2023年12月21日木曜日

初雪

  今年になって市内での初雪は四日前の今月の17日だが、全然気づかなかった。しかし今朝、白く飛ぶように舞う雪を見たのが私の実質的な「初雪」だ。みぞれに近い降雪だったため地表ではとけて跡をのこさないが、眉山の上の方はうっすらと雪化粧している。


 一週間前には最高気温が25℃の夏日にせまるくらい暖かかったのに、まるでジェットコースターのような気象の変化だ。明日はもっと寒くなりそうだ。そして明日は冬至、各地の温泉施設、銭湯では「ユズ風呂」をふるまうそうだ。ユズ湯にはいると風邪をひかないという、ぜひ入らなくてはと思う、効能はともかく冬至の風物詩の風情を楽しみたい。

2023年12月18日月曜日

初冬

  数日前までは夏日にせまる気温(市内で24℃近く上昇)であったのに一昨日からは強い木枯らしが吹き、気温も下がり、昨日今日と最高気温でも10℃に達しない寒い日になった。遅くまでたくさんの黄色い葉っぱをつけていた銀杏も、ご覧のようにおおかた吹き飛ばされ、手前の銀杏などは冬木立となっている。今日のローカル紙の一面には雪化粧の「かずら橋」の大きな写真が載っていた。いよいよ冬到来だ。


 寒くなると家で過ごすときは暖房が必要だが、灯油は高いし、持ち運びにも不便であるから、私の暖房はホットカーペットの片面を使い、そのうえで過ごしている。寝る時は電気毛布である。一番手軽で金のかからない暖房だが、やはり石油ファンヒーターやエアコンで室内の空気を温めるのが一番快適だ。どちらもあるにはあるが、先に行ったような経済的理由で使っていない。

 石鹸がちびたので新しいのを買った。石鹸で手や体ばかりか、顔も頭も洗う。頭は普通はシャンプーだろが!と言われそうだが、頭はほとんどハゲチョロ毛になっているので、私にはシャンプーもリンスも必要ない。ただ、顔も頭皮も洗うので刺激性の少ない石鹸を使っている。ベビー石鹸である。いつもこれを使っている。無造作に袋を破いて使うのだが、今回は袋の表示をみた。「カネヨ石鹸株式会社」と製造所が入っている。それを見て、あ、今やってる朝ドラ主人公のモデルの「笠置シズ子」が歌手引退後、女優となり、その時に唯一でたテレビコマーシャルがこの「カネヨ石鹸」であった。

 しょうもないトリビアな話である。右が私の使っているカネヨ石鹸である。

2023年12月16日土曜日

久しぶりの温泉郷情緒(八万温泉)

  昨夜はいつも行く銭湯が定休日だった。銭湯の大きな浴槽で入浴すれば、心身のリラックスになるのでだいたい毎日通っている。とはいえ、この銭湯がお休みの日には、他の銭湯に行くこともなく家に居る。しかし昨日は12月も中旬というのに異常な暖かさである。暗くなっても気温は下がらず、まるで夜桜見物の時節のような夜気である。

 夕暮れが濃くなる時、空を見上げると天頂部の濃紺色が西へ行くにしたがい浅黄色のグラジュエーションとなり、遠くの山際はまだ残照の茜色が少し残っている。その少し上には細い細い月が出ている。今日は旧暦の2日だ、月が細いのは当たり前だ。外気は春四月のような温かさ、そしてこの夕景と言い、陽気と言い、外歩きをいざなうような雰囲気である。それにのせられ、うかうかと外歩きにでた。シャツの上に薄いジャンパーを羽織っただけだが全く寒くない。むしろ歩けば汗をかいてシャツを脱がなければならなくなるかもしれない。

 すこし歩いて、ふとあることを思いついた。まるで天からの贈り物のようなこの陽気と夜景のすばらしさ、この中ならどこまでも歩いて行けそうな気がする。でもどこまで?そうだ!どこか温泉らしい温泉まで行って、入浴してこよう、まだ時刻は午後5時過ぎである。以前場所を確かめた眉山裏の山ふところにある「八万温泉」なら、夜でも迷うことなく行きつけるし、遅くなっても帰れるだろうと。

