霜~、一足づつに消えてゆく~・・・七つの鐘が六つなりて残る一つがぁ~♪(ピンコシャンコ、ペンペン)♪~今生の~鐘の響きの聞きおさめぇ~(そして次の言葉に注意)、寂滅為楽と響くなりぃぃぃ~~~~」

 この最後の四文字熟語「寂滅為楽」は涅槃の境地を言い表している。なんと!ワイから言わしてもらやぁ、愛する相手との心中はエロス最大限の発露、最高のエロスの境地である。その心中道行きで上り詰めた最高点を「涅槃」と同義語の「寂滅為楽」と言っているのである。なんとお釈迦はんが涅槃に入って二千数百年、日本の江戸では最高のエロスの境地までも「涅槃」とかわらない「寂滅為楽」と言い表すようになったのである。

 大乗仏教は密教へと発展し、さらに後期密教となった、その後期密教やその影響を強く受けたチベット仏教を見ると、エロスの最高境地=悟りの境地、ということもわからんことでもないが、初期仏教とはえらく違うようになった気がする。ワイとしてはそれを堕落と切って捨てはしない、そんなのすっきゃわ。

 そういや、(現在50歳以上でなければ知らんだろなぁ)今から40年も昔

 『おやじ、涅槃で待つ』

 という遺書を残して四十数階から壮絶な飛び降り自殺をしたイケメン俳優がいたのをご存知だろうか?このイケメン俳優は義理の父と同性愛関係にあった(同性愛の絆を固くするため養子関係を結んだといわれている)のは公然の秘密であった。そうみると、この「涅槃でまつ」というのは、二人(おやじと自分の)の最高のエロスの境地=涅槃、と解釈できる。一時、涅槃が同性愛のエクスタシーと同じように使われたとして、「涅槃」の言葉がその筋で(以前から一部には用いられていたが)もてはやされたとのことである。

 いっとくが、これはキリストのボンさんのいうようなプラトニック(精神的愛)なものではない、深い男同士の肉の交わりが(オラル、アナル、汁の飲みあいなど)実際にドギツクあったうえでの、最高のエロスの境地としての「涅槃」である。なんと!栗の花の香り高い「涅槃」であることよ。

2021年6月27日日曜日

二つの涅槃経


上図は京都泉涌寺所蔵の涅槃図である

  極めて出会い難いことの例えをご存知だろうか?ある程度年配の人は聞かれたことがあるかもしれない。おそらくかなり古い時代劇、あるいは歌舞伎などの台詞で。シュチェイションは、巡り巡ってようやと、仇の相手を探し当てた敵討が仇に言う前台詞である。このようなものであることが多い。

 「盲亀の浮木、優曇華の花ぁ~、艱難辛苦の甲斐あって、ここであったが百年目、いざ、尋常に勝負!勝負ぅぅぅ~~~~!」

 聞いたことはあっても、この台詞の前半の意味はわかり難い。これは仏教から来ている引用である。「盲亀の浮木」次のような意味である。大海に住むウミガメがいる。その亀さん目が見えない。その亀がごくたまに海面にポッカリ顔を出す(数百年といわれる、息継ぎはどないすんねん、と心配だがおそらく仏教の説話に出てくる亀さんだから神亀なんだろう)。これとは別に大海には一片の流木が浮いている(浮木)その木片に小さな穴が開いて裏表に抜けている(ちょうど名簿の木の板にフックにかける穴が開いているようなものか)、流木だから大海のどこに漂うかもわからない。その大海で稀にしか頭を出さないしかも目の見えない亀がそのたった一片の木片に出会うのはもう不可能であるといってもいいくらいの確率の低さである。ましてやその亀の頭がその木片の穴に浮上した瞬間に突き抜けるのである。もう無限に近いくらい亀さんは浮上しなければそんなこと起こる筈もない(一度浮上したら次は百年後!)つまりこれは極めて起こりにくいことの例えである。次の「優曇華の花」もごくまれにしか咲かぬ花(数千年に一回と伝説で言われる)であり、これも起こりがたいことの例えである。前記の敵討ちの台詞、この言葉で敵討ちに極めて幸運にも出会ったことを言い表しているのである。

