2021年3月29日月曜日

春の風物誌と長閑にやりすごせん

  昨日は曇り時々小雨の一日、今日は打って変わって晴れてはいるが、天気予報で強調しているように今日から黄塵が舞い、かなり視界が悪くなるとのこと。確かに遠景ではなくとも町中が白っぽくかすんでいる。予報官は「黄砂」と言っているが、日本に舞う大陸飛来物質は粒子が非常に細かいので黄砂というより「黄塵」のほうがふさわしい。

 昨日は小雨で今日からかなり広範囲な「黄塵」、これ、天気の配列が、黄塵⇒小雨、となると黄塵も洗い流されてすっきりするのだが、そうはならず小雨の次の日が黄塵となった。いやな物質が天然の雨で洗い流されるといいのだが、そうはうまくいかない。でもまぁ、日本は雨が多い国なので待てば雨が大方洗い流してくれる。大陸北京より西部が黄砂・黄塵の本場だが、このあたり冬~春先は極めて雨が少なく乾燥しているので黄砂黄塵は舞い放題、華北あたりは大変なことになるようだ。特に近年、乱開発で土壌や地上水、地下水にダメージを与えているのでその黄塵の規模、量とも半端ではない。中国だけで収まるなら自業自得と突き放しもできようが、偏西風にのって他国まで飛んで悪さをするとなると他人事では済まなくなる。

 洗濯物を干すときに付着することも問題だが大陸飛来の微粒子がのどや鼻に悪影響を与え呼吸器疾患を引き起こすのがもっと問題だ。昔は俳句の季語、風物誌として「黄砂・黄塵」は詩歌に取り上げられたりして季節感を楽しんだが、今はその量・質とも悪化しているのでそんな優雅な詩心に浸ってはいられない。

 川島岩の鼻の桜をご紹介します。(昨日撮影)

 桜と川島城

 岩の鼻から見た吉野川と高越山の眺め


2021年3月27日土曜日

今日は何の日

  日本ではキリストさんのお誕生日を知らない人はまずいまいが、お釈迦様の誕生日となると知らない人が多い。半数も知っていればいい方だろうか。キリスト生誕はクリスマスとして祝われるが、お釈迦様の場合も御生誕の日の儀式として(昔は結構盛大に民間でも行われた)灌仏会があり旧暦の4月8日(最近は新暦やる場合もある)にひらかれていた。だが現代はクリスマスほど一般化していない。私が小学生の頃は近所のお堂で灌仏会が開かれ、子どもで信仰心はないにもかかわらず、行って手を合わせば甘茶やちょっとした菓子がもらえたのでこの日のことはよく覚えている。

 お釈迦様の誕生日のことを知る人は少なくなったが、それ以上に知られていないのが、お釈迦様のなくなった(涅槃に入られたというが)日である。はて?いつだったかしらん、お坊様以外で知る人はまずいまい。誕生日が「灌仏会」ならこの日は「涅槃会」というが、この日は2月15日である(もちろん旧暦だ)。最近の傾向として、古くからの伝統行事も新暦の相当日で済まそうという傾向がある。

 「涅槃会も新暦の2月15日でええんとちゃぁうん、旧暦だと年によっていつに当たるかよ~わからんから、新暦(太陽暦)がつごうええやろ」

 などと涅槃会も太陽暦2月15日に合わせているということを聞くが、これはいささかまずい。二つ理由がある。涅槃会図は仏具画として千数百年にわたって描かれてきたが、上の「涅槃図」を見てわかるように涅槃図は横たわる釈迦を取り巻く弟子たちとともに沙羅双樹と満月は欠かせない重要ポイントである。旧暦の15日でなければ満月にはならないことがその理由の一つ、そしてもう一つはこれが私には最も重要だと思われるが、この日は必ず仏滅日になるということである。大安吉日という言葉で知られるように各日には六輝・(六曜ともいう)が割り当てられている。大安・友引・先勝・先負・赤口・仏滅の6つであるが、もし太陽暦の2月15日を涅槃会にしてしまうとこの日は上の6つのどれにでも当てはまる場合が出てくる。文字通り「仏滅」ならばすんなり受け入れれれるが、これがもし大安となると結婚式ではあるまいし、はなはだ(信心深い人には)不都合であろう。

