2012年10月17日水曜日
なんで鎌倉なのか
久しぶりのお湿りである。暑くもなく寒くもないこの時期の雨はしっとりとして気持ちよい。いつものように図書館のパソコンからの投稿である。
窓から見える眉山も雲がまとわりついて墨絵を見ているようである。
体調がよければ今頃鎌倉を歩いていたのかなぁ、と考える。なぜ長崎の次は鎌倉か、どうして?と聞かれるかもしれませんね。
私のような歴史好きにとって2つの町とも何度でも行ってみたい町なのです。
江戸時代三都、といえば京、江戸、大坂です。これに長崎を入れて4都市とすることもあります。それだけ重要な町だったのです。だから近世の歴史好きには行ってみたい町はこの4つといいたいところだけど、東京、大阪は近代的な建物が立ち並び歴史的な風致はほとんど残っていません。だから行くとすれば、京都、長崎です。
じゃあ、鎌倉はどうでしょう。これは中世都市の中心なのです。中世(鎌倉時代~室町初期)にかけて二都といえば、京、鎌倉です。
だから鎌倉巡りは長崎と違って中世前期の歴史物めぐりの旅でもあるのです。
例としてこのブログでも取り上げたものをご紹介しましょう。まずはこれ
ここクリック
鎌倉の地形はありがたいことに公共事業とやらの大土木事業で周りの山やヤツといわれる谷筋をぶち壊していないので、街中や周辺を歩くことによって、当時の鎌倉を白昼夢で見るという私の才能でもある妄想をかきたてることができます。
この絵巻のあたりは鎌倉のどのあたりでしょうかね。
次の2例目はこれ
ここクリック
私は鎌倉周辺の地理には詳しくありません。この片瀬の浜がどこにあるのか知りませんでした。先日鎌倉旅行を企て、江ノ島へ行く方法を模索していました。
江ノ電に乗って稲村ガ崎(ここも鎌倉滅亡の重要な歴史拠点だ)をとおり行くのが一般的だが、もうひとつのルートを検索していた。
このブログ取り上げた私の大好きな一遍上人の宗派の大本山が藤沢にある、そこも見学経由して行けばよいと考え小田急で江ノ島へ行くルートです。
そのルートの最終地駅が小田急線『片瀬江ノ島』だったのです。
「片瀬浜とは江ノ島の近くだったのか!」
これはこのルートでぜひ行ってみたいと思いました。今では一遍さんの時代の念仏踊りに代わって江ノ島や片瀬浜では、若いおねえちゃんやお兄ちゃんのブレークダンスやモダンダンスが見られるかもしれませんね。
それはそれでまた妄想を掻き立てられます。
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2 件のコメント:
当時、私もいきなり転勤で「なんで鎌倉なん?」って思いますしたが、今思えばいいところに住んでたな~と、つくずくおもいます。山が多く自然が残されている中に歴史的な建物や名所があり、尚且つ幹線鉄道や道路もあり都心まで一時間の立地に加え湘南の海に箱根の山などリゾート地の要素が近辺にちらばっています。人生においてこのような素晴らしいところに7年間も居れた事を幸運におもいます。(^_^)v
まったく羨ましい限りです。鎌倉なんか住みたいと思って住めるところではありません。
私のイメージでは大金持ち、文化人、芸術家のそれも大物が住むところと思っています。
夏は海風で涼しそうだし、逆に冬は暖かそうですね。
しんさまが垢抜けしてるのは(逆は、泥臭い、で、こりゃ、私だ!)ここに住んでいたからなんですね。
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