 仏典では、我々生き物(有情)が「仏の教え」に出会うことの難しさを「盲木の浮木」というたとえで示している。仏教的宇宙観では宇宙の生成から消滅まで「一劫」と数える(現代宇宙論ではどれくらいの長さだろうかおそらく数百億、あるいは数千億年か)、仏教的宇宙論では宇宙は生成~消滅を繰り返す、それが何十、何百と繰り返され、その中で「仏の教え」に出会うのはたった一回であるという。その極めて出会い難い仏の教えとの邂逅を「盲木の浮木」を例としているのである。またそうなることが極めて難しいのは「仏の教え」との邂逅以外にもある、と仏典は言っている。それは我々が人間として生まれたたことである。仏教では「有情」(生き物)は永遠に輪廻転生を繰り返す。前世の「業」に引かれさまざまな生き物に生まれ変わり転生していく。その中で難しいのは「人間に生まれること」である。仏典に

 「受けがたきは人身(ニンジンと読む)と知れ!」

 とある。若い時仏教系大学の通信教育をしていたが、その大学から送られてくる「月報誌」の見開きに上記のフレーズが書かれていた。その時は、いったいなんのこっちゃ?と理解できなかったがその後、専攻は日本史であったが仏教の概論や仏教入門書をいくつか読んでようやとわかった。煩悩から脱せず、悪業を積み重ねるワイら、たまたま前世でそうなる因縁でせっかく人間として生まれてものんべんだらりと過ごしていて果たして来世は?その戒めとして上記の「受けがたきは人身(ニンジンと読む)と知れ!」が言われるのである。

 動物の中では最上の知能ある「万物の霊長」として人に生まれたのであるから、なんとか良い「業」を積んで次回も少なくとも人間に生まれたい、と願うのが普通である。餓鬼道や畜生道(悪道)には落ちたくない。でも良い「業」とはなんだろう?それがわからず悪道に生まれ変わり転生を繰り返すのである。しかし「盲亀の浮木」といわれるようにあり得ない確率ながら、我々の(生成消滅を繰り返すこの宇宙)にブッダがたまたま現れた。ブッダは二千数百年前に亡くなったがまだ「仏の教え」は生きている。その教えでさえ数十劫の宇宙生成消滅をへての有りうることが難い邂逅である。我々はそれを機縁として良い「業」あるいは功徳がどのようなものか知ることができ、それを行い来世をよりよくできる。

 実は今まで述べたように、出会い難い仏の教えに出会い、今生においては、その教によって利益(リヤク)を得、来世にはそれの教えを機縁としてよりよく生まれる、というのはワイらのような凡俗(出家せずに世俗の生活をしている人々)に向けてのことである。前回のブログでブッダの最後の旅と涅槃(臨終)について「大パリニッバーナ経」という経典に基づいて述べたが、この中でブッダとアーナンダとのやり取りを通じても一般の凡俗(世俗の人々)がブッダの教えを守ることにより今生の利福、来世のより良い生まれを得ることが述べられている。しかし、人としてもっともよいのはそれ以上のこと、すなわちそのような生死の輪廻の円環から解放されることであり、悟りを得て輪廻転生の円環から解脱し、寂静なる涅槃の境地に達することであったはずである。しかし凡俗の人々に対してこの「大パリニッバーナ経」はそうなることを望んでもいないし、あり得ることとも思っていない。これに対し出家者は違う、出家者の修行の最終目標は、悟りに達し、完全な解脱、そして涅槃寂静の境地に達することである。両者とも仏の教えに導かれてもその最終のありようは凡俗と出家者では画然と峻別されているのである。これは「大パリニッバーナ経」の基本をなすものである。