 旧暦の各月が全部30日であれば6の倍数で永遠に月日と六曜が一致するが、ご存知のように旧暦は一月が29日の日もあるので月日と六曜は一致しない。それを避けるために旧暦は、お釈迦様のなくなった月の15日の満月の日は必ず仏滅になるように2月1日の前日の晦日がどんな六曜であろうとも2月1日は必ず「友引」となるようにしている。そうすると順次まわって2月15日が仏滅になるようになっている。このように各月の始まりの1日は前日とかかわらず指定された六曜になっている。だから旧暦で月がまたぐ晦日と一日の日は六曜の順序が違ってくる。一年は12か月あるので、1日が友引に指定される日はもう一度、旧暦8月にある。だから旧暦の8月15日(この日は中秋の名月だ)も必ず仏滅となる。

 その旧暦の2月15日が今日である。詳しい暦には小さな文字で旧涅槃会と書かれているが先も言ったように世の関心は少ない。

 昨日は眉山山頂へ桜を見に行ったので写真をアップします。

 山頂からの眺め


 桜とパゴダ、目立つのは放送の鉄塔であるが、その左、枝垂れ桜の枝の下に先端が少し見えているのがパゴダである。


 お釈迦様が涅槃に入られたあと火葬にされ遺骨遺灰が八つに分けられ(インドの)それぞれの国に持ち帰って塔をたて、なかに遺灰遺骨を安置し祀ったのがパゴダの起源とされている。

2021年3月20日土曜日

春分の日

  春分の日の今日、地元の札所・11番藤井寺にお参りに行ってきた。

 山門に続く小道の横はいろいろな種類の花木が植わっていて、春爛漫を思わせるようにそれぞれに花をつけている。手前の赤いのはボケの花であろう。


 境内は経木供養をする人であふれていた。コロナの影響で経木に灌水はしないようだ。その代わり坊さんがいて供養する経木を受け取っていた。

 本堂・御本尊はお薬師さまである。


 いつもは扉が閉まっている白龍弁財天のお堂が開いていて、弁財天のお顔が拝めるようになっている。



 昨日、たまたまインド史の本を読んでいて知ったのだが、弁天様がインドにいらっしゃったときの名は「サラスヴァティー」といい、インダス文明を育んだインダス川の支流(一番東の支流)がサラスヴァティー川といい、その名にちなんでいるそうだ。

2021年3月17日水曜日

天上の衰亡

  仏教の世界観(宇宙観といってもいいだろう)はどうなっているのか、気になって調べたことがある。しかし仏教的宇宙観を本格的に勉強したいと思ったなら、仏典の三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)の一つである論蔵の『倶舎論』を勉強しなければならないといわれている。しかし倶舎論は膨大な量に加え、難解で(つまりそれを読みこなすには前段階として多くの仏典を読んで理解していなければならない)いまさらとても原典を読むことなどできない。どうしてもそれについて簡単に解説した仏教・宗教学者あるいは哲学者のそれについての(仏教的宇宙観)本を読んで知ることになる。

 多くの人が最も興味のあるのはこの宇宙の「始原」であろうと思う。宇宙はどのようにして始まったか、いやそもそもその原初は、無から有を生じるというふつうはあり得べからざる事態が起こったのではないか、それはどのように無から有へと転換できたのか、もっとも根本的な問いはそのあたりになるであろう。この問いは現代科学の最先端の量子物理学を基礎とした宇宙論でも常に問題にされる。これらの科学的宇宙論は今のところ確かめようがないのでみんな「仮説」にすぎないが、その中でもっとももてはやされ、様々な解説書も書かれた仮説はホーキング博士の「宇宙の始まり論」である。この仮説によると無から有が生じたことが論理的に説明されているので、それが一般人まで人気を博した理由であろう。誰かが言ったが、この理論をもってすれば「神」つまり絶対的創造者の居場所は宇宙の始まりに必要がない。宗教や神学はこれによって大きく影響を受けるのではないかと。

 では仏教には宇宙の始原についてなにか神でも仏でもいい、創造に手を貸した「絶対者」がいるのかと問うと、これがいないのである。この点はキリスト教やイスラム教などの宗教と仏教の宇宙観の違いである。それじゃぁ、突然、なんの因果もないのに無から有(つまりこの世が生じたのか)、と疑問に思う。もしかして無・有とかいう対立を超えて、また始原というような時間の区切りなどのない時空を仏教は想定していたのかしらん。と思ったりしていた。しかしそれとも仏教は違っていたのである。

