2013年6月9日日曜日

ウェブの幽霊


 もう30年以上も昔であるが、全国を放浪していたとき、安宿に泊まることが多かった。さすがに江戸時代の木賃宿のように大部屋で雑魚寝ということはなかったが、狭苦しい個室で宵のうちを過ごすのはなんとなく気詰まりで、共用娯楽室・談話室のようなところにみんな集まり、みんながそれぞれ話をし、楽しんだものである。

 全国放浪するのは変わった人が多く、人嫌いも多いが話好きも多い。そのなかで中年の巫女さんのような人と話をしたことがある。見るからに霊感の強そうな人であった。詳しい話は忘れたがわたしがズバリ、その人に

 「死後の霊魂を信じますか?」

 と聞いた。そのおばさんはその質問にはあるともないとも答えず、

 「人の(念)は残るものよ」

 と言った。

 霊魂でなく『念』、いったい念とは?「念」、強いて私が訓読みするとすれば(音ではネンだが・・)どうだろう「・・・おもい」とでも読もうか。死しても「おもい」は残る。信じる信じないは別としておばさんの言う意味はわかる。じゃあその残った「念」・おもい、は何らかの「働き」があるのだろうか。

 そのおばさんはある山中の寺で泊まったときその『念』を真夜中感じたそうである。と言うことは何らかの能動的な作用をもたらすものなのだろうか。

 何十年もたってこの話を思い出したのは最近、今月号のオピニオン誌『S45』でのある論文を読んだためである。

 そのオピニオン誌の今月の主要テーマは『反ウェブ論』、その主題で10本くらいの論文が掲載されていた。このような項目が並んでいる。

  主要テーマが「反ウェブ論」ときて、項目第一が『ウェブはバカと暇人のもの』とくればだいたい内容が推察されようが、私が注目したのは7項目目にある『死んでからも残り続ける「正の痕跡」』である。

 私はブログを作っている。しょうもない日記形式のものだが、これ、もし私が死んだらいつまで残るものだろうか?という疑問を常々持っていた。この論文によるとウェブに投稿された内容は、特別に意図して削除しない限りは半永久に残るそうである。

 保存期間が決められている公文書のように何十年かその期間が過ぎれば破棄されると思っていたがそんなことはないのである。この論文によると大本のウェブ管理者がこれらのウェブの内容を破棄するのに結構なエネルギーがいるそうであり、むしろ何もせず、放置し、そのままウェブ上に残すほうが負担が少ないそうである。

 本人が病気あるいは不慮の事故で亡くなっても、その人のウェブ上の痕跡は永遠に残ることになる。その人が生前どのような内容をウェブ上に残しているのだろうか?わからない、わからないが、それはウェブ上を永遠にさまよい、クリック一つで即時に飛び出してくるのである。

 それは「ある思い」・「念」であるかもしれない。何十年も前に中年の巫女さんの言った

 『念は残るわよ~~~~』

 という言葉が思い出され、不気味に響いてくる。霊魂は存在しないかもしれないが、『念』はウェブ上に残り、幽霊のような作用をもたらすかもしれない。

 この論文は次のように締めくくられている。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

念とは、字の構成から言って、「今の心」ですが、それが残って記憶されたりすると厄介ですね。私は過去についてあれこれ論議するのは時間の無駄と思っていますので、あまり好きではありません。今現在を前向きに考える、これが念ですね。過去の過ちや失敗について考え続けるのは、考えただけでもゾッとします。ネット上のデータは過去の痕跡くらいに思っています。ネットはヴァーチャル現実が生んだ、更なるバーチャルですから虚無以外の何者でもないと言いきっている人もいますよ。(*^^*)

yamasan さんのコメント...

この巫女さんの言った「念」については何か超能力的なパワーという受け取り方をしました。念動、念力、念写・・のような

 ウェブに巣食う「念」というものがあるとすれば、何かあるものを突き動かせるポテンシャルを持ったエネルギーやエントロピーのようなものじゃないかと思ったりします。

 ヒトの脳の構造もウェブとよく似ているとのことです。その中に森羅万象すべてがおさまっているんですからね。脳が現実でウェブがすべて虚無でバーチャルと割り切れるでしょうか。