 宗教が今生、来世も含めての魂の救済であるなら、凡俗と修行者を峻別し、完全解脱・涅槃寂静は凡俗にはハナから無理ぃ無理ぃ~ナイナイ、そんなこと考えたらあけへん!ちゅうのはあまりにも不公平ではなかろうか。確かに凡俗でも良い「業」、そして功徳を積み重ねれば「人の世」以上である六道の最上階の「天上界」に生まれ変わることができる。仏典の描写によれば耶蘇教や回教の聖典で約束されている善人が行く「天国」と同程度以上の素晴らしい楽園ではある。しかし天上界の天人ではあっても天人五衰は免れえず、極めて長い寿命ながら死を迎えなければならない。そして死後はやはり「業」によって六道を輪廻しそれが永遠に続くのである。そこには輪廻転生から抜け出て解放される「解脱」も「涅槃」もない。もし凡俗がそれを望むなら出家して仏の教えに従って修行する以外ない(しかし出家修行者が最終的に解脱し涅槃に入れるかは個々の努力であり、そうなることが保障されるわけではない

 しかし「大パリニッバーナ経」の根本はそうであっても古来からの日本仏教はその根本の上に築かれていない。日本仏教では出家者でない在家、在俗つまり世俗の凡人であっても、悟りに達し、解脱し、輪廻の生死から解放され、もっというと究極には「仏」(つまりブッダ)となることさえ可能性としては開かれているのである。

 仏教史を少し勉強した人にはだいたいお分かりだろうと思うが、「大パリニッバーナ経」のように出家者と在俗者の目指すところを全く分け、その行動を峻別するのは南伝仏教(上座部仏教ともいう)の考え方、教えである。「大パリニッバーナ経」は南伝仏教の経典であるのでパーリ語(古代西北インドの言語)でかかれていて近年に至るまで日本には伝わらず読まれなかった(ほぼ似ているのは長阿含経の中の遊行経であるが昔から日本では重視されなかった)。そのためこの「大パリニッバーナ経」は最近(20世紀後半になって)漢訳され、南伝(あるいは上座部)の「涅槃経」として知られるようになった。これが第一の南伝・涅槃経である。

 そして第二の「涅槃経」は古来よりあるものである(奈良朝以後移入された漢訳仏典)。我々が「涅槃経」という場合はこちらを指す。特に区別する場合は北伝あるいは大乗「涅槃経」と言っている。南伝「涅槃経」(「大パリニッバーナ経」)は前のブログでも言ったように短い旅日記とも思える平易なお経であり読みやすいのに対し、この大乗「涅槃経」はその内容は膨大な「巻」に分かれ、いかにもお経らしく経の漢文で書かれており難解である。当然、専門家でもない私に全文読みこなし理解できるはずもない。解説書のお世話になりその概略を理解するのにとどまることになる。しかしそのような浅薄な理解でも確実に分かったことはこの第二の大乗「涅槃経」は、日本仏教の根本的な考えかたが詰められていることである、それは先にもいった聖俗にかかわらず人にはすべて悟り、解脱、涅槃への道が開かれているのである。大乗「涅槃経」に「大乗」という言葉が冠されているのは、まさに聖俗ことごとくの人々を区別なく仏道によって済度つまり唯一の究極の境地に赴かせることができるからである。

 大乗「涅槃経」に書かかれているもっとも重要な二つのキーワードは『悉皆成仏』そして『如来常住』といわれている。『悉皆成仏』はすべての人に「仏性」が備わっていて、これが種となり、悟りを得て、先ほども言ったようにどんな人でも究極、ブッダ「仏」となる可能性があるということである。『如来常住』についての解釈は次のようなものである。ブッダが涅槃に入り、この世からいなくなってしまったとき、人々は偉大な指導者を失い嘆き悲しんだ、これは出家者も在俗者も変わりない、しかし出家者は修行をしブッダの教えをよく理解している。涅槃に入る前にブッダは出家者に対し「自らを指針とし、また法(仏の教え)のみを指針として怠ることなかれ」との遺言を残した。出家者には自ら、そして法を頼りに目的に向かって修行をしていく自信がある。しかし在俗者はどうだろうか、ブッダがこの世から消え、直接の指導者を失い、闇にくれたのである。何度も転生を繰り返し何万回生まれ変わっても先に言ったように再びブッダに出会う確率は極めて低い。いったい在俗者はどうすればいいのだろう?いわばその回答としてこの大乗「涅槃経」がいったのが『如来常住』である。生身のブッダはこの世から存在しなくなったかもしれないが、如来(法身)としてのブッダは常時この世に存在するというのである。目にも耳にも触れないかもしれないがこの世にはその法身としての如来様はいらっしゃって、しかもこの世にあまねく満ちていらっしゃる。だから何らかの仏教的な手段(修行、瞑想、崇拝信仰、絶対的帰依等々、)でそのブッダに触れることができ成仏の助けになるのである。南伝「涅槃経」(「大パリニッバーナ経」)と大乗「涅槃経」は同じブッダの涅槃の時(臨終時)のことを扱いながらもっとも根本的に違うのは『悉皆成仏』と『如来常住』の考えがあるかないかであり、それは大乗仏教(日本の仏教)と上座部仏教(スリランカや東南アジアの南方仏教)を分ける根本的な違いともなっている。