 仏教のといったがそれはあくまで「倶舎論」の話であるが、始原は現代科学の仮説の一つであるホーキング博士の宇宙論の言うように仏教も「何もないカラッポ」を想定している(もっとも仏教的宇宙論は円環的に栄枯盛衰を何度も循環するため宇宙が滅びた後の状態とも言ってよいが)。そこでこの倶舎論的宇宙で無から有への過程で登場するのが「業」(カルマ)である。これにひかれて宇宙が生じてくると説明されている。そう聞いても浅学菲才の私にはよく理解できないが、神や仏などの絶対者がいないのはわかる。また「業」にひかれて宇宙の生成云々、といえば仏教の根本思想の「業」「因果」「応報」などの述語が思い浮かぶ。仏教は宇宙の始原においては創造的絶対者を立てることなく仏教的論理によってその始原が説明されているのである。

 宇宙の仏教的始原についてはぼんやりとしたイメージしか湧かないが、宇宙が作られてからの仏教的宇宙の構造を理解するのはさほど難しくない。倶舎論もこの部分は非常に具体的で私が読んでいてもよくわかる。ただし科学的な懐疑の目をもって見れば、現代わかっている宇宙の構造には全く当てはまらない。仏教的宇宙の構造は重層になっている。よくご存じの地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界であるが詳細に見れば地獄はもっと細分化された階層になっており、上に位置する天上界はさらに細かく分かれ上方に重なっている。分類でいえば天上界は「欲界」から「色界」、「無色界」にまで重層して重なっている。

 われら有情(いきもの)はまさに「業」に引かれて生死を重ね、悪業にひかれれば下の界(地獄など)に落ち、善業に引かれれば天上界へ生まれ、何度も輪廻を繰り返すと教えるのが仏教の輪廻転生である。科学的に説明される宇宙しかこの世には存在しないと思っている現代人から見れば、このような宇宙は全くありえぬばかばかしい話と思われる。だがここでちょっと視点を変え、人類の発展・展開(進化といったほうがいいか)の時間軸を空間軸に転換すれば仏教の言うこのような重層的な各界は存在するのではないかと最近は思うようになった。

 倶舎論のいう宇宙(この世)の構造は今からおよそ2000年も前にインドで考えられた、そしておそらく極めて想像力豊かな人によって人間界の上方に「天界」が考えられた。なぜ想像力豊かな考えかというと、二千年前の実際に生きた人が想像出来得る限りの理想的な国として天界は描かれていてそこに住む人はもっとも好ましい性格や姿、形、を持っているのが天人である。具体的にいうと天人は、埃や垢のつかない清潔な体をしていて、病気とは無縁である、望むところへ素早く移動できる(空を飛ぶ)、お互いに意志疎通するのに饒舌なおしゃべりはいらない。ただ目くばせするだけで意志は通じる。もちろん寿命は人間とは比較にならぬほど長い。天上界は上方に行くにしたがってむき出しの欲望はなくなる。

 二千年前のインドの人が、もっとも良い国土、そして最もよい住人として理想的に考えられたのが「天界」であった。当時としてはこの地上には存在しないまさに天上の国であった。ところがどうであろう、(人類の歴史から言うと)わずか二千年しかたたない今、昔のインドの人が考えた「天界」に今の世が近づいてきているのである。人々は車や航空機によって高速に、望むところへ行けるようになり、多くの病気は克服され、夭折はほとんどなくなり寿命はウンと延びた。それに加え特に近年、スマホを各人が持つようになった。これなどは倶舎論でいわれた天界の天人の意思疎通の手段とほぼ同じである。

 倶舎論宇宙が考えられて二千年で人界はこの進化である。人類の歴史に過去世と同じ長さの未来があるとすればあと何万年か過ぎればさらに進化の度合いは深まる。人界はどれほどの変化が起こるであろうか。倶舎論で考えられた重層的な天界の最上階くらいの状態に達するのではないだろうか。天界は数十も上に重なっているが最上階は「非想非非想天」といい、そこまで達するともはや天人は肉体を持たない、いわば精神のみの世界となる。例えが間違っているかもしれないがこうなるともはやプラトンのいう「イデア」、精神のみの理想世界である。はたして人類の進化が数万年続けば肉体を持たない精神のみの人が生まれるのであろうか?わからないが可能性としてはありそうである。この人界の進化の時間軸を空間軸に転換し、上方に積み重ねていけば人界から始まって数十ある各天界が積み重なり、まさに倶舎論の言う宇宙論と相似する。