 最終バスに乗り込んだ。夜のバスの雰囲気もなかなかのものだ。乗客の半分はスマホをいじり、その液晶の明るさで顔をぼんやり浮きたたせている。後の半数は半睡状態なのか目をつぶりバスに揺られている。それでも乗り越すことなく、ピンポンピンポンと停車ボタンの音が聞こえるとともに一人また一人と降りていく。数少なになった乗客を乗せたバスはやがて私の降りる「園瀬橋」についた。


 そこは徳島の市街地から遠く離れたところ、家もまばらである。園瀬川堤防沿いの遊歩道は真っ暗である。夜歩きの時にいつも携帯しているライトが頼りである。右手奥に眉山裏の山影が暗く浮き出ている。その山の谷筋の一つ、長谷(ながたに)に目指す温泉はある。以前明るい時にこの遊歩道をあるいて温泉までたどったので夜歩きでも不安はない。真っ暗の遊歩道を携帯ライトで照らしながら歩く。時々堤防上の道路を走る自動車のヘッドライトがまぶしく過ぎてゆく。



 遊歩道の終わったところから右へそれる。眉山山系の谷の一つに入っていく。少し歩くと榎(エノキ)の塚に行き当たる。そのすぐ横はもう八万温泉の駐車場だ。この榎の塚、夜はなんか不気味だ。もし横に八万温泉の明るい光がなければ暗くなってこの横を通りたいとは思わない。昼見ると江戸時代から信仰されてきた石仏群が榎の周りに配され、歴史文化好きな人の興味を引く(私もその一人だ)。左が昼見たその「榎の塚と石仏群」。天保二年の年号がある石仏がある。およそ二百年前の江戸時代である。大昔の人はこの榎の塚の石仏にどのような願いをかけたのだろうか。

 ついたのは8時少し前、市内の人にはよく知られた郊外の温泉であるし、また週末金曜日の夜とあって、人混みを予想していたが、なんと人少なく、玄関からガランとしている。チケットを買って入るが、ロビーからもう山の中のちょっと鄙びた温泉の雰囲気を漂わせている。「いいぞ、いいぞ」。洗い場も浴槽もゆったりしている上に人も少ない。かけ湯をし、広い浴槽に身を沈める、深さもあり、湯温も私好みのぬるめである。思い切り腕足を延ばす、浮力のためたゆたう気分がまた爽快。横にはさらに深いジェットバスもあり、これも試しに入ってみる。肩や腰に当たる水圧が筋肉をほぐし神経を弛緩させるのだろう。圧力に少し身を抗するが、気持ちよい。整形外科系の病に効きそうである。

 もっとも気に入ったのは露天風呂である。サウナは嫌いなので素通りしてその横にある出口から外へ出るとそこが露天風呂、うすぼんやりの灯り一つなので、露天の岩風呂、露台の椅子などが幻想的である。何よりいいのは湯船の入り口近くに大輪の白い八重椿(山茶花)がたくさんの花をつけていたこと、暗い中の白い花弁、そして椿(の種類)の木というのが、私の露天風呂はこうあるべし、という好みにまさにぴったりだ。あれはいつのことでどこだったか? 

 そうだ、もう三十年以上も前、九州阿蘇外輪山と九重連峰の境あたりにあった温泉郷「黒川温泉」の露天風呂だった。このような岩風呂風の露天だったのと、露天だが上には覆いかぶさるような紅椿の花が満開だった。そして露天の湯船につかっていると椿の木からポタリと花が湯面に落ちたっけ。三十年以上たっても今も心に残る椿の露天だった。この八万温泉の露天に入り、白の八重椿を眺めているとその時の気分がよみがえってくるようだ。身も心もゆったりと露天風呂に入り咲く椿を眺める。もし天寿国(極楽・浄土)がこの世にあるなら、このようなところではあるまいか。いつまでも浸っていたい私であった。