2021年6月26日土曜日

涅槃と沙羅の木(夏椿)

  歴史的なブッダ・釈迦(ガウタマ・シッダルタ)は紀元前6世紀のインドに生まれ、仏教の開祖となりその教えを広め、80年ほど生きてガンジス中流域にあるクシナガラで亡くなったとされている。そのブッダの死のことを仏教徒は『涅槃』に入ったと称している。涅槃は原語で「ニルバーナ」といいその音をもとに漢訳で「涅槃」という語(漢字)が作られた。涅槃の境地に入ると生死を永遠に繰り返す「輪廻転生」から解放されるといわれている。そのような境地は私のような凡人の理解するところではないが、原語のニルバーナのそもそもの意味は「火の消えた状態」をいい、これは自我も欲どころかあらゆる認識や思考さえも消え去ることを暗示していると思われる。それなら「涅槃の境地」とは(現代人の多くがそうではないかと思っている)死後の霊魂の存在など認めない唯物主義の『死=無』と同じような気もするが、永遠に生死を繰り返す輪廻転生からの解放が「涅槃」であるのであるから、涅槃は単なる唯物主義の死=無でもない。

 ブッダは齢・80歳になったとき死期を悟り、王舎城から死地への旅に出る。その数か月の最後の旅のようすそして臨終のようすはかなり詳しく知られている。その旅そして臨終(すなわち涅槃)のことが「お経」になって残っているからである。そのお経が「大パリニッバーナ経」である。このお経はパーリ語(古代インドの言語)で書かれているが中村元によって邦訳され『ブッダ最後の旅』として岩波文庫本として出版されている。左の本である。先日図書館で借りて一気に読んだ。
 お経でありながら一気に読めたのは、これ、全然お経らしくなく、平易な言葉で述べられているからである。師ブッダと弟子アーナンダの言葉のやり取りが縷々述べられており、旅のエピソードや旅の途中絡んでくる人物などまるで日記を読むように綴られている。もちろんお経であるから「教え、諭し」が主題であるが、これをブッダの終焉日記としての読み方もできる。江戸末期(もう19世紀になっていた)の小林一茶の「父の終焉日記」を読むような調子で私は読むことができた。

 まだ完全には悟りきれない最愛の弟子アーナンダが(やがて来る死の別れを想って)激しく泣く場面や、それを見て「泣くなアーナンダよ」と呼びかけたり、また死期の迫ったブッダの肉体的な苦痛のようす、その症状などのリアルな描写を読んで感じることは、市井のどこにでもいる80歳の爺ちゃんが病み衰え死を迎えるようすと何ら大差ないということである。2500年前の大宗教の開祖である聖人の死である。「お経」というならもっと奇跡的な脚色を入れて飾ってもよさそうなものだが、そんなものはなく、修行の果てに行きついた人の死はこんなだろうな、というような自然な死期のようすである。それだけにブッダの最後の旅と臨終のようすを書き記したこのお経は、ブッダの最後はきっとこのようなものでありこれが実際起こったことに違いないと信じさせる力がある。

 現代の日本人男性の平均寿命は80歳である。これはまさにブッダの享年である。どんな立派な人であっても老衰し、病気で蝕まれ死んでいく。死の迎え方にそれぞれの違いはあるが、このお経に描かれているブッダ最後の旅のエピソードは現代に持ってきても、ある老人の死の旅と見て全然違和感はない。私の住んでいるところは四国遍路の道中にあたる。歴史時代でいえばつい最近、昭和の前半私の父の時代までは遍路旅を死出の旅と心得、実際に巡礼途上で死を迎えるお遍路さんも多かった。そんなことを想いながらこの「大パリニッバーナ経」を読んだ。