 天界の最上階の『非想非非想天』(有頂天ともいう)は、精神のみの天人世界であり、肉体を持たないので滅びや衰亡とは無縁であるように思われる。イメージとして考えるならキリスト教やイスラム教の言う『天国』であろうか。彼の宗教のいう「天国」は絶対的な、ということは滅びも衰亡もない永遠の楽園である。しかし仏教は違う、最上階の『非想非非想天』ではあっても必ず滅する秋がやってくる。衰亡し滅する、これは間違いのない仏教の本質といっていい。

 中世の説話でもっとも面白いと思われるのは「今昔物語」である。面白すぎて高校の古典でとりあげられるばかりでなく、幼児向けの絵本にまで取り上げられている説話である。この三十数巻ある説話の第一巻第一話にいきなり「天人の衰亡」(天人五衰)が配されている。現代人が今昔物語について語るときは下世話なおもろいはなしに焦点が当たっているがこれはそもそも仏教説話集である。その一番大切な最初の巻に、たとえ天人であっても衰亡し滅することからは免れられぬという話を持ってきたのは仏教説話の筋立てとしては当然である。

 それはお釈迦様の前世譚として語られる。お釈迦様も前世では数え切れぬほどの輪廻転生を繰り返して来たのであるが釈迦として生まれる直近の生は「天界」にあった。永遠に続くかとも思われた楽土における衰亡は突然にやってくる。それは天人に五衰の相として表れる。次のような五つの兆候である。

1、瞬きするようになる(天人は瞬きしない)

2、頭上の花鬘の花が萎む

3、衣に塵、垢がつく

4、脇より汗が流れる(天人はふつうは汗など流れない)

5、本座を楽しまず、とある、解釈すると安住できずあちこちをさまようことであろう。

 ここに滋賀県聖衆来迎寺所蔵の国宝・六道絵がある(13世紀作)の六道絵の中の天人部にその天人の衰亡しつつある天人が描かれているので見てみよう。

 まず天人の国の概観を見てみよう。天空には天人が舞い、思うところへどこでも飛んでいくことができる。

 

地上ではこのような楽園が広がっている


 その中によく見ると何か疲れた様子で、地にへたり込んで頬杖をついて横になっている天人がいる。

 これが五衰の相を現した天人である。このあと衰亡そして消滅(死)が待っている。別の絵図で拡大してみるとこのようになっている。

 釈迦の直近の前世はこのように天道の国の住人であったが五衰の相を現し、天上国で滅して釈迦国の王子として転生するのである。仏教的宇宙の最上層の天上の国の住人は数万年生きるともいわれている、それでも衰亡消滅は免れないのである。いや天人の衰亡滅亡どころか、この宇宙そのものも倶舎論の説くところによればきわめて長い時間(劫)をへて壊れてゆき消滅がやって来るのである。

2021年3月14日日曜日

東新町で阿波踊り

 東新町で阿波踊りをやっていた。露店もたくさん出店していた。なんやろ?



精神安定剤

  高齢者の多くに睡眠障害があるといわれている。障害といっても全然眠れないというような極端なものはなく、たいていは眠りが浅い、何度も目覚める、暗いうちに目がさめたらもう眠れない、などである。私もそうである。対処として何か自然に無理なく改善できればいいと思う。しかし、私の場合、安易にかかりつけ医で処方してもらった「精神安定剤」のお世話になっている。

 薬に頼るのはいけないとわかってはいても、寒く、暗く、孤独な室内では極端に早く目覚めるのはやるせないのでついつい連用してしまう。その副作用だろうか、安定剤との因果関係はよくわからないが、部屋で一人でぼ~っとしていると、不安にとらわれてくる。冷静に考えれば実体がある不安ではなく、漠然としたものであるのだが、その不安は去らない、しょ~ぉもない不安といいたいが、しかし考えると根底には、晩年になった人の根源的な不安原因があると思える。それは確実に来るであろう、自律できなくなる(つまり、最終的には排泄食事もままならぬ不自由な身)未来、そして最終的な死、死そのものは受け入れられても、短いか長いかわからないが断末魔の苦しみ、など、たしかにそれらは根源的な不安になろう。