 上を見上げると覆う椿はないが満天の星空である。しみじみと眺めていると、同じ露天から出て、そばにあるベンチに腰を掛けている老人と若者の会話が聞こえてくる。暗い露天から満天の星空を見上げているのは私だけではないようで、老人の「あの星は何だろう、まるで六つの星が固まったように見える」というと、若者は「どこどこ」と探しているようだ。ふたりとも「なんだろうなぁ?」と疑問のようである。私のお節介の虫が騒ぎ出し、話に押し入る。「あれは、スバル(昴)、昔の人は、六連(むづら)星ともいい、六つの星が蛍のように集まっているようにみえます」と話をすると、「そうかスバルか」、とちょっと感慨深げであった。私も椿の花だけでなく、満天の星空にスバルまで見えて、もういうことなし!

 山の谷に入ったところにある人少ない温泉、夜がもっとも長いこの時期、満天の星空と椿の花が見られる露天温泉、東北や九州の奥深い山ふところにある鄙びた温泉に入っている気分満喫である。温泉を出て40分も歩かなければならない帰りの夜道も、その余韻に浸り、幸せな気持ちを持ちつつ歩く足取りは軽い。浴衣でもいいような暖かさ、下駄をカラコロさせてと言いたいが、ズックでひたひたと歩き、文化の森駅で夜汽車を乗って帰った。
 

2023年12月14日木曜日

まだ晩秋の風情が楽しめる

  師走になっても暖かい日が続いている。3日前の雨の後少しは寒くなるかと思っていたが、昼は歩けば汗ばむような温かさである。雨の日でも、小寒い時雨というより、生暖かい春の日の雨のようである。

 そのおかげでというか、紅葉の見ごろがまだ続いている。テレビの気象ニュースでも今月中旬まで「紅葉」が楽しめるといっていたが、まさに今日この頃だ。

 昨日のローカルニュースで、喬木の「タイワンフウ」の紅葉が見ごろでとても美しいとの報道があったので、見に行った。ニュースで取り上げていたのは徳島市役所横の公園のタイワンフウだ、ここの喬木はほとんどがタイワンフウなので、天を覆うように枝葉を伸ばしドーム状になった赤やオレンジの紅葉、そして下には絨毯のように敷き詰められた落葉がとても美しいらしい。

 昼過ぎに行って撮影したが、素人の私である。光線のアングルなどを全然考えずに行ったため。撮影しながら、「こりゃ、来る、時間、間違ぅたわ」、というのも昼過ぎは光線の射す角度がよくなくて、影が多いため、赤やオレンジ、黄色のグラデュエーションの色の乱舞が引き立たないのである。昼頃より日が傾いて西から指し始める午後3時過ぎがいいんじゃないかと思った次第である。そのため下のような不本意な写真になりました。



 昼からは図書館に用事があったので文化の森公園に行きました。ここもタイワンフウが美しく紅葉していました。間のいいことに日は西にかなり傾き、赤っぽい秋の日差しが、タイワンフウの微妙な色の違いを見せる紅葉を美しく輝かせていました。

 タイワンフウはその名の通り原産地は台湾です。漢字で書くと「台湾楓」かな。「楓」はフウとも読むし、カエデとも読む。個々の葉っぱを見るとカナダの国旗にあらわされているカエデに似ているがカエデ科ではなく、フウ科フウ属の別種である。しかし、紅葉の美しい落葉樹は、冷温帯(カナダや北西ヨーロッパ、日本の高山や東北以北)が主産地のように思っていたが、暖帯の台湾原産とはちょっと不思議に感じる。

午後5時過ぎればかなり暗くなってくる。五時過ぎに、公開している文理大学キャンパスのイルミネーションを見に行った。イルミはかなりの規模だ。しかしそれより大学のキャンパス内の何棟もあるある巨大ビル群の規模に驚いた。