 体の衰弱激しくいよいよ死がまじかに迫ったのを感じたブッダはクシナガラの二本の沙羅の木(双樹)の間に臥所をしつらえさせ北を枕に右腹を下にして横たわる。インド・クシナガラの地は現代でも疎林の原野があり自生の疎林には沙羅の木(印度沙羅の木)も多い。この臨終の場面もそうであったことが十分納得できる。ブッダ最後の言葉は「もろもろの事象は過ぎ去るものである、怠ることなく修行を完成せよ」であった。諸行無常の真理とともに修行の完成を命じている。そのあと瞑黙状態に入りやがて涅槃を迎える(臨終)。この臨終の描写もそうあるだろうな、というリアル感に満ちている。

 ブッダの臨終の時、沙羅の木は時ならぬ花をつけ、満開になりブッダに降り注いだといわれている。この部分は宗教的な脚色が若干見られるが、沙羅の木(夏椿)は開花とともに落下するのも極めて早い花でもある。少し大げさかもしれないが、入滅したブッダに開花した花が降り注ぎ散り注いだというのもあり得る状況としてわかる。
 ところでこの夏椿・沙羅の木、わが四国山地に自生している。といっても群生しているわけでもなく、またヤブツバキのように派手で目立つ花をつけるわけでもないから、夏椿の開花期とはいえ四国山地をさまよっても見つけることは難しい。しかし幸いなことにあることが目印になる。そう、まさにお経に出てくるように花が降り注ぎ降り散らした場所を探せばよいのである。山地のそれらしい場所(夏椿は湿潤でそう日当たりのよくないところを好む)を下を向いて歩いていると、白い落花の(全部の花ごと落ちている)塊があるところがある。そこが夏椿・沙羅の木の自生場所である。

 昨日、四国山地の麓の山道を歩いた、このあたりだろうなと目途をつけた場所を歩いているとまさに白い落花の降り散らした場所があった。

 白い花が丸ごとポトリと落ちているのを見ると、これは夏椿・沙羅の花だ。

 上を見ると枝に花がついている、夏椿・沙羅の木に間違いない。

 木肌の感じは百日紅の木に似ている。

 古くから巡礼、あるいは聖として遊行しながら四国山地で生を終えた人は数多くいるだろう。中にはブッダのように沙羅の木(夏椿)の根方に横たわり臨終を迎えた人がいるかもしれないな、と考え、それから涅槃とはいったいどのようなものなのか、ということに思考が向いていくが、悟りの階梯の最初の入り口にでさえ達することが出来ぬオイラにそれは無理、とやめる。

2021年6月20日日曜日

極楽寺の沙羅の木(夏椿)の花が開いた

  開花時期が六月中下旬頃と聞いていたので本日6月20日極楽寺に沙羅の木の花を見に行った。山門を入りすぐ右に曲がると庭園がある。山門をくぐり庭園が視界に入ると沙羅の木の花を探した。しかしパッと見にはわからない。寒椿のように緑の葉の色を圧するほど花がたくさんついているのを期待したが外れた。

 下の写真には沙羅の木の花が三本あるが確かにわかりにくい。気をつけなければ花など咲いていないと思い素通りしそうである。


 しかし近づいてみると白い沙羅の花が目に入った。山門から近い順に中、小、大の三本の沙羅の木があるが、下の写真は奥にある一番大きな沙羅の木、よく見ると白い花をいくつもつけているのがわかる。


 この大きい沙羅の木の付近は立ち入りができないし木の丈も高く花の拡大撮影が難しいので通路に一番近い沙羅の木の花を撮影した。



 沙羅の木(夏椿)の花は一日花といわれている。開花すると一日で落ちてしまう。確かに木の下を見ると落ちた花が木の根方にたくさん散らばっている。

 同じツバキ科の花であっても椿は濃い緑の葉で花も重々しい感じがするが、沙羅の木(夏椿)は落葉樹で葉も新緑色で柔らかく、花弁も一重で白くて薄い。その花がたった一日で落ちてしまうのは、なにか儚げである。平曲(平家物語)では「♪~沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす~」とうたわれていて、沙羅の木の花のようすは人の世の儚さを表している。
 本来の沙羅の木はインド産の熱帯樹であるが、温帯の日本ではそれは育たない。そのため日本原産の夏椿の一日花の儚さを見て、日本の寺ではこの夏椿を沙羅の木としているのであろう。

