2020年1月16日木曜日

落ちてきた星に由来する寺

 寺の由来によれば、今から1230年も昔、天空に悪星が現れ、人々に様々な災厄をもたらしていたが修行中の若いお大師さんが悪星を祈り落とす修法を行った結果、悪星は堕っこちてみごと災厄も消滅したそうである。その堕ちた悪星がある山の頂上付近の松に引っかかり、それを拾ってお大師さんが妙見大菩薩の神像を刻み、堕ちた場所に本尊としてお祀りしたのが一昨日行った取星寺である。

 これは信仰の由来記なので実際科学的にどうかというのもおかしいと思うが、まず星が落ちるといえばすぐ隕石を思い出す。隕石の中にはかなり鉄の含有率の高い(というかほとんど鉄の塊の隕石もある)ものもあり、それを精錬して「刀剣」を作った例もあるから。落ちてきた星を別のものに作り替える話は実際にあることである。

 悪星が現れて悪さをするという話は日本歴史の古代中世にはよくある(さすが近世にはなくなる)。有名な話では太平記巻五に「天王寺の妖霊星」というのが出てくる。そこには『天下将(まさ)に乱れんとする時、妖霊星(ヨウレイボシ)と云ふ悪星下って災ひを成すといへり‥』とある。この後鎌倉幕府は滅亡し、戦乱が起こるので、この妖霊星という悪星は災厄を引き起こしたと信じられたのである。その妖霊星は具体的にどのような星で、当時天空に見えたのかどうか太平記には書いていないが彗星(ほうき星)の類ではなかったのかと推測する歴史家もいるようである。

 それからこれは私がまだ20代の頃、鞍馬山の山中の遊歩道を歩いていた時、お堂があってその由来説明板には次のようなことが書かれていたと記憶している。今からはるか昔、ン~ん万年前に金星から大魔王が下ってきた、大魔王は地上に降りると悪さをするのではなく何故か人々を守る護法の仏になってこの鞍馬山に鎮座したというのである。

 このように悪星だの金星だのが地上に降りて(堕ちて)云々、という話は中世の説話をさがせば他にもありそうな気がする。この取星寺の由来も上の二つの話が混ざり合ったような話である。

 この取星寺のある山はお大師さんが修行していた加茂谷の大龍から視界に入る距離にある。想像のイメージをウンとふくらませば、夜も日もなく真言を唱えている深夜、ついにお大師さんの加持力によって天頂にあった悪星がシュッと流れ星になって視界の果てにある取星寺の山に弧を描いて落ちた・・・というような図を思い描く。

 平地にある岩脇水際公園(桜並木で有名)からみた取星寺の山である。低い山である。

 下が一昨日行った取星寺の本尊が祀られているお堂である。本尊「虚空蔵菩薩」(本尊は二つあって別の場所に妙見大菩薩も祀られている)とある。そしてよく見ると(鰐口の左横)その時お大師さんの誦していた虚空蔵菩薩真言の「・・・アリキャマリボリソワカ」と書いた板が張り付けてあって真言を知らないあるいは忘れた参拝者の便宜をはかっている。上半分は隠れているがちゃんと書くと
 『なうぼう、あきゃしゃきゃらばや、おんありきゃ、まりぼりそわか』である。(真言宗の諸派によっては少しちがっている)

 このお堂にはモダンな壁画が描いてある。稚児姿なので十代のお大師さんである。一見したときは天空に輝く満月を見上げているので密教の瞑想法の一つである『月輪観』(がちりんかん)かな、と思ったがよく見ると一条の光線がお大師さんの胸に飛び込んでいるのをみて、
 「あ、これ、虚空蔵菩薩求聞持法の、ほれ、明星が体に飛び込んで、梵我一体(即身成仏?)となる神秘体験じゃわ」
とわかった。

 取星寺の本尊を拝んだ後、山頂(低い山だがちゃんと山頂になっている)に登り始めた。山道には古い石仏がたくさん並んでいる。山頂近くに、その悪星が堕ちたとき引っかかった松の場所が「星かかり松」史跡として残っている。また後に真言密教に溶けあるような形で「弥勒下生信仰」も存在したのか(?)山頂付近には600年前に経典を筒に入れて埋めた経塚もある。
 下がその星の堕ちたところ、山頂、経塚の動画である。また山頂付近は眺めがとても良い。

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