2023年12月10日日曜日

知人のお爺ちゃんは神としてまつられている

 今日のブログは、78年前に硫黄島で戦没された知人のお爺様に捧げます。

 市内西新浜の辺りはいくつかの川の流れがちょっと入り込んでいて地図をみても面白い。面白いというのは、こんな地図上の地形は「どないなっとんやろ?」と歩いてみたくなる面白さである。まず地図を見てもらおう

 上方を「大松川」が(真横に流れるが堰止められて上へ)流れ、下をそれよりも大きな川の「勝浦川」が右上へ流れている。大松川と勝浦川は細長い堰堤によって区切られている。この堰堤上に道路(県道212号線)が走っている。今日の昼は晴れて少し動くと汗ばむような陽気である。そこでこの堰堤上に道路(県道212号線)を歩いてみた。黄色い矢印。

 まず白丸で示してある「護国神社」へ参ってから黄色矢印の道に入ることにした。護国神社の御祭神は知らない人が多いが、県出身ないし縁故の戦死者、自衛官・警察官・消防士等の公務殉職者を主祭神としている。最も多いのは戦死者である。
 そういえば数日前、知人から彼のお爺ちゃんが硫黄島で玉砕・戦死したという話を聞いていたので、御祭神の名前にあるかしらんと思い、神社を参拝することにした。そこで境内の戦没者記念館を見た。ここには集められる限りの戦没者軍属の写真と名前と展示してある。それを見て回った。ただ写真等は遺族の希望であえて展示していないのもあり、写真からだけではわからない(もちろん写真がないからと言ってもそれは遺族の希望で、写真のあるなしにかかわらずすべて御祭神に祀られているのは変わりない)
 徳島護国神社
徳島戦没者記念館(護国神社の境内にある)

 本殿に参り、横を見ると硫黄島戦没者之碑がたっている。裏を見ると本県の英霊55柱の名前が刻んである。見ると、知人のおじいさまの名前がしっかりと刻んである。

 「知人のお爺ちゃんは、ここで神としてまつられているのだ」

 硫黄島の碑
 碑の裏には55柱の英霊の名がある、その中に知人のおじいさまの名を確認できた。


 御祭神の神としてまつられているのは間違いないとしても、現代、大っぴらにそのことをいう人は少ない。戦争を厭うあまりではあるが、戦没者への尊崇をめぐっても悲しいことにイデオロギーの対立があり、素直に戦死者に対し「崇める、あるいは拝む、もっとも素朴に手を合わす」ということもなにか出来にくい雰囲気がある。しかし共産主義国、社会主義国をも含め、世界のどの国においても国家に殉じた戦没者には尊崇をはらい、それらの施設もある。私は、神としてまつられているであろう知人のお爺ちゃんを含め、この護国神社に祀られているすべての英霊に合掌してきた。

 ちょっと寄り道したが、例の堰堤上の道を歩いた。その堰堤に差し掛かる部分、地図で示した赤の矢印の部分にこんなものがある。

野鳥観察小屋である。この向こうの水面は地図でいうと「大松川水系」である。野鳥小屋に入って覗くと、確かに水面に水鳥の群れがいる。種類は(視力が悪いので)よくわからなかった。

 この堰堤上の道を通って新浜まで歩いたが、道路横はこのようにツタ、カズラ、クズ、ウルシなどが複雑に絡みつき、奇怪な灌木の芸術作品ギャラリーとなっている。

 季節は師走だが、まぁ今日の昼の暖かかったこと!よく晩秋から初冬にかけての暖かい日を「小春日和」というが、それ以上の暖かだった。上着を脱いで歩いても汗をかいた。

2023年12月8日金曜日

アスタムランド・イルミネーション

  ついたのは午後5時すぎ、空にはまだ少し明るさが残っているが、木星が見えている。すぐに暗くなった。5年ほど前にアスタムランドのイルミネーションを一度見ていたが、昨日見ると以前とくらべるとずいぶん派手で大がかりになっている。