 下は極楽寺山門と梅雨晴れの空

2021年6月19日土曜日

昔懐かしいロバのパン屋

 徳島の八万にロバのパン屋があるというので探していってみた。道路からは見つけにくい。道路側の店名の看板が「エンジェルナイト」となっていて下に小さくロバのパンとある。


 道路から少し奥に店があるがこちらのほうはロバのイラストとともに「ロバのパン」の表示がある。今は御覧のように(駐車している)車で売り歩くが、私が子供の時はパンを積んだ荷車をロバがひいて売り歩いていた。

 エンゼルナイトというのは喫茶店の名前のようだ。よく見ると二階が喫茶店になっている。『二階へおあがりください、画廊喫茶2F』と書いてある。

2021年6月13日日曜日

久しぶりに車で遠出

  昨日友人と車で上勝まで遠出した。

 行ったところは落差70mの灌頂の滝。滝がメインの見どころだが行く途中の山道の横にズラズラと咲いている紫陽花の色が美しい。私は運転しないので流れていくアジサイ色の道端の風景を楽しめた。

アジサイと灌頂の滝


見上げたところ


お不動さんをお祀りしているの岩窟からは滝が真横から眺められる。

2021年6月11日金曜日

ワクチン接種

 

 本日、第一回目のワクチン接種をすませた。ワイの場合、特定の「かかりつけ医」はいないので市役所が会場の「集団接種」である。予約では15:30分からだったが一時間前に受付の前にたつと、本日はすいているのですぐしませう、とのことであれよあれよという間に、医師の問診、そしてその横へ移動して看護婦さんから注射、その後15分の様子見待機で午後3時までにすんでしまった。2回目接種は自動的に3週間後の金曜日の予約となった。

 接種直後もその後も蚊に刺されるほどの痛みもかゆみもなく無事終わった。ふりかえるとワクチン接種などはもう40年以上した記憶がない。たぶん20代後半くらいに職場で誘われてインフルエンザの予防接種をして以来だと思う。数年前に市役所の保健課から高齢者対象の肺炎球菌ワクチンの予防接種の希望申し込み書が来ていたが、数千円の自己負担がいるのとその効果に対して疑問に思っていたのでしなかった。しかし今回のコロナワクチンは少し待ちわびるところがあった。「はよぉ、マスクせんでもええようになれへんかなぁ」「気随気ままにアッチャコッチャ行きたい」それが早く接種を願う気持ちとなっていた。

 ワイの(ごく少ない)知り合いがどんどん一回目の接種をすませているなか、ようやと今日一回目の接種が終わりホッとしているのが今の心境だ。打つまではともかく早く!と思っていたがすんだ今は、その効果が気になる。具体的にいうと製造元(製薬会社や国別)とそれぞれのそのワクチンの感染予防率だ。ネット上の真偽交えた情報は置くとして、公的に確かめられた各種ワクチン別の感染予防率がどうなのか、そのため新聞やTVニュースなどの情報を知りたくなる。

 ワイの打ったワクチンはアメリカのファイザー社製薬のもの。公的な統計上の感染予防率はアメリカでもワクチン接種が始まって半年にしかならないので確定はしていないようだが、他社製に比べるとファイザーは有効性、副作用の少なさでは優れているみたいだ。ファイザーと聞くと、もうかなり前に年寄りのチンポを勃起させることができる夢の回春薬として有名になったファイザーの薬を思い出す。高齢者にとって夢の・・とか奇跡の・・とかゆう枕詞がついた薬を開発した会社だから知名度もあるし、日本のジジイの信用度も高い。南の国では中国製、ロシア製のワクチンが普及しているみたいだが、欧米・日本などの国では人々に信用されていない。そもそも南の国でもファイザーのワクチンが手ンごろ易く手に入るなら中・ロ製は使わないだろう。そう考えると今日、ワイの打ったワクチンはいっちょうエエもんが打てたということや。

