2013年3月2日土曜日
傷の処置
昨夜、思わぬ怪我をした。動転し、怪我にもかかわらずバタバタした。前の怪我は「指ポキリ」なので、自分ではどうしようもなく幸いけがから近い場所にあった県立中央病院の緊急にすぐタクシーで行ったので自分で処置することはなかった
ところが昨夜の怪我は、けっこう深いとはいえ「擦り傷」である。病院へ行くこともあるまいと自分の家に帰っての自己処置である。ちょっと厄介なことになった。
というのは、家に帰って救急箱を開けると、薬やばんそうこう、包帯が入っているが、実は私は今まであまり怪我をしたことがなく使ったことがなかった。中身を見ると前世紀の遺物ばかり、つまり、期限切れで20年は経過している薬である。包帯はエジプトのミイラに巻いたように変色しているし、バンドエイドらしきテープのパラフィンは触ると粉々に砕け散った。消毒綿だのガーゼなどは見当たらない。
『こりゃぁ、あかんわ!』 『薬屋に買いにいかなあかんわ』
とりあえず、水で洗った後、止血しなければならないが、薬箱がそんな状態でしかたないので、マッサラピンピンのマスクをとりだし、ガーゼの代わりに手に押し当て緊急にガムテープでとめる。そのあと自転車で近くの薬量販店へ行って外用薬、テープ、カット綿、ガーゼを買う。
怪我などはしないに越したことはない。怪我をしたら即、病院という人もいようが、ちょっとした怪我はまず自分で処置するものだ、いざ、その時になって、薬箱の中身が・・・・・ない!役立たない!・・では困る。普段から準備を怠るべきではない。
「ワイのようにあわてんように」
それで思い出すのは、昔の、エッチラ・オッチラ全国行商の「越中富山の薬売り」である。こんな人知ってますか?知ってるのはまずワイより上の年齢の人だろう。
薬売りさんは子どもの頃、毎年一回家に回ってきて一年使った薬を確認し、代金の清算をする。そして古くなった薬は新しいのに交換してくれる。つまりはいつも新しい常備薬が薬箱に保管されているのだ。薬箱は厚手の段ボールで作った引き出しの箱だった。そして回収に来て清算する時にはワイら子供にはちょっとしたおもちゃをくれるのが習慣だった。こんな紙風船だったが・・・
そんなエッチラオッチラ薬売りさんも昭和30年代が終わるとともにいなくなった。
そうそう、こんな戯れ歌も歌ったっけ
♪~越中富山の薬売り~♪、鼻くそ丸めて万金丹、馬のションベン水薬~♪
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3 件のコメント:
同じような薬売りは今でも健在ですよ!
たしか「布亀」とかいうやつで、もういいから持って帰ってくれと言ってもなかなか持って帰らなんだな~引っ越しして黙ってたら丸儲けなんやけどな~遅かったな~ざんねん(^<^)
そうですか、今でもあるんですね。私が十代の時になくなったものと思っていました。
ところでその置き薬の箱は今でも上記のようなものですか。それだと懐かしいですね。
今、保険診療費を安く抑えるためジェネリックを奨励してますね。この私の知ってる昔の置き薬はジェネリック薬でした。
サロンパスならぬコリパス。正露丸ならぬ正羅丸、メンソレータムならぬメンタームなどです。名前からしてちょっとええ加減な気もしますが。
お大事に
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