動画

 おまけ、ちょうど10年前いった讃岐まんのう公園のイルミネーション、なんと見た日は昨夜と同じ12月7日(2013年、同じ日付のブログに張り付けてあります)、このBGMが気に入っているがユーチューブで消されずにまだ見られるのはうれしい。

2023年12月6日水曜日

日没最速の今日この頃

  日暮れが早い。お外をウロチョロするのが好きなので、用もなく野良犬のようにあちらこちらを歩いているが、どれびゃぁもせんうちにすぐ日暮れてくる。宵闇がせまると心も体も寒くなってくる。懐でも温かけりゃええがそちらも寒い、素寒貧(すかんぴん)とはよくいったものだ。ちゃんと「寒」と「貧」が合体しているではないか。

 急激に夕闇が迫る中、元気をだそうと歌なんど歌ってみる。演歌の元気ソングの歌詞は決して明るいものではない。奮い立たせ鼓舞するものではなく、どうせ、オイラはダメなんだ、という嘆き節である、が、声を出して歌っていると、気分が晴れてくるから不思議なものだ。演歌とはこういうものだ。

 ~夜ぅがぁぁぁ~、冷たぁぁい、心ろぅがぁ~寒ぅぅい~

 ~宵闇せまればぁぁぁ~、悩みわぁ~果てなしぃぃ~乱るるぅ、心ぉぉ~に~

 どだい、こんな歌を知っているのは70歳以上の爺やんじゃろう

 今が一年のうちで日暮れがもっともはやい時期である。午後4時53分が日の入り時刻でこれが最速の日の入り時刻である、これがあと数日、12月10日まで続く。そのご少しずつ日の入りは遅くなる。

 暗くなるのが早く、宵が長いので、各地にイルミネーション(電飾)が設けられ、あちらこちらで冷光を放っている。冷光と言ったがLEDの光は、なぜか冷たく感じられる。それもそのはず、実際にLEDは発光してもほとんど熱を出さない。これに対し白熱電灯は球を触ってもわかるがかなりな熱を出している。だから白熱灯はLEDにくらべると暖かく感じる。ガス灯ならばもっと暖かく感じるかもしれない。ろうそくなどは弱い光だが、見ているとほのぼのとした温かみを感じる。


 駅前の街路樹の銀杏が黄葉していた。他と比べるとまだ黄葉を保っている。


 今日の新聞を見ていると日本の15歳の学力はOECD諸国つまり先進諸国の中ではトップだそうだ。三分野の数学力、科学力、読解力を調べたそうだ。早朝のBSの国際ニュースでは、ドイツがその学力の順位をずいぶん下げ、問題になっていると報じていた。ドイツといやぁ科学の国で頭の良い民族というイメージだが、なんでそんなに下がるのか。原因となる一つとしてドイツに流入した新移民の子供に対する学校教育がうまくいっていないことを挙げていたが、なるほど欧州はどこも移民の子供が多いからそれもありなんだろう。

 15歳の子供はこれからそれぞれに能力を伸ばし、国や社会を構成する大人になるため、このような調査は意味あるものであろう。反対に無意味ということでは、こんな調査はどうだろう。自分がとっくにその年齢に達したためもあるが、その調査を15歳でなく65歳の爺やんやばぁやんで調べたら面白かろうと思う。その結果がわかっても何かに役立つような気はしないが、この中には高齢者が多い「政治家」も入っているから、まったく無駄な指標とはならないだろう。どこの国とはいわないが、好戦的な国の高齢者がどのような学力リテラシーをもっているか知りたい。お利口なじいやんばぁやんがいる国はどこじゃろ。

2023年12月3日日曜日

紅葉(黄葉)見納め

 12月2日 今年は秋の気温が高めだったせいか紅葉も黄葉も鮮やかさが足りないようだ。それでも師走に入り朝晩は冷え込むようになり、落葉もドッと進み、冬木立にかわりはじめ、紅葉(黄葉)も終わりに近づいている。

 五番札所地蔵院