 しかし高齢者になっても大抵の健康な老人は、家族の団らん、子や孫の成長を眺める喜び、日常の些末ではあるけどちょっとした喜び、あるいは年寄っての生きがいの仕事、などにそのような不安は時たま思い出すにしても、普通は「こころ」は楽しいことや、日常の行動にそれを忘れて集中することになって、のべつ不安が疼くことはない。ということは私の不安がなかなか去らないのは、老人性の鬱か、先に言ったように精神安定剤の副作用だろうか。しばらく安定剤の服用をよそうかなと思っている。またこれから暖かくなるので自分でも、気がはれるような戸外の活動を活発にしてみようかなとも考えているが、年々、老化で体力気力も落ちているのでそう元気いっぱいの野外活動はできそうもない(去年足をへし折ったのはほとんど治ったが)。陽気な家族や心の許せる友が多くいる老人がうらやましいが、いまさらどうできるものではないから、人間関係で不安を解消するのは難しい。

 昨日、久しぶりにロバをみた。クローバーをチミ切って、両手いっぱいに差し出すと、私の方にポケポケやって来ておいしそうにむしゃむしゃ食べた。若いころならこれだけでもちょっとうれしい気分になれたが、今はそうはなれない。



2021年3月11日木曜日

3月11日

  あの東北大震災から今日でちょうどまる10年である。そのころからマイブログを作っていたので見てみると、前日(10日)は「徳島城公園で青春を見る」と題して、春の平和な日そのものの描写であるが、ところが次の日(11日)のブログは、息をのむようなテレビ中継に見入っていて、ごく簡単な記述のみ、したがその日のブログである。

『2011年3月11日金曜日

3月11日午後2時46分

 TVの津波を見て息をのんでいます。信じられないような光景です。人的な被害がないことを祈って・・・・・、しかしTVでは死者の数を報道し始め、それが増えていっています。

 通信がつながりにくいことも言われています。このようにブログの為インターネットを漫然と使うのもはばかられます。今日は慎み、TVを見守りながら、できるだけ多くの人の無事を祈ります』

 結局死者行方不明を入れると2万人近い人が犠牲になった。物的被害は天文学的数字になった。10年たち復興は進んだが、影響はまだ残っている。

 歴史を紐解くまでもなく、戦争、疫病、そして大規模自然災害は繰り返し繰り返し襲ってくる、人類が受ける大災害は、(地球の寿命からすれば)私の生きた70年など須臾の間だろうに、それでもその短い70年の間に何度も起こった、そう考えるとまた近いうちに襲ってくるのが常態であると認識できる。現に今世界的規模でパンデミックが起こり、多数の死者が出ている。

 真の平安、安楽な世は、宗教の説くこの世から離れた天国や極楽のような来世にしかないのであろうか。

 十年前の今日も蜂須賀桜は満開であった。人の気も知らぬげにまことに美しい花をつけ咲き誇っていた。下は昨日の満開の蜂須賀桜並木


 帰りの汽車の車窓を眺めていると、徳島平野の西に今まさに日が沈もうとしている。時刻を見ると5時58分であった。沈む夕日、そして迫りつつある夕闇に向かって走っていると、かなり感傷的な気分に陥ってしまう。


 

2021年3月4日木曜日

古稀

  ブログを作るのもおっくうになってきた今日この頃ですが、久しぶりに投稿します。

 この月は私の誕生月である。満でちょうど大台に乗った。長寿が少なかった昔は『古稀』と称してお祝いをしたものだ。読んで字のごとく(その歳まで生きるのが)「古来より稀なり」である、だが今はちがう、半世紀前に成人した同世代もほぼ同じ数で古稀を迎えるのであるから、なぁんちゃ稀ではない。


われはなにして、老ゆるらん、おもえば、いとこそあわれなれ、今は西方極楽の、弥陀の願いを念ずべし(中世歌謡、梁塵秘抄より)


 昨日、市役所の食堂で定食を注文すると、バラ寿司、そば米汁、に雛あられがついていた。

 「あ、今日は雛祭りの日だ」


 よく行く図書館センターの一階ホールには段飾りがあった。