 それにしても欧米でバタバタ高齢者がコロナで死んでパニくったのが一年前である。それから半年余りしかたっていない去年暮れにはアメリカは早くも有効なコロナワクチンを作って世に送りだした。この早さは素晴らしいものがある(中・ロも早かったが、これらはバッタもんじゃ、という噂が絶えない)。世に評価の高い優秀な製薬国はドイツ、スイス、そしてアジアでは日本などであるが、このコロナワクチンに対してはなんとその開発・製造の遅いことか!原因はいろいろ言われているが、ワイの見るところ最も大きいものは、アメリカはつねひごろから、もし生物兵器として未知のウィルスが使われた場合、どのように対処し、国民を守るかということを、真剣に考え、その方法、手段を考えていたためであろう。その中にはいかに早く未知ウィルスのワクチンを作って大量生産し、かつ迅速に接種を行うかということも含まれている。それがダントツの実用ワクチン製造の早さとなったのである。残念ながら日本、ドイツにはそれがなかったか、もしくは薄かったのであろう。アメリカはダテに超大国ではないのである。

 老い先短いワイのようなモンに優秀なコロナワクチンを若い衆よりも優先的に打たせてくれたのは感謝である。しかしそれは敬老精神からと単純には言えない。お年寄り優先となったのはこのコロナウィルスの死亡率が若者には極めて低く、高齢者には高いこと、またアメリカが他国にまで供給できるワクチンのフル生産に入ったことで達成されたのである。先ほど生物兵器として未知のウィルスが使われることをアメリカは想定しているといった。この想定は実はぞっとするほど恐ろしい想定も含まれる。それはトリアージである。老若男女の区別なく高い致死率、高い感染率のウィルスの場合、国が存亡の淵まで追いつめられることも想定しなければならない。その場合、次世代を残すため、今ある限られた薬、ワクチンは若者優先となるのはあたりまえである。また社会を存続させるため軍、治安組織など一定の職域を優先するのも当たり前となる。老い先短い年寄りは後回しになる。

 生物兵器への対処はそこまでの最悪の状態を想定しなければならない。そうならないため、あるいはそうなってもできるだけ多くの国民を救うため、ワクチン、治療薬の開発生産は迅速・多量生産が求められる。そのためには普段からできる準備は無駄と思えてもしておかなければならない。アメリカはそれができていた。これがアメリカがダントツのワクチン製造国になった理由ではなかろうか。日本ははたして?

2021年6月5日土曜日

紫陽花の道

  アジサイの見ごろである。ウチらの県でアジサイの名所は幾ヵ所もあるが規模の大きさと見事さで有名なのは「大川原牧場付近」と牟岐の近くの「アジサイロード」である。見に行きたいが前者は神山奥の高原であり、牟岐もここからは遠い。手ンごろ易くはいけない。大川原牧場のアジサイは昔見に行ったことがあるが、牟岐の「アジサイロード」はまだ見たことがない。アジサイ咲き乱れる道をそぞろに歩きたいと思っていた。

 ところが数日前の地方新聞に近くで手ンごろ易くいかれる「アジサイロード」の記事が写真とともに載った。JR文化の森駅のすぐ近くの園瀬川の土手沿いである。ここなら自転車でも行かれるし、切符を買っても210円である。昨日、一緒に見に行ってもいいという連れもいたので園瀬川のアジサイロードを少し歩いてきた。遠景に見えるのはJR文化の森駅。


 小雨もよいの空ではあるがアジサイは雨天・曇天に引き立つ花である。ある意味このような天気はふさわしい。空を見ると分厚い雲は低く、雲の底は乱れている。一本スックと立つアジサイを見ていると北海道のエゾニューの花にどこか似ている。


 アジサイの花言葉は「移り気」だそうで「移り気」はあまり良い意味には使われない。でもこれを「ゆらぎ」としたらどうだろうか。「ゆらぎ」はどのようなモノにもどのような時にも本質的に存在する。アジサイとこの本質的な「ゆらぎ」でそういえば以前、ブログを書いていたことを思い出した。(ここクリック・題『アジサイに宇宙を見た』

 園瀬川アジサイロードの動画