ジジイになると毎日毎日変化のない退屈な日が続きがちですが、今日はいつにない三つの出来事があり、とっても濃密な一日となりました。だから今日は一度に三題、ブログにアップします。
台湾の青年
高齢になると新しい環境や新しい対人関係に慣れにくくなる。いまさら新しいことなど、もういいわ、ということになる。だから年寄りはどうしても保守的になり、自ら進んで新しい人間関係を築こうという気が起こらなくなる。これは誰のことでもない、とっくに古希を過ぎた私のことである。そのため最近、ここ徳島でも多くなってきた外国人労働者や外国人観光客に対しては尻込みしがちとなり、避ける傾向がある。
Xenophobiaの気味があるのかな?と思ったりもするが、まぁこれは日本の田舎の年寄りの一般的な性質ではないだろうか。しかし、私がとっても好きな国がある。それは台湾である。台湾にはまだ行ったことはないけれども、台湾の人々は私が若い時から、多くの接触があった。
私が二十代のとき、県西の山間部の僻地に住んでいた。そこは無医地区であった。町がかなり高額な手当てを払って医者を招致しようとしても、不便な僻地には医者は行きたがらない。そのため診療所には長らく医者がいなかった。そんなところにようやくやってきたのが台湾の医師であった。かなりのお爺ちゃんであったが、日本時代の台湾で(当然日本の)医師免許を取っていたため、台湾からやってきてもすぐに医者として医療活動ができた。日本人と同じように日本語がしゃべれ、面倒見もよく、地域の人々に慕われた。
また同じころ、私は旅行が好きで国内各地を何泊もしながら列車で移動し、かつ歩いた(その実、放浪に近かったが)。宿泊料が安いのでよく利用したのがユースホステルである。今と違い当時、ユースホステルは国内にたくさんあり、また利用客も多かった。外国の若者も多く利用した。外国人の比率としては白人が多かったが、台湾の若者もけっこういた。中国人(大陸)や東南アジアの人は皆無、香港の人は若干いた。
ユースホステルは相部屋ということもあり、また私も若かったため、みんなと積極的にコミュニュケーションをとった。特に台湾の人は顔も日本人とそっくりで、人情の機微なども解し、もっとも心の波長のあう外国人で、かれらと漢字で筆談するのが面白かった。筆談といっても私は中国語は全くわからない。ただ中国古典の「漢文」は中学・高校と習っていたため、それを基礎に台湾の若者と筆談したのである。よくそれで筆談ができたもんだと、今から思うと感心するが、大まかな意思や意向は分かりあえた。
そうそう、ある時、漢文が基礎の私の筆談の文字列をみて、台湾青年のグループの中で日本語ができる一人が、「日本人との筆談は、古臭く、今は廃れて用いないような言い回しや、古すぎる漢字が出てくる、なんとなく雰囲気で意味は分かるが、現代中国語とは大きく違っている」と、日本人の漢文基礎の筆談の有用性に疑問を呈していたが、そりゃそうだ!なにせ、日本の漢文は二千年も前の中国の文語文だ。現代中国語とはかなり隔絶しているだろう。
ユースホステルであった台湾の当時の青年たち、みんなインテリで、徴兵があるといっていたからか、虚弱な私と違い皆、いい体をしていた。
それから約半世紀たった。そして今日の朝の駅、大きなリュックを背負った若者がホームで汽車を待っていた。てっきり四国八十八か所参りの日本の若者かと思い「八十八カ所の寺参りですか」と声をかけると、これが台湾の青年だった。彼は日本語で喋る、さらには漢字かな交じり文の日本語の筆記も上手であった(これには驚嘆した)。
先に述べたように台湾には若い時から大いにシンパシィを感じている私である。汽車が終点につくまで彼といろいろお話をさせていただいた。やはりお四国巡りをやっているそうである。私もジジイになった今からでも歩き遍路に出かけたいという希望を持っている身である。台湾の青年の遍路は大いに励みになる。
列車の中で一緒に写真を撮った。私はスマホもデジカメも持っていないので台湾の青年のスマホで撮った。メールアドレスを知らせると、時を経ることなく、さっそく私のパソコンにその写真を送ってくれた。ありがとう。
「いやぁ~、ホント、昔から台湾の人、大好きやわ、死ぬまでに台湾に行きたいな」、写真の彼、名古屋にいる私の甥にどことなく似てる。
春日神社の神輿
今日は
春日神社の秋祭りの
「宵宮」である。台湾の青年と一緒に乗ってきた汽車を降りると、徳島駅の出入り口の横で
小さな祭壇を作り、
神主さんが
幣を奉げ、後ろに
駅長さんと助役さんが首を垂れている。神妙な雰囲気から祈願の最中とわかる。ふつう町筋の祈願は「家内安全、商売繁盛」だろうが、四国JRの駅だとさしずめ「旅客安全、旅客万来、黒字計上」の願いであろうか。すぐ横にはトラックに乗った動座の神本体、御神輿が鎮座ましましている。
「そうなのだ。徳島駅も春日神社の氏子さんである」
私も毎日のようにこの春日神社の産土の土地に出入りしている(主に図書館やその周辺)、氏子ではないが、この地を踏ませてもらっている感謝に、上の本殿の写真を撮りに行ったとき、手を合わせ祈願させてもらった。
駅入り口付近の祈願のようすと御神輿
地産の芭蕉の実(ばなな)
ユーチューブで楽しい動画を配信して私を楽しませてくれる
かつ坊主さん、一年以上かけて苗から
バナナを育て、結実させた。一か月以上前から捥いだ房を吊るし熟成中とのことであったが(その過程も何回か動画で拝見しました)、
昨日の動画でとうとう
完熟したとのことで、自らもぐもぐ味わって「甘ぁぃ~~」、
四国の風土でフルーティーなバナナなんかできるのかしらん、と思っていたが、これは矮小種のアイスクリームバナナで、この四国でも一定の防寒対策をすれば栽培可能とのことで、艱難辛苦のかいあってその可能性が実った!さっそくその動画に(内心よだれを垂らし、私も食べたいなぁ)と思いつつ、さあらぬ体で私がコメントを差し上げれば、翌日の今日、なんとわざわざ持ってきてくださった。左がそれです、小ぶりですが、同じく小ぶりの台湾バナナやモンキーバナナがとってもおいしいのを考えると甘美な味の予感がします。
さて夕方、いただきました。
アイスクリームバナナっていうくらいだから、アイスクリンのようにとっても甘いのかなとおもいましたが、そうでもなく、私にはちょうど良い甘さで、バナナらしい酸味も少しあり、とてもおいしかったです。私が思うに、アイスクリームバナナというのは甘味から名付けたのではなく、食べた時の歯ざわり、舌触りからきているのではないかと思いました。粘りがあり濃密な果肉が、ちょうど高級アイスクリームの生地のような、歯ざわり・舌触りのようでした。
子供のころ、バナナはめったに食べられない高級フルーツでした。たった半分に切った台湾バナナでしたが、そのおいしかったこと!子ども心にも、うちの庭にバナナが生る木があればなぁ、と夢見たことを思い出します。その時のバナナに対する思いは以前(一年ほど前)にブログに書きました。これです、よかったら読んでみてください。
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